■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第62話 U.S.エア・フォースの残像

▲LP – The United States Air Force Band(独Telefunken、LT-6596、モノラル)

▲同、ジャケット裏

▲同、A面レーベル

▲同、B面レーベル

“AMERICA’S AMBASSADORS OF MUSIC(アメリカの音楽大使)”というニックネームをもち、年間4ヵ月は、飛行機で世界各国にツアーを行なっていたワシントンD.C.の“アメリカ空軍バンド”がはじめて日本にやってきたのは、1956年(昭和31年)4月のことだった。

日本での公演名は、“アメリカ空軍交響楽団(The U.S. Air Force Symphonic Band)”で、4月16日の来日から28日の離日まで、全国7都市で演奏し、コロムビアとビクターに2枚のレコードを残していった。

しかし、1956年といえば、「バンドジャーナル」誌(音楽之友社)が創刊される以前の話であり、情報源としては、1956年から1964年まで刊行された「月刊 吹奏楽研究」(月刊 吹奏楽研究社)が唯一頼れるソースだ。当時の日本の吹奏楽事情を知る上で、ひじょうに貴重なアーカイヴである。

前話(第61話:U.S.エア・フォースの初来日)でお話ししたように、同誌は、その初号(1956年5月号)が出る直前に初来日したこのバンドを徹底取材している。執筆陣の関心はたいへん高く、その後、1957年の2度目、1960年の3度目の来日の際も、紙数の多くを割いている。

しかし、雑誌刊行から間が無かったという事情もあったのだろうか。1956年初来日時の記事には、意外なことに、演奏レパートリーに関する記載がほとんどなかった。バンドの成り立ちや編成、楽器、メンバーなどについては詳細に書かれているだけに、ツアー事後の記事とはいえ、何か腑に落ちなかった。何万という聴衆が熱狂していただけに…。

何か理由があるに違いない!!

そこで、赤松文治さん(音楽評論家)の同誌記事「ハワード大佐との会見記」(1956年5月号、通巻31号)の中に、4月17日(火)午後2時から青山会館で“記者会見”があったことや、“東京の場合主催者NHK”いう記載があるのをヒントに、記者会見以降の新聞各紙を片っ端から調べることにした。

すると、やはり出てきた、出てきた!

毎日新聞は、4月18日(水)朝刊6頁の文化欄の「米空軍交響楽団が初の放送」という記事で、同夜放送予定のNHKのラジオ番組を曲名入りで紹介し、同日夕刊の2頁でも「圧倒的な迫力 米空軍交響楽団の初練習」という記事で記者会見後の練習の模様と公演日程を写真つきでリポート。その後、4月20日(金)夕刊5頁にも「スポーツ的な快感 迫力ある米空軍交響楽団の初演奏」という音楽評を写真つきで入れていた。

来日が4月16日、離日が同月28日であることをちゃんと押さえていたのは、毎日だけだった。

朝日新聞は、4月18日(水)朝刊5頁のラジオ・テレビの番組欄のコラム「聴きもの 見もの」に「米空軍交響楽団 特別演奏」という記事を入れ、4月20日(金)朝刊9頁にも、「響く音、くつろいだ演奏 アメリカ空軍バンド演奏会」という18日の演奏会の音楽評を写真入りで入れた。さらに4月21日(土)朝刊5頁の「聴きもの 見もの」にも「米空軍交響楽団 特別演奏」という記事を入れている。

朝日は、演奏会と放送番組を意識した紙面作りだった。

讀賣新聞は、4月19日(木)朝刊17頁の「百人編成で古典、ジャズ アメリカ空軍交響楽団初演奏」という記事で、18日の初のコンサートの模様を写真つきで報道した。

以上は、すべて東京版の記事である。

各紙の扱いはそれぞれ違うが、ここでまず気がつくのは、バンドの注目度の高さだ。

この内、讀賣は、記事の数こそ少ないが、4月18日の演奏会については、独壇場だった。

その場の情景が目に浮かぶような、記事冒頭部分を引用する。

『“翼の音楽使節”として訪日したアメリカ空軍交響楽団の第一回演奏は十八日夜八時から東京大手町の産経会館ホールで行われた。この夜、キューター極東空軍司令官主催の特別演奏会で、ジョージ・S・ハワード大佐以下の楽団員はもちろん、招待客も軍人は夜会用礼装、日本の各界名士もタキシードという日本ではではちょっとした見られないはなやかな光景のうちに開幕した。…..。』(讀賣新聞、1956年4月19日、朝刊、原文ママ)

4月18日の演奏会には、ドレス・コードがあったのだ。

そして、歌劇『運命の力』序曲(ヴェルディ)や歌劇『道化師』から(レオンカヴァッロ)、交響組曲『野人』(渡邊浦人)という演奏曲名の紹介があり、『野人』が、作曲者からハワード大佐に贈呈されたものだったことにも触れられている。

また、毎日と朝日の記事から、4月18日と21日の両日、NHKのテレビとラジオの放送があったことが明らかとなった。番組欄によると、それは、以下のようなものだ。

・4月18日:NHKラジオ第一放送(21:15~)
(30分枠番組)東京:産経会館ホール(大手町)から生中継
【曲目】歌劇「ローエングリン」第三幕への前奏曲、

・4月18日:NHKテレビ(20:00~)
(1時間枠番組)東京:産経会館ホール(大手町)から生中継
【曲目】歌劇「運命の力」序曲、歌劇「道化師」から、野人

・4月21日:NHKラジオ第二放送(20:20~)
(40分枠番組)東京:NHKホール(内幸町)から生中継
【曲目】行進曲サーカスの蜂、結婚の踊り、交響曲(チャイコフスキー)

・4月21日:NHKテレビ(20:00~)
(1時間枠番組)東京:NHKホール(内幸町)から生中継
【曲目】火花の円舞曲、交響曲第四番(チャイコフスキー)

1956年の放送は、コンサート会場からの生ライヴだった。曲は、実際には予告と違ったかも知れないが、音声や映像を会場から送り出す現場は、さぞかしスリリングだったろう。

余談ながら、NHKがテレビの本放送を開始したのは、このわずか3年前の1953年2月1日だった。ラジオよりテレビの番組時間枠が長かったことについても、NHKが“これからはテレビの時代だ”と強く意識していたことがよくわかる。

当時、テレビを一日でも早く普及させたかったNHKは、1953年に東京-名古屋-大阪を結ぶ中継回線を独自で開通させ、1954年3月1日から、NHK大阪<JOBK>とNHK名古屋<JOCK>でも本放送を開始。U.S.エア・フォース初来日直前の1956年3月には、仙台<JOHK>、広島<JOFK>、福岡<JOLK>のNHK各局でもテレビ放送を始めていた。(東京は、JOAK)

偶然だろうが、「月刊 吹奏楽研究」記載の公演地とNHKが新たにテレビ放送を開始した地域とがほぼ重なっている。とても興味深い。

また、「月刊 吹奏楽研究」の公演スケジュールでは、4月21日のNHKホールでのコンサートだけ記載がない。しかし、これは同誌のミスではない。新聞各紙でもまったく触れられていないからだ。記者発表どおりの記載としたのだろう。

これはNHKのテレビ戦略があったのかも知れないな!?!?

と思いながらも、念のために眺めていた讀賣新聞“大阪版”の4月26日(木)夕刊4頁に、東京版にはない「明るく楽しませる アメリカ空軍楽団の演奏会」という写真つきの音楽評が載っているのを見つけた。もう、ビックリ仰天だ!

よく見ると、それは、前日の4月25日に宝塚大劇場で行われた演奏会の記事だった。宝塚歌劇団でおなじみの宝塚大劇場の所在地は、兵庫県宝塚市。この日は、すべての媒体に載っていた大阪市内の公演ではなかったのだ。しかも、記事の中に、『この日、一部はテレビ中継が行われたが…』とあるではないか!!

同紙面には、残念ながらテレビ番組欄が無かったので、慌てて他紙を探すと、朝日新聞“大阪版”の4月25日(水)朝刊6頁のテレビ欄に、つぎの番組を発見した。

・4月25日:NHKテレビ(19:10~)
(1時間枠番組):宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)から生中継
【曲目】ハドリー「ボヘミアにて」

番組欄に<BK>の文字があるので、NHK大阪が独自制作した番組であることがわかった。これは、東京版の各紙の番組欄には見当たらないので、近畿圏だけの放送だったと思われる。

以上のように、新聞各紙の探索は、筆者にとって、衝撃的発見の連続だった。

「月刊 吹奏楽研究」がわざわざ書かなくても、演奏曲は、新聞、テレビ、ラジオを通じて周知されていたのだ。

しかし、21世紀の現時点から振り返るとき、やはり書いておいて欲しかったな、とは思う。

少し話がそれるが、NHKやサントリーホールのチーフ・エンジニアだった石崎恒雄さんから、このあたりの時代の技術的な話をいろいろと伺ったことがある。

その記憶に従うと、1956年は、アメリカのアンペックスが世界初の商業ビデオ・レコーダーの開発に成功した年で、ビデオが日本に導入されるよりかなり前だった。そう、当時、日本にはビデオがなかったのだ。そんな時代に、コンサートの映像を残すにはどうするかというと、なんとテレビカメラから受信したブラウン管映像(もちろん白黒映像)を35ミリ・フィルムで撮影していたのだそうだ。映画のように!!

近年ごくたまに、この時代の演奏が放送されることがある。それらは、保管されていたフィルムが、経年変化に耐え、運よく再生できたものをデジタル化したものなのだそうだ。

2012年9月9日(日)のNHK Eテレの「らららクラシック これぞ吹奏楽!」(21:00~)で、ジョージ・S・ハワード指揮、アメリカ空軍バンドが演奏するスーザの『星条旗よ永遠なれ』の映像が流れたことがある。それは、1957年6月6日(木)、当時、内幸町にあったNHKホールにおけるライヴを生中継したときに撮られたものだった。

同番組は、その後、2013年3月10日(日)(21:00~)にも再放送された。

映像は、2度目の来日時のもの。

正に奇跡的!よく残っていたものだ!

▲朝日新聞 昭和31年4月18日 朝刊12版 5頁 東京版

▲毎日新聞 昭和31年4月18日 夕刊 2頁 東京版

▲毎日新聞 昭和31年4月20日 夕刊 5頁 東京版

「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第62話 U.S.エア・フォースの残像」への1件のフィードバック

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください