もし、ウィンドオーケストラの世界で1980年代から90年代にかけて起こった最もエポック・メーキングなできごとを“1つだけ挙げよ”と問われたなら、筆者なら間違いなく、この時代、それまでのアメリカの作曲家に加え、ヨーロッパの作曲家の活躍が始まったことを挙げる。
「ドラゴンの年(The Year of the Dragon)」(ウィンドオーケストラ版初演:1986年)を書いたイギリスのフィリップ・スパーク(Philip Sparke / 1951年生)、交響曲第1番「指輪物語(The Lord of the Rings)」(初演:1988年)を書いたオランダのヨハン・デメイ(Johan de Meij / 1953年生)、交響詩「スパルタクス(Spartacus)」(初演:1988年)を書いたベルギーのヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost / 1956年生)などなど、今日ヨーロッパのビッグネームとなった彼らは、この時代に衝撃作とともに登場した。
名前を挙げた3人に共通するのは、まず全員が1950年代の生まれであること。そして、国籍こそ違えども、サンダーバードやビートルズの時代に、同じものを見たり聞いたりしながら、多感な青年期を過ごしたことだ。
彼らの少し後に日本でも知られるようになった「ハリスンの夢(Harrison’s Dream)」を書いたイギリスのピーター・グレイアム(Peter Graham / 1958年生)とともに、筆者の友人たちの中でもとくに“黄金の50年世代”として、別格のつきあいをさせていただいている。(周囲には、とっくにバレているだろうが….。)
時は流れて、2018年の3月15日(木)。オランダ、リンブルフ州シッタルトのデドメイネン劇場(Schouwburg De Domijnen, Sittard)で、ある特別な演奏会が開催された。
コンサートのタイトルは、「“指輪物語”30周年演奏会(JUBILEUM 30 JAAR CONCERT – THE LORD OF THE RINGS)」。
この日は、ヨハンの出世作、交響曲第1番「指輪物語」の世界初演からちょうど30周年。ベルギーからかつて世界初演を行なった“ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団(Grand Orchestre d’Harmonie de la Musique Royale des Guides Belges)”とその時の指揮者ノルベール・ノジ(Norbert Nozy)を招き、30年前(1988年3月15日)とまったく同じプログラムをそのまま演奏するという、“指輪物語ファン”にはなんとも堪えられないマニアックな催し。
別の言い方をするなら、初演から30年たった今も楽譜がベストセラーで、いったい何千回演奏されたのか、作曲者も皆目見当がつかないというくらい大ヒットとなったこのシンフォニーの“30歳の誕生日”をみんなで祝おうという好企画だ!
(“指輪”以外のプログラムは、エクトール・ベルリオーズ(Hector Berlioz)の歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ(Benvenuto Cellini)」序曲、ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Rossini)の「序奏、主題と変奏(Introduction, Theme and Variations)」、ジュール・ストレンス(Jules Strens)の「ダンス・フュナンビュレスク(Dance Funambulesque)」の3曲。「ベンヴェヌート・チェルリーニ」序曲は、かつて、東芝EMIのCD「吹奏楽マスターピース・シリーズ 16」(TOCZ-0016)のために、ノルベール・ノジが楽長だった頃の“ギィデ”にレコーディングを依頼したなつかしい曲だ!)
このオランダでの“指輪30周年コンサート”と同じ月の3月4日(日)、大阪のザ・シンフォニーホールで行われた「大阪音楽大学第49回吹奏楽演奏会」(参照:第28話、第29話)を客演指揮するためにやってきたヤン・ヴァンデルローストとは、当然この話題で盛り上がった。
かなり早い時期から、この演奏会のことをヨハンが知らせてきていたからだ。
そのとき、ヤンは『夫婦でこの演奏会に行くんだ』と嬉しそうに話していた。
ヨハンとヤンは、若い頃、ともにトロンボーンを吹いており、筆者が2人と別々に知り合う前からの古い友人だった。ヨハンの結婚式のために、ヤンが「結婚行進曲(Wedding March)」を書き、親しい音楽仲間とともに演奏したほどの間柄だ。
なんとも羨ましい。『君は行かないのか?』と訊くヤンに、『残念ながら、行けないんだ。ヨハンとノルベールによろしく。』と言うのがやっとだった。(日本には、カクテーなんとか、という偏頭痛が起こりそうな国民的行事がある時期だった。)
その後、帰国したヤンからは、このコンサートについて、アップデートでいろいろ続報が送られてきた。現地では相当盛り上がっているようだ。で、返信のついでに“当日のプログラム”を送って欲しいと頼むと、速攻で“了解”の返信がくる。
しかし、演奏会翌日、ヤンから“印刷されたプログラムはなかった”と残念なメールがきた。なんでも、コンサートを録音したオランダの放送局PRO 4のクラシックの解説者が司会進行をつとめていたんだそうだ。
ヤンのメールはつづき、『昨夜の演奏会は、グレートだった。ヨハンも大勢の友人や仲間たちに囲まれ、ハッピーだったし、“ギィデ”の演奏もエクセレントだった…..。』とのアツい感想が、前日の興奮を生々しく伝えてくれる。
そう言えば…..。このヤンの感想を読んでいる内、ヨハンと知り合ってしばらくたった頃、彼が送ってくれた1988年3月15日の世界初演ライヴのラジオ放送(ベルギー国営放送)を録音したカセット・テープを聴いたときの興奮を思い出した。
この時、筆者の手許には、すでにピエール・キュエイペルス(Pierre Kuijpers)指揮、オランダ王国陸軍バンド(Koninklijke Militaire Kapel)の演奏盤(Koninklijke Militaire Kapel、KMK 001 / 1989)、アリ―・ヴァンベーク(Arie van Beek)指揮、アムステルダム・ウィンド・オーケストラ(Amsterdam Wind Orchestra)の演奏盤(JE Classics、900101 CD / 1990)の2枚の「指輪物語」のCDがあった。
もちろん、ともに充実した内容のCDだったが、ヨハンが送ってくれた初演が入ったカセットからは、それらとはまったく違う種類の、この交響曲がナマ演奏で聴衆に与えるであろう、音楽の内面からほとばしる熱いエネルギーが感じられたのだった。
筆者と「指輪物語」との長い旅路は、実にこの時に始まったと言っていい。
それから何年もたった大阪でヨハンと呑んだ時、『将来のプロジェクトについて、何かいいアイデアはあるかい?』と尋ねる彼に、筆者は『あのカセットで聴かせてくれた初演ライヴをCD化したらどうだい。みんな本当の初演を聴きたいのでは、と思うんだけど。』と答えた。
ヨハンは、そのとき、『あれには、少しミスがあったし…..。放送録音にはいろいろ制約があるし…。』と、あまり乗り気ではなかった。
確かに、演奏には初演につきものの小さなキズはあったし、楽譜の方も、その後マイナー・チェンジが何度か行われていた。彼がいいたいこともわからないではなかったので、この話は一旦そこで霧のように消えた。
ところがである。“指輪物語25周年”を迎えた2013年、ヨハンは突如として、「指輪物語」の手書きスコアに“ギィデ”の初演ライヴを付録CDとして付けた“超豪華本”を刊行したのだ!!
(オイオイ、そのアイデアって? けど、まあいいか!)
最終的に、この豪華本は、発想自体が話題となり、大きな注目を集めたが、本体のあまりの重量のために輸送中(とくに空輸中)の破損事故も多く、ビジネスとしては大きな成功には至らなかったようだ。
人にはそれぞれ、記憶にとどめておきたい日がある。
ヨハンにとって、それは、1988年3月15日。
交響曲第1番「指輪物語」がこの世に生まれ出た、その日だった。
▲CD – The Lord of the Rings(Koninklijke Militaire Kapel、KMK 001)
▲CD – The Amsterdam Wind Orchestra(JE Classics、900101 CD)
▲25周年豪華本 – The Lord of the Rings 25 Years