■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第48話 フィリップ・スパークがやってきた

▲CD – オリエント急行(佼成出版社、KOCD-3902)

 ▲フィリップ・スパークの作品リスト(1989年当時)

イギリスの作曲家フィリップ・スパーク(Philip Sparke)が、英国航空 BA007便(成田11:55着)で初めて日本の土を踏んだのは、1992年9月18日(金)のこと。

佼成出版社のCD「オリエント急行」(同、KOCD-3902、リリース:1992年12月21日)のレコーディング・セッションで指揮をするための来日だった。

前話(第47話:ヨーロピアン・ウィンド・サークルの始動)でお話しした「ヨーロピアン・ウィンド・サークル」シリーズの第2弾であり、すべての楽曲を作曲者が指揮をする“自作自演盤”だ!

レパートリーは、佼成出版社の柴田輝吉さんから一任され、フィリップの作品リストから、以下の計7曲をピックアップした。

祝典のための音楽
(Music for a Festival)

ジュビリー序曲
(Jubilee Overture)

山の歌
(Mountain Song)

コンサート・プレリュード(*)
(Concert Prelude)

ファンファーレ、ロマンス、フィナーレ
(Fanfare、Romance & Finale)

オリエント急行
(Orient Express)

長く白い雲のたなびく国“アオテアロア”(*)
(The Land of the Long White Cloud “Aotearoa”)

出版社別では、英R. Smith(* 印)が2曲で、他はすべて英Studio Musicの楽曲である。

また、この内、『祝典のための音楽』と『長く白い雲のたなびく国“アオテアロア”』は、録音時点では未出版。『山の歌』と『オリエント急行』の2曲は、このレコーディングのために、佼成出版社の了解を得て、筆者がウィンドオーケストラへのトランスクライブを委嘱したものだ。

後日出版された『山の歌』と『オリエント急行』の楽譜のタイトルまわりには、“東京佼成ウインドオーケストラの委嘱により”という英語の文言が印刷されているが、事実は少々違う。

委嘱費を予算化した佼成出版社の英断と担当の柴田さん、録音直前に柴田さんから担当を引き継いだ水野博文さんの各位に感謝の意を表すために、ここに特に記し、多くの記憶に留めたい。

このCDのレコーディングは、実は3年越しの企画だった。

ロンドンのエンジェル・レコーディング・スタジオで録音されたCD「ドラゴンの年」(佼成出版社、KOCD-3102、リリース:1989年10月25日)の録音前に同社に寄せられた声の中に、すでにスパークものの“続篇”をリクエストするものが結構あったからだ。

しかし、当時、柴田さんのリクエストに応えて調査を開始した筆者は、日本とはあまりにも違うイギリスの出版社の現実にいきなり直面することとなった。

ブラスバンド王国のイギリスでは、ブラスバンド用の楽譜はものすごいスピードで出版されるのに対し、ウィンドオーケストラのために書かれた楽曲は、たとえ初演が成功し、楽譜が存在していても、なかなか出版されなかった。英国内で売れる見込みが立たなかったからだ。

実際、『長く白い雲のたなびく国“アオテアロア”』は、版権をもつR. Smithの経営が思わしくないこともあって出版が見送られていた。もしCD「オリエント急行」の録音がなかったら、本当に“お蔵入り”になっていたかもしれない楽曲だった。とてもエキサイティングな楽曲なのに…。

また、『オリエント急行』のウィンドオーケストラ用の楽譜を作る話についても、当初、出版社から積極的な返答はなかった。フィリップ自身も『イエス、作るプランはある。しかし、今はいつとは言えない。君がそれをいつ必要とするのかを知らせてくれたら、間違いなく時間内に仕上げる。』と1989年6月14日の日付のあるFAXに書いているくらいだ。

柴田さんには、そこで、現在準備中の楽譜が出そろうのを待つと同時に、できれば作曲者に注目曲のウィンドオーケストラ用の譜面を書いてもらうことを提案。それらが熟成するまで、“スパーク作品集”のアイデアは凍結してもらうことにした。

その後、「ヨーロピアン・ウィンド・サークル」シリーズの方向性が定まったとき、まず交響詩「スパルタクス」のレコーディングを先行させ、その後に「オリエント急行」に向かうことしたのには、こんな事情があったからである。

話を元に戻そう。

CD「オリエント急行」のレコーディングは、以下のスケジュールで行われた。

9月20日(日) リハーサル
9月21日(月) リハーサル
9月22日(火) レコーディング
9月23日(水) レコーディング

リハーサルは、地下鉄「中野富士見町」駅の近くにあった立正佼成会の「第二研修会館」で、2日間で計8時間の練習が組まれた。

練習初日、プレイヤーの前に立ったフィリップは、『おはようございます。』と、まず日本語で挨拶!

プレイヤーの顔に“おっ!?”という表情が浮かんだところで、間髪を入れず、今度は英語で、

『ロンドンで皆さんにお会いして以来、この日が来るのをずっと待ち続けていました。』

と続ける。

実は、筆者から連絡を受けたフィリップは、エンジェル・スタジオで行われたCD「ドラゴンの年」のセッションに顔を出していた。無論、セッションに集中していたプレイヤーの中で、彼が来ていたことに気づいた人はほとんどいなかった。いや、恐らく誰も気づいてなかったと思う。

しかし、初顔合わせの挨拶として、相手をリスペクトするすばらしいスピーチだ。

そして、おもむろにバッグから指揮棒を取り出したフィリップが、『私は左利きなので、このように振ります。』と指揮のパターンを示すと、プレイヤーから、『おぉ、やっぱり左利きだ!』と声が上がった。

もちろん、楽団には左手で指揮をすることは事前に知らせてあったが、実際に目の前で見せられると、いかにベテランと言えども、少なからず戸惑いを隠せないようだった。

しかし、そこはプロフェッショナル。リハーサルは、澱みなくリズミカルに進行する。

初日終了後、コントラバスの稲垣卓三さんが、『あのリハーサルの進め方を見たか!』と驚きの声をあげた。サウスポーへの戸惑いも確かにあるが、フィリップがこの楽団に受け入れられた瞬間だった。

レコ―ディングは、普門館のステージで行われた。

録音にあたるスタッフは、シリーズ第1弾CDの交響詩「スパルタクス」(佼成出版社、KOCD-3901、リリース:1991年12月10日)同様、ディレクター&ミキサーは、録音界の大御所、若林駿介さん、アシスタント・ディレクターが鈴木由美さん、エンジニアが及川公夫さん、そしてテープ・エディターが杉本一家(JVC)さんという顔ぶれ。

セッションは、両日ともに午前11時に開始。

初日(9/22)に、『コンサート・プレリュード』-(昼食)-『長く白い雲のたなびく国“アオテアロア”』-『ファンファーレ、ロマンス、フィナーレ』-『山の歌』の順に収録。

2日目(9/23)は、『ジュビリー序曲』-(昼食)-『オリエント急行』-『祝典のための音楽』というペースで録音を完了した!

録音中、清掃係が何人かホールに入ってきて客席の掃除を始めたり、突然、原因不明の低い帯域のノイズ(空調から?)がホールに充満しセッションが中断するアクシデントもあったが、セッションは無事終わった。

ステージでは、稲垣さんらプレイヤーがフィリップとガッチリ握手をしている。

その日、東京佼成ウインドオーケストラのセッションとしては珍しく、打ち上げがあった。

思い思いにセッションのことを語るみんなが本当に楽しそうだ!

2018年に解体される普門館の想い出がいっぱいこもったアルバム「オリエント急行」!

それは、吹奏楽CDとして、空前のヒット作となった!!

▲フィリップ・スパーク(1992年9月22日、普門館)

▲▼普門館パンフ

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