▲チラシ – 第4回大阪市音楽団特別演奏会(1961年11月22日、フェスティバルホール)
▲プログラム – 第4回大阪市音楽団特別演奏会(同)
▲第4回大阪市音楽団特別演奏会(1961年11月22日、フェスティバルホール)
▲同、演奏曲目
『大阪市音楽団による定期演奏会も今度で第四回を数える。軍楽隊以外、世界にも例の少い職業吹奏楽団として独自の成長を隊げて来た仝団の足跡は正に注目に値するものがある。
視野の広いレパートリーによる新鮮な演奏で毎回確実なファンを集めて来た定期演奏会の試みはまことに有意義である。
兎角楽壇の一隅に孤立し勝ちな吹奏楽の分野に文字通りの新風と精彩をもたらしたことは全く辻井団長の秀れた指導力と団員諸君の努力によるものであって同慶に堪えない。今後とも愈々精進を重ね常に吾国吹奏楽界の先頭に立ち、日本のギヤルド・レピュブリケーヌたるの誇を持って発展せられることを期待している。 朝比奈 隆』(一部異体字の変更以外、原文ママ)
1961年(昭和36年)11月22日(水)、大阪市北区中之島のフェスティバルホールで開催された「第4回大阪市音楽団特別演奏会」のプログラムに、大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)常任指揮者(当時)の朝比奈 隆さん(1908~2001)が寄せた祝辞の全文だ。
“大阪市音楽団(市音)”とは、21世紀の民営化後、“Osaka Shion Wind Orchestra (オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)”の名で活動する大阪の楽団の大阪市直営時代の名称だ。
特別演奏会当夜の指揮者は、市音団長の辻井市太郎さん(1910~1986)。
実は、祝辞を寄せた朝比奈さんと辻井さんは、昭和のはじめ、市音がまだ“大阪市音楽隊”と称した頃からの知己で、当時、朝比奈さんは、師の亡命ウクライナ人指揮者エマヌエル・メッテル(Emmanuel Metter、1878~1941)が推進する関西の交響楽運動の用向きで、メッテルのメッセージやリクエストを携えてしばしば市音(当時は管弦楽もやった)を訪れていた。そこで知り合った、ともに明治生まれの若い二人は、ほぼ同年齢ということもあり、何かと馬が合った。(参照:《第65話 朝比奈隆:吹奏楽のための交響曲》)
戦後、二人は、管弦楽、吹奏楽の違いこそあれど、大阪を代表するオーケストラ(関西交響楽団)とバンド(大阪市音楽団)の指揮者となった。
そして、1960年(昭和35年)。《第122話 交響吹奏楽のドライビングフォース》でもお話ししたように、市音は、4月18日(月)、大阪市北区にあった毎日ホールで辻井市太郎指揮の「第1回大阪市音楽団特別演奏会」(第17回以降は“特別演奏会”を“定期演奏会”と呼称変更。Osaka Shionの“定期演奏会”へと脈々と受け継がれる)を開催。すると、関西交響楽団から改組、改称したばかりの大フィルも、5月14日(土)、同じ毎日ホールで、朝比奈 隆指揮の「大阪フィルハーモニー交響楽団第1回定期演奏会」を開催した。
偶然だろうが、まるで示し合わせたような動きがとても興味深い。
また、“特別演奏会”に寄せたはずの祝辞の中で、朝比奈さんは2度も“定期演奏会”と書いている。これは、間違いなく確信犯で、辻井さんと市音の活動への援護射撃だった。
ともかく、1960年は、大阪の楽壇が新たな一歩を踏み出し、躍動を始めた年だった。
そして、その翌年の1961年には、フランスの“ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団”(公演名)が初来日し、大阪でもフェスティバルホールでコンサートを行なった。(参照:《第22話 ギャルド1961の伝説》)
奇しくもそれは、市音第4回特別演奏会のほぼ2週間前の11月6日(月)のことだった。
話を元に戻そう。
そんな空気の中で開催された市音の第4回特別演奏会は、同時に、2700席のキャパを誇るフェスティバルホールにおける市音初の演奏会で、クラシックの殿堂にふさわしい、とても意欲的なプログラムが組まれた。
第4回大阪市音楽団特別演奏会
(フェスティバルホール、大阪)18:30
・メキシコの祭り~メキシコ民謡による交響曲
(H・オーウェン・リード)
・ラプソディ・イン・ブルー
(ジョージ・ガーシュウィン / 辻井市太郎編)
・葬送と勝利の交響曲(作品15)
(エクトル・ベルリオーズ)<本邦初演>
アメリカとフランスのオリジナル・シンフォニー2曲の間に、真木利一のピアノをまじえたジョージ・ガーシュウィン(1989~1937)の名曲『ラプソディ・イン・ブルー』を挟んだ堂々たるプログラムだ。
メイン・プロに、エクトル・べルリオーズ(1803~1869)の『葬送と勝利の交響曲』(作品15)の<本邦初演>をもってきたのは、多分にギャルド来演を強く意識してのものだったろう。市音がフランスのシンフォニーを取り上げるのは、1960年(昭和35年)11月9日(水)、毎日ホールで行なわれた「第2回特別演奏会」で本邦初演されたポール・フォーシェ(1881~1937)の『交響曲 変ロ調』以来、これが2曲目だった。
べルリオーズの『葬送と勝利の交響曲』(1840)は、1830年の“7月革命”から10周年を記念し、ルーヴルの柱廊に仮埋葬されていた革命戦士たちの遺体をバスティーユ広場に建てられた記念碑地下の墳墓に移すとともに、バスティーユ広場で行なわれる式典の間、演奏される音楽として、フランス政府の委嘱で作曲された。
その記念式典は、1840年7月28日に行なわれた。
ベルリオーズが、屋外で行なわれるこの演奏目的のために雇った楽師は、200名という大編成の吹奏楽で、指揮は、作曲者自身が行なった。
3楽章からなるこのシンフォニーは、死者のためのミサが行なわれたサン・ジェルマン・ローゼロワ教会のあるルーヴル通りを出てバスティーユ広場に至る革命戦士たちの遺体がたどるルートで演奏された第1楽章「葬送行進曲」。バスティーユ広場での遺体埋葬と記念碑の序幕式で演奏された第2楽章「追悼曲」と第3楽章「アポテオーズ」で構成される。
その後、室内演奏の機会に、ベルリオーズが弦楽や六声の混声合唱を加えたことから、実演に際しては、「吹奏楽のみ」、「吹奏楽 + 合唱」、「吹奏楽 + 弦楽 + 合唱」、「吹奏楽 + 弦楽」といったヴァリエーションが愉しめる。
辻井市太郎指揮、大阪市音楽団は、この内、「吹奏楽 + 合唱」を採った。1958年にデジレ・ドンデイヌ指揮、パリ警視庁吹奏楽団が行なった世界初録音盤(仏Erato、LDE 3078〈モノラル盤〉/ STE 50005〈ステレオ盤〉)と同じ立場だ。(参照:《第26話 デジレ・ドンデイヌの遺産》)
吹奏楽専門誌「月刊 吹奏楽研究」1962年2月号(通巻76号、吹奏楽研究社)は、表紙に演奏会当日のステージ写真をあしらい、「大阪市音楽団 シムフォニックバンド 第四回特別演奏会」(原文ママ)という2頁記事でこの演奏会をレビューしている。
『日本に数多い吹奏楽団のなかで最もすぐれたシムフォニックな内容をもつ「大阪市音楽団」の特別演奏会は、…(中略)…、常に意欲的に新しい吹奏楽芸術探求の不断の精進ぶりを公開しているが、その第四回公演は、十一月二十二日午后六時半から、大阪フェスティバルホールで開催された。はるばる東京から菅原明朗、高山 実、松本秀喜、三戸知章の諸氏も来聴し、「日本のギャルド」と称されるこの楽団の成長ぶりが遺憾なく発揮された。』(原文ママ)
また、評者不詳ながら、ベルリオーズのシンフォニーに関する演奏評もある。
『第一楽章の葬送行進曲が特に印象的であった。また第二楽章における古川博氏のトロムボン・ソロ「叙唱と詠唱」は、よく哀悼の情を歌っていたようだ。終楽章では大阪音楽大学合唱団が加って「栄光と凱旋」の場面は、合唱団の迫力が、バンドに圧せられて物足りなく感ぜられたのは残念であったが、相当盛りあげられて万雷の拍手を受けた。』(原文ママ)
自伝「ベルリオーズ回想録(原題:MEMOIRES DE HECTOR BERLIOZ, comprenant ses voyages en Italie, en Allemagne, en Russie at an Angleterre 1803─1865)」(仏Carmann-Levy、1870)の第50章には、このシンフォニーの作曲の経緯や自ら指揮をした初演の模様などが自身の言葉で詳細に語られている。
それによると、屋外で行なわれた初演は、強力な200名の吹奏楽を起用したのにもかかわらず、大群衆の喚声や近衛兵の行進などの騒音によって演奏がたびたびかき消され、必ずしも作曲者の所期の想定どおりには進まなかったとある。しかし、それをある程度予期していたベルリオーズは、本番2日前の総練習に友人、知人の多くを招待しており、その際、たいへんな好評を得たことから、記念式典のより後の日に、あらためて室内演奏会が開かれることが決まったという。弦楽や合唱が加筆されたのは、その際だ。
“これまで印刷された私の伝記は不正確で間違いだらけだ”と言って書いた自伝だけに、その面白さは無類で、日本語訳も、清水 脩訳(戦前訳版:河出書房 、1939年)、清水 脩訳(加筆修正された戦後訳版:音楽之友社、1950年)、丹治恒次郎訳(白水社、1981年)とあるので、ベルリオーズの人生や作品に関心のある人は古書店や図書館で探して読まれるといい。
音楽に歴史アリ!!
これだからバック・ステージはおもしろい!
▲「月刊 吹奏楽研究」1962年2月号(通巻76号、吹奏楽研究社)
▲音楽文庫 9 「ベルリオーズ回想録」(ベルリオーズ著、清水 脩訳、音楽之友社、1950年初版)
▲LP – BERLIOZ:GRANDE SYMPHONIE FUNEBRE ET TRIOMPHALE OP.15(仏Erato、LDE 3078〈モノラル盤〉)
▲〈モノラル盤〉LDE 3078 – A面レーベル
▲〈モノラル盤〉LDE 3078 – B面レーベル
▲〈ステレオ盤〉STE 50005 – A面レーベル
▲〈ステレオ盤〉STE 50005 – B面レーベル
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第126話 ベルリオーズ「葬送と勝利の交響曲」日本初演」への1件のフィードバック