■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第30話 ソノシートの頃

▲ソノシート – 朝日ソノラマ、1961年12月号

▲ソノシート – 朝日ソノラマ、1962年1月号

▲ソノシート – アメリカン・マーチ(朝日ソノラマ別冊、B41、1961年10月)

かつて、“ソノシート”の時代があった。

それは、1958年にフランスのレコード・メーカー“SAIP”が開発した厚みが約0.2ミリ程度の極めて薄い塩化ビニール製のレコード状音声記録メディア“フォノシート(Phonosheet)”に端を発し、日本でも1959年から製造・販売が行なわれたメディアだ。

盤の色は、白、赤、青、緑、黒などがあり、当初は音質もあまり良くなかったが、なにしろ植木 等(うえき ひとし)のヒット曲「これが男の生きる道」(1962 / 作曲:萩原哲晶 / 作詞:青山幸男)で“貰う月給は 1万なんぼ~”と歌われた時代のことだ。

大量生産方式がまだ確立していなかった一般的なレコード盤(シングル、EP、LP)がかなり高価だったため、レコードと同様に再生可能であるだけでなく、大量生産が効き安価な“ソノシート”は、さまざまなフィールドで重宝された。

また、紙のように極めて薄く、厚みがほとんどないメディアとしての特徴は、雑誌やカタログなどの冊子に付録として挟み込む音声媒体としても適しており、LPジャケットより詳細な楽曲解説や写真、歌詞まで印刷された音楽ブックやアルバム、楽譜等の紹介サンプル音源などにも活用された。

「鉄腕アトム」や「鉄人28号」、「8マン(エイトマン)」、「狼少年ケン」など、放送が始まったばかりのテレビ・アニメとタイアップし、主題歌とドラマのダイジェストを組み合わせたコミック付きの音楽ブックは、ソノシートの独壇場だった。

吹奏楽のジャンルでも、“ソノシート”は、結構使われた。

東京消防庁音楽隊(指揮:内藤清吾)や陸上自衛隊中央音楽隊(指揮:須磨洋朔)が演奏した“軍歌集”や、東京藝術大学の吹奏楽研究部出身者や教員、学生らで編成された東京吹奏楽協会(指揮:山本正人)や海外のミリタリー・バンドが演奏した“マーチ・アルバム”などが各社からリリース。中には、録音のための臨時編成のバンドだけでなく、何らかの事情で実在する吹奏楽団の名を伏せて架空のバンド名をつけて発売されたものすらあり、“ギャルド・日本吹奏楽団”(指揮:服部 正)という、かなり紛らわしい演奏団体名のバンドによるマーチ・アルバムもあった。

他方、国内外の出版社が吹奏楽の新しい楽譜を紹介するためのサンプル盤にも使われ、毎日新聞社が出場者の記念品などの目的で大阪市音楽団(指揮:辻井市太郎)の演奏で制作した“センバツ高校野球”の入場行進曲(非売品)もまた“ソノシート”だった。

しかし、吹奏楽の世界で、“ソノシート”が最も劇的な形で使われたのは、1961年のギャルド・レピュブリケーヌ初来日のときだった。

各演奏会場で聴衆が手にした公演プログラム(折り返しを除き、全38ページもあった)の巻末に、なんと“ギャルドの演奏入りのソノシート”が挟み込まれていたのだ。(第22話~第24話参照

この“ソノシート”は、男性アナウンサーによるつぎのアナウンスで始まる。

『世界最高のギャルド・レピュブリケーヌ(*)交響吹奏楽団の来日を記念して、その名演を後々まで愉しんでいただくよう、はじめての試みとして、このプログラムに同楽団の吹き込んだソノシートを付けました。シートの制作は、東芝レコード、エンジェル・レコード、キャピトル・レコード、キャップ・レコード、および東芝フォノブックを発売している東芝音楽工業で、録音テープはフランスから直送で。では、フランス国歌“ラ・マルセイエーズ”、日本国歌“君が代”、それにサンサーンス作曲“英雄行進曲”の順に、その名演を愉しんでいただきましょう。』

その後、演奏が始まり、3曲目の“英雄行進曲”の途中でフェイドアウトされて、

『東芝音楽工業では、ギャルド・レピュブリケーヌ(*)交響吹奏楽団の来日を機会に、そのレコード吹き込みを行ないます。曲目は、“軍艦マーチ”のほか、同楽団得意の曲、皆様に親しまれている曲ばかりを選び、すばらしいステレオLPとして、明春発売の予定です。どうぞ、この最高の楽団を、最高の録音、最高の品質を誇る東芝レコードでお愉しみ下さい。』

とアナウンスが入って終る。

後半のアナウンスは、レコード発売の完全な広告だが、ソノシートの収録時間のためなのか、広告アナウンスを入れるための必然からなのか、“英雄行進曲”の演奏途中でフェイドアウトされてしまうのは、どう考えても残念だった。しかし、たった今コンサートで聴いたばかりの楽団の演奏を帰宅後にも聴けるという企画、それ自体はとても斬新な発想だった。

ただ、そこまで凝ったにも関わらず、アナウンス原稿がそうなっていたからだろうが、(*)の箇所の“ギャルド・レピュブリケーヌ”が、何度聴いても“ギャルド・レプブリケーヌ”のように聴こえるのは、どうにも解せない。“ピュ”じゃなく“プ”と。

少し脱線するが、NHK-FMの番組「ブラスのひびき」の3代目のナビゲーターをつとめていた1996年のある日の収録中、番組の担当ディレクター、干場 優さんから、おかしなところで感心されたことがあった。

『“ギャルド・レピュブリケーヌ”を一度も噛まれないのは、さすがです。ウチのアナウンサーによると、これは、なんか、とても喋り辛いんだそうで、番組収録をアナウンサーでやったときは、大変なことになりました。何度録り直しをやったかわかりません。』と。

アナウンスのトレーニングなどをまったく受けずに、いきなりナビゲーターになってしまった筆者からすると、番組中お聴き苦しい場面がずいぶんあったはずで、今考えても恐縮するばかりだが、逆に滑舌のトレーニングを積んだプロのアナウンサーにとっては、“ギャルド・レピュブリケーヌ”というワードが噛みやすい一種の“難敵ワード”だったのかもしれない。

話を元に戻すと、ギャルドの初来日プログラムに、当時の最新メディアである“ソノシート”がついていたのは、かなりセンセーショナルな出来事だった。

この当時、東芝音楽工業だけでなく、ギャルド招聘元の朝日新聞社の系列にも、フランスと提携してソノシートの発行を始めていた朝日ソノプレスという会社があり、1959年12月から“音の出る雑誌”というキャッチ・フレーズで、月刊の「朝日ソノラマ」を刊行していた。

ギャルドが来日すると、同社は、1961年11月3日(金)、新宿の東京厚生年金会館で行われた“ギャルド歓迎演奏会”を収録。そのライヴ音源の一部を、「朝日ソノラマ」の1961年12年号と1962年1月号で、記事とともに取り上げた。正しく“音の出る雑誌”というスタイルで。

取り上げられた演奏は、1961年12月号に、フランソワ=ジュリアン・ブラン指揮、ギャルド・レピュブリケーヌの演奏で、フランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」、そして1962年1月号に、酒井正幸指揮、東京都豊島区立第十中学校吹奏楽部の演奏したアンブロワーズ・トマの歌劇「レーモン」序曲とカール・タイケのマーチ「旧友」だった。

同1月号に「ミュージック・プロフィル」というコラム記事を書いている大山記者の筆によると、この豊島十中の演奏には“ギャルド・レピュブリケーヌのブラン隊長みずから、絶賛の拍手を惜しまなかった”といい、日本側演奏団体の中で“最も感銘を与えた”演奏だったと紹介されている。

“豊島十中”の名は、この「朝日ソノラマ」で全国的に知られることになった。

一方のギャルドの「ハンガリー狂詩曲 第2番」も、臨場感のある録音で、クラリネットの派手なリード・ミスまで生々しく捉えている。こちらは、イントロの中で女性アナウンサーの声が被る。

『フランス美術展の開幕を飾って、ギャルド・レピュブリケーヌが来日致しました。指揮者ブラン隊長以下75名の絢爛豪華な交響吹奏楽は、毎夜の聴衆に深い感銘を与え、吹奏楽への認識を新たにしました。このリスト作曲、ハンガリア狂詩曲(**)第2番』は、さる11月3日、文化の日に行われた歓迎演奏会で録音したものでございます。』

ゆったりと落ち着いた速度で一語一語を確実に発音されているので、こちらのアナウンスでは、“ギャルド・レピュブリケーヌ”の名称はクリアだ。だが、それでもやや言い辛らそうな空気が漂っている。

しかし、一体、何なんだろうか。

“ギャルド・レピュブリケーヌ”。その栄光に満ちた名前は、ひょっとすると、プロのアナウンサー泣かせの難語だったのかも知れない。

▲ギャルド初来日プログラム – 広告頁とソノシート

▲ソノシート – スーザ・ステレオ大行進(ビクター出版、SMB-3008)の1枚

▲ソノシート – 第42回選抜高校野球大会(毎日新聞社、非売品)

▲ソノシート – バンドコンサート第1集(湖笛社、WA-1317)

▲ソノシート – ヤマハ吹奏楽シリーズ、乾杯の時ほか(ヤマハ音楽振興会、YBF-12)

▲ソノシート – 世界マーチ名曲集2(有信堂マスプレス、Maspress、62-8)

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