■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言第90話 デラックス版「日本の吹奏楽」

▲LP – デラックス版「日本の吹奏楽」(日本ビクター(Philips)、SFX-7146、1969年)

▲SFX-7146、ジャケット裏

▲SFX-7146、A面レーベル

▲SFX-7146、B面レーベル

▲楽譜 行進曲「希望」(川崎 優)(音楽之友社、OTB029、1963年)

1969年(昭和44年)、日本ビクターは、3月新譜で“デラックス版「日本の吹奏楽」”(Philips、SFX-7146)というたいへん特徴的なアルバム(LPレコード、ステレオ、30cm盤)をリリースした。

ジャケットが見開きである以外、何が“デラックス版”なのか今もってよくわからないが、“昭和”の香り漂うタイトルがつけられたそのアルバムが、当時、吹奏楽ファンのハートを惹きつけたのは、以下に列挙した収録曲中、2曲を除くすべてが日本人作曲家の作品で占められていたためだった。

《A面》

  1. オリンピック東京大会ファンファーレ
    (今井光也)
  2. オリンピック・マーチ
    (古関裕而)
  3. 君が代行進曲
    (吉本光蔵)
  4. 軍艦行進曲
    (瀬戸口藤吉)
  5. 扶桑歌
    (シャルル・ルルー)
  6. 行進曲「蛍の光」
    (伝承曲 / H・C・ヴァンレインスホーテン編)
  7. 君が代
    (林 広守)

《B面》

  1. 行進曲「希望」 
    (川崎 優)
  2. 吹奏楽のための小狂詩曲
    (大栗 裕)
  3. 吹奏楽のための幻想曲
    (塚原晢夫)
  4. 祝典行進曲
    (團 伊玖磨)

吹奏楽の世界で“邦人作曲家”という言葉が自然に使われるようになる相当以前の話だ。これはとても新鮮に映った。

演奏はすべて、当時オランダのレコード会社フィリップス(Philips)の専属で、日本ビクターからも“ロイヤル・ネヴィー・バンド”もしくは“ロイヤル・ネイヴィー・バンド”のアーティスト名でかなりの数の日本プレスがリリースされていたオランダ王国海軍バンド(De marinierskapel der Koninklijke marine)!!

A面のトラック6を除き、すべてビクターのリクエストで録音された曲だった。

録音時期は、A面のトラック3~5および7が1963年、トラック1~2が1964年、B面が1968年とされる。

指揮は、1963年の録音をH・C・ヴァンレインスホーテン(Hendrikus Cornelis van Lijnschooten、1928~2006)が、1964年と1968年の録音を、1964年にヴァンレインスホーテンの後を継いだばかりのJ・P・ラロ(Johannes Petrus Laro、1927~1992)が担った。

(余断ながら、オランダ人、とくに演奏家は、ファースト・ネームにショート・ネームを使う人が多い。2人とも“海軍”というオフィシャルな立場にありながら、前者は“ヘンク(Henk)・ヴァンレインスホーテン”、後者は“ヨープ(Joop)・P・ラロ”という名をしばしば使った。その名が印刷された文献も結構ある。結局、事情はつかめなかったが、後者には“ジャン(Jean)・ピエール(Pierre)・ラロ”というフランス風のニックネームもあった。)

さて、このデラックス版「日本の吹奏楽」の曲目を21世紀の現時点からあらためて見返してみると、B面に収録された当時の日本の最新オリジナルが日本からの注文で海外の著名バンドによって録音されていたという事実が、際立ってすごいことのように映る。

なにしろ、当時は“吹奏楽といえばマーチ”の時代!

B面の4曲は、もともと《第19話:世界のブラスバンド》でお話した2枚組LP「世界のブラスバンド<第4巻>オリジナル・ブラス編」(日本ビクター(Philips)、SFL-9066~67、1968年12月25日発売)の目玉として、ビクターがオランダ・フィリップスを通じて海軍バンドにリクエストしたものだった。

企画の中心人物は、のちにカメラータを立ち上げる井阪 紘さん。録音曲の選曲は、同シリーズの<第3巻>と<第4巻>のプログラム・ノートを書かれた大石 清さんが行い、8月に楽譜を送付し、12月発売に間に合わせるというスケジュールが組まれた。

やがて、オランダから送られてきたテープを聴いた関係者は、その完成度に狂喜した!

そして、まるでホールでコンサートを聴いているような自然なプレゼンスで愉しめるこの新録音は、多くの評者やメディアからも絶賛された!!

とはいうものの、当時の大卒初任給が3万円ちょっとで、袋入りのインスタント・ラーメンが30円、大阪では、50円もあれば、おいしい“きつねうどん”に出来立ての“おにぎり”をつけて喰えた時代だ。調べると、東京の新橋から大阪までの国鉄運賃がなんと1,730円だったときだから、売れ始めてはいたものの、「世界のブラスバンド」シリーズ各巻の定価が3,000円(全巻買い揃えると15,000円なり!)というのは、個人には簡単に手を出しづらく、高嶺の花には違いなかった。

そこで、ビクターは、オランダ海軍バンドだけのLPアルバムも企画した。それが、すでに同社のドル箱として大ベストセラーとなっていた『軍艦行進曲』『君が代行進曲』『オリンピック東京大会ファンファーレ』『オリンピック・マーチ』と組み合わせたデラックス版「日本の吹奏楽」だった。定価も、抑え気味の1,950円!

オランダ海軍バンドが演奏したマーチが国内でかなりヒットしていたからとることができた両面作戦だった。

デラックス版「日本の吹奏楽」に収録されたマーチの内、1964年10月の東京オリンピックに向けて録音された『オリンピック東京大会ファンファーレ』と『オリンピック・マーチ』には、ちょっとした面白い話が残っている。

実は、セッション時、『オリンピック東京大会ファンファーレ』は、冒頭に“ドラム・ロールを入れた演奏”と“ドラム・ロールのない演奏”、『オリンピック・マーチ』は、“テンポ112の演奏”と“テンポ120の演奏”の、それぞれ2つのバージョンが録音された。

テープが送られてきたこれら4つのバージョンは、早速、EP「東京オリンピック / オリンピック・マーチ」(日本ビクター(Philips)、SFL-3052、1964年)にすべて収録された。《第16話:エリック・バンクス「世界のマーチ名作集」》でもとりあげたEPアルバムだ。

しかし、ビクターは、シングル・カットやその後のコンピレーション・アルバムでは、一貫してドラム・ロールのない『オリンピック東京大会ファンファーレ』とテンポ112の『オリンピック・マーチ』を採用した。デラックス版「日本の吹奏楽」でも同様の扱いとなっている。

個人的には、ファンファーレはそれでもいいが、マーチの方は、リピート等が楽譜どおりに演奏されているテンポ120の演奏がノリもよく優れていると思う。

ただ、リピート等がカットされている“テンポ112”の演奏時間は、3分55秒。楽譜に忠実な“テンポ120”の演奏時間は、5分18秒。

著作権管理団体の基準では、5分ごとに1曲とカウントされるので、5分以内の“テンポ112”の演奏だと著作権使用料は1曲分。“テンポ120”の演奏だと2曲分の使用料を支払う。

まさか、そんな理由で、CD化に至った今日でも“テンポ112”が採用され続けているのだとしたら、それは、あまりにもセコい!!

武士の情けだ!もちろん、そんなことはゼッタイなかったと信じているが,,,。

ともかく、筆者の知る限り、“テンポ120”の演奏がレコード化されたのは、EP「東京オリンピック / オリンピック・マーチ」だけだった。

余談ながら、両曲は、オランダでもシングル・カット(蘭Philips、327 766 JF、1964年)され、同盤には、ドラム・ロール入りの『オリンピック東京大会ファンファーレ』とテンポ112の『オリンピック・マーチ』が収録された。

1964年(昭和39年)10月10日(土)のオリンピック開会式で撮影された、旧国立競技場の聖火台へと駆け上がる最終聖火ランナー、坂井義則さんの姿をあしらったオランダ盤のジャケットは、とても誇らしげだ!!

▲EP – 東京オリンピック / オリンピック・マーチ」(日本ビクター(Philips)、SFL-3052、1964年)

▲SFL-3052、ジャケット裏

▲SFL-3052、A面レーベル

▲SFL-3052、B面レーベル

▲シングル – オリンピック・マーチ(日本ビクター(Philips)、FL-1137、1964年)

▲FL-1137、A面レーベル

▲FL-1137、B面レーベル

▲シングル – OLYMPISCHE SPELEL 1964-TOKYO(蘭Philips、327 766 JF、1964年)

▲327 766 JF、A面レーベル

▲327 766 JF、B面レーベル

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