■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第55話 ノルベール・ノジとの出会い

 ▲CD – ベルリオーズの幻想(東芝EMI、TOCZ-0016、リリース:1993)

▲ギィデのシェフ当時のノルベール・ノジ

▲直筆サイン

▲独ケルン・フィルハーモニーにおけるロワイヤル・デ・ギィデ(1990年代前半)

1993年7月、オランダ、ヴォルメルフェールにおけるハインツ・フリーセン指揮、アムステルダム・ウィンド・オーケストラのレコーディング・セッションを終えた筆者は、もう1つの重要な目的地ベルギーに向け、アムステルダム中央駅から国際列車にとび乗った。

道連れは、東芝EMIの佐藤方紀、音楽出版社デハスケの営業部門のトップ、ハルムト・ヴァンデルヴェーン(Garmt van der Veen)の両氏である。

ベルギーに向かう最大の目的は、ベルギー国王のプライベートな吹奏楽団“ロワイヤル・デ・ギィデ(Musique Royale des Guides)”の楽長(シェフ・ド・ミュジーク)、指揮者のノルベール・ノジ(Norbert Nozy)を表敬訪問することだった。

“ロワイヤル・デ・ギィデ”は、1832年、ベルギー初代国王レオポールI世(在位:1831年 – 1865年)に随行する“国王の私設吹奏楽団”として創設された。“ギィデ(Guides)”の名は、王室親衛隊に属する騎兵の部隊名からとられている。辞書の訳語の中では、“先導する”とか“嚮導する”“探索(偵察)する”と云う意味から派生した名称と考えるのが最もイメージが近いかも知れない。“近衛”と和訳されることもあるが、“ギィデ”がもともと歩兵をルーツとする名称ではないので、兵制上の役割を異にすると認識されるのがいいだろう。現在のフィリップ国王の2013年7月21日の即位の映像では、即位を国民に知らしめるためにパレードに出た国王ご夫妻が乗ったオープンカーのすぐ後ろに続く騎兵、それが“Guides”である。

この吹奏楽団は、隣国フランスの有名なギャルド・レピュブリケーヌを範として整備され、完全なフランス式の編成を持っている。また、プレイヤーは、ベルギー国内の音楽院でプルミエプリ(一等賞)を得たものだけが採用される。筆者が訪れた際、85名編成の吹奏楽団と25名編成の騎兵ラッパ隊(バテリー)から構成されていた。

ベルギーの公用語はフランス語だったので、レコード時代には、楽団名は“Orchestre de la Musique Royale des Guides”とか“Musique Royale des Guides”と云うようにフランス語で表記されるのが普通だった。だが、1985年にノルベール・ノジがシェフに就任した後、ベルギーのRene Gaillyなど、商業レーベルからCDがリリースされるようになり、その際、インターナショナルなマーケットを意識したためか、英語の楽団名がブックレットを飾るようになった。

それは、最初期には“The Great Harmony Orchestra of the Belgian Guides”。ついで“Symphonic Band of the Belgian Guides”となり、やがて“ベルギー王国”の楽団であることを示すため、頭に“Royal”を付けて“The Royal Symphonic Band of the Belgian Guides”と変遷。最終的にこれが通り名となったようだ。

おなじみの“ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団”という日本語の通称は、以上のような過程で、どうしても日本語の楽団名が必要になったとき、外国語に関し多くの教示をいただいていた橘 清三さんと、楽団の由緒や格式を踏まえながら議論を繰り返した結果、生み出されたものだ。

だが、正規の楽団名は、あくまでフランス語である。

その“ギィデ”を訪れたのは、1993年7月3日(土)のことだった。

訪問したのは、筆者に前記2人とヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)の4人だった。

ヤンは、交響詩『スパルタクス(Spartacus)』や『プスタ(Puszta)』の世界初演をこの楽団に行なってもらっていたので、ノジとはすでにとても親しい間柄だ。

訪問は、東芝EMIのCD「吹奏楽マスターピース・シリーズ」第6巻(3枚組)の1枚「ベルリオーズの幻想」(TOCZ-0016)のレコーディングを行なってもらったことに対してのクライアント・サイドからのオフィシャルな表敬だった。

セッションは、3ヵ月前の4月26~30日にヘント(Gent)のステルバウト録音センター(Steurbaut Sound Recording Center)ですでに終えていた。

収録曲は、エクトール・ベルリオーズ(Hector Berlioz, 1803~1869)のつぎの2曲。

幻想交響曲 作品14
(編曲:A・ジロンス)
Symphonie Fantastique, Op.14
(trans. A. Gironce)

歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」序曲 作品23
(編曲:ピエール・デュポン)
Benvenuto Cellini, Ouverture, Op.23
(trans. Pierre Dupont)

前話(第54話:ハインツ・フリーセンとの出会い)でお話しした同シリーズの1枚「バッハの世界」(TOCZ-0017)同様、このタイトルもまた、シリーズを統括する佐藤さんと監修者の石上禮男さんから、録音アーティストの選択、演奏者にふさわしい選曲など、企画のすべてを委ねられた1枚だった。

その演奏者に、“ロワイヤル・デ・ギィデ”を選んだのには、いくつか理由があった。

まず、その編成がかつてのギャルド・レピュブリケーヌに由来する完全なフランス式編成であること。

確かに、それは、アメリカ式を採用する現在の日本の吹奏楽編成とは根本的に異なっている。しかし、ヨーロッパの吹奏楽を語るとき、“フランス式の編成”の魅力は、避けては通れないものがあった。

次に、この編成のために書かれた楽譜がフランスを中心に多く出版され、「吹奏楽マスターピース・シリーズ」の企画スタート時、石上さんや佐藤さんが立てた“管弦楽”名作の吹奏楽トランスクリプションを出版楽譜を使って録音するというコンセプトに合致していたこと。

もちろん、アメリカ式の楽器編成に普通使われない多くのサクソルン属金管楽器等をエキストラで入れ、フランスで出版されている楽譜を演奏すること、それ自体は日本でも確かに行なわれてはいた。

しかし、それはいかにも俄作りであり、常時その編成で演奏活動を行なうギィデが培ってきたサウンドとは比べるべくもなかった。

この国では、ワールドワイドな風潮に流されて、何でもかんでもアメリカンナイズされるようなことは起こらない。

いかにも、サクソルン属金管楽器を考案したアドルフ・サックス(Adolphe Sax, 1814~1894)を生み、後につづく者がそれをリスペクトするベルギーならではの話である。

しかし、最初この録音の構想をノジに提案したとき、彼は『これまで、こういった曲を演奏したことがないので…』とあまり乗り気ではなかった。彼の言う“こういった曲”とは、ほぼ『幻想交響曲』のことを意味していた。

また、録音には、ギィデの楽友協会の同意を必要とした。

“ベルギー王国”の王室楽団として、ベルギーの作品の演奏や紹介に力を注いでいる“ギィデ”としては、たとえ世界的大作曲家のベルリオーズの作品と言えども、1枚のCDを“フランスの曲”だけで録音してしまうということは、楽友協会の同意を得る上でも、いささかハードルが高い様子だった。

しかし、そこは音楽家。

その後も粘り強く、手を変え品を変えて“録音の意義”を繰り返し説いている内、音楽的興味がフツフツと湧いてきたらしく、頑固な彼もついに折れてくれ、楽友協会の同意も取り付けてくれた。

そして、やると決めた以上、彼は徹底していた。

フランスから2種類のトランスクリプションを取り寄せて徹底比較した結果、A・ジロンスを採用。さらに、不足を感じた部分にはオプションを加えた。日本では珍しいサリュソフォンが使われているのも、その成果である。

楽団を訪れたとき、ちょうど、オランダ、ケルクラーデ(Kerkrade)のロダハル(Rodahal)で開催されていた“世界音楽コンクール1993(Wereld Muziek Concours 1993)”の7月12日(月)のガラ・コンサートで演奏する曲のリハーサルが行われていた。

曲目は、ショスタコーヴィチの『交響曲第13番』作品113の全曲!!

もちろん、指揮もトランスもノルベール・ノジ!

その合奏後、ノジは、ほとんどが手書きだという、ものすごい量の楽譜が整然と並べられたライブラリーも見せてくれた。

そして、いつでもすぐに演奏できるという。

このときはじめて、とんでもない相手にレコーディングをオファーしたことに気がついた!

▲「ベルリオーズの幻想」録音風景(Steurbaut Sound Recording Center)(Photo:Frank De Mudler)

▲レコーディング編成表

▲世界音楽コンクール1993プログラム表紙

▲▼1993年7月12日、ケルクラーデ、ロダハルにおけるプログラム

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