■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第98話 アルプス交響曲とフリーセン

▲プログラム – Open Nederlands Kampionschap Concertafdeling(1995年12月2~3日、Rodahal、Kerkrade)

▲同、チケット

▲ハインツ・フリーセン

▲オランダ王国ボホルツ・フィルハーモニー(1995年12月3日、ケルクラーデ)

『ヒグチくん、あんたなぁー、12月の始めのへん、ヒマかぁー?』

東京弁に翻訳すると、おそらくは“君、12月の始め頃、スケジュールはどうなってる?”に近いニュアンスとなるこの電話の主は、大阪市音楽団(現Osaka Shion Wind Orchestra)の団長、木村吉宏さんだった。

電話がかかってきたのは、1995年(平成7年)の9月。

“ははぁ、さては、また何か企んでいるな!”とピーンときたが、話の続きを伺うと、予想どおり『オランダ行けへんかー?(オランダ行かない?)』という打診が直球でとんでくる!

つづいて、『フリーセンが“アルプス”をやるてゆうとーんのや。これ、聴きたいとおもてな、電話したんやけど…。』ときた。

“フリーセン”とは、《第69話:首席指揮者ハインツ・フリーセン》でもお話した、市音がオランダから招いた首席指揮者ハインツ・フリーセン(Heinz Friesen)のことだ。

木村さんの電話は、フリーセンが、オランダのウィンドオーケトラで、リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)の『アルプス交響曲(Eine Alpensinfonie)』(全曲)の指揮をすると話しているので、どうしても聴きたくなって連絡したという、早い話が“Noという答えが返ってこない”ことをある程度見越した上での“確信犯的お誘い”だった。

言外に、オランダに明るい筆者に“ガイド兼通訳(!?)”として一緒に行ってくれないかという、限りなく“業務命令”に近い臭い(!?)も漂う!

また、どういう魔法を使ったのか、手廻しよくJTB難波支店を通じて、航空券も、なかなかとれない筈の現地ホテルも仮押えしてあるそうで、『すぐ返答したらな、あかんねん(即答してやらないとダメなんだ)。』という。なんとも性急な話だ!!

急いで手帳を見ると、いくらか調整すれば、なんとかなりそうだったので、チケットや宿の手配はお任せすることにした。アッという間の“オランダ行き”の決定だった。

とは言うものの、木村さんの言うことは、一体全体何の話やら、さっぱりわからなかったので、すぐに大阪城公園内にあった市音練習場に行って、フリーセンに確認することにした。

もう、いつの間にか、即席の臨時マネージャーだ!

フリーセンに訊ねると、この年の12月2日(土)~3日(日)、ケルクラーデ市のコンサート・ホール、ロダハル(Rodahal, Kerkrade)で、世界音楽コンクール(WMC)の一環で開かれるオランダ・オープン選手権コンサート部門(Open Nederlands Kampionschap Concertafdeling)の決勝があり、彼はドイツ国境に近いボホルツ(Bocholtz)という小さな町のウィンドオーケストラ、“オランダ王国ボホルツ・フィルハーモニー(Koninklijke Philharmonie Bocholtz)”を指揮して出場するのだという。

その選手権で演奏する曲が、彼が作曲者の遺族の了解を得て、かなりの年月をかけ心血を注いでトランスクライブしたシュトラウスの『アルプス交響曲』という訳だ。

やっと話が見えてきた。

“オランダ王国ボホルツ・フィルハーモニー”は、1886年8月25日の創立。人口が5000人を少し上回ったあたりのオランダ・リンブルフ州の町ボホルツのバンドだ。バンド名に“オランダ王国の(Koninklijke)”という冠(かんむり)が付いているが、これは1954年にケルクラーデで開催された“第1回世界音楽コンクール(Wereld Muziek Concours)”で優勝した際、ときのユリアナ女王から、その輝かしい実績を称えられ、今後“Koninklijke”を名乗ることを特に許されたからで、決して“オランダ王立”というわけではない。強いて言うなら、“おらが町の”限りなく“町立”に近いバンドだ。今も誇りを込めて“オランダ王国の”というステータスを名乗ってはいるが!!

レコード時代には、フリーセン指揮のこのバンドのアルバムが、“コロムビア世界吹奏楽シリーズ”の第2集「オランダの吹奏楽(March in Holland)」(日本コロムビア、XMS-53-RT、1968年12年新譜、蘭Artone原盤)として、国内リリースされたこともあった。

ボホルツにはフリーセンに連れられて一度行ったことがあるが、小さな町なのに専門の音楽学校があり、そこから輩出されてプロになった音楽家がときどき戻ってきては、次世代を担う子供たちを教えている。100名編成のユースバンドもあると聞いた。

オランダには、そんな町が結構あり、結果として、人口5000人ほどの町にも100名を超える編成のウィンドオーケストラが存在したりする。それで、町対抗のバンド合戦も盛んなのだ。

話を元に戻そう。

このとき、オランダを訪れたのは、木村吉宏夫妻と市音マネージャーの小梶善一さん、筆者の都合4人。一行は、11/29にエールフランス機で大阪を出発し、アムステルダムに一泊の後、列車で北ブラバント州アウデンボス(Oudenbosch)のフリーセンの自宅を表敬訪問。この日は、ボホルツの練習を見学後、同氏宅に一泊。翌12/1にフリーセンが運転する車でケルクラーデのホテルに入った。滞在中、ベルギーのロワイヤル・デ・ギィデ(Orchestre de la Musique Royale des Guides)のコンサートを聴いたり、トルン聖ミカエル吹奏楽団(Harmonie-Orkest St. Michael Thorn)のリハを覗くこともできた。

フリーセンがボホルツを指揮して『アルプス交響曲』を演奏するという12月2~3日の“オランダ・オープン選手権コンサート部門”には、ファンファーレオルケスト部門2団体とウィンドオーケストラ部門5団体の合計7団体がエントリーされていた。

各団体のステージ上の持ち時間は、出入りを含めて1時間30分。指定課題(ウィンドオケ部門は、エド・デブール(Ed de Boer)の『アルメニア狂詩曲第1番(Armeense Rhapsody nr.1)』)はあるが、コンサートを競う選手権だけに、それは各々のプログラムのどこで演奏してもよいというルールとなっていた。

面白いことに、演奏曲数も演奏者の自由で、いろいろな曲を組み合わせて構成するバンドがある一方、ボホルツのように、課題を演奏した後、『アルプス交響曲』の全曲、ただそれだけで勝負にのぞむバンドもあった。世界的に有名なソロイストの独奏を組み込んでもよかった。

審査員は、そのコンサートを各出演者から提出されたスコアを手に審査する訳だ!

結果は、全出場団体中、最後に登場したボホルツが優勝!!

指定課題が118.5ポイント、それ以外が237ポイントで、合計が355.5ポイントというのは、オランダ・オープン選手権史上、最高記録の得点だったそうだ。

会場で出会った作曲家のヨハン・デメイ(Johan de Meij)によると、この日のライヴは、12月中にテレビで放送されるそうだ。そういえば、放送ブースには、旧知のロワイヤル・デ・ギィデ音楽監督ノルベール・ノジ(Norbert Nozy)がコメンテーターとして入っていた。

得点発表後、フリーセンを囲んで即席のパーティーが行なわれたが、その後、フリーセンが心血を注いで書いたスコアが何者かによってステージから持ち去られてしまったという事件が発覚。ボホルツのメンバーと祝杯をあげながら上気するフリーセンの赤い顔が、一瞬、真っ青になるという信じられないハプニングも!!

結局、スコアはフリーセンの手元に戻らなかったが、その日のすばらしいライヴは、放送用音源をもとにした完全限定アーカイブCD「Eine Alpensinfonie」(自主制作(Miragram)、88111-2)として残されることになった。

ブラビッシモ、フリーセン!!

▲演奏曲目 – Open Nederlands Kampionschap Concertafdeling

▲CD – Eine Alpensinfonie(自主制作(Miragram)、88111-2、1996年)

▲同、インレーカード

▲LP – オランダの吹奏楽(日本コロムビア、XMS-53-RT、1968年)

▲XMS-53-RT – A面レーベル

▲XMS-53-RT – B面レーベル

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