■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第46話 H・オーウェン・リードを追って

▲H・オーウェン・リード(1989年)(本人提供)

▲同、自筆裏書

『ミスター・リードは、あなたからの連絡を愉しみに待っています。今日、彼は、アリゾナ州グリーン・バレーのウィンターのホーム(冬の住まい)を離れ、ミシガン州スタンウッドのサマーのホーム(夏の住まい)に向け、1週間の旅に出発しました。

ミシガンの住所は、XXXXXXX です。

あなたは、5月8日以降、この住所の彼にコンタクト可能です。彼は、喜んであなたとお話したいと考えています。電話番号は、(616)XXX-XXXXです。FAXはありません。』

H・オーウェン・リード(Dr. H. Owen Reed、1910~2014)の『メキシコ民謡による交響曲「メキシコの祭り」(La Fiesta Mexicana, A Mexican Folk Song Symphony for Concert Band)』の初演者、ワシントンD.C.のアメリカ海兵隊バンド(“The President’s Own” United States Marine Band)のチーフ・ライブラリアン、マイク・レスラー特務曹長(Master Gunnery Sergeant Mike Ressler)に照会した作曲者の連絡先について、返答がFAXで送信されてきたのは、1996年4月30日のことだった。

さすがは、国民の信頼をあつめるアメリカ大統領附きのミリタリー・バンドのチーフ・ライブラリアンだ。即座に本人に電話で連絡をとってくれただけでなく、送られてきたこのFAXは、必要な情報がすべて含まれ、簡潔で無駄がなかった。

唸ること、しばし…。凄いキレ味だ。

このとき、筆者が取り組んでいたのは、『メキシコの祭り』が収録されるCD「ウィンド・オーケストラのための交響曲 4」(東芝EMI、TOCZ-9274 / 指揮:木村吉宏 / 演奏:大阪市音楽団 / リリース:1996年6月26日)のためのプログラム・ノートの執筆だった。

『メキシコの祭り』の初演者であるアメリカ海兵隊バンドへの照会は、プログラム・ノートを準備するにあたって必要不可欠なプロセスの1つだった。

こういうときは、手続きに時間がかかる隊長経由より、担当者とダイレクトに話を進める方が話が早い。

チーフ・ライブラリアンのレスラーとは、執筆の最初の段階から緊密に連絡を取り合い、初演時のプログラムのコピーもすでにFAXで受領していた。

しかし、リードが、季節に応じて暮らすための家をアリゾナとミシガンの2つの州に持ち、それを行き来しているのは、このFAXで初めて知った。

リードの連絡先については、ここまで、アメリカについてよくアドバイスを受けていた秋山紀夫さんや東京ウインドオーケストラの三浦 徹さん、佼成出版社の水野博文さんなど、思いつくままに電話を掛けてお訊ねしたが、残念ながら情報はなかった。

リードがかつて教鞭をとったミシガン・ステート大学への照会も不発に終わっていた。

また、アメリカの吹奏楽界と知己の多い秋山さんが、『リードには会ったことがない。』と言われたのも衝撃だった。これはもう、一から自力で道を切り開くしかない!

とにかく、『メキシコの祭り』という楽曲の知名度に比べ、日本では、基本的なプロフィール以外、作曲者リードに関する情報があまりにも無かった。

一方、プログラム・ノートの執筆は着々と予定通りに進んだ。

しかし、その過程で、さらにもう1つ課題があることが明らかとなった。

日本国内に、プロフィール用のリードの“写真”が見当たら無かったのだ!!

そして、それは、アメリカ海兵隊バンドのライブラリーにも無かった。

まるで八方ふさがりの状況!!

しかし、その後、唯一、秋山さんが、「Music of H. Owen Reed – The Touch of the Earth」(米Mark、MC23566 / 指揮:Stanley E. De Rusha、Paul W. Schultz、Charles K. Smith / Michigan States University Wind Symphony & Symphony Band)というリード作品集のLPレコードをお持ちだと判明!

早速、ジャケットをお借りすることにした。

しかし、拝見すると、それは、本人広報用のプロフィール写真ではなく、森の中に座ってたたずんているリードをあしらったまるで風景画のようなジャケットだった。

とても雰囲気のある写真だったが、注意して見ると、撮影者としてプロ・カメラマンのDick Wettersの名がクレジットされていた。これは、許諾なく使う訳にはいかない。

秋山さんには、その旨をお話しして、ジャケットはすぐにお返しした。

しかし、さあ、困ったゾ。6月リリース予定なので、もう時間がない!

そこで、レコード会社には、文字原稿だけを先行して郵送。アメリカ海兵隊バンドのレスラーにS.O.S.を送った。

『大至急、本人にコンタクトしたい。』と。

冒頭のFAXは、その返信である。無論、速攻で返礼のFAXを返す!

一方、指定の5月8日まで、まだ数日あったので、日本とミシガンとの時差などをチェックしながら、国際電話を掛ける日時を決める。

そして、電話を掛ける当日がきた。日本時間では、完全に真夜中だ。

最初に電話口に出たのは、夫人だった。

夫人は、“日本から掛けています”という筆者の声に驚いて、少々高い声で『エッ? ジャパーン!?!?』と大声をあげた後、慌ててご主人を呼んでいる。

オーッ、ついに本人がつかまった!!

電話口にでたリードも、『日本から電話なんて、はじめてだ。』という。

そこで、これまでの経緯を話し、“日本のファンはあなたの顔を知りません。大至急、プロフィール用の写真が欲しいのですが…。”と切り出すと、『OK、わかった。』と即答が返ってきた。そこで、こちらの住所のスペルを正確に一文字ごと伝え、EXTREMELY URGENTという、当時の郵便で最速の便で写真を送ってくれることになった。

御礼を言って電話を切り、“あとは待つばかりだ”と一気に肩の力が抜ける。

そして、待つこと3日。届いた写真を見てちょっと吹きだした!(失礼ながら)

きっと、プロフィール写真なんて手許に持ってなかったんだろう。それは、自宅の庭かなんかでポーズをとったスナップのようだった。裏に、自筆で“1989年”と書かれてある。

しかし、それはそれでOKだ!

早速、写真をレコード会社に送る!

その後、さらに詳細な『メキシコの祭り』の本人解説やインタビュー記事、他の作品のスコアやカセットなど、多くの資料が送られてきた。

残念ながら、締め切りのある商業印刷物のため、それらの追加情報をCDブックレットに盛り込むことは叶わなかったが、一方で、筆者は、『メキシコの祭り』以外、まるで知らなかった作曲者のバック・グラウンドに触れることができた。

驚かせてしまった夫人の声とともに、筆者の忘れ得ぬ想い出の1つである!

ありがとう!ドクター・リード!!

▲初演指揮者ウィリアム・F・サンテルマン少佐(当時)のプロフィール(1949年)

▼FAXで送られてきた初演プログラム(1950年2月26日)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください