『今日は、ちょっと相談があって、電話したんだけど…。』
東京佼成ウインドオーケストラのマネージャー、古沢彰一さんから電話があったのは、1988年秋のことだった。
第10話「“ドラゴン”がやってくる!」でお話ししたように、古沢さんには、その年4月の“ロイヤル・エア・フォース・セントラル・バンド日本公演1988”の実行にあたり、並々ならぬお世話になっていた。
『はい、何でしょう?』と話を伺うと、それは、東京佼成ウインドオーケストラが、翌年の1989年7月に予定している初のヨーロッパ演奏旅行についてだった。
なんでも、演奏旅行の旅程の中ほどでレコーディングを組めないだろうかという話がプレイヤー・サイドから持ちあがってきたとのこと。
『ロンドンって録音がいいって、うちの連中が言っているんだけど、それって実際のところ、どうなの?』という古沢さんに対し、“あらゆるジャンルの録音がシステマティックに組まれ、毎日セッションが行われる”ロンドンの現状をかいつまんでお話する。また、管弦楽だけでなく、吹奏楽を得意とするプロデューサーやエンジニアが何人もいることもつけ加えた。
話から可能性を嗅ぎ取った古沢さんは、『ウチのレコードの録音をやってくれてる佼成出版社に話をして、樋口さんに電話させるから、話を聞いてやって欲しいんだ。』と言われる。そのくらいのことは、お安い御用だ。
やがて、同社音楽出版室の柴田輝吉さんから電話がかかってきた。
氏は、“ウルトラマン”シリーズでおなじみの“円谷プロ”の出身。ポイントを的確にとらえ、舌鋒も切れ味鋭かった。
当然、話の方向は、とてもポジティブ。しかし、録音会場やスタッフ選びから始めないといけないという話だったので、迷うことなく、直ちにロイヤル・エア・フォースの音楽総監督エリック・バンクス(Eric Banks)に連絡をとるように薦めた。
バンクスは、BBC放送やEMIなどのレコ―ディンクをホールやスタジオで数多く行ない、ロンドンの録音スタッフにも広い人脈をもっている。それだけでなく、東京佼成ウインドオーケストラの練習場で実際に指揮をしたり、1988年4月16日(土)、東京・普門館で行われた東京佼成とロイヤル・エア・フォースのジョイント・チャリティー・コンサートを通じて、このウインドオーケストラのことをとてもよく理解していた。
ロンドンのバンクスとの英語のやりとりは、佼成出版社国際業務部、国際業務課の清水康博さんが担当された。
連絡を受けたバンクスもひじょうに喜び、直ちに動いてくれた。
バンクスは、まず、プロデューサーとして、ロンドンのイズリントンにあるエンジェル・レコーディング・スタジオ(Angel Recording Studios)のチーフ、ジョン・ティンパーリー(John Timperly、1941~2006)にオファーした。
ティンパーリーは、1970年代以降、バンクスの録音を何度も手掛けてきたバンクスがもっとも信頼をおくプロデューサーの1人で、彼のロイヤル・エア・フォース時代最後のCD「エリック・バンクス/世界のマーチ名作集」(ビクター、VDC-1394)も、1989年1月19日にティンパーリーのプロデュースで行われることが決まっていた。(「第16話」参照)
折衝の結果、ティンパーリー個人とともに、彼のホームであるエンジェル・スタジオを4日連続でブッキングできたことから、佼成出版社は、常任指揮者フレデリック・フェネル(Frederick Fennell)の指揮による録音に加え、エリック・バンクスの指揮による録音も行なうことになった。
その結果、ツアー後の1989年10月25日にリリースされたのが、フェネル指揮の「フランス組曲」(佼成出版社、KOCD-3102)とバンクス指揮の「ドラゴンの年」(同、KOCD-3102)の2枚のCDだった。
前者は、ツアー・プログラムから選曲された記念碑的CD。後者は、ロンドン録音を記憶にとどめるため、筆者が提案した“イギリス作品集”だ。
当時フルート奏者をつとめられ、プレイヤー引退後、総務として事務所に入られた牧野正純さんが個人的に書き留められていた記録によると、エンジェル・スタジオでのセッションは、以下のような流れで進行した。
【7月13日】指揮:フレデリック・フェネル
11:00~12:30 フランス組曲(ミヨー)練習
12:30~13:30 <昼食>
13:30~14:30 フランス組曲(ミヨー)
14:30~15:00 <休憩>(間食)
15:00~16:40 交響曲第6番(パーシケッティ)
16:40~17:10 <休憩>
17:10~17:40 自由への賛歌(ゴセック/ドンデイヌ編)
【7月14日】指揮:フレデリック・フェネル
11:10~12:50 ウィリアム・テル序曲(ロッシーニ/稲垣卓三編)
12:50~13:50 <昼食>
13:50~15:40 スリー・ダンス・エピソード(ハチャトゥリアン/ハンスバーガー編)
(間に、ソーメン休憩あり)
【7月15日】指揮:エリック・バンクス
11:00~13:10 ドラゴンの年(スパーク)
13:10~14:10 <休憩>
14:10~15:15 練習
15:15~15:45 <休憩>
15:45~17:50 復活(ボール)
17:50~18:00 <休憩>
18:00~18:30 英雄行進曲(フレッチャー)
【7月16日】指揮:エリック・バンクス
11:00~12:30 練習
12:30~13:30 <昼食>
13:30~14:50 吹奏楽のための協奏曲(ジェイコブ)
14:50~15:20 <休憩>
15:20~17:10 コメディー序曲(アイアランド)
バンクスは、翌7月17日にも、BBC放送FMラジオの名物番組「リッスン・トゥー・ザ・バンド(Listen to the Band)」のプロデューサーにも、フレデリック・フェネル指揮の番組収録を持ちかけ、その放送用録音もBBCスタジオで行われた。
当時、ユーフォニアム奏者の三浦 徹さんから、スタジオ入りしてまず、番組テーマ「リッスン・トゥー・ザ・バンド」を初見で収録したという話をうかがったことがある。
結果的に、東京佼成ウインドオーケストラは、ロンドンで連続5日間、スタジオに入ってレコーディングを行なった。
しかし、それを成し得た裏に、フェネルが指揮するこの楽団をリスペクトするバンクスの献身的な貢献があったことを忘れてはならない。
1989年4月3日の日付がある筆者宛の手紙に、バンクスはこう書いている。
『先週、私は、空港でTKWOの古沢さんと清水さんに会いました。彼らは、7月のヨーロッパ・ツアー中、ロンドンで行なうレコーディングについて、私と打ち合わせをするために来たのです。私は、とてもいい録音をするプロデューサーをアレンジしています。また、同じ時期に、BBC放送のレコーディングも組めればと思います。その時期、私は(ロイヤル・エア・フォースを退役し)、オーストラリアに移っています。しかし、彼らは、とても親切にも、7月に彼らと一緒にいることができるよう、私にロンドンに戻って来るよう招待してくれたのです。』(カッコ内は、筆者)
佼成出版社から、バンクスを録音に起用する話を聞き、その録音レパートリーのプランを求められたのは、この直後のことだった。
これはもう、イギリスものでいくしかない!
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第41話 「フランス組曲」と「ドラゴンの年」」への6件のフィードバック