■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第100話 第1回国際作曲コンクール

▲プログラム – 1e Internationale Compositiewedstrijd voor harmonie orkest 1995(1995年11月30日、Rodahal、Kerkrade)

▲チケット

▲ケルクラーデの観光パンフレット(ロダハルの写真が表紙左上に掲載)

『おはようさん。朝から、おとといのコンサート(の録音)を流しで聴いてたんやけど。じっくり聴いたら、ベルギーのバンド、あれなぁ、むちゃくちゃうまいで!』

1995年12月2日(土)、滞在先のオランダ・ケルクラーデのホテルで、少し遅めの朝食のためにレストランに現れた大阪市音楽団(市音:現Osaka Shion Wind Orchestra)団長兼常任指揮者(当時)の木村吉宏さんの朝の一言(!?)だ。

“おとといのコンサート”とは、2日前の11月30日(木)、ケルクラーデ市内のコンサート・ホール、ロダハル(Rodahal)で行なわれた「第1回国際ウィンドオーケストラ作曲コンクール(1e Internationale Compositiewedstrijd voor harmonie orkest 1995)」の“決勝コンサート(Finale Concert)”のことだ。

我々は、そのコンサートを、オランダ人指揮者ハインツ・フリーセン(Heinz Friesen)夫妻の誘いで聴きに行った。(参照:《第98話:アルプス交響曲とフリーセン》

そして、それはまた、4年に1度の間隔でケルクラーデで開催される“世界音楽コンクール(Wereld Muziek Concours / WMC)”の最上位クラスである“コンサート部門”に出場するバンドに課される“セット・テストピース(指定課題)”の選考も兼ねた国際作曲コンクールでもあった。

コンクールで“一等賞(1e Prijs)”に選ばれた曲が、自動的に2年後の1997年7月に開催される「第13回世界音楽コンクール」の“指定課題”となるわけだ。

また、“ベルギーのバンド”とは、ベルギー国王のプライベートな吹奏楽団として知られ、当時、ノルベール・ノジ(Norbert Nozy)が楽長(シェフ・ド・ミュジーク)をつとめていた“ロワイヤル・デ・ギィデ(La Musique Royale des Guides)”だった。

《第55話:ノルベール・ノジとの出会い》でもお話したベルギーの至宝だ!

しかし、木村さんにとっては、それは初めて名前を耳にするバンドだった。そこで、その沿革や音楽的ステータスを簡単に説明する。

『へぇー、そうか。ヨーロッパって、ギャルドやカラビニエーリだけやないんやなぁ。知らんかった。』とは、そのときの木村さんの率直な反応だった。

ロダハルにいたときはまったく気づかなかったが、木村さんは、そのコンサートの一部をポータブル・レコーダーに録音していて、朝からもう一度聴き直していたようだ。それが冒頭の言葉につながった。

コンクールには、最終的に43の作品がエリトリーされた。そして、当夜、スコア審査を経て最終選考に残ったつぎの5作品が演奏された。

  • Steps to the Heaven(Michael Short)- イギリス
  • Rapsodie Espagnole(Andre Waignein)- ベルギー
  • Symphony for Winds and Percussion(Ladislav Kubik)- アメリカ
  • Triptique(Luctor Ponce)- スイス
  • Diptic Sinfonic(Francisco Zacares Fort)- スペイン

いずれも20分近い作品で、難易度も相当高い。超満員の会場では、1曲が終わるたびに口々に感想が交わされる。それは、そうだろう。今、目の前で初めて演奏される曲が、ひょっとすると2年後に自分たちも演奏することになるかも知れないのだから!!

審査には、以下の著名な作曲家と指揮者があたった。

・ピエール・キュエイペルス(Pierre Kuijpers)- オランダ

・ジャン・クラーセンス(Jean Claessens)- オランダ

・アマンド・ブランケル・ポンソダ(Amando Blanquer Ponsoda)- スペイン

・トレヴァー・フォード(Trevor Ford)- ノルウェー

・ノルベール・ノジ(Norbert Nozy)- ベルギー

・ドナルド・ハンスバーガー(Donald Hunsberger)- アメリカ

・アルフレッド・リード(Alfred Reed)- アメリカ

・エヴジェヌ・ザーメチュニーク(Evzen Zamecnik)- チェコ

当夜知ったこの顔ぶれには正直驚いた。審査員に、知人、友人が結構いたからだ。

その内のひとり、演奏を担ったロワイヤル・デ・ギィデの指揮者のノジは、5曲の演奏が終わると、ステージを降りて最終審査に合流。代わってステージに上がった副指揮者フランソワ・デリデル(Francois De Ridder)が、審査の合間を利用して、ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)の『アルルの女(L’Arlestenne)』第2組曲(全曲)、そして、全員が制帽を被っていつもコンサートのしめくくりに演奏するジャン=ヴァレンタン・ベンダー(Jean-Valentine Bender)の制式マーチ『第1ギィデ連隊行進曲(Marche du Premier Regiment de Guides )』の2曲を演奏した。

場内のそれまでの張り詰めたムードは、一転してくつろいだムードに!゛

主催者のプランとしては、そのマーチが終わったところで華やかに“審査発表”といきたかった筈だが、審査が難航しているのか、ここからの待ち時間がかなり長かった。しかし、もう夜の11時近くなろうというのに誰一人として席を立たない。当然、場内には、自然発生的にかなりのざわめきとイライラムードが湧いてきた。騒然とした雰囲気だ。

そこで、“ロワイヤル・デ・ギィデ”は、プログラムには印刷されていないとっておきの1曲、ピエール・レーマンス(Pierre Leemans)の『ベルギー落下傘部隊マーチ(Marche des Parachutistes Belges)』を演奏!!

あらかじめ、こういうことも想定して楽譜を準備していたのかも知れないが、この思わぬ1曲のプレゼントに、場内は大いに沸いた!

筆者も、初めて聴くベルギー正調の『ベルギー落下傘部隊マーチ』に大感動!!

ゆったりとしたテンポで演奏されたそのマーチは、優雅にしてシンフォニック!

本場ものの演奏は、日本やアメリカで聴くものとまるで音楽が違った。

そして、その演奏が終わったところで、ついに審査発表!

結果は、フランシスコ・ザカレス・フォートの『ディブティック・シンフォニック』が第1位に選ばれ、賞金10,000ドル。ラディスラフ・クビックの『管楽器と打楽器のための交響曲』が第2位で賞金6,000ドル。ルクトール・ポンセの『トリプティック』が第3位で3,000ドルとアナウンスされ、作曲者がつぎつぎステージに上がる。

当然、場内は、賞賛の拍手に包まれたが、筆者の頭の中では、作曲コンクールの結果より、先ほど聴いた『ベルギー落下傘部隊マーチ』のメロディーが繰り返し、繰り返しリフレインする。

時代を超えて受け継がれる曲には、間違いなく人を惹きつける何かがある。

“ロワイヤル・デ・ギィデ”を聴くのはこの日が初めてではなかったが、彼らが演奏するほんものの『ベルギー落下傘部隊マーチ』をナマで聴くのはこれが初めてだった!

“あぁ、これだ、これだ!!”

当夜聴いたどんな優秀作より、ギィデの感性とサウンドに感動する自分がいた!

▲ロワイヤル・デ・ギィデのプログラム表紙(1987年4月6日、Verviers、Belgium)

▲ロワイヤル・デ・ギィデ吹奏楽団(1987年)

▲CD – Belgian Military Marches – Volume 1(ベルギーRene Gailly、CD87 041、1987年)

▲CD87 041 – インレーカード

▲CD – Piotr I. Tchaikovsky(ベルギーRene Gailly、CD87 048、1990年)

▲CD87 048 – インレーカード

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