■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第110話 ニュー・サウンズの始動

▲LP – ニュー・サウンズ・イン・ブラス(CBSソニー、SOLL 8、1972年)

▲同、A面レーベル

▲同、B面レーベル

▲楽譜 – オブラディ オブラダ(岩井直溥編)(ヤマハ音楽振興会、1972年)

▲岩井直溥(1923~2014)

『それ、指揮されているのは、間違いなく岩井(直溥)先生です。“ヘイ・ジュード”とかビートルズの曲が入っているレコードでしょ? 私も、トロンボーンで乗ってました。』

2014年(平成26年)、九州は熊本の某所。「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」(CBSソニー、SOLL 8、1972年)のオリジナルLPレコードのジャケットを手に、何人かの先生方と、ジャケットに写っている謎の指揮者の正体について“ああでもない、こうでもない”と騒いでいるところへ、少し離れた位置から不意に飛びこんできた鈴木孝佳さん(タッド・ウインドシンフォニー音楽監督)の衝撃発言だ!

有名な“ニュー・サウンズ・イン・ブラス”シリーズの<第1弾>として知られるこのアルバムのレコーディング・セッションが行なわれたのは、1972年(昭和47年)5月16日(火)~17日(水)の2日間。ところは東京の旧杉並公会堂だった。

ただ、発売されたこのレコードのジャケットのどこにも、指揮者の名前がなかった。客席上手側やや斜め後方から撮影されたモノクロ写真が見開きジャケットの内側に結構大きく印刷されているにも拘わらずだ!

“これはきっと何かある!”

筆者だけではない。写真の顔がはっきりしないだけに、リリース後、巷ではいろいろな憶測や怪説が飛び交い、それらは、やがて“都市伝説”と化していく。

写真の指揮者が一体“誰”なのか。

最も有力だと思わせた説は、当時のスタジオ録音の多くがそうだったように、“収録された10曲のアレンジャー、岩井直溥、東海林 修、服部克久の三氏がそれぞれ自分の編曲を指揮した際に撮影された、その中のひとり”という至極もっともなものだったが、残念ながら、手元の公表データの中にはそれを確実に検証できるものはなかった。

“ニュー・サウンズ”は、その後、「ヤング・ポップス・イン・ブラス!!」のタイトルでリリースされた翌年の<第2弾>(LP:東芝音楽工業、TP-7694、1973年9月5日リリース / タイトル変更した再発盤LP:「《吹奏楽ニュー・コンサート・シリーズ》ニュー・サウンズ・イン・ブラス/レット・イット・ビー」、東芝EMI、TA-60039、1975年12月20日リリース)以降、ソニーから東芝に完全に移行。その後の多くの録音が岩井さんの指揮となっただけに、ひょっとして、ソニー盤の時もそうだったのではないかと推測する人もかなり出てきた。

しかし、1972年当時、岩井さんは、れっきとした東芝の専属。契約上ソニーのレコードを指揮するのは、限りなく“掟破り”に近いので、その可能性は低いように思われた。

ただ、演奏からは、本当は岩井さんが振っていたのではないかと思わせる匂いがプンプン漂ってくる。それもまた事実だった。

やがて、時代は21世紀に突入!

2009年、すでに“時効”が過ぎていたためか、岩井さんは、バンドパワーに連載された「吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!岩井直溥自伝“第19回 NSBスタート!”」(聞き書き:富樫鉄火、2009年3月30日)で、“もちろん、実際に指揮したのは僕ですよ。”と白状された。

NSBとは、ニュー・サウンズ・イン・ブラスの略だ。

そして、世間一般的には“これにて一件落着!”となった筈だったが、発売以来のモヤモヤした気分を解消するために、石橋を思い切り叩いた上で渡りたい、ちょっと困った性格の筆者としては、チャンスがあれば、いつかそれをご本人以外の関係者の口から直接確認・検証したいと思っていた。

ホント、困った性格だ!(と、ときどき言われる!)

まあ、そんな個人的な事情から、2014年(平成26年)5月10日(土)の岩井さんの逝去後、その頃のことを知っていそうな人と会うときには、必らずこのレコードを持って出かけるようになった。

実際、別件で奈良にお住まいの全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邊典紀さん宅をおじゃましたときも、この“謎の指揮者”について、ジャケット写真を見ながらかなり盛り上がっている。溝邊さんは、近畿大学吹奏楽部のポップ・コンサートに岩井さんを何度も客演指揮者として招かれており、関西では、岩井さんをもっともよく知るひとりだったからだ。

結局、その時の結論は、“写真からの特定は、ご本人以外難しい”の線で落ち着いた。

冒頭の鈴木さんの発言は、その指揮者が岩井直溥さんだったという証言だ!

また、ジャケット上に記載された演奏アーティスト名は、“NEW SOUNDS WIND ENSEMBLE(ニュー・サウンズ・ウィンド・アンサンブル)”。

それについても、鈴木さんは、東京佼成吹奏楽団(当時)のメンバーに、スタジオ・ミュージシャンを加えたものだったと証言された。

発売日に購入して以来、40年以上のモヤモヤが、一気に解消されていった瞬間だった!!

『岩井先生とは、スタジオ・ワークも含め、随分いろいろな現場でご一緒させていただきました。おそらく アオイスタジオだったと思いますが、トロンボーンつながりということで、クレイジーキャッツの谷 啓さんを紹介していただき、お話しするうち出身校の話になって、“たぶんご存知ないと思いますが、福岡電波高です”とお話ししたら、“オー!!、ボクは厨子開成だ”と言われたのをよく覚えています。ハナ肇さんや植木等さんらにも食事に連れていっていただいたこともありましたね。』と、鈴木さんは、懐かしそうに話される。

さらに、『佼成が普門館でやったときもご一緒しましたよ。』ときた。

1972年11月5日(日)、東京佼成吹奏楽団が、岩井さんの指揮で、普門館(東京)で行なわれた第20回全日本吹奏楽コンクールの賛助演奏を行なったときの話だ!

岩井さんは、同年の中学校の部の課題曲『シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」』の作曲者でもあり、賛助出演時にも、そのポップ・バージョンが演奏された。

そこで、レコードとともに持ち歩いていた「バンドジャーナル」1973年1月号(音楽之友社)をカバンから取り出し、59~61頁のグラビア「第20回全日本吹奏楽コンクールの賛助演奏をきいて」を開いて見せる。

すると、グラビアの写真を見ながら、『オヤッ?いますね!』と、トロンボーンを吹いていた若き日の自身を発見!!

『岩井先生は真っ赤な派手な衣装をつけ、ステージの真ん中にはドラムスの猪俣(猛)さんがいて…。みんな懐かしいですね。』と、いろいろなことを思い出されているようだった。

その後、鈴木さんが指揮するタッド・ウインドシンフォニーは、2015年(平成27年)1月18日(日)、ティアラこうとう大ホール (東京)で行なわれた「ニュー・イヤー・コンサート2015」のアンコールで、岩井さんを偲んで作品を1曲取り上げ、後日、「タッド・ウィンド・コンサート Vol.33 イーストコーストの風景」(Windstream、WST-25039、2017年)の中の1曲としてCD化した!

曲は、懐かしの『シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」』だった!

▲「バンドジャーナル」1973年1月号(音楽之友社)

▲▼TAD Wind Symphony ニュー・イヤー・コンサート2015(2015年1月18日、ティアラこうとう、撮影:鈴木 誠)

▲CD – タッド・ウィンド・コンサート Vol.33 イーストコーストの風景(Windstream、WST-25039、2017年)

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