■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第58話 NHK – 生放送!ブラスFMオール・リクエスト

 ▲アルフレッド・リード(1990年代、本人提供)

▲ヨハン・デメイ(1990年代、本人提供)

▲フィリップ・スパーク(1980年代末、本人提供)

『ヒグッちゃ―ん!!』

クラシック・ファンから“遅れてきた巨匠”と親しまれたチェコの指揮者ラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska)のマネージメントをするオフィスブロウチェクの梶吉洋一郎さんから声を掛けられたのは、2017年10月19日(木)、「大阪フィルハーモニー交響楽団 第512回定期演奏会」が行われていた大阪のフェスティバルホールのロビーでだった。

エリシュカは、楽団からの強いリクエストで「東京佼成ウインドオーケストラ第115回定期演奏会」(2013年4月27日、東京芸術劇場)を客演指揮し、そのライヴ盤「新世界の新世界」(コロムビア、COCQ-85060、リリース:2014年3月26日)が発売されたマエストロだ。

ヘッドホンを首から掛け、いかにも録音ブースから出てきたスタッフというイデタチの氏の声は弾んでいた。根っからの現場好きの男だ。

そして、『今日は、来てくれて、本当にありがとう。マエストロもこれが最後になるんで、ぜひ聴いて欲しかったんだー!!』と続ける。

当夜、聴衆は2300~2400ぐらいは入っていただろうか。後に“平成29年度(第72回)文化庁芸術祭”の優秀賞に選ばれることになるこのコンサートは、いつもの大フィル定期とは少し違う空気が漂っていた。この少し前、飛行機での渡航にドクター・ストップがかかった86歳(当時)のマエストロの、これが最後の来日公演になると発表されていたからだ。

“どうしても、日本のファンに挨拶がしたい”という、マエストロのたっての希望から、ドクターの声を振り切って行われたコンサートだった。

筆者は、2009年秋にリリースされた『ドヴォルザーク 交響曲第6番』(パスティエル、DQC-100)以降、梶吉さんがプロデュースしたエリシュカ指揮、札幌交響楽団のライヴCD作りの最終工程をサポートしていた。マスタリングをお手伝いしたこともあった。

だが、氏との出会いは、それよりずっと以前、1988年の「ロイヤル・エア・フォース・セントラル・バンド日本公演」(第8話:ドラゴン伝説の始まり、参照)の時だった。

当時、NHKの報道にいた氏は、銀座で見かけたポスターを頼りに、カメラを担いで虎の門の公演事務所に飛び込んできた。そして“夕方のニュースに使いたいので”と、“チケットを数えているシーン”などの映像を押さえていく。まるで電光石火の早業だった。

後日、話を伺うと、学生時代は吹奏楽に傾注していたという氏は、ヌーケリ・ブュピレ・ドルヤギ吹奏楽団という、ちょっと不思議な名称(カタカナ名を逆から読めば、その“由来”が判る!)のバンドの指揮者だったこともある。

また、本物志向の氏は、かの指揮者セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache)の指揮法講習を受けていたこだわり派だった。

そんな彼とは、その初対面時から何かと馬が合った。そして、その希望が叶い、報道から音楽番組に配属が変ると、実際に吹奏楽の番組をやろうということになった。

そのきっかけを作ったのが、1992年5月13日(水)、大阪のザ・シンフォニーホールで開催された「大阪市音楽団 第64回定期演奏会」で日本初演が行われたヨハン・デメイ(Johan de Meij)の交響曲第1番『指輪物語(The Lord of the Rings)』だった。

指揮者サー・ゲオルグ・ショルティ(Sir Georg Solti)を審査委員長とする“サドラ―国際ウィンド・バンド作曲賞”の受賞作となったこの交響曲の内容や作曲者について、筆者から楽曲の基礎情報を取材した氏は、企画書を局に提出。ついには、中継車を東京から大阪に走らせ、ライヴ収録を実現させてしまったのだ!

当時のNHKの局内では、これはかなりの大冒険だった。

報道番組以外は外注でもよしとする徹底的した“商業化路線”を推し進めた島 桂次会長の時代、秋山紀夫さんの名調子で人気を博した吹奏楽のレギュラー番組「ブラスのひびき」も、その流れの中であえなく廃止。

“吹奏楽”は、他のいくつかのジャンルとともに“NHKが扱う音楽カテゴリー”から外され、唯一残ったのは、全日本吹奏楽コンクールの特番だけだった。

梶吉さんに残った理由を訊ねた時の話が面白い。彼は、『ウチは、“全日本”とつくものは必ずやらないといけない、ということになっているのよ。』と言い、ガハハと笑った。

島会長時代は、そう長くは続かなかった。しかし、局内で一度“あえてNHKがやる必要がない”と判断が下ったジャンルの番組をふたたび立ち上げるのは、大変なエネルギーを必要とする仕事だった。

NHKには、“商業化”をよしとし、放送内容は、民放並みにメジャーなものだけでいいとする空気も確実に残っていた。

そこで、梶吉さんは、リクエストのハガキによる吹奏楽特番を発案。NHKに寄せられる視聴者のナマの声に運命をすべてかけたのである。

題して「生放送!ブラスFMオール・リクエスト」!!

『なんだよ、それ!』と言いながらも、昭和の香り漂う番組名に郷愁のようなものを感じたのは、筆者もそれなりの年になっていたからだろう。

だが、人口こそ多いが、“与えられることに慣れ、自らほとんどアクションを起こさない”傾向が強い“吹奏楽人”が果たしてどう反応するのかは、まったく未知の世界。

しかし、全国から寄せられたリクエストのハガキは、トータルで705枚もあった。

“吹奏楽”をマイナーな世界とみなしていた局内に“オヤ?”という空気が流れ始めたのは、実はこの頃からだった。

リクエストは、ポップからクラシックまで幅広い曲に寄せられていた。しかし、〆切後に内容を精査すると、NHKがほとんど知らない(つまり、局内にレコードやCDなど一切ない)“オリジナル曲”へのリクエストが7割近くに達していることに、NHKがまず驚いた。

作曲家別でみると、曲数がもっとも多かったのがアメリカのアルフレッド・リード(Alfred Reed)で、合計12曲。次点が11曲のジェームズ・スウェアリンジェン(James Swearingen)で、それぞれリクエスト最上位の『アルメニアン・ダンス・パートI(Armenian Dances Part I)』と『センチュリア(Centuria)』が、放送曲に決定!

曲別にみると、イギリスのフィリップ・スパーク(Philip Sparke)の『ドラゴンの年(The Year of the Dragon)』が他を大きく引き離してダントツ。前記リードの『アルメニアン・ダンス・パートI』がそれに続いた。

邦人作曲家では、大栗 裕の作品に人気が集中。そのリクエスト最上位の『吹奏楽のための“大阪俗謡による幻想曲”』が放送曲に決まった。

また、関西を中心に、吹奏楽の中でも“とくにマイナー”とみられていたブラスバンド作品にもかなりのリクエストが寄せられ、リクエスト最上位のスパークの『オリエント急行(Orient Express)』も放送曲に選ばれた。

嬉しい誤算は、番組のほぼ真ん中の時間帯に組み込む予定で、唯一NHKらしい情報発信だと考えられていた『指輪物語』にも、複数のリクエストのハガキが寄せられたことだ!!

電話で『“指輪”にもハガキが来ているよ。』と伝えてくれた梶吉さんの嬉しそうな声が今も耳に残っている。

放送は、終戦記念日翌日の1992年8月16日(日)午後に行われた。

もちろん“指輪”を除くすべての音素材(レコード、CD)は、すべて筆者の持ち込み。

出演は、坪郷佳英子アナウンサー、サックス奏者MALTA氏、そして筆者の3人だった。

予期できなかったこととして、ナマ放送中、アルフレッド・リードから突然電話がかかってくるハプニングもあったが、なんとか番組終了まで乗りきって大団円!

フト見ると、日曜にもかかわらず、スタジオの中から見えるスタッフ・ブースは大勢の人でかなりの鈴なり状態になっていた!

梶吉さんによると、休日にもかかわらず、以前「ブラスのひびき」をやっていたディレクターやスタッフが懐かしさのあまり大勢つめかけてくれていたんだそうだ。

なんだ、NHKにも“隠れ吹奏楽ファン”がいるんじゃないの!

ひょっとすると「ブラスのひびき」が戻ってくる日もあるかも知れない。

そんな淡い期待を胸に描いたアツい夏の一日だった。

▲「アルメニアン・ダンス・パートI」に使ったLP – American Salute(蘭Philips、6423 522)

 ▲「ドラゴンの年」に使ったCD – Marines on Stage(蘭Markap、2040)

▲「生放送!ブラスFMオール・リクエスト」構成表 – 1

▲「生放送!ブラスFMオール・リクエスト」構成表 – 2

「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第58話 NHK – 生放送!ブラスFMオール・リクエスト」への6件のフィードバック

  1. 聴いてましたよこれ。ここでしかオランダ海軍のドラゴンには感動しました。これもCD化されてなかったですよね。

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