
▲LP – BANDA DEI CARABINIERI DI ROMA」(伊Columbia、33QSX 12022、1957年)

▲33QSX 12022 – A面レーベル

▲33QSX 12022 – B面レーベル
『万国博に、ローマからカラビニエーレ軍楽隊が来ていることを聞き、一体、何日、どこで、どんな手順で東京公演があるのか全然わからないので、吹連の春日氏にたずねてみた。彼もさっぱりわからず、NHKの催物係にたずねたらと教えられ、さっそく問い合わせると、4月11日午後3時からNHKで録画があるが、もう満員とのことで断られた。だが一日前でよかった。
4月11日、私は小雨煙る内幸町のNHKにとびこみ、控室を訪れ、マエストロ、ファンティーニに面会を求めた。….。』(原文ママ)
以上は、「バンドジャーナル」1970年6月号(管楽研究会編、音楽之友社)の90~91頁に掲載された須磨洋朔さん(1907~2000)の寄稿「演奏会評、なつかしのカラビニエーレ軍楽隊をきいて」(原文ママ)の書き出しの引用である。
文中“吹連の春日氏”とは、当時、東京都吹奏楽連盟理事長をつとめられていた春日 学さん(1915~1993)のことだ。(余談ながら、筆者も、1988年のロイヤル・エア・フォース・セントラル・バンドの日本ツアーの際、氏にはたいへんお世話になった。参照:《第8話:ドラゴン伝説の始まり》ほか)
《第24話 ギャルド1961外伝》でもお話したように、須磨さんは、陸上自衛隊中央音楽隊長だった1960年の秋、4年後に東京オリンピックを控え、ローマ・オリンピックの視察のために渡欧し、ヨーロッパ各国のミリタリー・バンドを訪ねられた。
ローマにも約1ヶ月滞在し、毎日のように顔を合わせていたマエストロ、ドメニコ・ファンティーニ(Domenico Fantini、1897~1984)、そしてローマ・カラビニエーリ吹奏楽団(Banda dell’Arma dei Carabinieri di Roma)の面々の多くとも顔なじみだった。
雑誌の構成上、”演奏会評”というタイトルがつけられてはいるが、須磨さんの寄稿は、ローマ・オリンピックで水泳の山中 毅選手(1939~2017)が400メートル自由形で優勝したら、カラビニエーリを指揮して「君が代」を演奏することになったので、みんなで「ヤマナーカ、ヤマナーカ」と大声援を送ったが、惜しくも2着で全員でガッカリしたという、ラテン系ならではの微笑ましいエピソードも交えながら、日本では一部のツウを除いてあまり知られていなかったカラビニエーリについて、わかりやすく丁寧な“紹介文”となっていた。
さすがは、ローマでつぶさに活動を見た人によって書かれた内容だ。
当時の使用楽器についても、以下のように調や呼称も明快に分類された、たいへん貴重な資料となっている。
・ピッコロ Db
・フルート C
・オーボエ C
・クラリネット
(ピッコロ Ab、ピッコロ Eb、ソプラノ Bb、アルト Eb、バス Bb、コントラバス Eb)
・サクソフォーン
(ソプラノ Bb、アルト Eb、テノール Bb、バリトン Eb、バス Bb)
・サリュソフォーン Bb
・ピューグル Eb・Bb
・コルネット Bb・F
・ホルン F
・ピストン・トロンボーン
(テノール Bb、バス F、コントラバス Bb)
・バリトン Bb
・ユーフォニューム Bb
・大バス Eb、F、Bb
・打楽器 七名
(一部楽器名に須磨さん独自の呼称もあるが、このリストアップでは、先人に敬意を表し、カッコを追加した以外は、敢えて“原文のママ”とした。また、寄稿文中には、“バス・トランペット C管を使用”という記述があるので、このリスト以外の楽器への持ち替えもあった。)
カラビニエーリの演奏者の総計は、なんと102名で、創設は1820年!
それは、まるで生きる楽器博物館のようであり、複合倍音の妙とでも言えばいいのか、それまで聴いたことのないすばらしいサウンドがした!!
フレデリック・フェネルが提唱したウィンド・アンサンブルとは、対極をいく吹奏楽団だ。
イタリアでは、使用楽器に多少の違いはあっても、このような大編成のバンドが一般に存在する。19世紀から吹奏楽のために書かれたオリジナル交響曲があったほどの国だから、ある意味で当然かも知れないが….。
ただただ、我々が知らないだけだった!
須磨さんは、日本のバンドに比べ音域が“優に1オクターブ以上広い”とも書かれていた。
そして、ナマで聴いた人はみな異口同音に言うが、カラビニエーリは、屋外で聞いてもキラキラと明るく豊かに響く“別世界”のサウンドをもっている。
イタリア政府は、そんな“カラビニエーリ”を、1970年4月8日(水)午前10時から「日本万国博覧会」会場のお祭り広場で行なわれたイタリア・ナショナルデーのために派遣した。
万博会場では、イタリア・ナショナルデーのセレモニーで、カラビニエーリの制式マーチであるルイージ・チレネイの『ラ・フェデリッシマ(忠誠)』ほかを演奏。イタリア・パビリオン周辺での演奏やお祭り広場に大きなステージを組んだフォーマルなコンサートも行なわれた。
しかし、大阪と東京の距離はやはり遠かった!
冒頭の須磨さんの寄稿にもあるように、どうやら万博にイタリアの至宝“カラビニエーリ”が来演することが東京の吹奏楽関係者にはうまく伝わっていなかったようだ。時系列で考えると、須磨さんにしても、テレビのニュースか口コミかはわからないが、4月8日のナショナルデーにこの吹奏楽団がやってきているという情報を得てから動かれたに違いなかった。
この年は、本当に多くのバンドが万博をめざしてやってきていたので、間違いなく情報過多ではあったが、「バンドジャーナル」にしても正確な情報をキャッチし損なっていたようだ。須磨さんの寄稿が掲載された1970年6月号の編集後記には、つぎのように書かれている。
『カラビニエーレ音楽隊の来日を予告することができませんでした。せめて今月の写真と須磨先生の記事でお許し下さい。』(原文ママ)
メディアがここまで書くのはたいへん珍しい。逆説的に言うと、それだけ万博会場やNHKホールでナマを聴いた人から口コミで伝わる反響がいかに凄かったかを物語っているようだ。
実際、万博で大活躍の阪急少年音楽隊の隊長、鈴木竹男さんも、カラビニエーリとスコッツ・ガーズ(前話参照)のパフォーマンスのすばらしさを何度も口にされていた。
4月11日(土)、NHKホールでの公開録画で、カラビニエーリは、オペラの国の吹奏楽団らしく、以下の曲目を演奏した。
・歌劇「運命の力」序曲(ヴェルディ)
・マスカーニの歌劇より抜粋
- ランツァウ
- シルヴァーノ
- わが友フリッツ
・歌劇「四人の田舎者」から(ヴォルフ・フェラーリ)
・楽劇「ワルキューレ」から“第3幕への前奏曲”“騎行”(ワーグナー)
・歌劇「アイーダ」から(ヴェルディ)
・歌劇「ウィリアム・テル」序曲(ロッシーニ)
・ラ・フェデリッシマ(忠誠)(チレネイ)- アンコール –
放送は、まず、2週間後の4月25日(土)、総合テレビ、午後3時30分からの30分番組「カラビニエリ吹奏楽団演奏会」としてオンエアされ、その後、全曲が、門馬直美さんが進行役をつとめていたNHK-FM「ホームコンサート」の中でとりあげられた。
その一方、カラビニエーリのレコードは、1950年代の後半に制作された「BANDA DEI CARABINIERI DI ROMA」(モノラル録音)(伊Columbia、33QSX 12022 / 米Angel、35371)のアメリカ盤が60年代に日本に輸入されたことがあった。
後半の激しい展開が日本でも話題になったヴェルディの歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲が入っているアルバムだ。
しかし、日本国内の本格デビュー盤となると、1971年2月新譜でリリースされた「日本吹奏楽指導者協会推薦 決定盤 1000万人の吹奏楽」(日本ビクター(RCA)、SRA-5196)が初出となる。
これは、伊RCA Italianaが1960年代にリリースしたステレオ録音の3枚のLPからのコンピレーション・アルバムだが、いつもながら、ビクターの“愉快な(!?)”タイトルには本当に吹きだしそうになる!
マーチや軍歌以外の吹奏楽レコードの販売によほど自信がなかったか、それともリリースが来日後になり、タイミングを失したことへの照れ隠しのためなのか。真相はよくわからない。
しかし、NHKの放送やこのアルバムのリリースで、アメリカやイギリス、フランス、ドイツとはまったく違う別世界の吹奏楽がイタリアに存在することが広く知られるようになり、カラビニエーリは、多くのバンド指導者にとって憧れの的となった。
ローマ・カラビニエーリ吹奏楽団!
それは、筆者にとっても衝撃の出会いであった!!

▲LP – 日本吹奏楽指導者協会推薦 決定盤 1000万人の吹奏楽」(日本ビクター(RCA)、SRA-5196、1971年)

▲同、ジャケット裏

▲SRA-5196 – A面レーベル

▲SRA-5196 – B面レーベル

▲イタリア・ナショナルデーを伝える記事(「万国博記録写真集」第3巻・第5号から(万国博グラフ社、1970年5月)

▲讀賣新聞、昭和45年4月25日(土)、朝刊11版、17面
万博会場を行進するテレビ画像を見た記憶があります。
FM放送の録音を持っています。音は劣化していますが見事です。
須摩さんのご自宅でカラビニエリと写ったローマオリンピックの写真アルバムを見せていただいたこともあります