■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第35話 保科洋「パストラーレ(牧歌)」の事件簿

▲“パストラーレ”掲載の「ヤマハが選んだバンド100曲」(1989年版)

ウィンド・ミュージックの楽曲解説に手を染めたのは、1980年代のことだった。

その頃、アメリカでは、アルフレッド・リードやジェームズ・スウェアリンジェン、ロジャー・ニクソン、ジェームズ・カーナウ、ジェームズ・バーンズ、クロード・T・スミスら、わが国でもおなじみの作曲家たちの活躍がつづき、ヨーロッパでも、後に生涯の友となるフィリップ・スパークやヤン・ヴァンデルロースト、ヨハン・デメイらが創作活動を本格化させようとする、ちょうどそんな時期にあたる。

世界中から好奇心をかきたてられるニュースが毎日のように飛び込んでくる、そんな時代だった。

周囲にも、大阪市音楽団の楽曲解説や「最新 吹奏楽講座」(音楽之友社)の執筆をされた奥村 望さん、月刊誌「バンドジャーナル」(音楽之友社)に多く寄稿され、外国文献の読み解きや原稿用紙の使い方のイロハから教えていただいた橘 清三さん、戦前からの音楽解説者でヨーロッパを中心とした古い音楽資料やレコードに関する不躾な質問にいつも丁寧に答えていただいた赤松文治さん、アメリカを中心とする質問に即答いただき、廃盤になった何枚ものレコードをカセット・テープにしていただいたこともあった秋山紀夫さんなど、リスペクトする多くの先人がいた。すべて筆者の師である。

もちろん、厳しいお叱りや教育的指導を受けたこともあったが、今は、それらがすべて懐かしい。

執筆は、レコード各社や演奏団体からの依頼原稿のほか、自ら企画・制作したレコードやCD、コンサートのためのもの、1980年創刊の月刊誌「バンドピープル」の連載など、多岐にわたるが、“感想”や“印象”“批評”ではなく“解説”を書くことになったときから、常に心がけてきたことがある。

その内、最も大切だと考えていたことを列挙すると・・・。

・情報は、可能な限り原点に遡る

これは、アメリカのことはアメリカ人の書いたもの、フランスのことはフランス人の書いたものを、イギリスのことはイギリス人の書いたものを、オランダのことはオランダ人の書いたものを第一次資料とせよ、ということ。橘 清三さんや赤松文治さんの教えだ。また、楽曲のことを書く場合、疑問点が出てきたら、作曲者が存命ならば、必ず本人とコンタクトする。そうでなかったとしても、出版社や放送局、演奏団体などの関係者に照会する手間を惜しんではいけないということだ。

・徹底した現場主義

レコード会社の中には、録音されたものをヒョイと送って寄こして“解説を書いてくれ”というふざけたリクエストをするところがある。いや結構多い。しかし、解説者も万能ではない。新録音や初録音の楽曲の場合、スコアを手に録音セッションが行われる現場に出向いて勉強し、そこで流れる時間を演奏者と共有する必要がある。時には、煩がられることもあるが、現場で起こったことは、すべて血となり肉となり、文章にも自然と臨場感が出る。

・継続的な検証とアップデート

他の執筆者が書いたものも自身が書いたものも、徹底的な検証が必要。もちろん時間はかかるが、妥協はしない。また、それに伴うアップデートは、いずれ書く機会があるかも知れないので、原稿が印刷された後も関心を失ってはいけない。思わぬところから、思わぬ新事実が出てくることがあるからだ。作曲者が忘れていたことや間違っていることを逆にこちらが見つけてしまうこともある。ために、一度書いたからといって、後日使用した資料や情報の誤りに気付いたときは、それを正さず押し通すような不誠実な対応は、解説者たるもの、ゼッタイにしてはならない。解説者の“名誉”や“メンツ”など、“事実”の前にはまったく意味をもたないからだ。

しかし、ウィンド・ミュージックの音楽解説を始めると、意外なことに気がついた。

現代作曲家の近年の楽曲なのに、基礎データが分からなくなっていることがとても多いのだ。

意外なことに、全日本吹奏楽連盟や日本バンドクリニック委員会といった組織の委嘱作ですら、基礎データが整理されていない曲がいくつも出てきた。

ベートーヴェンやブラームスのことは、もっとよく知られているのに!

こんなことがあった。2018年4月9日のことだ。

筆者のこの日のテーマは、保科 洋作曲の「パストラーレ(牧歌)」(1985)だった。

日本バンドクリニック委員会が“技術的に易しく、日本人のセンスにあったオリジナル作品を”というコンセプトでスタートした委嘱シリーズで、浦田健次郎の「バラード・フォー・バンド」(1983)、兼田 敏の吹奏楽のための「交響的音頭」(1984)についで誕生した委嘱作品の第3作だ。

これは日本バンドクリニック委員会の委嘱作だから、まず、例年発行の「ヤマハが選んだバンド100曲」という日本バンドクリニック委員会が選曲や編纂にタッチしていた本を見る必要がある。しかし、チェックすると…。

スコアの一部とプログラム・ノートが掲載された楽曲紹介の頁は、1989年版にすぐ見つかったが、必要な基礎データ(初演日、初演会場名、初演指揮者名、初演演奏団体名)は、どこにもない。

ついで、手許にあったLPレコード、日本バンドクリニック監修「吹奏楽ベストセレクション ’85 Vol.1」(東芝EMI、TA-72129)をチェックするが、ここにも基礎データはない。

ただ、このレコードの演奏者が、汐澤安彦指揮、東京アカデミック・ウインド・オーケストラで、録音日は、1985年2月24-26日、会場は、尚美のバリオホールであることが判明した。

だが、この作品は、日本バンドクリニック委員会の委嘱作だ。正式な初演は、例年5月に三重県志摩市の合歓の郷で開催されていたバンドクリニックで行われているはずであり、録音日を“初演”とするにはいささか抵抗がある。“初録音”ならいいが。

そこで、作曲者のホームページをチェックすると、初演日、初演会場名、初演指揮者名は、空欄だが、初演の演奏団体名は“東京佼成ウインドオーケストラ”だと書かれてあった。

頭の中はすでに大混乱! これは、もう作曲者にお訊ねするしかない!

質問をメールで送ると、即答があった。

『当時、合歓の郷で行っていたバンドクリニックで新しい吹奏楽曲の発掘を目的として始めたシリーズの一曲です(私はその時の委員の一人でした)。当然初演は合歓の郷のホール、演奏はフェネル指揮の“東京佼成ウインドオーケトラ”です。もちろん私はその初演に立ち会いました。楽譜の出版は昭和60年5月ですので、初演はその年だと思います。(合歓の郷のクリニックは5月ですのでクリニック開催に合わせて出版したはずです)。汐澤氏の録音には立ち会っていません(彼の演奏は私の意図したテンポより速いので立ち会っていれば直したでしょう)。』(原文ママ)

初演日を除けば、すべてがクリアになった。

こうなると、最後の手立ては、演奏者だった東京佼成ウインドオーケトラだ。

早速、事務局次長でマネージャーの遠藤 敏さんに電話を入れ、当時の演奏記録の詳細が残っていないかどうか調べてもらうことになった。

そして待つこと約2時間。遠藤さんから電話がかかってきた。

『残念ながら、事務所には、当時の詳細は残っていませんでした。しかし、もう帰ってここにはいないんですが、ウチの牧野がプレイヤー時代の詳細な演奏記録を家に残しているということですので、わかるかも知れません。メールを入れておきましたので、返答があると思います。』という高い確率の可能性を示す電話だった。

話に出てくる“牧野”さんとは、長らくフルートをつとめられ、プレイヤー引退後、総務として事務所に入られた牧野正純さんのことだ。1985年当時は、もちろん現役。これは期待できる。

その後、遠藤さんから再度電話が入った。

『連絡が入りました。結論から言いますと、それは、1985年5月18日。合歓の郷では都合6回演奏したのですが、その日の2回目のコンサートに“パストラーレ”とあるそうです。手書きですが、明日FAXでそちらへ送ります。』

まるで考古学のような調査に協力していただいた遠藤、牧野の両氏には大感謝だ!!

先の保科さんからのメールには、こういう一節もあった。

『余談ですが、佼成ウインドオーケトラは合歓の郷に出演の後、演奏旅行だったので数十曲のレパートリーをもっていたのですが、フェネル氏はその中で最も好きな曲が「パストラーレ」だと言って褒めていただきました。たしかその年のクリニックには特別ゲストとしてアルフレッド・リード氏も参加しており、彼にも気に入ってもらい、後に彼が大阪府音楽団の指揮をした際に、オールリードのプログラムの中にパストラーレを加えていただきました(吹田のメイシアターホール、残念ですが日にちは覚えていません)』(原文ママ)

リード指揮の日付は、手許にある当時の“府音”の演奏記録でたちどころに判明。直ちに、2つの演奏データを結果を待ちかねていらっしゃる保科さんにメールでお知らせした。

その後、作曲者のホームページの「パストラーレ」の頁は、つぎのようにアップデートされた。

■初演データ

初演 1985.5.18
場所 合歓の郷ホール
指揮 フレデリック・フェネル
演奏 東京佼成ウィンドオーケストラ

最後に力を発揮するのは、人と人とのつながりである。ネットなどではない!

▲牧野正純さん提供の東京佼成ウインドオーケストラの演奏データ

▲牧野正純さん提供の東京佼成ウインドオーケストラの演奏データ(拡大)

▲LP – 吹奏楽ベストセレクション ’85 Vol.1」(東芝EMI、TA-72129)

▲吹奏楽ベストセレクション ’85 Vol.1」演奏メンバー

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