■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第122話 交響吹奏楽のドライビングフォース

▲辻井市太郎(1910~1986)

▲プログラム – 第2回大阪市音楽団特別演奏会(1960年11月9日(水)、毎日ホール)

▲同 – 演奏曲目

▲同 – 曲目変更の謹告

▲第2回大阪市音楽団特別演奏会(1960年11月9日、毎日ホール)

『菊の香につつまれて、ここに大阪市音楽団の第2回特別演奏会が催されますこと、心から喜びにたえません。

この特別演奏会は、吹奏楽の芸術性の向上を目指す辻井団長はじめ55名の団員諸君のたぎる芸塾的意欲のあらわれで、常にはポピュラーな演奏を通じて音楽の芸術性と大衆性のかけ橋の役を果している大阪市音楽団の画期的、野心的企画です。

春の初演は、おかげ様でかなりの好評をもって迎えられ、由緒ある大阪市音楽団の名声をひときわ高めることができました。

第2回公演は、12音音楽の創始者シェーンベルクの主題と変奏 ─ 作品43aをはじめ芸術の秋に贈るにふさわしい本邦初演曲をそろえ必ずや皆さんの激励と期待にこたえるものと信じます。

どうか、温かいご喝采を、切にお願いいたします。 大阪市長 中井光次』(原文ママ)

1960年(昭和35年)11月9日(水)、大阪・北区の毎日ホールで行なわれた「第2回大阪市音楽団特別演奏会」のプログラムを飾った中井光次大阪市長(1892~1968、市長在職:1951~1963)の挨拶文だ。

現職市長がこれほどアツい口上を書くぐらいだ。

7ヶ月前の4月18日(月)、同じホールで行なわれた「第1回特別演奏会」(市長が“春の初演”と記している)は、センセーショナルな成功を収めた!(参照:《第120話 交響吹奏楽団を夢みる》

なにしろ、野外演奏やパレードのものと固く信じられてきた“吹奏楽団”が、“交響吹奏楽”という日本ではなじみのないカテゴリーを旗頭に掲げ、なんと“室内”のコンサート・ホールを使って吹奏楽の芸術性を追求する演奏会を開催! クラシック中心の音楽界をアッと言わせたのである。

地元放送局や新聞各紙を含め、吹奏楽のイメージが変った瞬間だった!

11月の「第2回特別演奏会」は、その成功裏に企画された。後に全日本吹奏楽連盟理事長をつとめることになる指揮者の朝比奈 隆(1908~2001)さんも、プログラムにこんな書き出しの一文を寄せている。

『第1回特別演奏会で我が国吹奏楽界に異常な反響をよびおこした、意欲的な大阪市音楽団と、その団長辻井君は、やつぎばやに第2弾をはなった。』(原文ママ)

マスコミ発表されたプログラムは、以下のようなものだった。

・交響曲 変ロ調
(ポール・フォーシェ)<本邦初演>

・金管楽器とオルガンのための協奏曲 作品57
(セス・ビンガム)<本邦初演>

・主題と変奏 作品43a
(アルノルト・シェーンベルク)<本邦初演>

・ジェリコ 交響吹奏楽のためのラプソディー
(モートン・グールド)<本邦初演>

この内、ビンガムの『金管楽器とオルガンのための協奏曲』は、演奏会寸前(5日前)に独奏者にドクター・ストップがかかり、急遽「第1回特別演奏会」で本邦初演されたルドルフ・シュミットの『ピアノと交響吹奏楽のための祝典協奏曲』の再演に差し替えられたが、それにしても、全曲を<本邦初演>で望むという意欲的なプログラミングに、楽壇は再びアッと言わされたのである。

2日後、1960年(昭和35年)11月11日(金)讀賣新聞に掲載された「音楽評」は、“意欲ある試み”と見出しをつけ、その模様をこう伝えている。

『大阪市音楽団が九日毎日ホールで演奏会をひらいた。辻井市太郎の指揮による約六十人の吹奏楽演奏は、日本ではあまり類例のない演奏会だけに、一部をのぞいて全部本邦初演の曲ばかりならべたプロも珍しい。…..楽団員たちの芸術意欲が市を動かして、こんどフォーシェ、シェーンベルク、グールドなど本格的な吹奏楽曲を初演したわけだ。そうとうな難曲をこなす腕前は立派なもので、真木利一のピアノを加えたシュミットの曲も熱演だったが、吹奏楽の持つ機能をフルに発揮したグールドの作品は圧巻だった。(藤獄彰英)』(「讀賣新聞」昭和35年11月11日(金)、抄録、原文ママ)

専門誌「月刊吹奏楽研究」1961年1月号(月刊吹奏楽研究社)も、38頁に「シンフォニック・バンド 大阪市音楽団 第二回特別演奏会 意欲に燃えて初演曲を世に問う」という記事を掲載した。

『昨昭和三十五年四月十八日に第一回特別演奏会を催して、ヒンデミットの吹奏楽のための変ロ調交響楽、シュミットのピアノと吹奏楽のための祝典変奏曲など、本邦初演の野心的曲目をならべて、吹奏楽の芸術的昂揚への研究成果を世に問う演奏で、天下の音楽界の視聴を集めた大阪市音楽団では、その第二回特別演奏会を、十一月九日午后六時三十分から、毎日ホールで開催した。

四十年にわたる古い伝統にはぐくまれ、辻井市太郎団長の吹奏楽一図の研究的態度と気鋭の隊員、理想的編成など、あらゆる点において、Symphonic Bandとしてわが国最高レベルのものであることは、今日では万人の認めるところである。』(原文ママ、「月刊吹奏楽研究」1961年1月号、吹奏楽研究社)

また、演奏曲の中では、同年秋のフランスのギャルド・レピュブリケーヌ初来日(参照:《第22話 ギャルド1961の伝説》)を意識してか、フォーシェの交響曲に高い関心を示し、短い概説まで加えている。

『この曲はフランス生まれの作曲家フォーシェ(一八五八年生れ)の作品で、一九二六年に、ギャルド・レピュブリケーヌによって初演された吹奏楽のために作曲された交響曲』(同)

NHKのラジオ第2放送(AM)も、1960年(昭和35年)12月30日(金)午後8時15分から、演奏会のライヴを45分番組にまとめてオンエアした。

市音の「特別演奏会」は、1968年(昭和43年)5月28日(火)、毎日ホールで開催された第17回以降、「定期演奏会」と改称され、2014年(平成26年)の民営化後、Osaka Shion Wind Orchestra(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)と楽団名を改めた後も、その系譜は、令和の今日まで引き継がれている。

辻井さんが指揮したのは、この内、「第1回」から「第24回」までだったが、ここで特記したいのは、この間、37曲もの“初演”や“本邦初演”が行なわれていることだ。

「第1回」で取り上げられたパウル・ヒンデミットの『交響曲 変ロ調』に始まり、ポール・フォーシェの『交響曲 変ロ調』、エクトール・ベルリオーズの『葬送と勝利の交響曲』、フランク・エリクソンの『交響曲第2番』、ヴィットリオ・ジャンニー二の『交響曲第3番』、アラン・ホヴァネスの『交響曲第4番』『第20番』、ロバート・ウォシュバーンの『交響曲』、トーマス・ベーバースドルフの『管楽器と打楽器のための交響曲』、ポール・ホエアーの『ストーンヘンジ交響曲』まで、シンフォニーだけで10曲の本邦初演が行なわれ、リヒャルト・ワーグナーの『誓忠行進曲』、パーシー・グレインジャーの『リンカーンシャーの花束』、フローラン・シュミットの『セラムリク』、ロジャー・ニクソンの『太平洋の祭り』、ジョン・バーンズ・チャンスの『呪文と踊り』、ポール・クレストンの『ザノ二』を日本に紹介したのも、辻井/市音の定期シリーズだった。

加えて、1969年(昭和44年)11月13日(木)、フェスティバルホールにおける「第20回」と1971年(昭和46年)11月16日(火)、同ホールの「第23回」は、日本ワールド・レコード社からライヴ盤LPレコードがリリースされた。

英語の辞書には、“牽引役”や“推進役”を指す“ドライビングフォース(driving force)”という語がある。

辻井市太郎指揮、大阪市音楽団は、正しく吹奏楽のドライビングフォースだった!!

▲「月刊吹奏楽研究」1961年1月号(吹奏楽研究社)

▲LP – 第20回大阪市音楽団定期演奏会(日本ワールド、JWR-1138、1970年)

▲JWR-1138 – A面レーベル

▲JWR-1138 – B面レーベル

▲LP – 第23回大阪市音楽団定期演奏会(日本ワールド、JWR-2006、1972年)

▲JWR-2006 – A面レーベル

▲JWR-2006 – B面レーベル

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