■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第123話 レイランド・ヴィークルズ初来日

▲ツアー・プログラム – The Leyland Vehicles Band of Great Britain Tour of Japan 1980

▲リチャード・エヴァンズ

▲ハリー・モーティマー

▲レイランド・ヴィークルズ・バンド(1980年7月22日、日比谷公会堂 / 「バンドピープル」1980年10月号から(八重洲出版、許諾により転載  / 文・山本武雄 )

1980年(昭和55年)7月27日(日)、快晴。筆者は、国鉄「新大阪」駅から朝一番の東海道新幹線の“ひかり”に乗車。「名古屋」駅ホームで朝食代わりに名物“きしめん”をかきこんで、中央本線の特急“しなの”に乗り継ぎ、一路「長野」へ。帰路は、その逆コースを辿るという日帰り弾丸ツアーを敢行した!!

新幹線に“のぞみ”が登場するかなり以前の話で、当時はこれが大阪から長野へと至る最短、最速ルートだった。途中、新幹線車中のことは何も覚えていないが、中央本線では、初めて乗った国鉄自慢の“振り子電車”の信じ難い乗り心地の悪さだけが、すばらしい沿線の景色以上に記憶に残っている。たぶん、カーブのたびに脳味噌が大きく揺さぶられたからだろう。大阪に帰り着いてからも、何故か体が揺れている感覚だけが残った。

弾丸ツアーの目的は、長野市民会館で午後2時30分から行なわれるイギリスの“レイランド・ヴィークルズ・バンド(Leyland Vehicles Band)”の来日公演!

演奏会情報を得て、事前に長野市の最新地図と時刻表を買い求めてチェックしたら、運よくホールが国鉄「長野」駅から徒歩圏内にあることを発見!それがこの日の“弾丸”を決意させる引き金となった。オーシ!!

“レイランド・ヴィークルズ・バンド”は、《第95話 ナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド来日》でお話しした1970年の日本万国博に来演した“ナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド(The National Band of New Zealand)”、1979年に来日公演を行った“ウェリントン・シタデル・バンド(Wellington Citadel Band)”(ニュージーランド)についで、海外から日本にやってきた3番目のブラスバンドだ。先に挙げた2つのバンドが、英連邦ながらニュージーランドからだったので、レイランドは、その後も、ブラスバンドの母国イギリスから来日した初のバンドという栄誉を担うことになった。

レイランドのバンド創立は、1946年。イングランド北西のランカシャーで、二階建てバスやトラックを製造する自動車メーカーのバンドとして“レイランド・モーターズ・バンド(Leyland Motors Band)”の名で誕生した。トロンボーンの名手として知られた初代指揮者ハロルド・モス(Harold Moss、1891~1960)の没後、しばらく低迷期が続いたが、1977年になって、バンドが社や製品のプロモーションでいい広告塔になることに気づいた会社が力を入れるようになり、1978年1月にリチャード・エヴァンズ(Richard Evans、1934~)を音楽監督に招聘。全権を委ねられたエヴァンズは、情熱を込めたアツい練習だけでなく、メンバーの大幅入れ替え(オリジナル・メンバーで残ったのは8名だった)まで断行。1979年にレイランド・ヴィークルズ・バンドと改称されたバンドは、その年の10月6日(土)、ロンドンの科学技術専門学校で行なわれた「全英ブラスバンド選手権」セカンド部門決勝で優勝。見事、チャンピオンシップ部門への昇格を果たした。

1980年の初来日は、この若々しいバンドがグイグイ実力を伸ばしていっているその最中、高いテンションの中で実現されたわけだ。

バンドの滞日期間は、7月20日(日)から8月1日(木)。公演日程は、以下のように発表され、プログラムは、3つが用意された。

・7月21日(月) 栃木県教育会館(18:30、Cプロ)

・7月22日(火) 日比谷公会堂(18:30、Cプロ)

・7月23日(水) 神奈川県民ホール(18:30、Bプロ)

・7月24日(木) 山梨県民会館(18:30、Bプロ)

・7月25日(金) 島田市民会館(静岡)(15:00、Aプロ)

・7月26日(土) 習志野文化ホール(千葉)(14:30、Aプロ)

・7月27日(日) 長野市民会館(14:30、Bプロ)

・7月28日(月) 浅草公会堂(東京)(17:30、Bプロ)

・7月29日(火) 川口市民会館(埼玉)(17:30、Aプロ)

・7月30日(水) 新潟県民会館(18:30、Cプロ)

来日した指揮者は、音楽監督のリチャード・エヴァンズと客演指揮者のハリー・モーティマー(Harry Mortimer、1902~1992)のふたり。

この内、エヴァンズは、ロイヤル・ノーザン音楽カレッジ(Royal Northern College of Music)の出身。ランカシャーの実家近くのブリティッシュ・レジョン・バンド(British Legion Band)でコルネットの手ほどきを受け、1952年、英国内の前途有望な青少年からオーディションで選ばれる“ナショナル・ユース・ブラスバンド(National Youth Brass Band of Great Britain / NYBB)”の創立時メンバーとなった。NYBBでは、後にロンドン交響楽団首席トランペット奏者となったモーリス・マーフィー(Maurice Murphy)とともに、プリンシパル・コルネット奏者をつとめ、このとき、指揮者ハリー・モーティマーとの運命的な出会いがあった。

前記のモスが率いるレイランド・モーターズ・バンドやブラック・ダイク・ミルズ・バンド(Black Dyke Mills Band)のコルネット奏者をへて、エヴァンズは、BBCノーザン交響楽団(BBC Northern Symphony Orchestra)、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団(Royal Liverpool Philharmonic Orchestra)のトランペット奏者としてキャリア・アップ。フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルにも参加し、フリーランスの指揮者としても活動。1978年にレイランド・ヴィークルズ・バンドの音楽監督に就任して、またたく間にチャンピオンシップ・セクションのステータスにふさわしいバンドへと育て上げた。

一方のモーティマーは、世界中のファンから“ブラスバンドの父”あるいは“ミスター・ブラス”としてリスペクトされるレジェンドだ。

7歳のときにコルネットを始め、14歳で既にルートン・レッド・クロス・ジュニア・バンド(Luton Red Cross Junior Band)の指揮者に。その一方で、ルートン・レッド・クロス・バンド(Luton Red Cross Band)とフォーデンズ・モーター・ワークス・バンド(Fodens Motor Works Band)でプリンシパル・コルネット奏者をつとめ、その後、ハレ管弦楽団(Halle Orchestra)、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団、BBCノーザン交響楽団の首席トランペット奏者として活躍。1942年から1964年の間、BBC放送でブラスバンドとミリタリー・バンドのスーパーバイザーをつとめ、1943年2月放送開始のラジオ番組「リッスン・トゥー・ザ・バンド(Listen to the Band)」の初代プレゼンター(司会進行役)としても知られている。

指揮者としては、ブラック・ダイク・ミルズ、フェアリー・アヴィエーション(Fairey Aviation Band)、フォーデンズ・モーター・ワークスなど、イギリスの主要なブラスバンドを指揮。1947~1949年の全英ブラスバンド選手権では、ブラック・ダイク・ミルズを指揮し、ハット・トリック(三連覇)を達成した。また、“フェアリー”“フォーデンズ”“モーリス”の3つの名門バンドのメンバーで組織した75名編成のブラス・オーケストラ“メン・オー・ブラス(Men o’ Brass)”のレコードは、アメリカや日本でも発売され、世界的ヒットとなった。後進の育成についても精力的に活動し、ナショナル・ユース・ブラスバンドの指揮者やプレジデントもつとめている。

両者の経歴を摺り合せると一目瞭然だが、エヴァンズがナショナル・ユースのプリンシパルをつとめた頃から、ふたりには多くの接点があり、師と弟子、あるいは、親と子ぐらいの間柄にあった。エヴァンズが、自分のバンドが初の日本演奏旅行に際し、偉大なる先人モーティマーをゲストに招いたのもなるほどと合点がいく。

そして、その結果、我々は、日本盤のレコードが何枚もある“レジェンド”が指揮する“チャンピオンシップ”クラスのブラスバンドをナマで聴く機会を得たわけだ。

メディアも動いた。

月刊誌「バンドジャーナル」(音楽之友社)は、1980年10月号でカラー口絵2ページと本文8ページの特集を組み、山本武雄、山本常雄、斎藤好司、松長 徹の各氏がそれぞれの視点からコンサートやバック・グラウンドをリポート。 創刊間もない「バンドピープル」(八重洲出版)も、7月号に聴きどころと曲目をまとめた2ページの事前コンサート・ガイドを入れ、10月号でコンサートとクリニックの模様をリポートする5ページ特集を組んだ。

長野往復“日帰り弾丸ツアー”の前、筆者は、エヴァンズがレイランドを指揮したファースト・アルバム「トラヴェリング・ウィズ・レイランド(Travelling with Leyland)」(LP:英RCA Victor、PL 25175、1978年7月19日、ハダーズフィールド・タウン・ホールで録音)やモーティマーが指揮した英DeccaとEMIの“メン・オー・ブラス”のレコードをしっかりと聴き込んでからコンサートに望んだ!

いずれもかなりのお気に入り盤だった!

しかし、コンサートの冒頭、ハロルド・モス作曲のレイランドのテーマ『ロイヤル・タイガー(Royal Tiger)』がホールに流れ出すと、琴線にふれるようなサウンドのすばらしさに魅了されてしまい、その後はただ笑って聴いているしかなかった。

紛れもない、不純物のカケラもないピュアなサクソルン属の倍音のシャワーが目の前にあった!やはり、ナマには適わない!!!

ふと見渡すと、超満員の会場には、熱心なブラスバンド・ファンに混じり、生まれてはじめてブラスバンドを耳にするはずの中高生の吹奏楽部員も多くつめかけていた!

みんな喰い入るようにステージを見つめ、曲が終わるたびに、屈託の無いはじけるような笑顔で嬉々として感想を述べ合い、大きな拍手を贈っている!その姿は、お行儀礼よく聴いているというより、もう大騒ぎに近かった!!

終演後、ロビーで行なわれた来日記念盤「コントラスツ・イン・ブラス(Contrasts in Brass)」(LP:英Chandos、BBR-1008(S)、1980年2月10日、マンチェスター大学ウィットワース・ホールでの新録盤に前記“トラヴェリング・ウィズ・レイランド”をそっくりそのまま加えた2枚組)の即売コーナーには、エヴァンズとモーティマーが出てきて、購入者の求めに応じてサインを始めた。で、即購入!!

サインを書いてもらう間、ふたりと短い会話ができたが、それは筆者にとっては至福の時間となった。80歳を目前にしたモーティマーとは、残念ながら、それが最後の機会となってしまったが、その後、エヴァンズとは、ブリーズ・ブラス・バンドのミュージカル・スーパーバイザーとしての立場から、いろいろな場面で絡むことになった。

レイランド・バンドのモットーは、“ワールド・クラス・エンターテイメント・イン・ブラス(World Class Entertainment In Brass)”!!

その初来日は、またひとつ、新たな出会いを運んできてくれた!

▲▼ Leyland Vehicles Band 来日メンバー

▲Aプロ(Programme One)

▲Bプロ(Programme Two)

▲Cプロ(Programme Three)

▲LP – Travelling with Leyland(英RCA Victor、PL 25175、1978年)

▲PL 25175 – A面レーベル

▲PL 25175 – B面レーベル

▲LP(ジャケット表) – Contrasts in Brass(英Chandos、BBR-1008(S)、1980年)

▲同 – (ジャケット裏)

▲BBR-1008(S) – A面レーベル

▲BBR-1008(S) – B面レーベル

▲BBR-1008(S) – C面レーベル

▲BBR-1008(S) – D面レーベル

▲モーティマーとエヴァンズの手書きサイン

▲「バンドジャーナル」1980年10月号(音楽之友社)

▲「バンドピープル」1980年10月号(八重洲出版)

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