■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第66話 大栗 裕:吹奏楽のための神話

▲大栗 裕 生誕100年記念特別演奏会」チラシ

▲楽譜 – 吹奏楽のための神話(音楽之友社)

▲「大阪市音楽団創立50周年記念演奏会」プログラム

▲同、演奏曲目

2018年(平成30年)は、関西を中心に作曲活動を行い、幅広いジャンルに作品を遺した大栗 裕(1918~1982)生誕100年のアニヴァーサリー・イヤーだ!!

歌劇、マンドリン、吹奏楽など、多彩なコンサートが各地で企画されたが、その中でも、12月6日(木)、兵庫県尼崎市のあましんアルカイックホールで開催された「オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ創立95周年 大栗 裕 生誕100年記念特別演奏会」は、記念年のフィナーレを飾るにふさわしい特別な演奏会となった。

作曲者とゆかりが深く、ライブラリーに数多くの大栗作品を所蔵する“シオン”だけに、選曲については、企画段階から、“ああでもない”“こうでもない“と、さまざまなアイデアが飛び出し議論百出の状況となったが、最終的に、プログラムは以下のようにまとめられた。

・吹奏楽のための小狂詩曲(1966)

・仮面幻想(1981)

・吹奏楽のための神話 ~ 天の岩屋戸の物語による(1973)

・アイヌ民話による吹奏楽と語り手・ソプラノのための音楽物語
「ピカタカムイとオキクルミ」(1976)

・吹奏楽のための「大阪俗謡による幻想曲」(1974)

この楽団が、繰り返し演奏してきたレパートリーばかりだが、これらが“自前”の楽譜だけで、すぐに演奏できることひとつを取り上げても、“シオン”と大栗作品がいかに特別な関係にあるかが容易に想像できる。

また、この内、“神話”と“大阪俗謡”の2曲は、21世紀に楽団の民営化が実施される以前、楽団名が“大阪市音楽団(市音)”だった時代の委嘱作だ!

“市音”から“シオン”へと引き継がれたこの2作は、吹奏楽ファンの人気が、特に高い。

当夜は、演奏者の急な体調不良から、プログラムを一部変更するハプニングもあったが、プログラムそれ自体は、多くのファンを納得させるものだった。

アンコールには、『吹奏楽のためのバーレスク』(1976)が取り上げられた。

作曲者と“シオン”の関係は、筆者を含め、さまざまな音楽解説で、「ゆかりの深い」、あるいは「関係が深い」などと説明されることが多い。

しかし、実のところ、両者の結びつきがどのようにして始まったかについては、あまり語られてこなかった。

実は、作曲者と“シオン”の関係は、第二次大戦前の1931年(昭和6年)に始まっている。

この年、“天商(てんしょう)”という愛称で大阪市民に親しまれた旧制の大阪市立天王寺商業学校に入学した大栗少年は、入学早々、大阪初のスクール・バンドとして前年に創部されたばかりの同校音楽部(天商バンド)の部員となった。

同校は、その後の学制改革により、大阪市立天王寺商業高等学校と改称され、近年の統合で2014年に閉校となった。しかし、この音楽部からは、大栗さんだけでなく、森 正さん(NHK交響楽団常任指揮者)、田村 宏さん(NHK交響楽団ホルン奏者)、宮本淳一郎さん(大阪フィルハーモニー交響楽団クラリネット奏者)、小梶善一さん(大阪市音楽団クラリネット奏者)、的場由季さん(大阪市音楽団ユーフォニアム奏者)、荒木好二さん(大阪市音楽団オーボエ奏者)、泉 庄右衛門さん(指揮者)ら、多くのプロフェッショナルが輩出され、一部で“天王寺音楽学校”とまで呼ばれるほど、大阪では存在感があった。

また、“何周年”という記念イベントには、指揮者の朝比奈 隆さん(第65話 朝比奈隆:吹奏楽のための交響曲、参照)が欠かさず祝辞を寄せており、そのことからも、同校が外部からどのように見られていたかがとてもよくわかるだろう。

話を元に戻そう。

大栗さんが入学した当時の音楽部顧問は、高丘黒光さんだった。

この頃、音楽部員たちは、高丘さんの方針で、放課後、“市音”(当時の楽団名は“大阪市音楽隊”)の事務所と練習場がある天王寺音楽堂まで楽器を抱えて運び、音楽堂の舞台や楽屋、あるいは客席の木陰で市音奏者たちの指導を受けていた。

大栗さんは、後に「大阪音楽界の思い出」(大阪音楽大学、1975年)という書物に、この頃のことを回想して“個人的な、あまりにも個人的な”という一文を寄せている。

それによると、この時代の市音の奏者たちに無報酬で中学生のレッスンをしてもらうかわりに顧問の高丘さんが持ちかけた交換条件は、ドイツ語とフランス語を奏者たちに教授するというものだったらしい。

“隊員にとっては随分御迷惑であったと思う”(原文ママ)とは、大栗さんの偽らざる感想だが、その“甲斐”もあって、音楽部の実力は、スクールバンドとしては、やはり他を抜きんでる存在になっていたようだ。放送出演の他、レコード会社の依頼録音まで行っている。

大栗さんのホルンの師は、富岡 進さん。合奏指導は、市音初代指揮者の林 亘さんから受けた。また、年齢も近く、戦後、市音団長となる辻井市太郎さんとも知己を得ている。

1980年に編纂された「天商音楽部・楽窓会 創立50周年記念誌」には、いつの頃の撮影か不明だが、天王寺音楽堂の市音練習場で合奏する“天商バンド”の写真が掲載されている。

大栗少年にとって、コルネットの渡辺一夫さん、クラリネットの勝部藤五郎さんらの清澄な音が響く当時の市音の演奏は“我々には天上の音楽にも等しかった”という。

そして、寄稿は、こう続く。

『このような吹奏楽教育を受けてきたことが、現在の私の基盤になっているのだろう。音楽と言う芸術がもつ大衆性の一面を尊重しなければならないという確信をもつようになったのは、この若い日々の私の音楽に対する接触がそうさせたのだと思っている。だから、大阪市音楽隊への感謝はかってつきることがなかったし、将来もそうである。』(原文ママ。「大阪音楽界の思い出」(大阪音楽大学、1975年)から引用)

1973年の『吹奏楽のための神話 ~ 天の岩屋戸の物語による』と1974年の『吹奏楽のための「大阪俗謡による幻想曲」』の2曲の委嘱作は、こうして出来上がった。

この内、手書きスコアに「大阪市音楽団創立50周年を記念して」との献辞がある“神話”の初演に際し、作曲者は以下のような一文を寄せている。

『“吹奏楽のための民話”及び“寓話”といった作品はすでにある。ひょっとしたら“神話”もすでにあるかもしれないが、構想はすでに10年近く前からあたためていたものである。

天の岩屋戸(あまのいわやど)にアマテラスが身をかくしたため世界は暗闇となる。ハ百万(やおよろず)の神が天安河原(あまのやすかわ)に集り、オモイカネの発案で常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を大きく鳴かせ、アメノウズメが裸で踊り出す。その踊るさまに神々はどっとばかりはやしたて、果てはその狂態に爆笑の渦が巻きおこる。不審に思ったアマテラスが岩屋戸の隙間から覗き見するのを待ちかねたタジカラオがアマテラスの手を引いてつれだす。そして世界はふたたびもとの光明をとりもどすという話である。音楽はこの話をかなり即物的に表現するが如何なものであろうか。私は小学生のころ、教科書にのっていたこのお話の絵を今でも生々しく思い出すことができる。そして、この音楽はそのイメージを瞼に浮かべつつ書き上げたものである。』(原文ママ。カッコ内は筆者による)

このくだりは、この作品の楽曲解説には必ずといっていいほど登場する。その後、1989年に音楽之友社が版権を得て、1990年に出版された楽譜の解説文にも引用された。

ただ、永野慶作さんの指揮でこの作品が初演された1973年(昭和48年)9月26日(水)の「大阪市音楽団創立50周年記念演奏会」(大阪市中央体育館)のプログラムに掲載された原文には、この後にもう少しつづきがあった。

『市音楽団と私の関係は深い。私に音楽の手ほどきを与えてくれたのは名隊長、林 亘先生であり、更に先輩として尊敬してやまない前団長、辻井市太郎先生であり、現演奏係長の永野慶作氏も、吹奏楽の指導者としてばかりでなく、人間的にも豊かなものを常に示しておられ私の信頼し得る友人の一人である。中学生のころ、天王寺音楽堂の客席の木影で、隊員から指導をうけた日も、暑い日盛りの午後で、蝉がやかましく鳴いていたのを思い出す。こうしてわれわれがお世話になった方達の多くは、既に幽冥境を異にしている。思い出とともに諸先輩方の冥福をもあわせて祈りたいというのが私の感懐である。したがってこの音楽は、現在の市音楽団のみならず、諸先生、諸先輩にも心から捧げるものである。』(原文ママ)

コンサート終演後の祝宴では、偶然、朝比奈、大栗の両氏が愉しそうに語らっている席に近い場所があてがわれた。

そのとき、朝比奈さんは、この新作がたいへん気に入られた様子で、『つぎは、ホールでやらないとな。』と言われているのがハッキリ聞こえた。

結果、朝比奈さんは、この翌年の1974年11月1日(金)、フェスティバルホールで開催された「第29回大阪市音楽団定期演奏会」でこの曲を客演指揮。さらに、1975年2月27日(木)、箕面市民会館(大阪府)で行われた東芝EMIのLPアルバム「吹奏楽オリジナル名曲集Vol.3」(東芝EMI、TA-60013)の収録でセッション・レコーディングを行なった。

大栗作品とシオンの関係、それは、やはり“特別”なものだった!!

▲“神話”初演中の市音(1973年9月26日、大阪市中央体育館)

▲初演後、花束を受け取る作曲者(同)

▲LP – 吹奏楽オリジナル名曲集Vol.3(東芝EMI、TA-60013、リリース:1975年9月5日)

▲同、A面レーベル(テスト盤)

▲同、B面レーベル(テスト盤)

▲同、A面レーベル(市販盤)

▲同、B面レーベル(市販盤)

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