▲ トーマス・ドス(2018年6月14日、府中の森芸術劇場ウィーンホール)
『ディアー・ユキヒロ。
今、リンツからフランクフルトへのフライトが遅延するという案内が掲示された…。
現時点では、遅延がどのくらいになるのかわからない。
最悪の場合、東京へは、予定より後のフライトに乗らざるを得ないかも知れない。』
オーストリア時間、2018年6月12日(火)14時11分(日本時間、同日21時11分)に、作曲家トーマス・ドス(Thomas Doss)が、同国リンツの空港から筆者にあてた緊急メールだった!
リンツは、ウィーンとザルツブルクのほぼ中間に位置し、トーマスが敬愛する作曲家アントン・ブルックナー(Joseph Anto Bruckner, 1824~1896)が埋葬されているザンクト・フロリアン修道院(Augustiner Chorherrenstift Sankt Florian)まで車で約10分、空港までもほぼ同じぐらいのところに彼の家はある。
ドイツ語の“ザンクト・フロリアン(Sankt Florian)”は、英語では“セント・フローリアン(St. Florian)”と表記される。日本でも、ブルックナーに敬意を表した彼の『セント・フローリアン・コラール(St. Florian Choral)』を演奏した人は、多いのではないだろうか。
来日の主目的は、2018年6月15日(金)、杉並公会堂大ホール(東京)で開催された「タッド・ウインドシンフォニー第25回定期演奏会」で、鈴木孝佳(タッド鈴木)の指揮で日本初演された自作『アインシュタイン(Einstein)』のコラボレーションのためだった。
相対性理論で知られるアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879~1955)をテーマに書かれた2017年に初演された新作だ。
そして、トーマスにとっては、これが初来日!
6月13日に羽田空港で彼を出迎えるため、上京の準備を進めていた筆者は、直ちにさまざまなケースを想定しながら、対策を練っていく。
彼と共有するタイムテーブルは、こうなっていた
[12th June, 2018]
15:10 PM Depart from Linz – Hoersching Air Port (LNZ)
(Lufthanza LH 1253)
16:15 PM Arrive at Frankfult/Main Int. Air Port (FRA)(Terminal 1)
18:05 PM Depart from Frankfult/Main Int. Air Port (FRA)(Terminal 1)
(Lufthanza LH 716)
[13th June, 2018]
12:15 PM Arrrive at Haneda (Tokyo) Air Port (HND)(International)
予定では、15時10分、ルフトハンザ LH 1253便でオーストリアのリンツを出発し、65分のフライトでドイツのフランクフルトに到着。フランクフルトで、18時05分発、羽田(東京)行の同LH 716便に乗り換えるということになっていた。
フランクフルトでのトランジットのための時間は、1時間50分。リンツの出発が遅れると自動的にこれが短くなるか、タイムオーバーになる。唯一の救いは、両フライトがともにドイツのナショナル・フラッグ・キャリアとされるルフトハンザ機であったことだ。同時に、フランクフルト国際空港はルフトハンザがメインハブ空港としているので、連絡便の遅延によるフランクフルトでの多少の出発調整も期待できる。
ネットで同社サイトを検索すると、リンツからのLH 1253便は、“1時間20分の出発遅延の予定”と表示が出ていた。ギリギリだが、なんとかなるかも知れない。しかし、これ以上遅れるとヤバい。
早速、トーマスへその旨と“フランクフルトからの続報を待つ”とメールを送り、一方でタッド・ウインドシンフォニーの関係者にも事情を伝える。
あまり知られていないが、タッド・ウインドシンフォニーは、参加するプロフェッショナルたちのセルフ・オーガナイズによる自主運営楽団だ。アメリカで活躍する音楽監督の鈴木孝佳(タッド鈴木)さんの日本における私設楽団ではない。このマエストロの指揮で音楽をやりたいという人たちによって成り立っている、とても珍しい形態をとるプロのウィンドオーケストラなのだ。
従って、マネージャーなどいない。
楽団代表は、テューバ奏者の国木伸光さんだ。
幸い、タッドWSは、この時、初日(6月12日)のリハーサルを終え、各プレイヤーは演奏楽曲の感触をすでに掴んでいた。また、その結果を受けて、練習スケジュールをコントロールする演奏委員のオーボエの藪 恵美子さんからも、2日目(6月13日)の練習のタイムテーブルがすでに届いていた。
そこで、日本時間の深夜にしか判明しないトーマスのフライト事情は、演奏委員の藪さんへの返信の中に書き込み、楽団代表や各演奏委員、音楽監督へも藪さんを起点として情報伝達をお願いした。
話を元に戻そう。
ルフトハンザのサイトはおもしろい。飛び立つと、残りどれぐらいで到着するかも含め、表示は刻々変わっていく。注視を続けていると、遅延予告より1分早い16時19分にリンツを飛び立ったLH 1253便は、65分のフライト予定をかなり縮めて17時18分にフランクフルトに滑り込んだ。
これなら、なんとかなるかも知れない。
そう思った瞬間、トーマスからメールが来た。
『ディアー・ユキヒロ。
本当に最後ギリギリのところでうまくいった。
今、(羽田行の)飛行機の座席に座っている。
うまくいけば、私の荷物も載っていると思う。
すぐに会おう。ト―マス』(カッコ内、筆者)
なんと飛行機の中からのメールだ。よーし、これでOK!
荷物が同着しなかった場合を除けば、もう問題ない。
ふたたび藪さん経由で“さすがは、ルフトハンザ(ドイツ航空)!”とタッドの面々に結果を知らせた後、東京行きの準備を再開した。もう、すでに午前3時を軽く回っていたが、目がギンギンに冴えわたっていた。不健康なこと、この上なし。
羽田空港の到着ゲートを出てきたトーマスとは、その後、調布まで乗ったリムジンバスの車中も含め、当然この間の事情で大盛り上がり!
オーストリア人ながら、アメリカでの生活期間もあり、とても気さくで、この日はじめて会ったばかりのタッドWSのメンバーと打ち解けるのもアッと言う間だった。
結果、当然ながら『アインシュタイン』の日本初演も大成功!
トーマスとは、その後、6月21日(木)の帰国まで行動を共にした。
その間、聴いた演奏会は、航空中央音楽隊、洗足学園音楽大学ブリティッシュブラス、おおみや市民吹奏楽団の各演奏会。また、尚美ミュージックカレッジ専門学校や武蔵野音楽大学ではバンドのリハーサルを見学。東京佼成ウインドオーケストラとシエナ・ウインド・オーケストラのマネージャー諸氏とも有意義なミーティングをもつことができた。
かつてヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)がベルリン・フィルを指揮し、アルフレッド・リード(Alfred Reed)やヤン・デハーン(Jan de Haan)、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)らが東京佼成ウインドオーケストラを指揮してレコーディングを行なった普門館のステージも興味深そうで、写真を撮りまくっていた。
一方で、日本食にもつぎつぎトライし、あっという間にかなりの日本事情通!
音楽的成果のみならず、筆者にとってもとても印象深い初来日となった!
▲会場販売された自筆サイン入りCD – The Best of Thomas Doss(M-Disc、216-054-3)
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第50話 トーマス・ドスがやってきた」への1件のフィードバック