
▲CD – 英Specialist、SRC110(2007年)

▲SRC110、バックインレー

▲マイク・プアートン
2006年(平成18年)、筆者は、スペシャリスト(Specialist / SRC)というイギリスの新興レーべルがリリースを決めた、あるアルバムに夢中になっていた。
それは、《グスターヴ・ホルスト:ミリタリー・バンドのための全作品集 – オラフ王を称えて(Holst’s Complete Music for Military Band – The Parise of King Olaf)》(Specialist、SRC110、2007年)(2枚組)という、その時点において存在が確認されている、ホルストがウィンド・バンド(吹奏楽)のために書いた全作品を収録した世界初のアルバムだった。
プロデューサーは、マイク・プアートン(Mike Purton)。
マイクは、1973年、厳格で鳴る指揮者サー・ジョン・バルビローリ(Sir John Barbirolli)率いる“ハレ管弦楽団(Halle Orchestra)”に21才の若さで首席ホルン奏者として迎え入れられた逸材だ。彼は、1858年に創設され、マンチェスターに本拠を持つイギリスで最も歴史のあるこのオーケストラで演奏する傍ら、1978~1991年の間にロイヤル・ノーザン音楽カレッジのホルンの主任教授、1991~1997年の間はフィリップ・ジョーンズのもとでトリニティ音楽カレッジの管打楽器科長をつとめ、1987年からはべネンデン音楽学校の音楽監督も兼任するというすばらしいキャリアを持っていた。
レコード・プロデュースの夢もこの間に実現し、Virgin Classics、EMI, Naxos, ASV, BMGなどのクラシック・レーベルのためにCDをプロデュースした。
ミリタリー・バンドの録音に特化したスペシャリストの設立は、トリニティ時代にコールドストリーム・ガーズ・バンド(The Band of the Coldstream Guards)の音楽監督デヴィッド・マーシャル(Major David Marshall)と知己を得たことが契機になったという。
そのマイクとは、彼の名がイギリスのバンド誌に盛んに登場するようになった頃、1990年代の後半にやりとりが始まった。遠く離れた日本からのいきなりのコンタクトに、最初マイクは驚いた様子だったが、ロイヤル・エア・フォースやコールドストリーム・ガーズ、ブラック・ダイク・ミルズなどの日本公演に参画し、放送やCD制作にも関わっている筆者の立ち位置に逆に関心を持ってくれ、コールドストリーム・ガーズのマーシャルが共通の知人ということもあってかなり濃い情報のやりとりが始まった。
プロデュースの心得や録音現場でのアーティストとの対応、失われてしまったかも知れない楽譜へのアプローチの手法など、マイクから教えられたことも多い。
そのマイクがミリタリー・バンドのフィールドでプロデュースした最高傑作が、レイフ・アルネ・タンゲン・ペデルセン(Leif Arne Tangen Pedersen)指揮、ノルウェー王国海軍バンド(Kongelige Norske Marines Musikkorps)を起用したCD「オラフ王を称えて」だった。
演奏者のノルウェー海軍バンドは、少人数ながら比類なきスキルと音楽性をもつバンドとして知られる。彼らについては、2009年の拙稿《ヴァイキングの末裔、ノルウェー王国海軍バンド…定員は29名!! 世界最高峰のウィンド・アンサンブルを聴く愉しみ!!》でお話したとおりだ。
そして、2006年2月13~17日、ノルウェーのテンスベルィ審判教会で収録されたこのアルバムには、以下の曲が収録された。
・3つの民謡
Three Folk Tunes
・ミリタリー・バンドのための組曲第1番 変ホ長調 作品28-1
First Suite in E flat for Military Band, Op.28 No.1
・「ハマースミス」 – プレリュードとスケルツォ 作品52
Hammersmith – Prelude & Scherzo Op.52
・ミリタリー・バンドのための組曲第2番 へ長調 作品28-2
Second Suite in F for Military Band, Op.28 No.2
・ジーグ風フーガ(ヨハン・セバスティアン・バッハ/ホルスト編)
Fugue A La Gigue (Johan Sebastian Bach, arr. Holst)
・ムーアサイド組曲(作曲者自身によるミリタリー・バンド用バージョン – 未完)
A Moorside Suite – Unfinished transcription for Military Band
・オラフ王を称えて
The Praise of King Olaf – For Choir and Military Band
・マーチング・ソング(「2つの無言歌」から)
Marching Song
・ムーアサイド組曲(ゴードン・ジェイコブ編)
A Moorside Suite (arr. Gordon Jacob)
・祖国よ、我は汝に誓う(レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ編)
I Vow To Thee My Country (arr. Ralph Vaughan Williams)
・組曲『惑星』より”火星” (ジョージ・スミス編)
Mars from ‘The Planets’(arr. George Smith)
・組曲『惑星』より”木星” (ジョージ・スミス編)
Jupiter from ‘The Planets’(arr. George Smith)
プロデューサーのマイクからは、制作過程から意見を求められることも多く、そんなことを繰り返す内、自然な成り行きで、こちらの音楽的関心にもスイッチが入ってしまった!
その結果として、CDがリリースされた2007年、《樋口幸弘の「マイ・フェイヴァリッツ!!」オラフ王を称えて – グスターヴ・ホルスト:ミリタリー・バンドのための全作品集》全10篇を“吹奏楽マガジン バンドパワー”に寄稿。それが一段落した後、2008年と2009年の両年に“外伝”の形をとり、周辺事情に言及した5篇を新たに書き加えた。
この計15篇は、マイクがプロデュースしたCDだけでなく、ホルストの娘イモージェン(Imogen Holst)やアメリカのイーストマン・ウィンド・アンサンブル(Eastman Wind Ensemble)の創始者で指揮者のフレデリック・フェネル(Frederick Fennell)の著作、他のホルスト研究者の最新研究などを読み返し、いま日本にいてホルストのバンド作品に始めて接するとしたら、予備知識としてこれくらいは最低限知っておいた方がより作品についての理解が進みやすくなるだろうという事柄だけをピックアップしたもので、当時としては“ホルスト入門ガイド”程度にはまとめることができたのではないかと自負している。
フェネルの口から直接確認できた話も多かった。
ところが、寄稿から何年か過ぎたあるとき、筆者は、イギリスの中古レコード店から、およそ信じられないものを掘り当ててしまった。
それは、ジョージ・ミラー(Lt. George Miller、1877~1960)指揮、グレナディア・ガーズ・バンド(The Regimental Band of H.M. Grenadier Guards)が演奏した1枚のSPレコードだった。
A面が、「FIRST SUITE IN E FLAT – Part 1. – CHACONNE(Gustav Holst)」
B面が、「FIRST SUITE IN E FLAT – Part 2. – INTERMEZZO(Gustav Holst)」
(Speed 80.)と表示されているので、ターンテーブルの回転数が一般的なSPレコードの78回転ではなく、それより少し速い80回転のレコードだ。
そんなことはどうでもいい!
世界中に流布されている多くの書物やレコード会社Mercuryの広告、音楽メディア、あるいはフェネル自身の言質によって“世界初録音”とされているフェネル指揮のイーストマン・ウィンド・アンサンブルのLPレコード(米Mercury、MG 40015、モノラル録音、アルバム・タイトル:British Band Classic)より相当早い時期にリリースされたホルストの「組曲第1番」のレコード(英Columbia、3260、10インチ盤)を偶然掘り当ててしまったのだ。
しかし、見つけたのは、第1楽章の“シャコンヌ”と第2楽章の“インテルメッツォ”が表裏に入ったレコード1枚だけだった。当然、第3楽章の“マーチ”がどうなっているかが気になった。
そこで、SPレコードに詳しい知人に電話で問い合わせると、『とんでもないものを見つけたね。それは、ホルストの「組曲第1番」を2枚のレコードに分けて入れたもので、こちらのカタログでは、第3楽章が入った盤のレコード番号は、Columbia、3261となっている。3260と3261の2枚一組で売っていたものだよ。』と教えてくれた。
その後、郵送されてきたSP盤専門店のカタログのコピーを見ると、それには“アコースティック録音”だと書かれていた。
“アコースティック録音”とは、簡単に言うなら、ラッパのベルのような集音機に向かって全員で演奏して原盤をカッティングする方式の録音だ。当世はやりの“編集”などあり得ない、文字どおりの“一発勝負”の世界だ。“吹き込み”という日本語も、ここから生まれた。
調べると、英Columbiaが“アコースティック録音”をやめて、今日と同じくマイクを使う“電気録音”方式に移行したのは、1925年秋以降のことだった。
一方、ミラーがグレナディア・ガーズのバンドマスターに就任したのは、1921年だった。すると、この「組曲第1番」の“吹き込み”は、1921~1925年の間に行なわれたと特定できる!!
レーベルに印刷されているミラーの階級が、バンドマスターに就任した時の“中尉(Lieut.)”であることも、この録音時期と見事に符合する!(1942年まで在職したミラーの最終階級は“中佐(Lieutenant Colonel)”だった。中尉→ 大尉→ 少佐→中佐と昇進した訳だ。)
いずれにせよ、1955年のフェネルの録音より、30年以上も前に、ロンドンで「組曲第1番」の全曲の録音が行なわれていたことは、これで動かぬ事実となった。
その後、筆者は、幸いにも、ジョージ・H・ウィルコックス(Captain George H. Willcocks、1899~1962)指揮、アイリッシュ・ガーズ・バンド(The Band of the Irish Guards)が演奏したホルストの「組曲第2番」第1楽章から第3楽章までが入ったSP盤(英Boosey & Hawkes、MT.2010、12インチ盤)も入手することができた。ウィルコックスがアイリッシュ・ガーズの音楽監督をつとめた時期は、1938~1948年だったことと、録音時の階級が“大尉(Captain)”(最終階級は“少佐(Major)”。大尉→少佐と昇進。)だったので、これもフェネルの録音時期よりかなり以前のものであることが明らかとなった。
とは言うものの、1955年録音のフェネルのLPレコードの音楽的価値が完全に色褪せたものになってしまうことは決してない。
ただ、今後、フェネルの録音について何らかのノートで触れられる人もいるかも知れない。
その際は、ぜひ、“LPレコードしては世界初録音”とされるか、あるいは“LPレコードしては”と注釈を入れられればと願う。
名曲ながら、本当の初演日すら特定されていないホルストの「組曲第1番」と「組曲第2番」。
今後も、さらに新たな事実が解き明かされる可能性がある!
マイクがプロデュースしたCD「オラフ王を称えて」は、圧倒的な評価を得ながらも、スペシャリスト(SRC)の解散で再プレスの可能性を閉ざされてしまった。
しかし、このアルバムによって、詳らかにされたこともとても多い!!
彼には、大きなブラボーを贈りたい!!
かくて歴史は書き換わる!!

▲SP – 英Columbia、3260(A面レーベル)

▲SP – 英Columbia、3260(B面レーベル)

▲SP – 英Boosey & Hawkes、MT.2010(A面レーベル)

▲SP – 英Boosey & Hawkes、MT.2010(B面レーベル)

▲▼「グレナディア・ガーズ、オーストラリア-ニュージーランド演奏旅行プログラム」から(1934-1935年)




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