■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第120話 交響吹奏楽団を夢みる

▲Osaka Shion Wind Orchestra 2020年度シーズン定期演奏会ポスター

▲Osaka Shion Wind Orchestra 2020年度シーズン定期演奏会プログラム

▲プログラム – 大阪市音楽団第1回定期演奏会(1952年5月6日、三越劇場)

▲プログラム – 大阪市音楽団第93回定期演奏会(1960年3月23日、三越劇場)

2020年(令和2年)、Osaka Shion Wind Orchestra(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)は、定期演奏会活動における新たなる一歩を踏み出した!!

同年4月から始まる2020年度(2020 – 2021シーズン)において、本拠地・大阪での“定期演奏会”を年6回開催することをプレス・リリースしたのである!

歴史を紐解くと、シオンの“定期演奏会”は、楽団がまだ大阪市の直営で、大阪市音楽団(市音)という楽団名だった1960年(昭和35年)4月18日(月)、大阪市北区にあった毎日ホールで開催された「第1回大阪市音楽団特別演奏会」を端緒とする。

この演奏会の名称が“特別演奏会”だった理由は、これに遡ること8年前の1952年(昭和27年)5月6日(火)、三越劇場(大阪市東区高麗橋にあった「三越大阪店」旧館8階。現中央区)で開かれた「大阪市音楽団第1回定期演奏会」以降、市音には、ほぼ毎月(ときには月2回)開催の“定期演奏会”が存在したからだ。

(補記すると、三越劇場での“市音定期演奏会”は、1960年3月23日(水)の第93回まで行なわれ、翌月の4月28日(木)の第94回以降は“三越コンサート”と名を改め、1977年(昭和52年)12月6日(火)の第240回まで引き続き開催された。一方、“特別演奏会”は、1968年(昭和43年)5月28日(火)の第17回から“定期演奏会”と改称されている。)

そんな裏事情はさておき、市音「第1回特別演奏会」は、日本初、プロの吹奏楽団が、室内のコンサート・ホールで有償で開催する定期演奏活動のはしりとなった。

ここで、わざわざ“室内のコンサート・ホール”と断る理由は、当時、吹奏楽の演奏といえば、例外的に特別なケースを除いて、野外音楽堂や競技場などの屋外、または体育館などで行なわれるものが大部分だったからだ。雨天中止もあった。コンサート・ホールを定期的に使い、吹奏楽の芸術性を問うなどという発想自体まるでなかった。

世間で“吹奏楽=マーチ”というイメージが固定されていた時代だった。

市音「第1回特別演奏会」の指揮者は、1947年(昭和22年)4月1日(火)、市音第3代団長に就任し、定年の1972年(昭和47年)4月15日(土)までその任にあった辻井市太郎(1910~1986)さんだった。

辻井さんは、アメリカのバンドにならって、前年の1959年(昭和34年)4月に50名編成を実現した市音を、さらに市と話し合って、60名、70名……、いつかは100名近い規模の大編成シンフォニック・バンドにまで拡充したいという夢を持ち続けた人物だ。

戦後、市の“大阪市音楽団条例”によって定められた(つまり、市議会の議決を経た)市音の正式英語名称が「Osaka Municipal Symphonic Band」であり、それに“Symphonic Band”という文字が盛り込まれていることも、それと無関係ではない。

当時、音楽とは無縁と思われる市議諸氏がそのことを深く意識していたとは到底思えないが、とにかく市が運営主体のこの楽団を、市が“Symphonic Band”と英語で名乗らせていたことは事実だった。

議決を経ただけに、逆に名称変更は容易ではなかったが。

楽団がそのしばりから解き放たれるのは、2013年(平成25年)11月29日(金)の大阪市会本会議において“大阪市音楽団条例を廃止する条例案”が可決成立し、翌年の2014年3月末日をもって廃止が正式決定した後のことである。

話をもとに戻そう。

市音「第1回特別演奏会」のプログロムは、つぎのようなものだった。

カンツォーナ(ピーター・メニン)
《本邦初演》

交響詩「献身」(カール・フランカイザー)

吹奏楽のための交響曲 変ロ調(パウル・ヒンデミット)
《本邦初演》

ピアノと交響吹奏楽のための祝典協奏曲(ルドルフ・シュミット)
《本邦初演》

組曲「キージェ中尉」(セルゲイ・プロコフィエフ)
辻井市太郎編

ヒンデミットのオリジナル・シンフォニーをはじめ、3曲の《本邦初演》を盛り込んだプログラムは高揚感にあふれ、新しい時代を切り開く意欲に満ちていた!

そして、吹奏楽団がコンサート・ホールで演奏会を開くという新鮮さも手伝ったのかも知れないが、会場も満場の熱気あふれる盛り上がりを見せた。

吹奏楽専門誌「月刊吹奏楽研究」1960年5月号(通巻60号、吹奏楽研究社)は、そのステージ写真を表紙にあしらい、「伝統の大阪市音楽団第一回特別演奏会」(26~27頁)という記事を掲載した。

その興味深い内容の一部を引用する。

『わが国のプロ吹奏楽団の中で、最も古い歴史を持ち交響吹奏楽団Symphonic Bandとしての充実編成とすぐれた演奏技術、さらに意欲的な研究態度を持ち続けて、異彩を放ち、プロバンドのトップレベルと認められている「大阪市音楽団」が大正十二年に創設されてから三十八年になる。毎月大阪三越劇場で定期演奏会を開き既に九十三回を重ね、大阪市民にその高度な演奏による吹奏楽の醍醐味を満喫させ多数のファンを固定させているが、本年の大阪芸術祭に協賛して、四月十八日の月曜午后六時から、大阪市教育委員会と毎日新聞社の主催のもとに、毎日ホールで「第一回特別演奏会」を開催した。

(中略)

本邦初演の吹奏楽名曲をならべた演奏会は、関西の音楽ファンを総動員させ、会場は立錐の余地も無い盛況で、同音楽団として始めての有料演奏会は大成功であった。』(「月刊吹奏楽研究」1960年5月号(通巻60号、吹奏楽研究社)、原文ママ)

「音楽文化」1960年6月号(音楽文化協会)も、7頁にインタビュー記事「あの人この人 =交響吹奏楽団を夢みる= 辻井市太郎」を掲載した。

演奏会終了後、クラシックの評論家が辻井さんにインタビューした内容で、文中“吹奏楽”はすべて“ブラス・バンド”と表記統一されている。21世紀の時点からみると誤解が生まれそうだが、以下の引用のように、辻井さんの回答には、当時の心情の多くが語られている。

【質問者】このプロの巾の広さは珍しいですネ。

【辻井】そうなんです。ヒンデミットの「吹奏楽のための交響曲」やシュミットの「ピアノと交響吹奏楽のための祝典協奏曲」など初演ものもだして、大いに意欲のあるところをみせたつもりなんですが…。(中略)ブラス・バンド(※)といえばなにか軍国調とか再軍備調とか、そんな風に色目で見られがちで私はそれがたまらなくいやでして…。

【質問者】こんどのコンサートで、まあそれはかなり修正されるのではないでしょうか。すばらしい演奏でしたよ。… 大阪市も(中略)もっともっとPRしてほしいと思います。批評家の仲間にも余りしられていないんじゃないですか。

最後に指揮者としての苦心をたずねられた辻井さんは、こう夢を語っている。

【辻井】私は今の50人から60人編成にして、シンフォニック・ブラス・バンド(※※)を考えたりフランスの例のギャルド・レ・プブリケーヌ(※※※)を理想にめざしています。夢かなこれは。

(「音楽文化」1960年6月号(音楽文化協会)から引用。原文ママ。当時、市音では、“交響吹奏楽”や“Symphonic Band”という言葉をかなり意識して使っていた。(※)(※※)(※※※)は、インタビュアーの表現だと思われる。)

その後、NHKをはじめとする各放送局や新聞各社の市音に関する扱いはガラリと変った。

以上から、市音のこの演奏会が相当センセーショナルなものだったことがよくわかる。

それから60年という歳月が流れた2020年1月23日(木)、シオンは、ザ・シンフォニーホールで第128回定期演奏会( 指揮:現田 茂夫 )を開催した。

プログラムは、

吹奏楽のための風景詩「陽が昇るとき」(高 昌師)

交響曲第1番「アークエンジェルズ」作品50(フランコ・チェザリーニ)

というオリジナルの大曲が2曲!

辻井さんの夢は、脈々と21世紀シオンに受け継がれている!!

▲「月刊吹奏楽研究」1960年5月号(通巻60号、吹奏楽研究社)

▲チラシ – 第1回大阪市音楽団特別演奏会(1960年4月18日、毎日ホール)

▲プログラム – 第1回大阪市音楽団特別演奏会(同)

▲同、あいさつ

▲同、演奏曲目

▲チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 第128回定期演奏会(2020年1月23日、ザ・シンフォニーホール)

「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第120話 交響吹奏楽団を夢みる」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください