
▲LP – 吹奏楽オリジナル名曲集(東芝音楽工業、TP-7570、1972年)

▲TP-7570、A面レーベル

▲TP-7570、B面レーベル

▲「バンドジャーナル」1969年3月号(管楽研究会編、音楽之友社)
1969年(昭和44年)4月1日(火)、東芝音楽工業が満を持してリリースした「世界吹奏楽全集」(TP-7299~7301 / LP3枚組ボックス)は、このようなレコードの出現を待ちかねていた多くの吹奏楽ファンのハートをしっかりと捉えた!
もちろん、日本の吹奏楽の現場を熟知する監修・解説者の大石 清さんの選曲の妙もあったに違いない。
しかし、この企画が成功した鍵は、3枚のLPが“マーチ篇”“ポピュラー篇”“オリジナル篇”のわかりやすいジャンル別構成になっていたこと、さらに、海上自衛隊東京音楽隊(マーチ篇)、東京佼成吹奏楽団(ポピュラー篇とオリジナル篇 / 後の東京佼成ウインドオーケストラ)という、日本の標準的な吹奏楽編成をもった日本のバンドが起用されたことに尽きる。
しかも、3枚の内、“ポピュラー篇”と“オリジナル篇”の2枚は、既存音源ではなく、この企画のために新しく録音されたものだった!
ちょうどこの頃は、東芝が前年の1968年5月新譜としてリリースした「栄光のギャルド/吹奏楽名演集」(Angel(東芝)、AA-8302 / 演奏:ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団 / 参照:《第81話 栄光のギャルド》)が、“マーチが1曲も入らない(たいへん珍しい)吹奏楽レコード”としてヒット街道をひた走る一方で、他社が国内制作する吹奏楽レコードが圧倒的にマーチか軍歌だった当時の話だ。この新録音は、かなり勇気がいるギャンブルだったはずだ。
制作者の並々ならぬ意気込みが伝わってくるが、へたを打つと、逆にこけるケースだってあった!
しかしながら、最終的に、このギャンブルは吉と出た!
ジョセフ・オリヴァドーティ(Joseph Olivadoti)の『ポンセ・デ・レオン(Ponce de Leon)』やジム・アンディ・コーディル(Jim Andy Caudill)の『バンドのための民話(Folklore for Band)』、クリフトン・ウィリアムズ(Clifton Williams)の『シンフォ二アンズ(The Sinfonians)』など、21世紀の今、指導者となった人も、かつての少年少女時代に胸を高鳴らせながら演奏した曲の多くが、このアルバムから広まったことを知っているだろう。
そして、このときの大きな成功体験は、その後、東芝が吹奏楽の国内録音に積極的に乗り出す大きな契機となったのである。《参照:第27話 世界吹奏楽全集》
一方、このボックス・セットは、新録音の演奏を担った東京佼成吹奏楽団にとっても、とても大きな意味をもつアルバムとなった。
話は少し飛ぶが、長年、東京佼成ウインドオーケストラのユーフォニアム奏者として活躍された三浦 徹さんとは、同郷のよしみ。会えば必ず日本の吹奏楽が歩んできた道やユーフォニアムについて延々と語り合う間柄だ。
氏は心の底から吹奏楽を愛されている音楽家であり、一旦話し出したら話題が尽きることがない。
そして、そんなある日の会話の最中、東京佼成の“最初の録音”が何だったのか、不意に質問を受けたことがあった。打ち返すように、筆者は、『私の知る限り、東芝の「世界吹奏楽全集」だったはずです。ボックスに入った。』と答えた。
氏が佼成に入られる前の、氏の知らなかった話だった。
そこで、氏は、後日、東京佼成吹奏楽団の初代コンサート・マスター、斎藤紀一さんに会われた際、それを確認されたのだそうだ。
すぐに電話があった。『やはり、樋口さんの言うとおり、東芝の録音が最初だったということです。』と三浦さんは話された。
そのとおり。2020年(令和2年)に“創立60周年”のときを刻んだ東京佼成ウインドオーケストラにとって、東芝の「世界吹奏楽全集」は、記念すべき初レコーディングだった!言い換えるなら、これがメジャー・デビューだった!!
後日、東京佼成ウインドオーケストラのマネージャー、遠藤 敏さんからも、このレコードの録音日や発売日を訊ねられたことがある。
早速、手許の「バンドジャーナル」1969年3月号(管楽研究会編、音楽之友社)を見ると、グラビア頁に、“ポピュラー篇”のセッションを撮った3枚の写真(1968年12月26日撮影)が載り、レコード・カタログを切り取ったスクラップにも発売日が入っていた。
そこで、遠藤さんには、“録音:1968.12 東芝スタジオ、発売:1969.4.1”と回答した。
ただ、残念なことに、当方の資料には、セッションが何日から何日までだったかの記載がなかった。しかし、遠藤さんは、それらのデータを手がかりに、東京佼成の元フルート奏者で、引退後は事務局で総務をされている牧野正純さんにあたられ、毎年一回発刊される立正佼成会教団本部の「佼成年鑑」、もしくは、昔の事務員の個人的なメモのいずれかに、つぎの記載があることをつきとめられた。
1968年12月23日~
東芝レコードに吹き込みをなす(4日間)
また、発売日も1969年4月1日となっていた。
こちらのデータと見事に符合する。セッションは、12月23日(月)から26日(木)の4日間行なわれ、バンドジャーナルの写真は、録音最終日のものだった。
他方、三浦さんからは、『トロンボーンの秋山鴻市さんやテューバの稲川榮一さんが学生契約でいた頃なんで、間違いなくそのセッションに参加していたと思いますよ。中野富士見町に畳敷きの(その気になれば泊ることもできたという)練習場があって、ものすごい安いギャラでしたけど、(彼らは、)よく練習できて喜んでいたと思います。東京藝大卒業後、読響(読売日本交響楽団)に入りました。』とか、『指揮のカネビンさん(兼田 敏さん)は、吹奏楽団を“スイソーバクダン”(そうじゃいけないという意味を込めて)と呼び変えて厳しく指導したというエピソードも聞きました。』と、なかなか興味深い話も聞いた。
どういう時代、音楽環境だったのかがよくわかる。
東芝音楽工業が1969年に発売した「世界吹奏楽全集」は、その後、“オリジナル篇”(TP-7301)が独立し、1972年(昭和47年)2月5日(土)、LP1枚ものの「吹奏楽オリジナル名曲集」(東芝音楽工業、TP-7570)として再リリース。
東芝音工に英EMIが資本参加して社名が東芝EMIに変った後も、1975年(昭和50年)11月5日(水)、TP-7570の曲順を一部入れ替えて「〈吹奏楽ニュー・コンサート・シリーズ〉吹奏楽オリジナル名曲集Vol.4」(東芝EMI、TA-60031)として、リニューアル再々リリースされている。
間違いなくかなりの人気盤で、日本の吹奏楽に大きな影響を与えた1枚となった。
レコードに歴史あり!!
まるで畑違いの考古学のような話になってしまった!

▲LP – 〈吹奏楽ニュー・コンサート・シリーズ〉吹奏楽オリジナル名曲集Vol.4」(東芝EMI、TA-60031)(東芝EMI、TA-60031、1975年)

▲TA-60031、A面レーベル

▲TA-60031、B面レーベル