■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第89話 朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭

▲「月刊吹奏楽研究」1956年6・7月合併号(通巻32号)(月刊吹奏楽研究社)

▲「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」の一コマ(関西音楽史のなかの大阪音楽大学より)

『全関西吹奏楽連盟理事長関西交響楽団常任指揮者朝比奈隆氏はベルリン・フイルハーモニーの招きで六月上旬渡独されることになったが、これを機会にその歓送のための全関西音楽祭が五月六日午後一時から大阪難波の大阪府立体育館で、全関西吹奏楽連盟、朝日放送、朝日新聞社の主催により盛大に催された。』(原文ママ / 朝日新聞社は、実際は“後援”として参画)

引用は、1956年(昭和31年)、国内唯一の吹奏楽専門誌「月刊吹奏楽研究」(月刊吹奏楽研究社、東京)の1956年6・7月合併号(通巻32号)の7ページに掲載された、同年5月6日(日)、大阪市内の大阪府立体育館で開催された「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」の模様を伝えるリポート記事の書き出し部分である。

記事のタイトルは、「朝比奈隆氏をおくる =全関西音楽祭=」。

当時、朝比奈さんは、関西交響楽団(のちの大阪フィルハーモニー交響楽団)常任指揮者として関西の交響楽運動の先頭にたつ一方、アマチュア音楽の世界とも深く関わりあい、全関西吹奏楽連盟の理事長職だけでなく、1954年(昭和29年)11月14日に結成されたばかりの全日本吹奏楽連盟副理事長の要職にもあった。それは、《第74話:「月刊吹奏楽研究」と三戸知章》でお話したとおりだ。

大阪の事情からは遠い東京の音楽メディアからは、それら役職は一種の名誉職のように映っていたかも知れない。あるいは、クラシックの論壇が吹奏楽に触れることに対して“沽券に関わる”と思い込んでいたフシもある。これ以前も、その後も、東京発のメディアで、朝比奈さんが吹奏楽の世界と関わっていたことについて積極的に言及したものはほとんど存在しない。

しかし、朝比奈さんと吹奏楽のつながりは、そういった音楽メディアや論者からは意外に思われるほど密度が濃いものだった。

それは、《第88話:「大阪俗謡による幻想曲」ベルリンへ》で取りあげた「朝比奈 隆 音楽談義」(朝比奈 隆、小石忠男共著、芸術現代社、1978年)の巻頭献辞を、京都大学時代に同窓だった作家の井上 靖さん(1907~1991)と並んで、元全日本吹奏楽連盟理事長で音楽評論家の堀内敬三さん(1897~1983)という距離の近い友人に委ねていることからも窺える。

文部省唱歌『冬の星座』やドヴォルザーク『新世界交響曲』第2楽章の旋律につけた『家路 – 遠き山に日は落ちて』の作詞者としても知られる堀内さんは、NHKラジオ(第一放送)の自番組「音楽の泉」で吹奏楽の特集を組むほど、吹奏楽にも造詣が深く、1954年11月の全日本吹奏楽連盟発足とともに初代理事長に就任された。《第33話:ゴールドマン・バンドが遺したもの》でお話したように、日本でもよく演奏されるエドウィン・フランコ・ゴールドマン(Edwin Franko Goldman)作のアメリカのマーチ『On the Mall』に、『木陰の散歩道』という邦題をつけたのも、堀内さんだったとされる。

朝比奈さんの前記著作に寄せた堀内さんの献辞には、以下のようなくだりがある。

『…(前略)…。アマチュアの吹奏楽に対する貢献は、氏の音楽全般にわたる愛情の現われだろう。私が全日本吹奏楽連盟の理事長をしていた間、氏は副理事長を、そして私が退いた後は理事長を引き受けてくれた。私にとって連盟の会議や会合が楽しかったのは、普段は大阪に住んでいる朝比奈氏と、語り合える楽しみでもあった。朝比奈氏と一緒に、ある時期を同じ仕事に携わったことを、私は大変幸せに思っている。…(後略),,,。』(原文ママ)

西宮市立今津中学校や阪急百貨店吹奏楽団など、当時、全国的にその名を知られた関西のいくつかの吹奏楽団が、実際に朝比奈さんの指導を受けていた。吹奏楽コンクールの審査員もつとめ、関西吹奏楽の名物行事として今日に受け継がれる“3000人の吹奏楽”や“ブラス・エキスポ”でも、幾度となく合同演奏のタクトをとった。

《第77話:阪急少年音楽隊の記憶》でお話した、阪急百貨店吹奏楽団常任指揮者の鈴木竹男さん(1923~2005)が、1964年に朝比奈さんから『楽団は任せたよ。』と言われた、その言葉を受けて、いろいろな機会を捉えて『免許皆伝や!』と話されていたのは、関西では有名な話だ。

また、その鈴木さんから今津中を引き継いだ伝説的な吹奏楽指導者、得津武史さん(1917~1982)が口癖のように言われていた『ええか、血沸き肉踊るような演奏せな、あかんゾ!』というのも、あるいは、朝比奈直伝だったかも知れない。

話をもとに戻そう。

1956年、その朝比奈さんがベルリン・フィルの招きで客演指揮にドイツに出かけることになった。そのとき、全関西吹奏楽連盟が中心となって開催されたコンサートが、「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」だった。

現時点からみても面白いのは、このとき、プロ、アマを問わず、関西の音楽界が総力を挙げてこのコンサートに望んでいることだ。

「月刊吹奏楽研究」の前記記事には、以下のように、この日の演奏団体名やプログラム(作曲者名等、一部補足)が載っている。

1. 全関西吹奏楽連盟中学校の部合同演奏
(京都府、大阪府、兵庫県下中学校 80名)
指揮:山下清孟、永田逸栄、鈴木竹男

行進曲「歓喜」(チュリーヌ、三戸知章編)
序曲「印度の女王」(キング、三戸知章編)
行進曲「偉大」(三戸知章編)

2. 全関西吹奏楽連盟高等学校の部合同演奏
(奈良県、大阪府、兵庫県下高等学校 110名)
指揮:平石享二

序曲「アンフィオン」(E・シュミット、三戸知章監修)
円舞曲「皇帝」(シュトラウス)

3. 全関西アマチュア交響楽団
(130名)
指揮:宮本政雄

交響曲「新世界」終楽章(ドヴォルザーク)

4. 大阪府音楽団、大阪市音楽団合同演奏
(60名)
指揮:辻井市太郎

組曲「イタリヤの印象」(シャルパンティエ)

5.大阪府、京都府警察音楽隊合同演奏
(80名)
指揮:山口 貞、藤本雄一

幻想曲「カリビアン・ファンタジー」(モリセイ)
序曲「詩人と農夫」(ズッペ)

6. 関西交響楽団
指揮:朝比奈 隆

行進曲「ラコッツイ」(ベルリオーズ)
円舞曲「碧きドナウ」(シュトラウス)

7. 関西交響楽団、関西歌劇団合唱部、アサヒコーラス
指揮:宮本政雄

交声曲「朝比奈隆をおくる歌」(永井幸次郎

記事には、5000人の聴衆が詰めかけたこの演奏会のラストは、「蛍の光」の大合唱で締め括られ、終演は午後5時だったとある。

「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」は、“みんなで一緒に盛り上がることが大好きな”関西らしい、市民を巻き込んだ大イベントだった。

そして、この後も、関西では、事あるたびに、プロ、アマの垣根やジャンルの壁を超えた記念演奏会やイベントが行なわれてきた。

最大の成功例としては、1970年(昭和45年)3月15日から9月13日まで、大阪府吹田市の千里丘陵で繰り広げられた“日本万国博覧会”をまっ先に挙げることができる。

このときも、関西の音楽界の総力を挙げたプログラム作りが行なわれ、市内フェスティバルホールで行なわれるコンサートへの海外有名アーティストの招聘だけでなく、参加各国のナショナルデーなどへの海外の有名吹奏楽団の積極的な招致も行なわれた。

朝比奈さんが、全日本吹奏楽連盟理事長をつとめたのは、博覧会の準備期間とほぼ重なる1965年から1969年。

開会式の参加各国の入場シーンで、大阪市音楽団、大阪府音楽団、阪急少年音楽隊、西宮市立今津中学校など、プロ・アマ合同バンドが演奏した川崎 優の『万国博マーチ』(作曲:1968年10月)は、公式長編記録映画「日本万国博」(総監督:谷口千吉)のDVDなどで今も映像で見ることができる。開会セレモニーの後、お祭り広場のフロアに飛び出した池田市立呉服小学校のマーチングも、世界の衆目を集めた!

他方、市音と府音は“EXPOバンド”の名で期間中の会場演奏を担って大活躍。海外からも、ローマ・カラビニエーリ吹奏楽団、スコッツ・ガーズ・バンド、ナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド、パデュー大学シンフォニック・バンドなどが、つぎつぎと来日した。

こういう展開に、当然、バンド・ファンは狂喜乱舞!

今もって思う。これほど吹奏楽が輝いた博覧会はなかった!!

▲DVD – 公式長編記録映画「日本万国博」(ジェネオンエンタテイメント、GNBD-1101)

▲楽譜 – 万国博マーチ(川崎 優)(カワイ楽譜、KB-13、1969年)

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