■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第117話 ピーター・グレイアムとの交友の始まり

ピーター・グレイアム(本人提供)

▲スコア – The Essence of Time(英Rosehill Music、1989年)

CD – The Essence of Time(英Polyphonic、QPRL 047D、1991年)

▲QPRL 047D – インレーカード

スコットランド生まれのイギリスの作曲家ピーター・グレイアム(Peter Graham)も、筆者の音楽観に大きな影響を及ぼした作曲家のひとりである。

彼との交友は、実は、1990年(平成2年)6月に2度目の来日を果たしたジョン・フォスター・ブラック・ダイク・ミルズ・バンド(John Foster Black Dyke Mills Band)(当時の正式名称)の公演準備の最中に始まった。

第42話 ブラック・ダイク・ミルズ・バンド日本ツアー1990》でもお話ししたが、このツアーの主催者は、1984年(昭和59年)の初来日の際と同じ、東京のブージー&ホークス社。当時、筆者は、同社代表取締役の保良 徹さんの意向を受け、企画当初からそれに参画していた。

同社からは、公演プログラム用の原稿の執筆も依頼されており、東京藝術大学の山本武雄さんが「ブラス・バンドの魅力」という読み物を、筆者が演奏楽曲の「プログラム・ノート」を書くことになった。

その執筆過程でピーターとのやりとりが始まった訳だ。

というのも、ツアーが計画に上がったちょうどこの頃、イギリスでは、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)やエドワード・グレッグスン(Edward Gregson)といった新進気鋭の若手作曲家たちがつぎつぎとブラスバンドのための意欲的な新作オリジナルを発表するようになった、いわゆる“ブラスバンド・レパートリーの変革期”と重なっており、ツアー前年の1989年に弱冠32歳という若さでブラック・ダイクのプロフェッショナル・コンダクターに就任したデヴィッド・キング(David King)も、公演レパートリーに、そんな新しいオリジナル作品や委嘱新作を盛り込んできた。

言い換えれば、日本でまだ演奏されたことがない、あるいは誰も聴いたことがない、そんな“楽曲解説者冥利”につきるような作品がズラリと並び、その中に、ピーターの『エッセンス・オブ・タイム(The Essence of Time)』という作品があった。

当然、日本国内には作品についての資料はなく、録音資料もなかった。

ただ、この作品は、来日直前の1990年5月5日(土)、スコットランドのファルカーク・タウン・ホール(Falkirk Town Hall)で開催され、キング指揮のブラック・ダイクが優勝を飾った“ヨーロピアン・ブラスバンド選手権1990(European Brass Band Championships 1990)”のセット・テストピース(指定課題)として書かれた新作としてすでに注目を集めており、指揮者のキングとしても、ブラック・ダイクがオウン・チョイス・テストピース(自由選択課題)として演奏したフィリップ・スパークの『ハーモニー・ミュージック(Harmony Music)』とともに、日本の聴衆にぜひとも聴いて欲しいと考えていた作品だった。

スコアを読むのにも、自然と力が入る。

さて、この『エッセンス・オブ・タイム』のスコアのト書きには、「すべてのものには季節(時)があり、すべてのわざには時がある」に始まる旧約聖書「伝道の書(コヘレトの言葉)」第3章の引用があり、作品のモチーフとして、“生るるに時があり”、“死ぬるに時があり”、“踊るに時があり”、“愛するに時があり”、“憎むに時があり”、“悲しむに時があり”、“戦うに時があり”、“和らぐに時がある”と、8つの時(とき)が選ばれていた。

聖書を題材にするあたり、さすがは、ロンドンの救世軍リージェント・ホール・バンド(The Salvation Army Regent Hall Band)のバンドマスター(1987~1991)をつとめた人物の作品だ。クリスチャンではない筆者は、ト書きを読んだ後、すぐ聖書を買いに走ったが、もちろん短期間でそれを読み解く能力など、ある訳なかった。

しかし、一種の変奏曲として書かれているこの作品のスコアリングは、ひじょうにクレバーに書き進められていて、繊細かつ緻密。ハーモニーも斬新で、その後、来日したブラック・ダイクによるナマ演奏を実際に聴いたとき、クライマックスのハーモニーが鳴り響いている中、不覚にも涙が頬を伝わるほどの、深い感動を覚えた。

プレイヤーも自然な流れの中に高揚していくのが手にとるようにわかる。

正しく“ブラスバンドって、こんなにハートに響くんだ!”と思わせてくれた作品のひとつであり、その後、ミュージカル・スーパーバイザーをつとめさせていただくことになる大阪のブリーズ・ブラス・バンドでも定番レパートリーとなった。

筆者の中では、ブラスバンド・オリジナルのベストのひとつであり、忘れ得ぬ名曲のひとつである。

しかしながら、日本の大方のウィンド・ミュージックのファンが最も大きな衝撃を受けたピーターの作品というと、それはやはりアメリカ空軍ワシントンD.C.バンド(The United States Air Force Band, Washington D.C.)の委嘱で書かれた『ハリスンの夢(Harrison’s Dream)』(2000)だったのではないだろうか。

デーヴァ・ソベル(Dava Sobel)著の「Longitude(経度)」に描かれている18世紀の英国の時計技師ジョン・ハリスン(John Harrison)が作り上げた渡洋航海時に必要な経度が測定可能な“クロノメーター”と呼ばれる精巧な機械式時計とその製作者の人生をテーマとするこの作品については、2002~2008年にかけて、《樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」No.12》というタイトルで、以下のような全15編を「バンドパワー」に寄稿したことがあった。

File No.12-01:作品ファイル

File No.12-02:深夜のCD鑑賞会

File No.12-03:はじめてのカタログ

File No.12-04:幻に終わった日本語ホームページ計画

File No.12-05:アッという間に読破してしまったソべルの原書

File No.12-06:始動!! 大阪市音楽団

File No.12-07:これは、一生の宝物だ!!

File No.12-08:BPラジオ計画スタート

File No.12-09:コーポロンが!! ハンスバーガーが!!

File No.12-10:青天のへきれき!! アメリカで出版決定!!

File No.12-11:ついに届いたアメリカ空軍のオフィシャルCD

File No.12-12:日本初演直前、作曲者来日ガセ情報飛び交う!!

File No.12-13:BPラジオ初放送と市音による日本初演

File No.12-14:演奏グレード表示、“Grade 7”の謎

File No.12-15:誕生秘話とコンポーザーズ・ノート

今、読み返すと、ほんと“若気の至り”と恥じ入るばかりだが、逆にその当時に起こった数々の出来事と現場の緊迫感がそのままストレートに文字になっている。

登場人物も、指揮者陣から、ロウル・E・グレイアム(Colonel Lowel E. Graham)、ユージン・コーポロン(Eugene Corporon)、ドナルド・ハンスバーガー(Donald Hunsberger)、フレデリック・フェネル(Frederick Fennell)、ダグラス・ボストック(Douglas Bostock)など、盛りだくさん。バンドの方も、作品を委嘱したアメリカ空軍ワシントンD.C.バンドのほか、日本初演を行なった大阪市音楽団、シカゴにこの作品を持っていった東京佼成ウインドオーケストラと、キャストについては文句なしだ。

多少脱線気味のところもあるが、作曲者自身の出版社であるイギリスのグラマーシー(Gramercy Music)から出版されるはずだった『ハリスンの夢』が、なぜアメリカのワーナー・ブロス(Warner Bros.)に変更になったかについても触れてある。

作品のバック・グラウンドに関心のある方は、お読みいただければと思う。

しかし、その中で、最も記憶に残るとんでもなく迷惑な話は、2002年(平成14年)11月8日(金)、大阪のフェスティバルホールで開催された「大阪市音楽団第85回定期演奏会」(指揮:秋山和慶)で『ハリスンの夢』が日本初演される直前、東京の練馬界隈から流れ出した「日本初演を聴きにピーターが来る」という怪情報を描いた、「日本初演直前、作曲者来日ガセ情報飛び交う!!」(File No.12-12)だろう。

これは、情報をきちんと確認しなかったさる音楽関係者が、東京佼成ウインドオーケストラの事務局に、『こんど大阪に、ピーター・グレイアムが“ハリスンの夢”の日本初演を聴きに来るって知ってる?』と軽いノリで連絡を入れたことがきっかけとなっている。“らしい”ではなく、“確かな”ネタとして。

実は、その年の暮れ、東京佼成ウインドオーケストラは、アメリカのミッドウェスト・クリニックに出かけてこの曲を演奏することになっていた。なので、突如聞いたこのおいしいネタに、当然、事務局は大騒ぎ!

話はアメリカ行きに帯同する佼成出版社にもすぐに伝わり、急遽、楽団と出版社の計4人で“大阪詣で”を挙行することが決定してしまった!

当然、大阪市音にも東京佼成から電話連絡が入る流れとなり、寝耳に水の市音でも大騒ぎとなった。

2002年10月15日(火)のことである。

そして、きっと“ヤツに訊けば、詳細が分かるかも知れない”ということだったのだろう。まず、佼成出版社の水野博文さん(後に社長)から、ついで市音の延原弘明(後に団長)から、ピーター来日を確認するための電話がたて続けに入った。

青天のへきれきとは正にこのことだ。驚いた筆者は、『初耳です!』とだけ答え、連絡をとって本人に確認し返答することを両者に約束した。

返信はすぐにあった。

『ディアー・ユキヒロ。これは奇妙なことだ。というのも、数分前、同じ内容のメッセージをダグラス・ボストックから受け取ったところだったからだ。しかも、ソルフォード(ピーターが教鞭をとっていた音楽大学)の私の教え子がそう言ったという内容だった。残念ながら、それは事実ではない。どうしてそんな噂がたったかは知らないが、たぶん数日前のことだろう。実際、大学の日程が一杯で、とても無理な話なんだが・・・。』 

渡米直前の東京佼成ウインドオーケストラが、12月10日(火)に東京文化会館大ホールで行なう「第75回定期演奏会」でこの曲を指揮する予定のダグラス・ボストックの耳にも、この話は入っていた。

まったくのガセだった!!

調べると、この話は、東京ではものすごい勢いで拡散されており、多くの人を興奮させていた!

日本では、なぜこのようなことが起こるんだろう!?

▲チラシ – 大阪市音楽団第85回定期演奏会(2002年11月8日、フェスティバルホール)

▲プルーフ・スコア – Harrison’s Dream(大阪市音楽団用)(英Gramercy Music、2002年)

▲プルーフ・スコア – Harrison’s Dream(筆者用)(英Gramercy Music、2002年)

▲CD – Signatures(The United States Air Force Band、BOL-0202、2002年、非売品)

▲BOL-0202 – インレーカード

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