■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第60話 大栗 裕「ピカタカムイとオキクルミ」の謎

▲風の神とオキクルミ(萱野 茂・文、齋藤博之・絵)(新装版第7刷、2002年、小峰書店)

▲「大阪シンフォニックバンド第5回定期演奏会」プログラム表紙

▲同、メッセージ頁

▲同、演奏曲目頁

▲同、プロフィールと曲目解説

2018年10月9日(火)、過去に積み残したテーマにもう一度スポットを当てるべく、筆者は、近鉄奈良線の快速急行に乗り、一路「生駒」駅をめざした。

午後2時、駅の改札口で待ち合わせをしたのは、全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邊典紀さんと大阪府吹奏楽連盟副理事長の北原祥弘さんの2人だった。

この日の筆者のテーマは、大栗 裕の『ピカタカムイとオキクルミ』。

より正確には、“アイヌ民話による吹奏楽と語り手・ソプラノのための音楽物語『ピカタカムイとオキクルミ』”という、1976年作の初演事情に関するリサーチだった。

2018年(平成30年)は、大栗 裕(1918~1982)“生誕100年”のアニヴァーサリー・イヤー!

関西では、ちょっとしたブームがあったが、その年の夏、オオサカ・シオン・ウィンド・オーケストラ楽団長、石井徹哉さんとの8月15日の“夜の集会”でも、当然、大栗作品のことが話題にのぼった。筆者に永年積み残したこのテーマを思いださせてくれたのは、その夜のことだった。

周知のとおり、『ピカタカムイとオキクルミ』は、1975年、小峰書店(東京)から刊行された「民話のえほん・2 / 風の神とオキクルミ<アイヌの民話>」(文:萱野 茂、絵:斎藤博之)に題材を求めた音楽物語だ。絵本は、21世紀の今も版を重ねるロングセラーである。

物語は、もともとアイヌに伝わる民話だった。

それに登場する“ピカタカムイ”は、アイヌ民話に出てくる風の女神であり、その山から吹き降ろす風は、ときにアイヌに災いをもたらすこともあった。一方の“オキクルミ”は、神の国から人間の国へ移り住んだ知恵と力を兼ね備えた若者で、アイヌの人々に生活を教えるだけなく、いわば守護神のような存在だった。

民話の大筋は、“楽しそうにくらすアイヌの村を見て、悪戯心から何度も何度も嵐をまき起こして村を吹き飛ばしてしまうピカタカムイを、オキクルミがこらしめに行き、改心させる”というものだ。

作曲者は、絵本が出版された1975年、このストーリーを、まず京都女子大学マンドリン・オーケストラのためのミュージカル・ファンタジー『ピカタカムイとオキクルミ』の題材に用い、その翌年の1976年、大阪シンフォニックバンド第5回定期のための委嘱に対して、マンドリン・オーケストラ用原曲を部分改訂するとともに、吹奏楽へのオーケストレーションを行ない、吹奏楽作品としての音楽物語『ピカタカムイとオキクルミ』を完成させた。

大阪シンフォニックバンドは、1969年に発足した大阪市内初の市民バンドで、当時、天王寺公園内にあった大阪市立天王寺音楽堂を借用して、毎週火曜日と木曜日に練習を行っていた。音楽堂には、大阪市音楽団の事務所、練習場が併設され、その影響を強く受ける関係にあった。

音楽物語『ピカタカムイとオキクルミ』の初演は、1976年4月24日(土)、大阪市中央区の森ノ宮にあった大阪府立青少年会館文化ホールで行われた「大阪シンフォニックバンド第5回定期演奏会」で、ソプラノ独唱:砂場美紀子、語り手:三井洋子、作曲者の指揮で行なわれた。

ここまでは、その気になって少し調べれば、誰でもわかることだ!

しかし、大栗 裕は、『赤い陣羽織』や『夫婦善哉』、『おに』というオペラを書いた作曲家だ。それらの原作者と作曲者のつながりもそれなりに伝わっていた。当然、『ピカタカムイとオキクルミ』の原作絵本の文を書いた作者との接点もあったはずだ。しかし、それがまるで分からないのである。

絵本のために、アイヌに伝わる民話を分かりやすい日本語にしたのは、北海道生まれの萱野 茂(1926~2006)という人物だった。

北海道の人からは、“まるで不勉強”だと叱られてしまいそうだが、作者は、生涯の大半をアイヌ文化研究者として、アイヌ語の保存、継承、アイヌ民具や民話の収集、記録、保存に力を尽くした人で、北海道沙流郡平取町二風谷に「萱野茂 二風谷アイヌ資料館」を開設。アイヌ初の国会議員としても知られる有名な人だった。

そんな人物とオペラも書こうかという作曲家にまるで接点がないとは、ちょっと考えられない。

そこで、筆者は、生駒でのミーティングの前に、原作者と作曲家の接点を求めて、東京の小峰書店に直接電話を入れた。猛烈な台風21号が大阪を襲い、関西空港連絡橋にタンカーがぶつかって破壊した9月4日のことだ。

しかし、編集の部署でも著作権管理の責任者も、この間の事情はまるで分からず、絵本の出版を担当した先代社長も、電話の3ヵ月前に物故者となっていた。著作権それ自体は、作者の没後、息子さんに引き継がれていたが、もともとの絵本の出版のいきさつも分からなくなっていたのだ。

嗚呼、万事休し!!

そこで、筆者は方針を変更した。作品委嘱をし、初演を行なった大阪シンフォニックバンドには、何らかの事情が伝わっているかも知れないと考えたからだ。

近鉄「生駒」駅でお会いした北原さんは、初演当時の大阪シンフォニックバンドの会長であり、溝邊さんは、初演演奏会を聴いていた。ともに、作曲者を身近に知る人物だった。

早速、駅近くの喫茶でお話しを伺うと、ここでもやはり、原作者と作曲家の接点は不明だった。初演プログラムにも何も触れられていなかったので、当時この絵本が原作であることは、作曲者以外、誰も知らなかったようだ。また、溝邊さんが持参された初演ライヴが収録されたLPレコード(日本ワールド・レコード、W-839)にも、プログラム・ノートは一切なかった。

実は、筆者が原作の存在に気づいたのも、21世紀に入ってから、ある書店に並んでいた「風の神とオキクルミ」という絵本を偶然見つけたときだった。即購入して何気なく絵本を開いたとき、その本文が、自分が知る大栗作品のナレーションそのものであることにまず驚いた。それは、正しく青天の霹靂。衝撃的な事実だった。

原作者と作曲者はともに著名人。間違いなく接点はどこかにあったはずだと思ったが、すぐ必要にせまられている情報ではなかったので、そのときは、これを積み残してしまった。

しかし、それは間違いだった。

その後、原作の存在だけは、2005年11月16日(木)、ザ・シンフォニーホールで開かれた「創立90周年 大阪音楽大学第37回吹奏楽演奏会 大栗 裕の世界」で、この作品が木村吉宏の指揮で演奏されたときのプログラム・ノートではじめて盛り込むことができた。

しかし、『(わずかな日数で)急いで書いてくれ。頼むわ!』という、まるで“業務命令”のような木村さんからの執筆依頼だったので、謎にアプローチする時間は与えられなかった。

結局、謎は謎のままとなってしまった。

音楽解説を志すものにとって、これは大きな失点だ。

ただ、10月9日の生駒のミーティングでは、初演にまつわる面白い話をいくつも聞かせてもらった。

・作曲者が指揮した練習は、演奏会当日のゲネだけだった

・作曲者が連れてきたソプラノと語り手の出演料も委嘱料に含まれていた

・大阪シンフォニックバンドは、手書きスコアを受け取らなかった

・演奏会終了後、作曲者が楽譜を整理し、楽譜一式が大阪市音楽団に寄贈された

・北海道警察音楽隊から、問い合わせがあった

などなど、当事者しか知り得ないことだった。

筆者も、現在の“シオン”にあるスコアにナレーションを書き込んだのが、“市音”当時のライブラリアン、伊東満洲雄さんだったと言うと、北原さんも『市音のいろんな人が、手直しをやった、と言うてはりましたね(言ってらっしゃいましたね)。』と頷かれた。

音楽に歴史あり!!

これだから、バックステージはおもしろい!!

▲LP – Osaka Symphonic Band The 5th Regular Concert(日本ワールド、W-839)

▲同、A面レーベル

▲同、B面レーベル

▲「創立90周年 大阪音楽大学第37回吹奏楽演奏会 大栗 裕の世界」プログラム

▲同、演奏曲目

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