■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第75話 大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」こぼれ話

▲大栗 裕

▲大フィルから届いた社告(1956年5月16日(水)神戸新聞朝刊7面)

▲神戸新聞会館完成広告(1956年5月12日(日)、神戸新聞朝刊10面)

『神戸新聞会館完成記念の新聞記事をお送りします。年月日が記載されていないのが残念ですが、真実とは感動的なものですね….。』

大阪フィルハーモニー協会楽団事務局の今田徹也(こんた てつや)さんから、上記のような書き出しのFAXが届いたのは、2005年(平成17年)10月13日(木)の夜のことだった。

それは、過日、こちらから調査を依頼したことへの回答として送られてきたもので、FAXの発信時刻は、19:55だった。届いたFAXの2ページ目には、大阪フィルハーモニー交響楽団のスクラップ・ブックから直接コピーされた神戸新聞社、神戸新聞会館連名の社告がそのまま送られてきていた。

社告とは、新聞社が自社の事業や新刊等を紙面で告知するためのものだ。この日FAXで受け取ったそれには、「神戸新聞会館完成記念 関響グランド・コンサート」という見出しの文言が踊っていた!

今田さんが“年月日が記載されていないのが残念”と書いてきたのは、社告掲載日が不明という意味で、それは新聞紙面から社告だけを切り抜いて、スクラップされていたことに起因する。あらためて調査の要がある。

しかし、それにしても、よく現物が残されていたものだ!

社告にある“関響”は、1947年に大阪で誕生した関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)の名を短縮した愛称だ。大阪フィルに改称されたのは、1960年。なので、この社告は、少なくとも改称前に紙面に掲載されたものであることが明らかとなった。

社告は、こう告げる。

『神戸新聞会館落成記念事業のトップを飾る“関響グランド・コンサート”は音響効果を誇る大劇場で朝比奈隆氏が指揮をする関響フルメンバー百名の演奏と世界の音色で知られる名器「グロトリアンスタインウェイ」ピアノで帰国後最初の神戸公演を原智恵子女史の特別出演で開かれる。なお朝比奈氏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の招待による再渡欧のため三十日出発するので、この演奏会が日本で行う最後のものとなります。』(原文ママ)

演奏会の日時は、5月28日(月)午後6時半からで、会場は、神戸新聞会館大劇場。

告知された曲目は、以下のとおりだった。(曲名、作曲者名は、原文ママ)

◇楽堂祝典(ベートーヴェン)
◇新世界交響曲(ドボルシャック)
◇ピアノ協奏曲第一番(ショパン)
◇大阪俗謡による「幻想曲」ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に捧ぐ(大栗裕)[本邦初演]

社告は、1956年(昭和31年)5月28日、渡欧直前の朝比奈 隆が、旧神戸新聞会館の“こけら落とし”の演奏会の指揮をすること、そして、同じ演奏会で、ベルリン・フィルに捧げるために作曲された大栗 裕の『大阪俗謡による幻想曲』が初演されることを伝えるものであった。

ここでいきなり時間が飛ぶが、筆者は、1992年(平成4年)12月2日(水)、大阪府枚方市樟葉にあるご自宅に作曲者の奥さん、芳子夫人をお訪ねしていろいろと話を伺う機会を得ている。そのとき、この演奏会についても質問を試みたが、夫人はこの日のことをとてもよく覚えておられ、以下のような明快な回答を得た。

『そういえば、パパの曲で朝比奈先生に呼ばれて1度だけ神戸へ行ったことがありました。とても新しいきれいなホールでした。おそらく、それがこの時だったのでしょうね。』

演奏会の11日前、5月17日に落成式が行われた旧神戸新聞会館大劇場は、当時、座席数二千と謳われた神戸市内屈指の大ホールだった。しかし、1995年(平成7年)1月17日(火)の午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災で全壊の被害を受けたため、残念ながら取り壊されて今は無い。跡地には、新しい神戸新聞会館(ミント神戸)が建つ。

しかし、朝比奈さんが大栗さんに作曲を依頼した『大阪俗謡による幻想曲』の初演が、旧神戸新聞会館で行われたことだけは、紛れも無い事実となった。

筆者がそのことに留意するようになったのは、1973年(昭和48年)5月25日(金)、フェスティバルホールで行われた「朝比奈 隆 音楽生活40周年演奏会」(出演:大阪フィル、大阪市音楽団、大阪府音楽団ほか / 演奏曲:第65話 朝比奈隆:吹奏楽のための交響曲、参照)を聴きにいって、プログラムに大野敬郎さん(音楽クリティッククラブ)が書かれた“曲目をめぐって”というノートを読んだときだった。

その一部を引用すると、そこにはこう書かれてあった。

『朝比奈・大阪フィルと縁の深い作曲家が大栗裕。かって、大阪フィルのホルン奏者として活躍しており、作品の初演もこのコンビによっている。つい先日も、フラワー・バレエ「花のいのち」が初演されている。「大阪俗謡による幻想曲」が初演されたのは、昭和31年5月、大阪フィルの前身関西交響楽団によってである。彼の作品には、関西の民謡を素材にしたものが多く、この曲も天神祭のダンジリ、生国魂神社のししまいの笛・はやしによっている。31年、朝比奈がヨーロッパに演奏旅行をした際、ベルリン・フィルを指揮してこの曲を演奏し、好評を得ている。』(原文ママ)

初演は、世間でよく言われていたベルリン・フィルではなかったのだ!

その後、作曲者の没後10年にあたる1992年に、大阪市音楽団演奏のCD「大栗 裕作品集」(東芝EMI、TOCZ-9195)のプログラム・ノートを書くことになった筆者は、まず大野さんのこの記述を思い出した。あらためてチェックすると、作品集CDのノートとするためには、記述されている情報の他に、少なくとも、完全な初演日、演奏会場名称、演奏会名称の各データを補強する必要があるように思えた。そこで、大阪フィルに調査を依頼。朝比奈さんが“調べ魔”と呼ぶこともあった小野寺昭爾さん(現大阪フィルハーモニー交響楽団 顧問、元事務局長)の尽力により、それらは「初演日:昭和31年5月28日、会場:神戸新聞会館、演奏会名:関響グランド・コンサート」であると判明した。

しかし、つねに精度を高めるため、どんな事実にもいつも検証が必要だ。

冒頭の今田さんへの依頼は、2005年11月16日(木)、ザ・シンフォニーホールで開かれた「創立90周年 大阪音楽大学第37回吹奏楽演奏会 大栗 裕の世界」のプログラム・ノートの執筆の依頼を受けたとき、以前に書いたノートに使った全データを再検証する作業の流れの中で行なった。

小野寺さんが13年前にチェックされた原資料が、いったい何であったのかを確認するためだった。

その結果、発掘されたのが前記の“社告”だった。(後日、これは、1956年5月16日(水)朝刊7面に掲載された社告であることも判明した。)

そして、もう1つ、1992年に書いた東芝CDのノート執筆後に、新たに判明したことがあった。

それは、1955年の作曲当時、この作品のオリジナル・スコアやパート譜には、「Fantasia“Osaka”」もしくは「Fantasia“大阪の祭囃子による”」のような曲名が手書きされていたことだった。

手書きタイトルは、楽譜ごとに微妙に違っていたが、それらを日本語曲名として整理すると、作曲者は、当初、曲名を「大阪の祭囃子による幻想曲」にしようと考えていたことが明らかだった。

大阪市内の中心部に暮らす筆者のような人間には、天神祭の“鉦(かね)”や生国魂神社の獅子舞の“お囃子”を取り込んだこの作品は、「大阪の祭囃子による幻想曲」と呼ばれるほうが実はピンとくる。

もちろん、社告のとおり、初演時には、曲名はすでに『大阪俗謡による「幻想曲」』となっていたので、音楽史上、「大阪の祭囃子による幻想曲」が邦題としてプログラムを飾ることはなかった。

しかし、朝比奈さんがヨーロッパに持参し、演奏後、ベルリン・フィルに寄贈され、同楽団のアルキーフの所蔵となった手書き譜には、「Fantasia“Osaka”」あるいは「Fantasia“大阪の祭囃子による”」などが書かれたままだった。

幸いにも、現物を確認できた者として、ぜひにも多くの記憶に留めたいと思う。

また、曲は、作曲過程で、朝比奈さんのリクエストで何度か書き換えられている。現代風に言うなら、作品はコラボレーションを経て完成されたわけだ。そのため、作曲者の手元や写譜の現場には、スケッチや断片、破棄された楽譜の類いが残されることとなった。これは後に大きな意味をもつことになる。

21世紀の現時点からすると、想像すらできないだろうが、コピー機もスキャナーもなかったこの時代、演奏で使われる楽譜は、実際に版を起こして作る“印刷譜”以外、すべてが手書きだった。スコアからパート譜を起こしたり、オーケストラのプルトにしたがってパート譜を手で書き増す“写譜屋”という職業が成立した時代だった。

従って、朝比奈さんが「関響グランド・コンサート」での初演に使ったスコアもパートもすべて手書きで、それが演奏に使える唯一の楽譜だった。前記のとおり、この《原典》が、ベルリン・フィルの所有となった。

作曲者は、その後、少なくとも1958年までの間に、必要に迫られ、残された楽譜や作曲時の記憶から作品を再構築した。それが、大フィルが1970年頃まで演奏に使った《第二版》である。

しかし、この《第二版》は、その後、“やっぱり違う”と感じた作曲者が大フィルのライブラリーから持ち帰り、記憶違いと思われる箇所の修正や音楽的補正を加えた現行の《第三版》が1970年に作られた。

大阪市音楽団の委嘱で書かれ、1974年(昭和49年)5月30日(木)、毎日ホールで開かれた「第28回大阪市音楽団定期演奏会」で、永野慶作の指揮で初演された「吹奏楽のための“大阪俗謡による幻想曲”」は、管弦楽版の《第三版》をベースに作られている。

以上のように、大栗 裕の『大阪俗謡による幻想曲』には、小改訂を除くと、3つの管弦楽版と1つの吹奏楽版が存在する。

その後、ベルリンの《原典》は、朝比奈さんのリクエストによって一時帰郷が叶い、1999年(平成11年)11月11日(木)、フェスティバルホールで開催された「大阪フィルハーモニー交響楽団 第333回定期演奏会」で、外山雄三の指揮で演奏され、大きな話題となった。

同演奏会のプログラムには、つぎのような注釈が書かれている。

『本日演奏します「大阪俗謡による幻想曲」は、ベルリン・フィル所有の楽譜を使用致します。大栗氏はベルリン・フィルにこの曲を献呈された後、メモを基にスコアを再製されたのですが、改めて照合してみますと、かなりの部分で相違がありました。本日はオリジナル楽譜での演奏としてお楽しみ下さい。』(原文ママ)

やはり、オリジナルは違っていた!

そして、これもまた、音楽の歴史の一頁である!!

▲第28回大阪市音楽団定期演奏会プログラム

▲同、演奏曲目

▲第28回大阪市音楽団定期演奏会(1974年5月30日(木)、毎日ホール)

【関連楽譜】

■吹奏楽のための大阪俗謡による幻想曲(自筆譜に基づく 原典版) 全曲版
https://item.rakuten.co.jp/bandpower-bp/set-0106/

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