■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第70話 オランダKMK(カーエムカー)の誇り

▲KMKのプログラム・カバー

▲演奏曲目(1993年6月26日、ブーニゲン)

▲ピエール・キュエイペルス

▲オランダ王国陸軍バンド(KMK)(於:アムステルダム・コンセルトヘボウ)

1993年6月26日(土)、筆者は、オランダの作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)、アムステルダム・ウィンド・オーケトラのソロ・クラリネット奏者ニーク・ヴェインス(Niek Wijns)の二人と、二ークの運転するボルボで、アムステルダムを出発し、ドイツ国境に近いブーニゲン(Beuningen)をめざしていた。

同地のティネフィーター・スポートハル(Sporthal De Tinnegieter Beuningen)で開かれるオランダ王国陸軍バンド(Koninklijke Militaire Kapel / KMK)のコンサートを聴きに行くためだ。

二人とは、同じ年の4月に大阪で会って以来だった。その時、7月に東芝EMIのアムステルダム・ウィンド・オーケトラのレコーディング(第54話:ハインツ・フリーセンとの出会い、参照)でオランダを訪れることを知った彼らは、“オランダ国内のことに関しては俺たちに任せろ”と言うので、“それなら任す”と言ったところ、ベルギーのヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)やオランダの各出版社などと緊密に連絡をとり、筆者のリクエストに従って各方面と調整。普通の外国渡航なら決して味わえない密度の濃いスケジュールを作ってくれた。

オランダ国内のスケジュールをヨハンらが担当、ベルギー国内のスケジュールをヤンが担当といった具合に。

それが、どれくらいの“濃さ”だったかというと、オランダ入国~ベルギー移動~再びオランダに移動~帰国便に搭乗までの間、セッションでご一緒した東芝EMIの佐藤方紀さんを除き、誰一人として同胞と出会わなかったという超ディープさ!!当然ながら、喰い物や飲み物も完全に現地のものばかりとなった。

今から振り返ると、対オランダ人、ベルギー人相手の免疫は、このとき完全に出来上がったようだ!

そして、この日、夜の20時に開演するこのコンサートは、『マリニールス(オランダ海軍)もしくは、カーエムカー(オランダ陸軍)のバンド・コンサートがあるなら、ぜひ聴きたい。』というリクエストに応えて、彼らが見つけ出してくれたものだった。

もちろん、世界的に有名な両バンドのレコードは、それまで結構聴いていた。

オランダのメジャー・レーベル“フィリップス(Philips)”の専属で、吹奏楽団として世界一のレコード販売枚数を誇った“マリニールス(De marinierskapel der Koninklijke marine)”は、ビクターから日本盤のレコードが結構リリースされていたし、“パサート(Basart)”“ポリドール(Polydor)”“RCA”“モレナール(Molenaar)”などの各レーベルから発売された“カーエムカー”のレコードも輸入盤でかなり揃えていた。

面白かったのは、日本でほとんど発売されていない“カーエムカー”のアルバムには、アメリカやオランダのオリジナル作品が結構入っていたことだ。自然と愛聴盤になったのは言うまでもない。

しかし、レコードに入っているレパートリーはどうしても偏りがあり、どんなにすばらしいレコードだって、ナマ演奏の魅力には到底敵わない。

彼らが普段やっているコンサートがどんなものなのか。それをはじめて聴けることになった訳だから、車中、ヨハンらと音楽談義で盛り上がりながらも、刻一刻とせまるその瞬間を前に、高まる興奮を押さえることができなかった。

コンサートのあったブー二ゲンには、高速道路(この国では“無料”)をぶっとばして1時間40分くらいで着いた。ヨハンの説明によると、人口2万ほどの典型的な田舎町で、名所旧跡の類いはないので、観光コースに含まれることはけっしてないという。

『キミは、間違いなくこの町を訪れた初の日本人で、おそらく最後の日本人になるだろう。』という彼の言葉が、やけに耳に残る。

そんな町で開かれた“カーエムカー”のコンサートは、以下のようなプログラムだった。

・序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」
(ヨハン・ヴァーヘナール / J・フェルフルスト編)

・アラジン組曲
(カール・ニールセン / ヨハン・デメイ編)

・交響曲第2番
(ユリアーン・アンドリーセン)

<休憩>

・ダンス・フュナンビュレスク
(ジュール・ストレンス)

・エル・カミーノ・レアル
(アルフレッド・リード)

・映画「インディ・ジョーンズ」セレクション
(ジョン・ウィリアムズ / ハンス・ヴァンデルヘルデ編)

指揮者は、ピエール・キュエイペルス(Pierre Kuijpers)。

ヨハンの交響曲第1番『指輪物語』(Symphony No.1 “The Lord of the Rings”)や『ネス湖』(Loch Ness)、ヤンの交響詩『スパルタクス』(Spartacus)や『フラッシング・ウィンズ』(Flashing Winds)など、オリジナル作品を積極的にレコーディングする指揮者だけに、プログラムの最後に映画音楽のセレクションが入る以外は、オランダやベルギーのクラシックやオリジナルがずらりと並んだ本格的なプロとなっている!

これが、アムステルダムのコンセルトへボウやロッテルダムのデ・ドゥーレンのような大きなコンサートホールで開催されるクリティカルな演奏会ではなく、ローカル・エリアのものだけに、正直ちょっとした驚きだった!!

裏を返せば、この種のコンサートを愉しむ聴衆がちゃんといるということだ。

しかも、ヨハンは、『このバンドのプログラムは、いつもこんな感じだ。』という。実際、郵送してもらったこのバンドの英語プロフィールにも“カーエムカーのレパートリーは、主としてシリアスである(The repertoire of the KMK is predominantly serious.)”と書かれてあった。

人口5000名の町に100名編成のバンドが2つ存在するトルン(Thorn)のような町もあるオランダならではの話だ。

文化としての“吹奏楽”の有り方の蘭日の違いをいきなり実感させられる!!

そう言えば、指揮者キュエイペルスが生まれた町も、トルンだった。

ホールに入ると、会場はギッシリ満員で、バンドの人気のほどがよくわかる。ヨハンたちがバンドに頼んでチケットを確保してもらっていなかったら、到底入場はかなわなかっただろう。あらためて二人に感謝だ。

子供や学生の姿は皆無だ。

面白かったのは、入場券の“もぎり”方で、チケットを提示すると、その一部をいきなり“引きちぎる”方式だった。おそらく、昔からそんなやり方をしているのだろう。

“カーエムカー”の演奏は聴きごたえがあった。

これを一体何と表現すればいいのだろうか。来日した外国のオーケストラを聴いたときにしばしば感じる“風圧”とでもいえばいいのだろうか。底鳴りを感じさせるクラリネットを中心とする木管楽器の厚みあるハーモニーに乗ってドライブする金管セクションのピュアな響き!!

レパートリーでは、初めて聴いたアンドリーセンの『交響曲第2番』とストレンスの『ダンス・フュナンビュレスク』がとにかく新鮮。いずれも、日本では演奏されたことがない作品だ。

ワクワクしながら、そのサウンドに浸る自分がいた!!

終演は22時30分近く。ヨハンを介して指揮者のキュエイペルスとグラスを傾けた。

そのとき、『昨年(1992年)には、もうちょっとのところで長崎のオランダ村に行けるところだったのに、経済的な事情で行けなくなって、みんなでガッカリしていたところでした。』と聞かされて、ちょっとガックリ。

なぜなら、その頃、日本に紹介した世界初の『指輪物語』のCD「The Lord of the Rings」(蘭KMK自主制作、KMK001 / 蘭Ottavo、OTR C18924)や『スパルタクス』や『フラッシング・ウィンズ』が入ったCD「Flashing Winds」(蘭DHM、2006.3)などが、輸入盤吹奏楽CDとして結構ヒットをとばしていたからだ。

正しく日本でヨーロッパのオリジナルやバンドが注目され始めたタイミングだったので、仮に来日が実現していたとしたら、たいへんな騒ぎになっていたかも知れなかった。

その後、政治の力学により、オランダのミリタリー・バンドの組織改革が行われることになった。王宮のあるデン=ハーフを本拠とする“オランダ王国陸軍バンド(KMK)”は、フリースラントのアッセンをベースとする同じオランダ陸軍の“ヨハン・ヴィレム・フジョー・カペル(De Johan Willem Friso Kapel)”と1つに統合され、2005年1月1日、アッセンを本拠とする「オランダ王国陸軍バンド“ヨハン・ヴィレム・フジョー”(Koninklijke Militaire Kapel“Johan Willem Friso”)」という両方のバンド名を組み合わせたバンドが誕生した。

われわれ日本人にとっては、1つの国にその国を代表する陸軍バンドが2つあり、片方に“Koninklijke(王国の)”という冠詞がつくのに対し、もう片方にはつかないという、それまでの状況はなかなか理解できなかった。しかし、元々これら両バンドが、“ホラント(Holland)”と“フリースラント(Friesland)”という、現在のアイセル湖を間に挟んで激しく戦った別々の国だった名残りで、両エリアを代表するミリタリー・バンドになっていたことを知ると、いろいろキナ臭いことも臭ってくる。

よく訊かれるが、Johan Willem Friso を“ヨハン・ヴィレム・フジョー”と読むのも、それがオランダ語ではなく、フリースラント語であるためだ。筆者もヨハンとヤンの二人から説教されて、そう改めた。ローマ字教育の影響が強い日本では、理解されることが難しいことを知りながら…。

しかし、文化も伝統も異なる2つの地域のバンドを1つに統合する試みは、音楽の上では、なかなか厳しいものがあった。とくに、都落ちしてフリースラントのアッセンに移された元カーエムカーのプレイヤーのプライドはズタズタとなった。

自然、新しい名前のバンドの演奏は低迷した。もともと得意とするレパートリーも違い、2つの個性が譲り合わなかったから当然だ。

関西には“日にち薬”(月日の経過が薬代わりとなる)という表現がある。

その後、かなりの年月が流れ、ベテランが去り新人が加わるなど、新陳代謝がある程度進んでこのバンドのムードは確かに改善された。女性プレイヤーも一気に増えた。しかし、まったく個性が違った両バンドの昔日の演奏を知る者にとっては、まだまだ物足りない。

時間を掛けて熟成されてきたものを一度壊してしまうと、絶対もとには戻らない。

単に物理的に数を揃えても、演奏の魅力やテイストは二度と戻ってこないのだ。

1993年6月の素敵なライヴを愉しんでいる時、このバンドの未来に、よもやそんな出来事が待ち受けているとは、誰が想像しただろうか。

いつも思う。政治が動くとロクなことはない。

▲デメイとキュエイペルス(1993年6月26日、ブー二ゲン・ティネフィーター・スポートハル)

▲CD – The Lord of the Rings(KMK自主制作、KMK 001)

▲KMK001 – 収録曲

▲CD – The Lord of the Rings(蘭Ottavo、OTR C18924)

▲OTR C18924 – 収録曲

▲CD – Loch Ness(KMK自主制作、KMK 002)

▲KMK 002 – 収録曲

▲CD – Flashing Winds(蘭DHM、2006.3)

▲2006.3 – 収録曲

▲KMKのエンブレム

「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第70話 オランダKMK(カーエムカー)の誇り」への1件のフィードバック

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください