▲CD – Masterpieces For Band 5 – Music by French Composers(蘭Molenaar、MBCD 31.1019.72、リリース:1991)
▲CD – バッハの世界(東芝EMI、TOCZ-0017、リリース:1993)
オランダの指揮者ハインツ・フリーセン(Heinz Friesen)との出会いは、1993年6月28日(月)、アムステルダムの北、車で30分位のヴォルメルフェール(Wormerveer)という閑静な町の教会“モルヘンステルケルク”においてだった。
フリーセン指揮のレコードは、日本でも、1968年にコロムビアからリリースされていたので、彼の名前は早くからマークしていた。しかし、実際に会うのは、この日が初めてだ。
教会名の“モルヘンステルケルク(Morgensterkerk)”は、オランダ語の3つの単語、“モルヘン(朝)”、“ステル(星)”、“ケルク(教会)”を組み合わせたもので、英語では“モーニング・スター・チャーチ”と訳せる。車で連れていってくれたクラリネット奏者二ーク・ヴェインス(Niek Wijns)が由緒由来を記す銘板を英訳してくれたが、その説明に従うと、それは“朝に輝く星の光の教会”という意味だとわかった。
説明に頷きながらも、教会に入るため、献金箱にコインを入れる。
この日、そこでは、東芝EMIのCD「吹奏楽マスターピース・シリーズ 第6集」に含まれる「バッハの世界」(TOCZ-0017)のセッションに向けてのリハーサルがあった。
演奏者は、フリーセン指揮、アムステルダム・ウィンド・オーケストラ(Amsterdam Wind Orchestra)である。
「吹奏楽マスターピース・シリーズ」は、石上禮男さんの監修・構成で、1990年に企画がスタートした。企画当初のシリーズ名は、“マスターピース”ではなく“マスターワーク”だったが、シリーズを統括する東芝EMIの佐藤方紀さんの調査で、コロムビアが“Masterworks”を商標登録していることが判明したため、“マスターピース”に変更された経緯がある。
シリーズは、主に管弦楽作品のトランスクリプションを、既出版の楽譜を使って新たに録音するというコンセプトで、3枚組ボックスで全10集、すなわち合計30枚のCDを制作するものだった。
筆者は、石上さんから指名を受け、1991年1月27日発売の第1集(東芝EMI、TOCZ-0001~3)からシリーズ完結までの楽曲解説を担った。
当初、シリーズは、東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラ、大阪市音楽団の3楽団が録音した各1枚を3枚セットのボックスに組むスタイルでスタート。第1集、第2集(TOCZ-0004~6)、第3集(TOCZ-0007~9)までの9枚は、この3楽団のコンビネーションで制作された。
しかし、その後、石上さんの発案で、第4集(TOCZ-0010~12)と第5集(TOCZ-0013~15)の6枚は、アメリカの大学バンドに録音が依頼されることになった。
また、その時点で、ちょうどシリーズの折り返し点ということから、東京の東芝EMI本社の会議に呼び出された筆者は、席上、佐藤さんと石上さんから、『アメリカの後はヨーロッパでいきたいと考えています。そのプランニングをお任せしたいので、企画を立てて下さい。』と言われ、第6集の3枚のCDの演奏者と曲目の選定を委ねられた。
「バッハの世界」は、その中の1枚だった。
演奏者の選択で、オランダのアムステルダム・ウィンド・オーケストラに白羽の矢を立てたのには、いくつか理由がある。
まず、ロッテルダム・フィルの元ソロ・オーボエ奏者で、オーケストラ指揮者として活躍し、ウィンドオーケストラの世界でも燦然たる実績を誇るハインツ・フリーセンが音楽監督兼常任指揮者をつとめていること。
つぎに、1988年創立の歴史の浅い楽団だが、ヨハン・デメイ(Johan de Meij)の交響曲第1番『指輪物語』を収録したデビュー・アルバム「The Amsterdam Wind Orchestra」(CD:JE Classics、900101 CD、リリース:1990)や、エドゥアール・ラロ(Edouard Lalo)の歌劇『イスの王様』序曲やモーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)の『亡き王女のためのパヴァーヌ』など、フランスの作曲家のクラシックの名曲を入れた「Masterpieces For Band 5 – Music by French Composers」(CD:Molenaar、MBCD 31.1019.72、リリース:1991)など、それまでにリリースされたCDのクオリティが並はずれて高かったこと。
楽器編成が、我々日本と同じ、アメリカ式編成であること。
オランダの町々の教会には、すばらしいパイプオルガンがあり、プレイヤーは、幼い頃から、バッハなどの教会音楽に親しんでいること。
決定的だったのは、アムステルダム・ウィンド・オーケストラがいつも録音に使っているのが、“教会”だったことだ。
バッハを吹奏楽で録音するなら、これほど好条件が整うタイミングはなかった!
この筆者の私案は、石上さんがここまで監修されてきたシリーズ構成とは、若干嗜好が違ったかも知れない。しかし、下記の曲名を書き込んだプランに目を通した佐藤さんと石上さんの二人には、まったく異論がなかった。
・トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
(編曲:ピエール・デュポン)
Toccata und Fuge BWV.565 (Trans. Pierre Dupont)
・フーガ ト短調(小フーガ) BWV.578
(編曲:木村吉宏)
Fuge BWV.578(Trans. Yoshihiro Kimura)
・幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542
(編曲:ジョーゼフ・ホロヴィッツ)
Fantasie und Fuge BWV.542(Trans. Joseph Horovitz)
・カンタータ第147番より“主よ、人の望みの喜びよ”
(編曲:アルフレッド・リード)
“Wohl mir dab ich Jesum hade” from CANTATA BWV.147
(Trans. Alfred Reed)
・幻想曲 ト長調 BWV.572
(編曲:リチャード・F・ゴールドマン、ロバート・L・リースト)
Fantasie BWV.572
(Trans. Richard F. Goldman, Robert L. Leist)
・カンタータ第161番より“来たれ、甘き死のときよ”
(編曲:アルフレッド・リード)
“Komm, du susse Todesstunde” from CANTATA BWV.161
(Trans. Alfred Reed)
・パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV.582
(編曲:木村吉宏)
Passacaglia BWV.582(Trans. Yoshihiro Kimura)
アムステルダム・ウィンド・オーケストラのセッションは、つぎのように組まれていた。
6月21日(月):リハーサル(合奏:約3時間)
6月22日(火):リハーサル(合奏:約3時間)
6月28日(月):リハーサル(合奏:約3時間)
6月29日(火):リハーサル(合奏:約3時間)
6月30日(水):レコーディング(午前9時30分~)
7月 1日(木):レコーディング(午前9時30分~)
エグゼクティブ・プロデューサー:佐藤方紀(東芝EMI)
プロデューサー:ヤン・デハーン(Jan de Haan)
録音エンジニア:エルネスト・スケールデル(Ernest Scheerder)
この楽団では、4時間(実演奏:3時間)を1コマと考えているようで、セッションも1日あたり2コマが予定されていた。
筆者が訪れたのは、3度目のリハーサルの朝だった。
その日、“モルヘンステルケルク”では、すでに奏者のウォーミング・アップが始まっていた。早速マネージャー氏と挨拶を交わし、立ち会いの許可をとる。
やがて現われたマエストロが、挨拶もそこそこにタクトを振り下ろすと、まるで備え付けのパイプオルガンが鳴りだしたのではないかと錯覚を覚えそうな豊潤なサウンドが教会の空間一杯に広がった。
さすがは、オランダのウィンド・ミュージックの第一任者フリーセンだ。
四角四面の音楽ではなく、伸びたり縮んだりの“自然な緊張と緩和”とでも表現したらいいのか。それは、とても優雅なタクトで、音楽の揺れがとても心地いい。
プレイヤーからのリスペクトも絶大で、彼が合奏の合間にときおり繰り出すユーモア(オランダ語なんで、こっちにはさっぱりわからなかったが…)にも、笑顔が爆発する。
本当にいい音楽グループだ!
リハ終了後に軽食に誘われ、完全に意気投合!
そこからのセッション終了までの4日間は、まるで夢心地の毎日だった。
セッションは、初日、『パッサカリアとフーガ』『来たれ、甘き死のときよ』『フーガ ト短調(小フーガ)』『幻想曲 ト長調』『主よ、人の望みの喜びよ』と進み、2日目は、
『幻想曲とフーガ』『トッカータとフーガ』で録音完了。
別れ際、マエストロからコーヒーをごちそうになったとき、この間ずっと頭の中をよぎっていたことが思わず口をついた。
『日本に来られる気持ちはありますか?』
満面の笑みのマエストロは、間髪を入れず、手招きをして、こう切り返してきた!
『コントラクト(契約書)を!』
そのやりとりのあまりのテンポの良さに、2人は大爆笑!!
周囲を巻き込んだ笑いの渦の中、『じゃあ、待ってて下さい。』と会話をしめたが、帰国後、それが本当に現実になるとは、このときは夢にも思っていなかった!!
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