■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第29話 ヴァンデルローストの特別講義

▲ナティヴィタス(Nativitas)の初演ポスター

『親愛なる友、そして仲間たちへ。私は、自作のクリスマス組曲“ナティヴィタス(Nativitas)”が、12月22日(2017年)に初演された際のライヴ録音へのウェブリンクをお伝えしたいと思います。皆さんからは、組曲の元になったクリスマス・ソングやキャロルを見つけるために、多くのご親切とご助力を頂戴しました。最終的に、かなりユニークな組曲となっています…….。』

ベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)が、同国の市民合唱団“トゥールディオン合唱団(Tourdion Koor)”の35周年記念作として委嘱され、ルーベンで初演された「ナティヴィタス」の成果を知らせるため、関係者全員に送ったメールだ。

「ナティヴィタス」は、ソプラノ独唱、混声合唱、室内楽の編成で書かれたクリスマス組曲で、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、南米、アジア、北米のクリスマス・シーズンに歌われるメロディーを綴った作品だ。クリスマス・メドレーのような気楽に作られた曲ではなく、演奏時間が約23分半の演奏会用の音楽だ。

作曲者がなぜかアジアの国々の中から日本を選び、最初に“日本のクリスマス・ソングを教えて欲しい”とリクエストを受信。その後の紆余曲折をへて最終的に“日本の冬の歌”にリクエストが変更され、使用するメロディーが文部省唱歌「冬の夜」に決まるまで、あれこれ日本の旋律探しに協力したことは、第5話でお話ししたとおりだ。

冒頭のメールを受けとったのは、2018年の1月31日のことだった。

ヤンとの対話は、いつもこのような感じで突如としてスタートする。

彼が自作について知らせてきた“この種”のメールに対しては、できるだけ速やかに対応することが肝要だ。なぜなら、ヤンは、こんな時、間違いなく、言外に自作についての感想や意見を求めているからだ!!

しかし、運悪く、この日は近日中にスタジオで行なうマスタリングに備え、録音が終わったばかりの演奏を繰り返し聴いてチェックしていたため、彼の録音をダウンロードして聴く時間がまったくとれなかった。心の片隅で“これはヤバいゾ”と思いながら….。

2日後、やはり“それ(催促)”は来た。同じメールを転送するかたちで!!

これまでの長いつき合いから、この2回目のメールに速攻で返信を送ることができなかったら、心配した彼から、毎日のように同じメールがエンドレスで転送されてくることは間違いなかった。意を決した筆者はそこで作業を中断。彼の録音をダウンロードして聴くことにした。

とても美しい曲だ!! ソプラノもオケもグレードが高く、コーラスも相当練習を積んでいる。

しかし、肝心の「冬の夜」の楽章では、日本語の歌詞の発音で“アレレレッ???” とひっかかるところが2箇所あった。発音の参考用に数人の日本人歌手のクリアな録音も送ったはずなのに、これはどうにも合点がいかなかった。

そこで、同時に送られてきたスコアを見ながら再度聴くと…。『アッ!!!!』

コンピュータ浄書されたそのスコアに、ローマ字のスペルの誤植を3箇所発見!! その内1箇所は、本来は“Shakuhachi-style(尺八スタイル)”とあるべき発想の指示が“Shakuhashi-style(シャクハシ・スタイル)”となっている箇所で、それは歌唱に影響が及ばない単純な誤植で済ませることができるが、残る2箇所のローマ字歌詞のミスは致命的だった。

ヤンは、作曲にコンピュータを使わず、今もすべて手書きで作業を行なう。

このコンサートは、ヤンの手書きを浄書屋がコンピュータを使って起こした楽譜を使って行われたようだ。しかし、ヨーロッパの人がよく知らない日本語の歌だ。もし事前にスコアを見せてもらっていたら、浄書ミスに起因するこんな演奏事故は未然に防げていた可能性が高い。ヤンには、音楽全体のすばらしい印象とともに、残念ながら楽譜上に“誤植”があったことを伝えるしかなかった。

だが、この前年、2017年11月14日に受け取ったメールは、ちょっとした事件に発展した。

内容を要約すると、2018年3月5日(月)に大阪音楽大学で行う“作曲の特別講義”で教材として使う楽曲のスコアを出版社と交渉してそちらにまとめて送らせるので、購入希望の学生への販売を手伝ってほしい、というものだった。

この前日の3月4日、ザ・シンフォニーホール(大阪)で行われる「大阪音楽大学第49回吹奏楽演奏会」については、打ち合わせの会議にヤンの希望でオブザーバーとして出席したので中身は承知していたが、その後に決まったらしい演奏会翌日の特別講義については、まるで初耳の内容だった。

ヤンのメールの直後、今度は、ハル・レナード・MGBの極東マネージャー、ユルーン・ヴェルベークから、『残部は送り返してもらったらいいので、すぐ“注文数”をまとめて欲しい。』という仰天メールが入る。直ちに『この話はおかしい。とにかくペンディングだ。』と返信を入れる。

とにかく、知らないところで話がドンドン進んでいるような印象だ。と同時に、かつてブリーズ・ブラス・バンド(大阪)のミュージカル・スーパーバイザーをつとめていた頃、まだ売出し中のヤンを招聘した国内ツアーのために、突然300枚ものCDが送りつけられ、方々の楽器屋さんに頼み込んで預けたものの、それを売り切るのに結局8年以上かかった悪夢がよみがえる。

ハル・レナード・MGBが、まだデハスケと言った時代の事件で、CDは「Music for Brass~Jan Van der Roost」(de haske、10-003-3)というヤンのブラス作品を集めたコンピレーション盤だった。

そこで、ヤンの演奏会への招聘を企画された同大教授の木村寛仁さんや特別講義を企画された同じく教授の高 昌師さんなど、関係者に事情を伺う。話を聞くと、とにかく、まるで情報が噛み合っていない。それだけでなく、ヤンからの提案にかなり当惑気味だ。

ただ、ちょうどこの時、ヤンは、11月27日(月)、洗足学園音楽大学前田ホールで開催される「洗足こども短期大学幼児教育保育科ウインドバンドコンサート」の指揮のために来日する直前だった。そこで、この演奏会をオーガナイズする同大助教の滝澤尚哉さんに滞在中のフリータイムを確認し、11月26日夜のミーティングのアポをとった。

当日上京し、川崎市の溝の口で会って話を聞くと、ヤンがイメージする特別講義と大阪音大が求めているものがかなり乖離していることが判った。

ヤンは、階段教室のような大教室で、作曲を勉強中の学生と前日ステージにのった学生が大挙して聴講し、そこには全演奏曲のスコアが山積みになっている、そんな光景を思い描いていた。

そこで、ヤンには、大阪音大の作曲のクラスでは、先生とマンツーマンで勉強が行われ、作曲の学生の数は10名であること。その学生がウィンドオーケストラやブラスバンドの作曲を目指しているわけではないので、前日の吹奏楽演奏会を聴きにくるとは限らないこと。作曲を勉強する学生と演奏を勉強する学生は共通しないので、前日ステージにのった学生が翌日の作曲の特別授業を聴講する可能性は極めて低いこと。大学が教材としてスコアを買い与えることはないことなど、つぎつぎとたたみかける。

その都度、ヤンの顔は赤くなったり、青くなったりする。

そこで、今度は逆にいくつか提案を出す。

大阪音楽大学は、少数精鋭のための密度の濃い特別講義を望んでいるので、午前、午後の2コマある授業のそれぞれに、これはと思う作品を1曲ずつ選び、それをテーマにレクチャーすればいい。また、学生の手許にスコアがなくても、クラスには性能のいいオーバーヘッド・プロジェクターがあるので、それを活用したらいい。その操作は高先生が引き受けると言って下さっているなど、現実的な提案を聞いている内、ヤンの顔にも生気が戻ってくる。

この日の議論はここで終ったが、その後のメールのやりとりで、特別講義で使う曲は、「グロリオーゾ」と「いにしえの時から」の2曲に決まった。

「グロリオーゾ(Glorioso)」は、2017年2月11日(土・祝)、東京・文京シビックホール大ホールで開催された「シエナ・ウインド・オーケストラ第43回定期演奏会」のために委嘱され、ヤン自身の指揮で世界初演された近年作で、ロシアの大作曲家ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)へのオマージュとして書かれたもの。

もう一方の「いにしえの時から(From Ancient Times)」は、2010年6月18日(金)、東京・大田区民ホール アプリコで、これを聴くために来日した作曲者臨席のもと、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニーによって世界初演された作品。かつてヨーロッパ音楽に大きな影響をもたらしたフランドル楽派の作曲家たちや、ベルギーが生んだ楽器発明家アドルフ・サックス(1814~1894)へのオマージュとして書かれた力作だ。

いずれも、ヤンが敬愛する先人たちへのリスペクトから作曲をスタートさせた作品だ。

いいテーマが選ばれたな!

大阪音大のための特別講義は、2コマの時間では語り尽くせないほど濃い内容を伴った両曲に決まった。

▲CD – Music for Brass Jan Van der Roost(蘭de haske、10-003-3)

▲スコア – グロリオーゾ(Glorioso)

▲スコア – いにしえの時から(From Ancient Times)

 

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