■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第37話 大阪府音楽団の記憶

▲LP – 吹奏楽オリジナル名曲集 Vol.1(東芝EMI、TA-60006)

▲吹奏楽オリジナル名曲集 Vol.1 – A面レーベル

▲吹奏楽オリジナル名曲集 Vol.1 – B面レーベル

かつて「大阪府音楽団」という名のプロの吹奏楽団が大阪に存在し、精力的な演奏活動を行なっていた時代があった。

全国的視野にたつと、正しく大阪ローカルな話題ではあるが、地元では今もって惜しむ声が出るほど、精緻なアンサンブルと透明なサウンドをもつひじょうにスキルの高い“ウィンド・アンサンフル”だった。

また、年間演奏回数が200回近かった年もあり、“精力的”と書いて何ら誇張のない、そんなエネルギッシュな楽団でもあった。

ん!? 「大阪府音楽団」!? いったい何だそれ!?

残念ながら、大阪以外で生活されている人にとっては、目の前で見たことも聴いたこともない存在だったろうから、“大阪”という字と“音楽団”という字が並んだ楽団名をみた瞬間、橋下市政の下で存廃問題に揺れ、市議会での廃止議決後、2014年に民営化した“オオサカ・シオン・ウインドオーケストラ”の前身「大阪市音楽団(通称:市音)」と同一視あるいは混同されてしまいがちな、正直言ってそれぐらいの認知度の楽団だったのではないだろうか。

しかし、だからだこそ、大阪ネイティブがしっかり語っておかねばならないヒストリーだってある。

「大阪府音楽団」(通称:府音)は、昭和27(1952)年10月、都道府県立としては全国唯一の職業吹奏楽団として創設。昭和天皇崩御によって元号が改まった平成元(1989)年の3月まで演奏活動を行った。37年間、実在したプロ吹奏楽団だった。

この楽団には、今やすっかり忘れられてしまった誕生前史がある。

もともと大阪府庁には、作曲家としても知られた江頭林次郎が指導、指揮をする“大阪府庁吹奏楽団”という府職員による職場のバンドがあった。彼らは、各方面のリクエストに応えて都合がつけば演奏に出向いていたが、次第に認知を得て演奏頻度が高くなるにつれ、通常の役所勤務の傍ら演奏活動を継続的に行うことが難しくなった。その結果が、府立の職業吹奏楽団創設へとつながったというわけだ。

編成は“40名前後”の中編成。

1956年から1964年まで刊行されていた月刊誌「吹奏楽研究(もしくは、月刊吹奏楽研究)」(発行:吹奏楽研究社。国会図書館には所蔵なく、全号ではないが、東京文化会館音楽資料室に所蔵を確認)の1961年3月号(No.67)の記事「プロバンドめぐり3 洋々たる前途の明るい大阪府音楽団 全国都道府県でただ一つの存在」には、沿革と38名の楽員のパート、氏名が紹介されている。

当時、大阪府知事室広報課(のち、大阪府企画部教育文化部)に所属し、同課長が団長をつとめた“府音”の演奏は、この頃、当初のマーチングやセレモニーのためのものから、ホール等におけるコンサート・バンドの活動中心へとシフトしていった。

大阪市内にあった毎日ホールや厚生会館文化ホール(後の大阪府立青少年会館)、大阪厚生年金会館中ホールなどで開かれる定期演奏会(府庁配布の招待券を持っていきさえすれば無料)では、アメリカで出版されたばかりの最新オリジナルが取り上げられることもあり、吹奏楽ファンには欠かせないコンサートとしてたいへんな人気を博した。

筆者も、1966年に府音に迎え入れられた井町 昭さんが指揮を振る定期は、欠かさず聴きに行ったものだ。

ウィリアム・シューマン(William Schuman)の「イエス涙を流したもう時(When Jesus Wept)」やロバート・ジェイガー(Robert Jager)の「アラモ(Alamo)」、アルフレッド・リード(Alfred Reed)の「パッサカリア(Passacaglia)」などをはじめてナマ演奏で聴いたのも、すべて“府音”の演奏会だった。

また、当時としてはたいへん珍しく、パウル・ヒンデミット、モートン・グールド、ヴィットリオ・ジャンニーニ、ヴィンセント・パーシケッティ、ロバート・ジェイガー、アルフレッド・リード(金管と打楽器のための)、ポール・フォーシェ、フランク・エリクソン(第1番、第2番)のオリジナル交響曲も積極的に取り上げられた。

「創設20周年記念特別演奏会」(1972年11月9日、大阪厚生年金会館大ホール)や「朝比奈 隆 音楽生活40年 記念演奏会」(1973年5月25日、フェスティバルホール)など、機を捉えては“市音”と合同の大編成のステージも企画され、大阪フィルハーモニー交響楽団や関西歌劇団との協演も行なわれた。

1972年には、FM大阪の番組「大阪府の時間」のために収録(4月17日、大阪府立青少年会館)が行われ、毎月1回、同番組で府音の演奏が放送された。このほか、FM大阪は、「創設20周年記念特別演奏会」のライヴも放送した。

また、1974年8月12~14日、箕面市民会館で録音セッションが行われた東芝EMIのLP「吹奏楽オリジナル名曲集 Vol.1」(TA-60006 / 指揮:井町 昭、朝比奈 隆、大栗 裕 / リリース:1975年2月5日)は、府音絶頂期の演奏を伝えるレコードとして、今なお評価が高い。

しかし、府音の終焉は、突如として訪れた。

当時、府音友の会が発行していた会報「Fuon Echo(フオン・エコー)」の第9号(1989年春)に掲載された大阪府音楽団長、井上 正さんの「友の会会員の皆様へ」という一文が物語る内容は衝撃的だ。

『大阪府では、昭和27年の発足以来、「府音」の名で親しまれて参りました大阪府音楽団を、平成元年度を期して管弦楽団に再編し、その運営を大阪府が新たに設立する文化振興財団に移管すべく準備を進めております。この改革は、鑑賞機会の増大や音響機器の発達・普及により、府民の皆様の求める演奏がより質の高いものへと変化してきていることを受け、音楽専門家からなる懇話会のご意見も踏まえて行うものであります。

新たな楽団におきましては、これまでの音楽団の伝統を受け継ぎ、地域での演奏活動を通じて音楽の普及に努めるとともに、バレエやオペラの演奏等を通じて。音楽文化の振興を担う活動をすすめてまいります….。』(原文ママ)

こうして誕生したのが、大阪センチュリー交響楽団(現、日本センチュリー交響楽団)で、運営母体となる大阪府文化振興財団には、府が億単位の原資を出資した。

しかし、その設立事情の説明でよく見かける“府が運営したプロ吹奏楽団、大阪府音楽団を発展的に解消する形で設立”という“オブラートに包んだきれいごと”の文言に、筆者は強い違和感を覚える。とくに“発展的”と言う言葉に対して!?

『ええか、今はオフレコやけど。“吹奏楽なんかいらん”と言いよったオーケストラ推進派の評論家がおってな。府音をめちゃくちゃにしよったんや。』

すでに鬼籍に入られてしまったが、筆者の音楽の師の一人である市音の元団長、そして大栗 裕の「吹奏楽のための“大阪俗謡による幻想曲”」の委嘱者であり、初演指揮者だった永野慶作さん(1928~2010)の言葉だ。

いつも笑顔でひじょうに温厚な氏が、これほどの怒気をはらんだ言葉を吐露されたことをこの前にも後にも聞いたことがない。それを“ひとり言”に記す責は間違いなく筆者にあるが、すでに21世紀。もはやオフレコにしておく必要はどこにもないだろう。

そう言えば、指揮者の井町さんが府音を去った後の1976年以降、府音のレパートリーはガラリと変わり、「ナマオケで第九を歌おう」とか「フラメンコ カルメン」、「ピアノ協奏曲の夕べ」、「オペラ“ヘンゼルとグレーテル”全3幕」といったようなおよそ吹奏楽らしくない演目のコンサートもしばしば開かれるようになった。ために、府音に対する音楽的興味を完全に失ない、コンサートに足を運ばなかった自分がいた。

それでも、無くなるとなると、一抹の寂しさが脳裏をよぎった。

新たなオーディションの結果、オーケストラに残留が決まった府音のメンバーは3名だったと聞く。どこが“発展的に解消”だ。

壊すのは簡単。しかし、人が壊したものは、ゼッタイ元へは戻らない。

ゆえに、前記の“Fuon Echo”で井上団長が友の会の会員に寄せたメッセージの文末に近い部分も、ぜひにも引用して記憶にとどめたいと思う。

『来る18日に開催いたします第79回定期演奏会は、大阪府音楽団として最後の演奏となります。この演奏会では、これまでの音楽団活動の集大成とするため、全プログラムを吹奏楽のオリジナル作品でまとめ、団員一同が総力を結集して取り組みます…。』

1989年3月18日(土)、八尾市文化会館プリズムホールで行われた府音最後の定期演奏会にふれた部分だ。(指揮:小田野宏之)

いろいろな想いがつまったメッセージの一言一句が心にグサリと突き刺さった!

嗚呼、大阪府音楽団!!

▲LP – 創設20周年記念 大阪府音楽団特別演奏会(日本ワールド、W-549)

▲創設20周年記念 大阪府音楽団特別演奏会 – A面レーベル

▲創設20周年記念 大阪府音楽団特別演奏会 – B面レーベル

▲創設20周年記念 大阪府音楽団特別演奏会プログラム

▲元団員がワープロ打ちで手作りした“大阪府音楽団主要演奏記録”

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