■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第105話 オランダ海軍がやってきた

▲プログラム – 日蘭交流400周年記念演奏会(2000年4月22日、京都コンサートホール)

▲同、演奏曲目

▲オランダ王国海軍バンド(1999年頃)

▲「世界の艦船」2000年7月号(海人社)

『ユキヒロ~!!いいところにいた!』

オランダの作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)から、そういって声が掛かったのは、1996年12月、米イリノイ州シカゴ市内のホテル“シカゴ・ヒルトン&タワーズ”で開催された“第50回ミッドウェスト・インターナショナル・バンド&オーケストラ・クリニック(The 50th Annual Mid-West International Band & Clinic)”で、展示プースを冷やかしてまわっている時だった。

声がする方を振り向くと、そこには、ヨハンと並んで、誰が見てもそれとわかる海軍のユニフォームをピシッと決めた人物が、後方に副官を従えて立っていた。

『友人を紹介しよう!オランダ海軍の新しい指揮者、モーリス・ハマース(Maurice Hamers)だ!』と、ヨハンは言った。

オッと、少し驚いたふりをしながら、初対面の握手を交わす。

それにしても、若い!!

ハマースは、1962年11月9日、オランダ南部、リンブルフ州ファルケンブルフ・アーン・デ・ヘウル(Valkenburg aan de Geul)の生まれ。マーストリヒト音楽院にトランペット、及びウィンドオーケストラとファンファーレオルケストの指揮法を学んだ。

1989年、ケルクラーデの指揮者コンクールで、シルバー・バトン賞を授与され、作曲家、編曲家としても活躍。1995年12月、ヘルト・バイテンハイス(Gert Buitenhuis)の後を受け、オランダ王国海軍バンド(De marinierskapel der Koninklijke marine)の音楽監督、首席指揮者となった。

1945年創設の海軍バンドの第6代音楽監督である。

ただ、ハマースは、それまでの音楽監督とある点で立ち位置が異なっていた。

彼より以前の音楽監督が、全員、一度は海軍バンドの奏者としての演奏経験があったのに対し、ハマースが、海軍初、民間人指揮者からのいきなりの登用だったからだ。

そんな背景も手伝って、当時、彼の動向は世界的にたいへん注目を集めていた。もちろん、筆者もまた、この“時の人”といずれ連絡をとりたいと思っていた。

それだけに、偶然のこの出会いに筆者もやや興奮気味で、ヨハンを交えた3人は、しばし時を忘れるかように会話を愉しんだ。

ハマースといろいろ喋った中で、もっとも印象に残ったのは、日本への演奏旅行を計画しているという話だった。そして、彼は、筆者への表敬のしるしとして、副官に命じ、バッグから1枚のCDを取り出させた。

それは、オランダ海軍とロシア海軍の交流が始まって“300周年”にあたる1996年に制作された「Hommage A Saint Petersbourg(サンクト・ペテルブルクに捧ぐ)」(Naval、88134-2)というタイトルのバンドの自主制作盤だった。(ジャケットが違う別番号の市販盤もある / World Wind Music、500.019、1996年)

海軍の歴史を紐解くとわかるが、創設された当時のロシア海軍は、オランダ人の指導を受けていた。言い換えるなら、オランダ海軍は、ロシア海軍の先生という訳だ。

ハマースはまた、『我々海軍バンドは、この前サンクト・ペテルブルクに招かれ、“ピョートル大帝イヤー”のオープング・コンサートを行なった。』と誇らしげに言う。

なるほど、国どうしの何周年というようなオフィシャルな記念の年にはバンドが動きやすい訳か。よく分かった。ただ、オランダの歴史に疎い筆者は、それがどうして日本演奏旅行につながるのか、この時はまるで気づかなかった。

しかし、世界屈指と謳われるこのバンドがやってくるのは、もちろん大歓迎だ!

そこで、帰国後、大阪市音楽団首席指揮者で、オランダ海軍バンドのOBでもあるハインツ・フリーセン(Heinz Friesen、参照:《第104話 ハインツ・フリーセンの逝去》)に会って、この話を振ってみた。

すると、彼は意外なことを口にした。

『ハマースか…。彼は海軍バンドの中で少し浮いているんだ。ベテラン連中は、彼が“私が長だ ” と言って、我々の言うことをまるで聞いてくれないとこぼし、よく電話をかけてくるんだ。』

困り果てたようなその表情に、この先ハマースの計画がうまく運ぶのかどうか、少し懐疑的になってしまった。また、その後、音沙汰もなかったので、時の経過とともに、シカゴで聞いた話もまた、忘却の彼方へと遠ざかってしまった。

ところが、2000年の始め頃にかかってきた一本の電話から、話は俄かに現実化する!

それは、大阪市音楽団を1998年に定年退職し、当時、名誉指揮者だった木村吉宏さんからの電話だった。無論、自宅からの電話だ。

『あんたなぁ、この話、聞いとる(聞いているか)?』といきなり切り出されたので、“なんでしょう”と返すと、『オランダの海軍が日本でコンサートをやるんやけど、トランペットを一人貸せと、フリーセンを通じてマネージに言うてきとーんのや(マネージャーに言ってきてるんだ)。そのFAXをマネージが俺のところへまわして来よってな(来たんだよ)…。』

そうか、ついにやってくるのか!?

瞬間的にいろいろなことを思い出した筆者は、まずシカゴでの話をし、その後に、なぜトランペットが必要なのかを訊ねた。

すると、『それがなぁ、奏者が急病で来られへん(来日できない)ようになったらしいんや。しかし、俺も退職して現職ではない部外の身やし、今は“たっちゃん(龍城弘人さん)”が(団長を)やっとるやろ。フリーセンも今は首席指揮者じゃない。こっちで勝手に動かれへんし(動く訳にはいかないし)、どうしたらいいと思う?』と逆に訊かれる。

どうやら“音の数”が足りなくなるという音楽上の理由のようだった。いかにも、オランダ海軍らしい。しかも、一日だけでいいという話だったので、よっぽどのことなんだろう。そこで、『これは、正式に“日蘭親善”と“緊急事態”という理由をつけて音楽団に話を通されたらいいんじゃないでしょうか。ちゃんと判断してくれますよ。』と答えた。

その後しばらくして、2000年4月22日(土)、京都市、京都市音楽芸術振興財団、在大阪・神戸オランダ総領事館、京都府吹奏楽連盟、朝日新聞社が主催する「日蘭交流400周年記念演奏会」(京都コンサートホール 大ホール)には、市音トランペット奏者の村山広明さんが友情出演することになったと聞かされた。

京都が選ばれた理由は分からないが、これは、大分・臼杵沖の黒島にオランダ船が漂着し、ウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)が上陸して、日本とオランダの交流が始まってから400年を記念する演奏会だった!

まったくの不見識で恥じ入るばかりだが、後日調べると、月刊誌「世界の艦船」の2000年5月号と7月号(海人社)に、長崎と臼杵を出航した4隻からなるオランダ艦隊が、4月21~22日に大阪港に親善入港するという記事が、また、「毎日新聞」(2000年4月22日、大阪版夕刊)には、大阪国際会議場で開かれた“日蘭交流400周年記念シンポジウム”の開会式(4月22日朝)のために、オランダ皇太子が来阪されていることを伝える記事が掲載されていた。

演奏会は、国と国とを結ぶ交歓プログラムの一部だったのだ!

オランダ側からみると、そんなオフィシャルなコンサートでおかしな演奏などできない。後日、村山さんに訊くと、指揮者のハマースが『もし費用が発生するなら、自分のポケットマネーから出すから…。』というほど、本気モードだったという。

後年、全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邊典紀さんとこの演奏会について、二人で盛り上がったことがある。そのとき、溝邊さんはこう言われた。

『本当にすばらしい演奏でした!そう言えば、日本人がひとり(ステージに)いました。普通のステージ衣装の。しかし、9割方ほとんど埋まっている会場をくまなく見渡したんですが、私の知る限り、吹奏楽関係者は2、3人しかいませんでした。ほんま(本当)です。こんないいものをなぜ聴きにこないんですかね?』

同僚の村山さんが出るということで聴きにいった市音トランペット奏者の田中 弘さん(後に団長)も、演奏を賞賛していた一人だ。

オランダの管楽器奏者の間では、“ロッテルダム・フィルとオランダ海軍のオーディションに同時にパスしたら、どっちにいくか本当に迷う”とまで言われるぐらい、ステータスの高い海軍バンド!

たいへん驚いたことは、帰国直後、ハマースがバンドを辞し、ドイツのニュルンベルク・アウグスブルク音楽大学(Hochschule fur Musik Nurnberg-Augsburg)の指揮法と楽器法の教授になってしまったことだろうか。ゴーイング・マイ・ウェイとは、このことだ!

来日中、ただ一度だけホールで行なわれた古都・京都での海軍バンドの演奏会!

それは、ハマースにとっても、海軍在職中、最後のホール・コンサートとなった!

▲ CD – Hommage A Saint Petersbourg(Naval、88134-2、1996年)

▲88134-2 – インレーカード

▲CD – It’s so nice to meet The Brazz Brothers(Naval、4010、1996年)

▲4010 – インレーカード

▲CD – Zorg dat je erbij komt(Naval、1800、コンピレーション)

▲1800 – インレーカード

▲CD – Masters of Show(Naval、4030、1998年)

▲4030 – インレーカード

▲CD – Wait of the World(Naval、NAV3030、1999年)

▲NAV3030 – インレーカード

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください