【コラム】富樫鉄火のグル新 第248回 昭和の神三神[かみがみ](1)三崎神社通り

 わたしは中野の生まれ育ちだが、すでに、神保町・三崎町・神楽坂で過ごした期間のほうが、長くなってしまった。そこでの思い出を話すと、時折、たいへん興味をもってくれるひとがいる。果たして、面白いのかどうか、わたしには何ともいえないが、昭和が“ふたむかし前”になったいま、こういう雑話も、たまには、いいかもしれない。
 この三か所を、頭文字をとって、わたしは勝手に「神三神」(かみがみ)と呼んでいる。

 現在、水道橋駅東口からすぐ、「三崎神社通り」にある、その名も「三崎稲荷神社」の並びに、現代的な東京歯科大学の水道橋校舎新館が建っている(先日、この病院で、最後のオヤシラズを抜いてもらった)。
 その向かいに、わたしの母校である日本大学法学部のコート(フットサル場?)がある。ビル街のど真ん中に、なんとぜいたくな空間かと一瞬驚くが、ここは数年前まで日本大学法学部の3号館だった。おそらくオリンピックが終わったら、新しい校舎を建てるのかもしれない。いま建てたら、工事ラッシュで高くつく。日本大学だったら、それくらいのことは考えるだろう。
 ここは、戦前まで、芝居小屋「三崎座」だった。明治からあった老舗劇場で、東京で初めての女優専用、いわゆる“女芝居”小屋として知られていた。神楽坂あたりから流れてくる客が多かったが、戦時中の空襲で焼失した。
 近くには、川上音二郎が出る「川上座」や、歌舞伎小屋「東京座」もあり、あわせて「三崎三座」と呼ばれていた。このあたりは、明治時代、陸軍用地の払い下げを受けた三菱財閥が、“東洋のパリ”を目指して、再開発をおこなった(外濠や内堀が近かったので、水の都のつもりだったのか)。その結果、三崎町は、芝居の街になったのだ。いまでも、よく歴史探訪街歩きツアーが、このあたりでレクチャーをやっている。

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