■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第39話 ギャルド:月刊吹奏楽研究が伝えるもの

▲月刊 吹奏楽研究 1962年1月号(三浦 徹氏所蔵)

▲バンドジャーナル 1962年2月号(三浦 徹氏所蔵)

2018年5月7日(月)、筆者は、川崎市中野島にある三浦 徹さんのご自宅を訪ねていた。

三浦さんは、周知のとおり、東京佼成ウインドオーケストラのユーフォニアム奏者を長くつとめた後、国立音楽大学教授に転じられ、退任後の今も、吹奏楽の発展とユーフォニアムの啓蒙のために精力的な活動を続けられている。

東京佼成WOのレコーディングやさまざまな演奏シーンでご一緒しただけでなく、プリーズ・ブラス・バンドの客演独奏者として招いたこともあり、NHK名古屋放送局(CK)から全国生放送されたFMラジオ番組で共演したこともあった。

毎年末、関西のユーフォニアム奏者たちが氏を囲んで開く忘年会で、互いの近況を確認したり音楽談義をするのも恒例行事となっている。

この日おじゃました最大の目的は、所蔵されている古い「バンドジャーナル」誌(音楽之友社)を直接見せていただくことにあった。

古い雑誌は、公立の図書館でも一定期間を過ぎると破棄され、国立国会図書館でも全号が揃っていないことが多い。最後の砦は、“個人所有”となる。

「バンドジャーナル」の創刊号は 1959年(昭和34年)の10月号で、発売は9月15日だったと記録にある。フランスのギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団(公演名)が初来日する2年前のことだ。

氏は、大阪の明星高等学校音楽部の出身で、所蔵されている中で特に古い号は、音楽部の部室の改築時に貰い受けられたものや、その後に進まれた東京藝術大学時代の師である大石 清さんから譲り受けたものだとのこと。

『もっと一杯あったんですが、痛みが激しく家内に処分されたのもあって…。』と恐縮されていたが、筆者が訪れる前までに、丁寧に陰干しまでしていただいていた。

そして、テーブルに積み上げられたそれらを古い順にページをめくり始めたとき、『これは、バンドジャーナルじゃないんですが・・・。』と言われ、ふいに手渡された同じサイズの一冊の雑誌に目が釘付けになった!

それは、今や“まぼろし”の「月刊 吹奏楽研究」(発行:月刊 吹奏楽研究社)の1962年1月号(通巻75号)だった。

「月刊 吹奏楽研究」(もしくは「吹奏楽研究」)は、「バンドジャーナル」より3年早い1956年(昭和31年)創刊の吹奏楽専門誌で、編曲者としても知られた三戸知章さんが編集主幹をつとめられ、1964年(昭和39年)に廃刊になるまで、吹奏楽ファンにホットな情報を提供した。

国立国会図書館には1冊も所蔵なく、ネット上の検索システムで25冊の所蔵が確認できたのは、全国のライブラリーで唯一、東京文化会館の音楽資料館だけだった。実は、同館には三浦氏宅訪問翌日に閲覧に行く予定になっていた。

三浦氏宅で手にしたその号は、1961年11月2日(木)、東京・上野の国立博物館庭で行われた「ルーブルを中心とするフランス美術展」の開幕式で、昭和天皇、皇后両陛下を前に演奏するギャルド・レピュブリケーヌの写真(朝日新聞社撮影)が表紙を飾っていた。写真に写っている人物が全員起立しているから、国歌を演奏中のシーンと思われた。

そして、その号は、東京文化会館音楽資料館では歯抜けとなっている1冊だった!

早速ページを開くと、それは正しく“タイムカプセル”のような世界!

ギャルド関連の記事は、約3ページに渡り、とくに目を引いたのは、1961年11月3日(金・祝)の文化の日に新宿の厚生年金会館で行われた“ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団歓迎演奏会”についての1ページをこえる詳細レポートだった。

記事によると、午後6時に始まり、午後10時に及んだこの演奏会のプログラムは、つぎのようなものだった。(カッコ内氏名は、指揮者名)

■海上自衛隊東京音楽隊(高山 実)

クレッチマー:行進曲「戴冠式」
マスネ:序曲「フェードル」

■日本大学(山岡永知)

ピラジーニ:序曲「ローマの鐘」

■国立音楽大学(大橋幸夫)

グローフェ:組曲「大峡谷」より“日没”“豪雨”

■日本大学第一高校(小山光男)

スッペ:序曲「詩人と農夫」

■航空自衛隊音楽隊(松本秀喜)

シュトラウス:皇帝円舞曲
松本秀喜:日本古謡集

■武蔵野音楽大学(加藤正二)

ホルスト:バンドのための組曲第二番
陶野重雄:若人の踊り

■豊島区立第十中学(酒井正幸)

トマ:歌劇「レーモン」序曲

■東京藝術大学(山本正人)

フォーシェ:バンドのための交響曲 第1楽章

■陸上自衛隊中央音楽隊(須磨洋朔)

ファリャ:舞踏組曲「恋は魔術師」

■ギャルド・レピュブリケーヌ(フランソワ=ジュリアン・ブラン)

ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
ファリャ:三角帽子
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番

歓迎する日本側は、合計9つのバンドが登場。くしくも3つの音楽大学、3つの自衛隊音楽隊が共演するかたちとなり、東京都吹奏楽連盟加盟団体から“東京都吹奏楽コンクール”で第2位に入った豊島十中、日本大学第一高校、日本大学の3校も演奏。これが都大会優勝の代表バンドでなかったのは、11月12日(日)、東京・台東体育館で開催予定の第9回全日本吹奏楽コンクールが目前にせまっていたことも配慮されたのだろう。

記事には、各団体の演奏評も書かれているが、ギャルド以外のバンドの中では、豊島十中の演奏に対して書かれた以下の記述がとくにおもしろい。

『音楽大学のバンドの間にはさまって、少しもヒケを取らぬ少年少女の好演に、アンコールの嵐がわき、….、このために、陸上自衛隊の連隊行進曲の演奏が省略されるハメになったほどである。….。この夜の演奏会で、いちばん聴衆に感銘を与えたバンドであった。』(原文ママ)

第30話「ソノシートの頃」でお話ししたとおり、この演奏会は、朝日ソノラマがライヴ収録し、同誌1961年12月号のソノシートにギャルド・レピュブリケーヌの演奏が、1962年1月号には豊島区立第十中学校吹奏楽部の演奏が収められた。演奏会当日の空気を伝えるこの「月刊 吹奏楽研究」の評者(恐らく、三戸知章氏)の弁を読む限り、それは当然の結果だと思えた。

「月刊 吹奏楽研究」が“ギャルド来日決定”をはじめて報じたのは、1961年7月号(通巻70号)。同号では、来日するのは65名で、“45名編成のバンドに、ラッパ鼓隊20名が加わる”と紹介されている。

余談ながら、東芝音楽工業や東芝EMIが発売したギャルドのレコードやCDのジャケット写真が、吹奏楽団ではなく、馬にのった騎兵ばかりであるのは、このときに朝日新聞社を通じて東芝がゲットできた写真が“バテリー・ファンファール”の騎兵のものと40名の弦楽奏者を加えた“グラン・オーケストラ”のものだけだったからだ。

しかし、この直後、朝日新聞社がさらに折衝を重ねた結果、来日するのは“ラ・ミュジーク”と呼ばれる吹奏楽団に変更され、「月刊 吹奏楽研究」は、これを1961年8月号(通巻71号)でつぎのように報じている。

『世界最高の吹奏楽として認められるフランス巴里のギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の来日については、前号で報道してあるが最初予定された二十名のラッパ鼓隊を含む六十五名の編成のものでは、ギャルド・レピュブリケーヌの真の姿の演奏を聴くことができないうらみがあるので、主催者の朝日新聞社では、さらに折衝をかさねた結果、フルメンバー八十名が正指揮者プルーン楽長とともに来日することに決定した。』(原文ママ)

その後、「月刊 吹奏楽研究」は、同年10月号(通巻73号)で、詳細スケジュールを掲載。来日評が載った前記の1962年1月号では、招聘にあたり“朝日新聞社が三千万円を越える巨額の費用で招いた”という驚くべき事実まで報じられていた。

当時の三千万円が、いま一体どのくらいの価値になるのだろうか!?

「月刊 吹奏楽研究」が伝えるもの。

紙の上に残された一文字、一文字の重みをこれほど感じたことは無かった!!

▲EP – ギャルド・レピュブリケーヌ日本行進曲集(東芝音楽工業(Angel)、AA-4046)(再発盤)

▲EP – スーザ・マーチ集(東芝音楽工業(Angel)、AA-4506)

▲EP – 牧神の午後への前奏曲(東芝音楽工業(Angel)、AA-4625)

▲EP – ギャルド・レピュブリケーヌ日本行進曲集(東芝音楽工業(Angel)、AA-4535)(再々発売盤)

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