■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第31話 日本初の吹奏楽LP

▲LP – 日本コロムビア(Columbia)、KL-5005(モノラル)

▲4曲入りEP – 日本コロムビア(Columbia)、EM-144(モノラル)

▲日本コロムビア(Columbia)、KL-5005、A面レーベル

▲日本コロムビア(Columbia)、KL-5005、B面レーベル

1961年に初来日したギャルド・レピュブリケーヌ(La Musique de la Garde Repubicaine)の独占録音権を手にした東芝音楽工業の気合の入り方は、半端ではなかった。

それは、来日プログラムの掲載広告の文言(第23話)や、プログラム付属のソノシートに録音されたアナウンスの内容(第30話)にも反映されていた。

しかし、フランソワ=ジュリアン・ブラン(Francois-Julien Brun)が指揮した日本初のギャルド・レピュブリケーヌのLPレコードは、それ以前に、日本コロムビアから発売されていた。

1953年、演奏旅行で訪れたアメリカでレコーディングされ、日本では、1956年3月25日に発売された「フランス行進曲集/アメリカ行進曲集(Marches Militaires Francaises – Marches Militaires Americaines) 」(日本コロムビア、KL-5005 / モノラル)がそれだ。

このレコードには、A面のトップにフランス国歌、B面のトップにアメリカ国歌が入り、それぞれの国歌につづいてフランスのマーチが7曲、アメリカのマーチが6曲が収録されていた。

また、それは、日本初のギャルド・レピュブリケーヌのLPというだけでなく、同時に日本国内で製造・リリースされた“日本初の吹奏楽LP”でもあった。

発売元の日本コロムビアと海外のレーベル各社とのつながりは、かなり複雑だが面白い。

第2次世界大戦前、日本蓄音機商会という社名で活動していた同社は、1926年にまず英Columbiaと提携関係を結ぶ。その後、翌1927年には米Columbiaとも提携を結び、その成果として、イギリスとアメリカのColumbiaの原盤を日本国内で“コロムビア・レコード”として発売開始。商号も、戦後、1946年に“日本コロムビア”と改称したという歴史をもっている。

実は、そこに出てくる英Columbiaと米Columbiaの関係も面白い。

英Columbiaは、もともと米Columbiaのイギリス法人として作られた会社だった。しかし、やがて両社の資本関係が切れると、各々の国で別々のColumbiaレコードとして活動を開始した。当然、それぞれの録音アーティストも違ったが、日本蓄音機商会は、そんな両社と提携して“コロムビア・レコード”の日本発売を始めたことになる。

その後、英Columbiaは、1931年に“蓄音機から流れる亡くなった主人の声を聴く犬”のトレードマークでおなじみの“His Master’s Voice”(HMV)レーベルのレコードを発売していた英Gramophoneと合併。“Electric and Musical Industries Ltd”(EMI)という大レコード会社に発展した。

結果、“Columbia”と“His Master’s Voice(HMV)”は、英EMIの2大レーベルとして躍進する。

(余談ながら、日本でビクターが商標として使用している“犬のマーク”も、コロムビアが商標として使っている“音符のマーク”も、イギリスではともにE.M.I.の商標として親しまれた。)

話を日本初のギャルドのLPに戻すと、このアルバムは、日本コロムビアのほか、“仏Columbia”、“英Columbia”、“米Angel”の各レーベルからリリースされている。

■MARCHES MILITAIRES FRANCAISES ET AMERICAINES
(仏Columbia、FCX 374 / モノラル)

■MARCHING WITH THE GARDE REPUBLICAINE
(英Columbia、33SX 1051 / モノラル)

■FRENCH AND AMERICAN MILITARY MARCHES
(米Angel、35260 / モノラル)

発売各社の内、仏Columbiaは、もともと英Columbiaの子会社として設立された。もう一方の米Angelは、米Columbiaとの関係が切れて完全な別会社になった英Columbiaが、自社の音源をアメリカ国内で販売するために作られた。つまり、両者は英Columbiaの企業戦略から作られた姉妹関係にあるレーベルだ。

面白いのは、当時のAngel盤が、すべてイギリスでプレスされ、フランスで印刷した高級感のあるジャケットに入れてアメリカで販売されたことだ。その背景には、当時のアメリカの顧客が、自国プレスよりヨーロッパ・プレスに、より高いステータスと信頼を感じており、またAngelにも、ヨーロッパの高級感をそのままにアメリカの音楽ファンに届けるという確かな戦略が存在した。

しかし、ギャルドのこのアルバムに関しては、ジャケットの基本デザインと曲目は同じながら、英・米盤とフランス盤との間に顕著な違いがあった。

それは、英・米盤では、B面最後のトラック-7に入っている「アメリカ国歌」が、フランス盤では、B面トップのトラック-1に入っている点だ。これは、おもしろい。

そこで、レーベルに印刷されている原盤(マスター)の管理番号をチェックすると、フランス盤のA面が“XLX 311”、B面が“XLX 312”であるのに対し、英・米盤は、A面が同じ“XLX 311”なのに、B面は“XLX 39”と印字されている。この管理番号だけ、やけに若い。

ここで使われている記号は、最初の“X”がモノラル、次の“L”が仏Columbia、最後の“X”が12インチ(30センチ)LPに与えられるものなので、これらはすべて仏Columbiaのマスターの管理番号であることがわかる。また、数字の方は、マスターが登録された順を表す。

この事実からわかることは、1953年の録音後、まずアメリカ国歌とアメリカのマーチが入った“XLX 39”のマスタリング(もしくは原盤登録)が行われたが、何らかの事情でフランス国歌とフランスのマーチは後回しにされたこと。後日、発売が決まった際、“フランス国歌とフランスのマーチ”が入ったマスター“XLX 311”がまず登録され、同時にフランス盤用に「アメリカ国歌」の収録順を変更したB面の新マスター“XLX 312”が新たに登録されたことだ。

分かりやすく言うと、英・米発売盤が録音当時のオリジナル・プランのリリースなのに対し、フランス盤は、その後、「アメリカ国歌」の曲順が変更されたプランでプレスされたということ。恐らくは、演奏に訪れた相手国の国歌の扱いについての制作者の考え方に違いがあったのだろう。

結果、フランス盤は、両国国歌がともに各面の最初に演奏されるスタイルとなった。

日本コロムビア盤は、このフランス盤と同じスタイルでプレスされ、レーベル上の原盤の管理番号も同じ“XLX 311”と“XLX 312”だった。つまり、この日本盤は、フランス盤と同じマスターから制作されたことが判る。

この事実は、これからギャルドに録音を依頼しようとしている東芝にとっては脅威と映った。

仏Columbiaは、ピエール・デュポン(Pierre Dupont、1888~1969 / 在職:1927~1946)がギャルドの楽長に就任した後の全レコードを録音しており、ひょっとするとColumbiaとの間に専属契約のようなものが存在する可能性が懸念されたからだ。

しかし、招聘元の朝日新聞社を通じてフランス政府に照会した結果、“そのような契約はもはや存在しない”という回答を得た。東芝は、これでやっと前に進むことができた。

一方、1956年にこのアルバムをリリースした日本コロムビアも、当時は収録曲にスーザの「星条旗よ永遠なれ」やバグリーの「国民の象徴」といったおなじみの“マーチ”が入っていることに魅力を感じてマスターを取り寄せたのであり、その5年後にギャルド初来日が実現するなど、その時点では知るよしもなかった。

しかし、老舗レコード会社として誉れ高い日本コロムビアは、1960年に発足したばかりの新参者の東芝音楽工業に出し抜かれたままでは終わらなかった。

来日直前の1961年6月、ジャケットを新しく作り直し、このアルバムを再リリース(日本コロムビア、SL-3072 / モノラル)したのだ。まるで来日記念盤のようなタイミングで!!

歴史に“もし”というテーマは、つきものだ。

もし、ギャルドに専属契約が存在していたら、東芝の奇跡のテイクワン録音、フローラン・シュミットの「ディオニソスの祭り」は、間違いなく存在しなかった!!

▲LP – 仏Columbia、FCX 374(モノラル)

▲仏Columbia、FCX 374、B面レーベル

▲英Columbia、33SX 1051、B面レーベル

▲米Angel、35260、B面レーベル

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