Contents
フィリップ・スパ-ク:
交響曲第1番「大地・水・太陽・風」
Symphony No.1
EARTH、WATER、SUN、WIND(Philip Sparke)
01:作品ファイル>
[作曲年]1999年
[作曲の背景]
アメリカ合衆国アリゾナ州フラッグスタッフにキャンパスをもつノ-ザン・アリゾナ大学スク-ル・オブ・パフォ-ミング・ア-ツ(The Northern Arizona University School of Performing Arts) の委嘱により、同学の 100周年記念作として作曲。
[編成]
Piccolo <doubl.:Flute III >
Flute (Ⅰ<doubl.:Piccolo II >、II )
Oboe(Ⅰ、II)
English Horn
E♭ Clarinet
B♭ Clarinets(Ⅰ <div.> 、II <div.> 、III <div.> )
E♭ Alto Clarinet
B♭ Bass Clarinet
B♭ Contrabass Clarinet
Bassoons(Ⅰ、II )
Double Bassoon
B♭ Soprano Saxophone
E♭ Alto Saxophones(Ⅰ、II )
B♭ Tenor Saxophone
E♭ Baritone Saxophone
B♭ Trumpets (Ⅰ、II 、III 、IV )
F Horns (Ⅰ、II 、III 、IV )
Trombones (Ⅰ、II 、III 、IV )
Euphonium <div.>
Tuba <div.>
String Bass
Piano & Synthesizer
Harp
Timpani (Cymbal on Timpani head)
Mallet Percussion
(Tubular Bells、Glockenspiel、Xylophone、Vibraphone)
Percussion
(Snare Drum、Tenor Drum、Bass Drum、4 Tom Toms、Tam Tam、Bongos、
Tambourine、Triangle、2 Woodblocks、2 Temple Blocks、Maracas、
Mark Chimes、Crash Cymbals、Suspended Cymbals、
Scrape on Suspended Cymbal、Suspended Cymbal on crown)
[楽譜]
2000年、イギリスのAnglo Music Press から出版。
https://item.rakuten.co.jp/bandpower-bp/set-9912/
[初演]
1999年10月3日(日)、アメリカ合衆国アリゾナ州フラッグスタッフのノ-ザン・アリゾナ大学(Northern Arizona University) のア-ドリ-・オ-ディトリアム(Ardley Auditrium)で午後3時から催された同学演奏者による”100周年記念作コンサ-ト(NAU Centennial Commissioned Works Concert)”において、パトリシア・ホイ博士(Dr.Patricia Hoy) 指揮、NAUウィンド・シンフォニ-(The NAU Wind Symphony)の演奏により。わが国においては、2000年11月9日(木)、大阪のフェスティバルホ-ルで午後7時から催された “第81回大阪市音楽団定期演奏会” において、渡邊一正(わたなべ かずまさ)の指揮で。
【フィリップ・スパ-ク Philip Sparke】
1951年12月29日、イギリスのロンドンに生まれる。ロンドンの王立音楽カレッジ(RCM)にピアノ、トランペット、作曲を学び、作曲科のフィリップ・キャノン教授の奨めもあって、RCM在学中から主にブラス・バンド(金管楽器と打楽器によるバンド)のための作品をつぎつぎと発表するようになった。速筆、多作家で、その全ての作品がレコ-ディングもしくは放送されるという超売れっ子ぶりを発揮している。BBC放送の委嘱によってブラス・バンドのために作曲した「スカイライダ-(Skyrider)」(1985)、「オリエント急行(Orient Express)」(1986)、「スリップストリ-ム(Slipstream)」(1987)の3作がヨ-ロッパ放送ユニオン(EBU)の “新作バンド曲コンペティション” で3年連続で第1位に選ばれ、アメリカ空軍ワシントンD.C.バンドの委嘱によってウィンド・バンド(吹奏楽)のために書いた「ダンス・ム-ブメント(Dance Movements) 」(1995)がアメリカの “サドラ-国際作曲賞” を贈られるなど、国際的な受賞作品も多い。
1992年、東京佼成ウィンドオ-ケストラを指揮しての自作自演CD「オリエント急行」(佼成出版社、ヨ-ロピアン・ウィンド・サ-クル Vol.2、KOCD-3902)のレコ-ディングのために初来日。つづいて1993~1995、1998、2000年とブリ-ズ・ブラス・バンドの客演指揮者として来日するなど、わが国でもその名はさらにポピュラ-になっている。
02:ミッド・ウェスト
1999年12月、アメリカのイリノイ州シカゴで開催されている “ミッド・ウェスト・バンド&オ-ケストラ・クリニック” に参加中の大阪市音楽団プログラム編成委員の田中 弘(たなか ひろむ)さんと延原弘明(のぶはら ひろあき)さんから国際電話が入った。当時、筆者は市音自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000″(大阪市教育振興公社、OMSB-2806)の企画のサポ-トとライナ-・ノ-ト執筆を(両氏の粘りの末に)引き受けていたので、ひょっとして収録を決めた曲の楽譜入手などで何か問題が起こったのかなと思い、あいさつもそこそこに本題に入った。すると、田中さんがニュ-・ウィンドの “準備” は順調だが、ちょっと訊ねたいことがあったのでという。そして、電話の相手はすぐに延原さんに替り、つぎのような内容の話が交わされた。
延原: 実は、ステュ-ディオ・ミュ-ジック(Studio Music Co.,U.K.) のブ-スでスパやん(Philip Sparke) に新曲のスコアを見せてもらったんですけど、4楽章構成で演奏時間30分っちゅう(という)大曲なんです。「ア-ス、ウォ-タ-、サン、ウィンド」っていうんですけど、この曲のこと何か知ってはります?
樋口: タイトルは初耳ですけど、それ、前にスパやんが来たときにアリゾナかどっかのアメリカの大学のために4楽章くらいの大きな曲を書くんだと言っていた曲だと思います。そのときは、まだ未完成だったんで、 “まだ誰にも言うな” って口止めされていたんですけど。ついに出来上がったんですね
延原: エエ。ちょっと前の10月に初演されたばかりということで、そのときの演奏もスコアを見ながらCD-Rで聴かせてもらいました。なかなかエエ(いい)曲ですわ。
樋口: なるほど。前にブリ-ズ(ブリ-ズ・ブラス・バンド)がやった「月とメキシコのはざまに(Between the Moon and Mexico) 」もそうだったんですが、1曲に時間をたっぷりと掛けるようになってから作風でも新境地を切り開いているようなんで、今度のも楽しみですね。 “出来上がったらスコアを見せるから” と言ってたので、そのうちこちらにも送られてくると思いますけど、今のところは来てません。
延原: そうですか。(プログラム編成委員の)みんなとも話して、定期(演奏会)で取り上げたいと思って、そう申し入れたら、ものすごく喜んでくれはったんですけど、”来年の9月までは演奏できない” って言うんですよ。
樋口: プロテクト(委嘱者が “1年間” 独占的に演奏する権利を有する)というヤツですね。すると、つぎの秋の “定期” で演奏されたらいい。
延原: そうなんですけど、出版が来年の9月ぐらいになるということで……..。
樋口: 大丈夫。この件、必要なら彼に話しますから。
延原: そうですか!!(日本に)帰ったら、またうかがいます。
延原さんは、そう言って電話を切った。
未知の新曲を取り上げる場合、スコアやパ-ト譜の準備だけでなく、楽曲の必要に応じて楽器やエキストラ奏者の手配など、演奏にかかる事前の準備に細心の注意を払う必要がある。それに加えて、市音の場合は “大阪市” の公的な楽団であるから、 “大阪市” 内部でコンセンサスを得るだけでなく、適切な邦題も決めて、マスコミなどへのプレス・リリ-スの準備にも入らねばならない。外部から見ていると、”市音”がやっていることは、一見して、とても前向きにドンドンと新しい境地を切り開いていっているように見えているかも知れないが、パブリックな存在だけに、ひとつのことを軌道にのせるまでには事前にいくつものハ-ドルを越える必要があるのだ。
とはいえ、市音はまたまた大いなる話題を提供してくれそうな新作と “未知との遭遇”を果たしたようだ。フィリップも何と言ってスコアを送ってくるだろうか?年明けに帰国されるという田中、延原両氏のみやげ話を聞ける日がなんとも待遠しい年末となった。
03:ダブル・ブッキング
2000年1月6日、イギリスへ帰国したフィリップ(Philip Sparke) から “ミッド・ウェスト” の成果を知らせるFAXが舞いこんだ。文面には、自分の今度の新作(複数)に多くの関心が寄せられたということや、自分がプロデュ-スした新しいCDのこと、東京佼成ウィンドオ-ケストラや大阪市音楽団(市音)が2000年にどんな曲をレコ-ディングするのかといったいつもの質問が綴られていた。
筆者は7日に返信を送ったが、その中で<アメリカの大学バンドのために書いた30分を超える新作>という言いまわしで、市音から質問を受けた今度の “大作” に話題を振ってみた。世界中を相手にしているウルトラ超多忙の彼は、悪気はまったくないけれど、ときどき約束事をポカッと忘れてしまうことがある。そこで、タイミングを見計らってジャスト・フィットの質問を繰りだすと “瞬間的に約束を思い出してくれる” ことがしばしばあったからだ。果たして、打ち返しは10分もしないうちにきた。
「ディア-・ユキヒロ。来週はレコ-ディングのために留守にするけど、戻ったら我々の新しいCDを全部送るよ。ボクの人生は今とてもエキサイティングだ。そして、キミには、起こっていることのすべてを知っていてもらおうと思う。
新しい “ビッグ” な曲は初演され、 100パ-セント完全な演奏というわけではないが、曲の印象をよく伝えているそのときの録音をもっている。キミに見てもらうためにスコアとテ-プを1~2週間のうちに送る。シカゴへもスコアをもっていったんだけれど、多くの人が大きな関心を示してくれ、とくに日本からの参加者はものすごい関心を示してくれた。ボクはまず、OMSB(市音)の友人たちと出会い、そのとき、彼らは “日本における初演” を望んだ。ボクは、彼らが確実に最初にパ-ト譜を手にできるように努めようと話した。すると、彼らは “日本初演” をすることができる。それは、2000年11月に行なわれることになるだろう。
ボクは、その後で、ミスタ-・キムラ(木村吉宏さん:元市音団長、定年退職後、同団名誉指揮者)と会った。そのとき、 “彼” も自分が “初演奏” をすることを望んだ。(けれど、ボクはOMSBとのヤリトリについて切りだせなかったんだ!!!!!!)
さて、これで、キミは起っていることのすべてを知ったことになる!!!
一方、この曲の録音は、KOSEI(佼成出版社)のためのプランとしてはOKだ。だけど、ボクらは “OMSB(市音)が日本で最初の演奏機会をもつ” という、ボクが(シカゴで)した約束を固く守るべきだと思うんだ。キミもそれでOKならいいんだけど!」 (1/7付)
ここで、突然、佼成出版社の名前が出てくるのにはワケがある。当時、筆者は、1998年に発売された同社の “ヨ-ロピアン・ウィンド・サ-クル” シリ-ズ第4集「剣と王冠」(同、KOCD-3904)につづく企画をかなり前から早急に立案するように言われていたものの、父の死去とその後何年もつづくことになるわが家の大混乱の中でそのままとなっていた。
しかし、頭の中では絶えず構想を練り続けており、スパ-ク作品の中からは、「ディヴァ-ジョンズ~スイスのフォ-クソングによる変奏曲(Diversions-Variations on a Swiss Folk Song ) 」(1998)もしくは、予算とフィリップの体調が許せばブラス・バンド・オリジナルの名作「ケンブリッジ・ヴァリエ-ション(Cambridge Variations)」(1991)のウィンド・バンド・ヴァ-ジョンを新しく作る、あるいは “今度の新作” がいいのでは漠然と考えていた。そこで、このファイルの始めでふれた同じ7日付のフィリップへの返信の中で、ついでに “来るべき佼成出版社のレコ-ディングで今度の大作を取り上げるというアイディアはどうだろうか” と打診していたのだ。(最終的に、同シリ-ズの第5集「パリのスケッチ」(KOCD-3905、2000年制作) には、他の収録曲とのバランスなど、さまざまな理由から、「ディヴァ-ジョンズ」が採用された。本当に長い間、筆者がプランを練り上げるのを辛抱強く待ち、第5集を世に送り出していただいた同シリ-ズの担当責任者、水野博文さんには “敬復” 以外、申し上げる言葉が見つからない。 “フィリップの体調” を気にかけていたのは、1999年の年初に彼は長期入院を余儀なくされ、ドクタ-から最短でも15ヵ月は無理をするなと厳命されていたことを知っていたからだった。)
それにしても、フィリップからの通信を読む限り、なんともエライことになっている。1998年に定年を迎えられて市音を退職後、その名誉指揮者となられた木村さんは、その後も市音を指揮される機会はたびたびあるが、一方では広島ウィンドオ-ケストラや尼崎市吹奏楽団、近畿大学吹奏楽部など、プロ、アマチュアを問わず、広く市音以外の多くのバンドでもフリ-ランスの指揮者として活躍されている。そして、その市音にも首席指揮者をはじめ、何人も指揮者がいるわけだから、2000年11月の定期演奏会を木村さんが指揮される予定になっているとは限らない。普通に考えると、おそらく、木村さんは市音以外のバンドでの “国内初演奏” を考えていらっしゃるだろう。筆者は、両者とも付き合いが深い。現時点で、その両者がともに “初演” を望んでいるわけだ。完全なるダブル・ブッキングだ!! フィリップも困った問題を投げ掛けてきたもんだ。フィリップには木村さんが定年を迎えたことをかなり前に伝えていたが、外国人が日本の個々のバンド事情に明るいハズはなし。 “ミッド・ウェスト” の現場でも、市音と木村さんが別々に現われて個別に情報収集をする姿に多少の戸惑いもあったのだろう。文面は、まるで “なんとかしてくれ” と言っているようなもんだ。ウ~ン、困った。ただし、微妙に相前後するタイミングとなったとはいうものの、両者がほとんど同時に作品を気に入った(つまり、作品がおもしろい)ことと、フィリップが “日本で最初の演奏を市音にやってもらおう” と考えていることだけは確かだった。
しかし、翌8日に “ミッド・ウェスト土産” をもって拙宅を訪れた市音プログラム編成委員の方々に取材すると、事態はさらに深刻だった。結果的に、フィリップは、シカゴで市音の他に木村さんにもフル・スコアを手渡しているという。スコアは少なくとも2部持っていたのだな。しかし、言っていることと、やっていることが違うじゃないか。作曲者から直々にフル・スコアを手渡された木村さんも、過去に彼の作品の “日本初演” をいくつも手懸けられてきた経緯もあったので、今度の “大作” の初演にも相当意欲を燃やしていらっしゃるに違いない。しかし、今度の作品はフィリップの作曲家人生で最大規模の作品だ。その日本初演は、ウィンド・バンド(吹奏楽)の世界だけにこだわらず、理想をいうならば、広く一般のクラシック音楽の世界にも通じるステ-ジで行なわれるにこしたことがない。近年、この国でよく耳にする “誰が先に演奏したか” といった “先陣争い” の綱引きをやっている場合ではない。まずは、作品ありき。筆者は、アレコレ悩んだ末、スコアが要求する編成上のキャスティングを必ず “完璧に” 実現するステ-ジと、初演後に作曲家と作品に与えられるクリティカルなステ-タスを最優先する立場をとることとし、その夜に返信を打った。
「ディア-・フィリップ。キミの “ビッグ” な新作の日本における初演奏に関しては、ボクは市音をサポ-トする。今度の作品に限っては、責任ある立場の評論家が入る演奏会で日本に紹介されるべきだ。この件に関して、両者はきっと紳士的に話し合うことになると思う。」
04:ドラゴン
2000年1月14日、フィリップから再びFAXが入った。
「ディア-・ユキヒロ。今日、ボクら(Polyphonic)のすべての新作CDを詰め込んだパ-セルをポストに放り込んだよ。 “ビッグ” な新作 “EARTH,WATER,SUN,WIND” のテ-プも一緒に入れておいた。OMSB(大阪市音楽団)もミスタ-・キムラ(木村吉宏さん)もそのスコアを持っている。キミにもスコアを送るが、それは、とても “ビッグ!!!”なんで、別のパッケ-ジで送った方がいいと思った。新たなコピ-を作るのに1日か2日かかると思う。なにしろ、サイズが “ビッグ” なんだ。」
“スコアを両者(市音と木村さん)に渡した” という、とても大切なことを今ごろ言ってくるなんて..。ヤレヤレ、一体どうなることやら。しかし、取り急ぎ返礼しなければ。
「ディア-・フィリップ。CDや “EARTH,WATER,SUN,WIND” のテ-プとスコアの送付についての手配、本当にありがとう。作品については、とても興味深い。……(中略)……。
P.S.( “フィリップ・~” の頭文字じゃないよ・・・・):ボクは、コンピュ-タ・ネットワ-ク上の “バンドパワ-” というホ-ム・ペ-ジで新しいア-ティクルを書きはじめたところだ。ア-ティクルでは、ウィンド・バンドのためのすばらしい新作を紹介するつもりだ。そして、もしキミがホ-ム・ペ-ジをもつなら、そこで紹介できるけど。覚えておいて。」(1/14付)
3日後に返信がきた。
「ディア-・ユキヒロ。 “バンドパワ-” というウェブ・サイトのことを知ってとても興味深い。ボクはまだ自身のウェブ・サイトを持っていないけど、今作っている最中だ。それは、ボク自身のバンド作品をプロモ-トするドラゴン・ミュ-ジック(Dragon Music)のサイトになるだろう。このネ-ミング、キミは好きかい?(英語中心の)インタ-ネットが日本でどれくらい重要なのかについてまだ知らないんだけれど。しかし、ホ-ム・ペ-ジを開設したときは知らせよう。」(1/17付)
※
ん? “ドラゴン・ミュ-ジック” だって? 言葉遊びの好きなフィリップらしく、世界的ヒットとなった代表作の「ドラゴンの年(The Year of the Dragon)」(ブラス・バンド・オリジナル/1984→ウィンド・バンド・バ-ジョン/1985)に引っ掛けてのネ-ミングだが、何のことだ、これは? そういえば、いつのことだったか、こんなことがあった。
日本滞在中のフィリップが妙に真剣な顔をしながらやってきて、「ユキヒロ。とてもいいイベントのアイディアが浮かんだんだ。」というので、話を聞いてみると、
「全英選手権(National Brass Band Championships of Great Britain)の前夜祭の企画なんだけど….。」というので、 “オッ!! 何かな?” と思って身を乗り出していくと、「チャンピオンシップの前日、ロイヤル・アルバ-ト・ホ-ル(The Royal Albert Hall, London) のあのステ-ジにね、出場バンドのすべての指揮者の “ワイフ” に上がって並んでもらうんだ。そして、選手権の審査員などの関係者が出揃ったところで司会者がエリを正して発表する。 “レディ-ス・アンド・ジェントルメン。盛大なる拍手でお迎えください。厳正なる審査の結果、高名なる○○バンドの指揮者、ミスタ-××の奥様、ミセス××を、栄誉ある本年の<ドラゴン・オブ・ザ・イヤ->に決定致しました。” そこで高らかにファンファ-レが鳴り響く……..。どうだ、グッド・アイディアだろう。ワ-ッ、ハッ、ハッ!!」と高笑い。
筆者も、涙が出そうになるほどの笑いを堪えながら応酬した。「フィリップ、凄いアイディアじゃないか!! すぐに “ブリティッシュ・バンズマン”(The British Bandsman/ブラス・バンド・ファンのための有名な週刊新聞) のピ-タ-・ウィルスン(Peter Wilson/同紙編集者)にリポ-トを送ろう!! ”日本滞在中のフィリップ・スパ-クが、来たるべき全英選手権のためのとても興味深い<新作>の構想をもらした。タイトルも決定済みであり、<ドラゴン・オブ・ザ・イヤ->という” ってね。」
すると、フィリップは慌てて「ノ-、ノ-、それだけはやめてくれ。この件の “真相” がイングランドに伝わると、ボクは身の危険を感じて国へ帰れなくなってしまう!?」と大げさに応えてみせた。もちろん、言い終えた後の顔は、まるで無邪気な子供のように満面に笑みを浮かべていたが……。
洋の東西を問わず、彼の国でも “奥方” は、口から真っ赤な火を吹くように恐ろしい姿をした “ドラゴン” のような存在なんだろうか。それにしても、<ドラゴン・オブ・ザ・イヤ-(本年の “ドラゴン” )>だなんて、自作タイトルの文字を並べ替えて新作ジョ-クを作ってしまうとは……。しかも、 “全英選手権” というバンドをやっている者なら身を乗り出さざるを得ない “ピン・ボイント” のツボを押さえながら….。
フィリップとつき合っていると、一事が万事こんな調子。いつの間にか筆者もイングリッシュ・ジョ-クをかなり理解できるようになってしまった。
“ドラゴン・ミュ-ジック” については、2000年5月にフィリップ自身の出版社 “アングロ・ミュ-ジック・プレス(Anglo Music Press)”が立ち上げられたことで、疑問はすべて氷解した。当時、彼は “ドラゴン・ミュ-ジック” という社名もしくはホ-ム・ペ-ジ名を考えていたのだ。もちろん、いつもながらのフィリップ一流の “その場限りのユ-モア” とも思えたが…。
さて、そんなことを考えているところへフィリップが14日に投函したというCDとカセットが入った郵便パ-セルも届いた。早速、開封して中身を確認したが、残念ながら、その日は聴く時間がまったくとれない。翌18日に、なんとか時間をやり繰りしてカセットを聴いてみると、これが想像していた以上に大作だった。第一印象は “凄い!!” の一語。早速、フィリップに連絡を入れた。
「ディア-・フィリップ。キミの “ビッグ” な新作のカセットとポリフォニックの最新CDを送ってくれてありがとう。 “EARTH,WATER,SUN,WIND” は、とてもファンタスティックな作品だ!! いや、グレ-トだ!! ボクは “月とメキシコのはざまに(Between the Moon and Mexico)” (ブラス・バンド・オリジナル/1998)の後にキミが書き上げた傑作のひとつだと確信するよ。日本のウィンド・バンドにも向いているし。スコアをリ-ディングする日を楽しみにしている。そして、ボクは “バンドパワ-” のためにラクガキをする準備を始めるだろう。それは夏ごろになると思うけどね。蛇足ながら、出版までに質の高いレコ-ディングを作るべきだと思うよ。….(中略)….。もう一度キミの “ビッグ” な作品に “おめでとう” を言いたい!!」(1/18付)
その後しばらくの間、ふたりの間に交信は無かった。筆者はスコアが届くのをひたすら待っていたが、2月に入って、突然フィリップから次のような短いFAXが入った。
「ディア-・ユキヒロ。ちょっとキミに知らせたいことがある。ボクは、キミ用の “EARTH,WATER,SUN,WIND” のスコアの件をまったく忘れていた。けど、ボクは2週間インフルエンザで仕事を離れていたんだ! 今はもうオフィスに戻ったんで、今週中に(スコアを作って)発送するようにする。」(2/7付)
いつもながらのふたりの呑気なやりとり。スコアはそれからほどなく届いた。
05:シンフォニ-
フィリップから届いたスコアとカセットは、筆者の脳味噌を揺り動かして深い眠りから覚醒させるとても刺激的なものだった。結果、およそ30分の大作だけに聴いていても途中で邪魔が入ることは分かっていたが、バタバタと動きまわらねばならない仕事場にまでテ-プを持ち込んで辺り構わずラジカセの音量をフル・ボリュ-ムにして流しながら、何度もスコア・リ-ディングをすることになった。事情を知らない周囲の人間や来客たちには”とうとう○○○にきたか” と思われていたかも知れない。しかし、何かの用件で電話を掛けてきた愛すべき “ウィンド星人たち(??)” は、受話器の向こう側、筆者の声のバックから流れてくる “正体不明のBGM” に一様に関心を示していた。
東京の巣鴨学園吹奏楽班OB会会長の山崎武久さん(File No.01-06 参照)も、その中のひとり。氏から電話が掛かってきたとき、テ-プはちょうど “第2楽章” から “第3楽章” へと進んでいる最中だったが、 “第3楽章” のホルンの咆哮が始まると、とうとうシビレが切れてしまったのだろう、氏は用件をさっさと切り上げて「さっきからずっと気になっているんですが、今、鳴っているのはいったい何ですか?」と質問を浴びせてきた。種を明かすと、「エ-ッ!? スパ-クとは思えない曲ですね。また、新しい世界に進んだというか。イヤ-、凄い曲ですね!!」と、驚きの声を隠さない。東京からの長距離電話にもかかわらず、氏はその “気になる” テ-プが終わるまで電話を切らなかった。
4月3日、それまでに得られたさまざまな感想も含めて自分自身の印象をつぎのようにフィリップに伝えた。「ディア-・フィリップ。ボクは、送ってもらったスコアをとても愉しくリ-ディングさせてもらったよ。ほんとうにグレ-トな作品だ!! キミのいうとおり(演奏は完全ではないが)、テ-プも作品のディティ-ルをよく伝えていると思う。しかし、カセットで聴かれる最終楽章のエンディング部分の解釈はキミにとってOKなんだろうか? さらに、これはボクの提案なんだけど、もしキミがOKなら、このエンディングに “ウィンド・マシ-ン” かなんかを加えてみるというのはどうだろうか。……. 」
筆者の質問は、このライヴ・テ-プの演奏が “風(Wind)” とタイトルのつけられているこの曲の最終楽章の終わり方としては、紋切型のエンディングになっていることにかなり不満を感じたからだった。 “この指揮者の解釈は絶対におかしい。作品全体の起承転結というか、ここまで展開してきた作品のスト-リ-を台無しにしている。フィリップは曲のエンディングに、独特の感性を示すことが多い。ここはウィンドオ-ケストラのすべてのサウンドが消えていき、その演奏空間に静寂だけが残っているような充分な時間(とき)の流れが絶対に必要だ。” そう思った筆者は、結果、いつもよりずっと踏み込んだ感想をフィリップに書いていた。
返答はすぐに届いた。
「ディア-・ユキヒロ。 “EARTH、WATER、SUN、WIND” を愉しんでくれたということで喜んでいる。これは<バンドのための交響曲(Symphony for Band )>というサブ・タイトルを持つことになるだろう。
アリゾナのバンド(テ-プの演奏者)は、最終楽章のエンディングを完全にやり遂げていない。キミは正しい。しかし、ボクは曲を改良する必要はないと思う。実際、ボクは最終楽章にワザとウィンド・マシ-ンを使わなかった。最終楽章が “風” を表現した音楽であることはあまりにも明白(ボクはそう感じるのだが)で、 “風のようなサウンド” の音楽ではないことも明らかだ。この点で、それは他(の楽章)とは違っている。たとえば第3楽章、これは音の絵画(Sound-Picture) だ。今度のことは音楽についての最も興味深い事柄のひとつを明らかにした。すなわち、音楽はディスクリプティブ(叙述的)なのか、イミテイティブ(模倣的)なのか、ということを。」(4/4 付け通信)
“こいつはおもしろい!!” これまでのフィリップとのやりとり(送られてきたスコアや、その後に届いた世界初演のプログラムなどの資料も含めて)の中には “SYMPHONY” という文字はまったく見られなかった。しかしながら、4楽章構成のこの作品は、なるほど “交響曲” とサブ・タイトルをつけるにふさわしい内容をもっている。いいアイディアだ。 “シンフォニ-” 。この言葉を使うだけでウィンド・ミュ-ジックの世界に新風を巻き起こすに違いない。また、筆者の初演への不満表明に対してのフィリップは作曲家として思うところを真摯に答えてくれた。
筆者は久しぶりになんとも言えない “いい気分” に浸っていた。
06:作曲家の意志
2000年6月2日、のちに “パリのスケッチ” というタイトルで発売になる佼成出版社の “ヨ-ロピアン・ウィンド・サ-クル第5集” (演奏:東京佼成ウィンドオ-ケストラ、CD番号:KOCD-3905、同年12月発売) のレコ-ディング曲の最終合意を受けて、久しぶりにフィリップに連絡をとった。彼の作品から選んでいた数曲の録音候補曲の中から、「ディヴァ-ジョンズ~スイスのフォ-クソングによる変奏曲(Diversions-Variations on a Swiss Folk Song )」のレコ-ディングが決まったからだ。
「ディア-・フィリップ。今日は、グッド・ニュ-スがある。昨日、佼成出版社と東京佼成ウィンドオ-ケストラの今度の常任指揮者に決まったダグラス・ボストック(Douglas Bostock)は、きたるべきレコ-ディング・セッションのためにボクが提案を準備した “収録曲目” で最終的な合意をみた。….(曲目などの詳細)….。セッションは2000年9月に行なわれ、CDは12月に発売されるだろう。とてもアツアツのホットなニュ-スだ!!」
打ち返しは、ものの5分もたたない内にきた。
「ディア-・ユキヒロ。ニュ-スをありがとう! レコ-ディング曲は、ほんとうにいい音楽の組み合わせになっていると思う。もしキミがまだ連絡をとっていないなら、マ-ティン(同じく “パリのスケッチ(Paris Sketches)” のレコ-ディングが決まったエレビ-/Martin Ellerby)へはボクが連絡してもいいけど。」
このとき、フィリップはちょうど来日準備中で超多忙だったのだろう。ものすごい短いメッセ-ジだった。こちらもすぐに打ち返す。同時に、前回のやりとり以来ずっと頭の片隅を離れなかったひとつのアイディアを投げ掛けてみた。
「ディア-・フィリップ。エコ-のようなとてもクイックな返答ありがとう。マ-ティンへはすでに同じ内容のFAXを送っている。しかし、もしキミが彼に電話してくれるなら、彼はとても喜んでくれると思う。….(中略)….。. ところで、キミが<バンドのためのシンフォニ->と名付けるという大作のことなんだけど、出版する時には<交響曲 “第1番” >と印刷するというのはどうだろうか。」
かなり以前(おそらく1992年の秋頃)にフィリップと話したとき、10代半ばで管弦楽のための “シンフォニ-” を書いたことがあるときいたことがある。もっとも、作品としては限りなく “習作” に近いものだったのだろう。 “どんな曲だったの?” と話題をふってみたら、突然大笑いをして「幸いにも、どこかへいってしまって “行方不明” になっている!!」というように言ったのがとても印象に残っている。
この他、フィリップがこれまでに “シンフォニ-” とネ-ミングした作品には、アメリカのリバ-・シティ・ブラス・バンド(The River City Brass Band )の委嘱による “ピッツバ-グ交響曲(A Pittsburgh Symphony )”(1987~1991)があり、
“シンフォニエッタ(小交響曲)” とした作品には、オランダ海軍バンド(De marinierskapel der Koninklijke marine)のために作曲されて同バンドが初演し、その後、大阪市音楽団の定期演奏会のために改訂、それが決定稿となった “シンフォニエッタ第1番(Sinfonietta No.1)” (作曲:1990、改訂:1997-98)とイギリス青少年ウィンド・オ-ケストラ(The National Youth Wind Orchestra of Great Britain)の委嘱で作曲されて同ウィンド・オ-ケストラが初演し、同じく大阪市音楽団の定期演奏会のために改訂、それが決定稿となった “シンフォニエッタ第2番(Sinfonietta No.2)”(作曲:1992、改訂:1994)があった。すなわち、10代に書いたという習作に加えて、ブラス・バンドのための “交響曲” が1曲とウィンド・バンドのための “小交響曲” が2曲がすでに存在していたわけだ。
しかし、ウィンド・バンドのための “シンフォニ-” は、今度の作品が初めてとなる。筆者の発案は、将来の自作品の体系化や次回作への備え、さらには作品のタイトルから受けるインパクトなどのさまざまな理由から、初演後に新たにサブ・タイトルをつけるのなら、ナンバリングも同時に行なうべきではないかと考えたからだった。もちろん、押し付けるような類いのものではない。
このアイディアについての打ち返しはしばらく来なかった。6月中旬には来日が予定されていたし、彼も考える時間が少し必要だったのかも知れない。
8月に入って別件で連絡をとると、先の発案に対する返答も同時にきた。連絡が途絶えていた間に2人の間には案件がたまっていて、今度は2ペ-ジにわたる長文だった。
「ディア-・ユキヒロ。ボクは、フィンランドで行なわれた “第2回国際バンド・フェスティヴァル” (File No.04-05 のヤン・ヴァンデルロ-ストのコメント参照)からちょうど戻ってきたところだ。現地ではほんとうにいい時を過ごした。この催しは、ペトリ・サロ(Petri Salo)が運営し、今後さらに発展していくだろう。運営、進行はすばらしいものだった。彼は、ひょっとすると次回には日本のバンドが参加するかも知れないと話していた。バンド名は教えてくれなかったけどね。
日本でも本当にいい時を過ごした。ただし、仕事はとてもキツかった(なにしろ、10日間に8つものバンドの面倒をみることになってしまったんだ!!)。2つの自衛隊音楽隊と東京正人吹奏楽団、彼らとの出会いはとくに愉しかった。
そう。ブリ-ズ・ブラス・バンドの委嘱作は近く書きあがるよ。来週か再来週にスコアをキミに送れればいいと思っている。それは “フライング・ザ・ブリ-ズ(Flying the Breeze)” と名付けた6分ぐらいの曲だ。ボクはみんなの好きな曲になっていればいいと思っている(曲冒頭の3つの音は”バンド名の頭文字”を生かしてB-B-Bとなっているんだ!!!!!!)。
さて、ビッグ・ワ-クの件だが、ボクはこれを「EARTH、WATER、SUN、WIND- Symphony for Band」と名付ける。ボクは “交響曲第2番” が存在しても差しつかえないと認められてもいない内に、この作品を “交響曲第1番” と呼ぶことを望まなかったんだ。同時に、ボクは “交響曲” となることがその作品について最も重要な事柄であるという印象を与えてしまうことを望まなかったんだ。….(後略)….。」(8/1 付)
ご説ごもっとも。「指輪物語(The Lord of the Rings )」を書いたオランダのヨハン・デメイ(Johan de Meij )」は、将来を見越して最初からそれを “交響曲第1番” とした。アメリカのロバ-ト・E・ジェイガ-(Robert E. Jager) は、最初のシンフォニ-を “バンドのための交響曲” とネ-ミングし、東京佼成ウィンドオ-ケストラから委嘱による “第2番” を書いたのちに、前作を “ファ-スト・シンフォニ-(交響曲第1番)” と呼ぶようになった。人それぞれ、これは作曲者の特権だ。
フィリップの意志を確認した筆者は、早速、大阪市音楽団(市音)のプログラム編成委員の延原弘明(のぶはら ひろあき)さんに電話を入れ、作曲者がこの作品を “シンフォニ-・フォ-・バンド” とサブ・タイトルをつけることを決めたことを伝えた。演奏会のプレス・リリ-スやポスタ-の準備などのデッドラインが刻一刻と迫っていたからだ。
電話口の延原さんは、「オッ!! ”シンフォニ-” ですか。なかなかインパクトありますな-。早速みんなに伝えます。近いうちに邦題もちゃんと決めなあきませんし-。そんときは、また相談にのってください。」と言った。(大阪ロ-カル・ワ-ド)
日本初演(「第81回大阪音楽団定期演奏会」、2000年11月9日(木)、大阪、フェスティバルホ-ル、指揮:渡邊一正)は、「吹奏楽のための交響曲 “大地、水、太陽、風” 」という “邦題” で行なわれた。作曲者の意志を受け、この大作にさらに “交響曲” というステ-タスを加えた世界初のコンサ-トだった。
07:もしも?
フィリップの “大作” は、最終的に “作曲者の希望” どおり、2000年11月9日(木)、大阪のフェスティバルホ-ルで開催された第81回大阪市音楽団定期演奏会において、渡邊一正(わたなべ かずまさ)指揮、大阪市音楽団(市音)の演奏で日本初演された。 “最終的に” というのは、そこに至るまでに少々調整を要する案件があったからだ。つまり、作曲者の混乱もあって、この作品の日本初演を最初に名乗り出た市音だけでなく、すでに市音を定年退職されてその名誉指揮者となっていた木村吉宏(きむら よしひろ)さんにもスコアが手渡され、ほぼ同時に氏も自ら指揮するコンサ-トで日本初演を熱望されるという偶然のダブル・ブッキングが起こっていたのだ。(File No.06-03 参照)
そこでヤジウマ的興味を抱くのは、市音と作曲者の合意を知らずに作曲者からスコアを手渡されたもう一方の当事者、木村さんが一体どの演奏会でこの作品を演奏しようと考えられていたのかという点だ。ズバリ、それは、2000年4月9日(日)、大阪国際会議場メインホ-ルで開催が予定されていた近畿大学吹奏楽部第36回定期演奏会だった。
そして、筆者が作曲者に伝えた “市音と木村さんが話し合いの場をもつだろう” などという希望的観測を充たすための時間的な余裕もなく、ことは筆者の預かり知らぬところでドンドン先へ進んでいったのである。すなわち、シカゴのクリニックで得た情報を整理してスコア・リ-ディングも終え、プログラムを決めた木村さんから楽譜購入の指示を受けた近畿大学吹奏楽部は、早速、東京の楽譜輸入業者に楽譜を発注していたのだ。間近にせまった演奏会のための楽譜だから当然のことだろう。しかし、楽譜の注文を受けたイギリスのステュ-ディオ・ミュ-ジック(Studio Music Co.)からの返答は、近畿大学関係者を当惑させるものだったという。返答が作曲者自身からのもので、「作品は、今年11月に大阪市音楽団によって日本初演される。」という内容だったからである。
作曲者がそう言う以上、この件はこれにてジ・エンド。実際、ことはそのとおりに運んだのだが、ここまでの経緯を第三者的な視点から客観的にみると、先記の時点での発注はかなり “勇み足” であったことがよくわかる。同時に、市音にくらべて作品についての情報が不足していたことも否めない。大学サイドが作曲者と直接向かいあっていた訳でもなかったので無理もないが….。
すなわち、この作品の演奏権は、委嘱時の条件で<世界初演からの1年間、委嘱者であるアメリカのノ-ザン・アリゾナ大学にある>ことがシカゴのミッドウェスト・クリニックの時点でハッキリしていた。このプロテクトが解禁になるのは、2000年の秋(File No.06-02 参照)。しかも、一般に演奏可能になるためには、スコアだけでなくパ-ト譜も含めてすべての楽譜が “出版” もしくは “出版準備が完了” していることが必要だった。必ずといっていいほど初演時のリハ-サルで発見される音符や発想記号などの脱落や間違いの訂正や著作権の設定など、出版前に行なわれる作業の量は膨大だ。しかも、こんどの作品はフィリップの作曲家人生最大の作品であり、作業がそんなに簡単に終わるハズもなかった。とにかく、4月のコンサ-トに間に合わせるにはあまりにも時間が不足していた。
歴史に “IF” という興味はいつの世にもつきないテ-マだ。視点を変えて、もしもこの作品に興味をもった他の日本のバンドの演奏会が2000年10月頃にあり、その時点で楽譜が出版されていたとしたら、ことはどうなっていただろう。その場合、作曲者の意図とは関係なく楽譜は自由に輸入され、日本初演は市音ではなかった可能性がある。
しかし、現実はちょっとした偶然の積み重ねだ。現時点から遡って、その後の流れを検証していくと、まず、2000年4月末にフィリップが長年エディタ-をつとめたステュ-ディオ・ミュ-ジックを円満退社。5月に自分自身の出版社アングロ・ミュ-ジック・プレス(Anglo Music Press )を立ち上げ(つまり彼は社長だ!!)、同時に未出版の「EARTH,WATER,SUN,WIND」の著作権も同社に移行。その後、サブ・タイトルを”Symphony for Band” にすることが決定され、オランダ陸軍のミリタリ-・バンド “ヨハン・ヴィレム・フジョ-・カペル(De Johan Willem Friso Kapel)” によるレコ-ディング・セッション(CD:英Anglo Records,AR 001-3/制作:2000年)、さらに “出版楽譜” は営業戦略などの理由から “Symphony No.1″とすることになった等々、いろいろなことが重なって出版スケジュ-ルはどんどんずれ込んでいき、最終的に2000年12月のシカゴのミッドウェスト・クリニックに向けてのものとなった。これらの事実から、実は日本初演を市音以外のバンドが行なっていた可能性はほとんどなかったことがわかる。
それでは、「市音は未出版のこの作品をどうして演奏できたのだろうか?」という当然の疑問が湧いてくる。答は簡単。そして、ここからがフィリップの人間性の面目躍如とするところだった。フィリップは委嘱者との間のプロテクトも市音との “日本初演OK” の約束も守り、音符や発想記号などの修正を完了した時点で楽譜をプリント・アウトして、プロテクトの解除時期を見計らうと同時に個人練習やリハ-サルに十分間に合うタイミングで楽譜を送付してきたのだ。それが証拠に、市音がコンサ-トで使用した楽譜には、筆者に送られてきたスコアと同様、「EARTH、WATER、SUN、WIND」という原題以外、最終的にナンバリングまでされたサブ・タイトルなど存在しない。フィリップは、その一方で木村さんや大学にも配慮して、他の自作品情報を提供したそうだ。いかにも彼らしい。
招待状はいただいていたが、例によって “篭の鳥” 状態の筆者は近畿大学のコンサ-トは聴けなかった。しかし、木村さんのアツい指導もあってこの演奏会もすばらしいものになったそうだ。コンサ-トでは、フランコ・チェザリ-ニ(Franco Cesarini)の交響詩「アルプスの詩(Poema Alpestre)」やスパ-クの「ディヴァ-ジョンズ~スイスのフォ-クソングによる変奏曲(Diversions-Variartions on a Swiss Folk Song) 」など、今をときめく話題作の “日本初演” が行なわれ、いかにも木村さん好みのアグレッシブな選曲は、多くのウィンド・バンド・ファンを魅了したという。
これにて一件落着!!めでたし、めでたし。
08:音無しの構え
2000年11月9日(木)、第81回大阪市音楽団定期演奏会(指揮:渡邊一正/わたなべかずまさ、於:フェスティバルホ-ル、大阪市)で交響曲第1番「大地・水・太陽・風」の日本初演が行なわれているちょうどその頃、フィリップは、ロンドンのヒ-スロ-空港発、関西空港行きの日本航空JL422便で、一路、日本へと向かっていた。同じ月の14日(火)に大阪のザ・シンフォニ-ホ-ルで開催が予定されていたブリ-ズ・ブラス・バンドの結成10周年記念「ライムライト・コンサ-ト・セレブレ-ト20」の客演指揮者に招かれていたからだ。
▲ライムライト・コンサートのプログラム
関西空港着は10日(金)の15時すぎ。「大地・水・太陽・風」の演奏が終了してから、およそ19時間が過ぎていた。フィリップにとっては、もし、あと僅か1日早くイギリスを出国していたら、日本初演も聴くことができていたという微妙なタイミングだけに、本人に対してどう話題を振ったものか、少々頭を悩ます展開となったが、 “市音” も “ブリ-ズ” も独自のスケジュ-ルで演奏活動を行なっているからどうしようもない。偶然とは言え、何とも言えない運命のイタズラとなった。ただ、3者をよく知る筆者には、正直 “もう少しスケジュ-ル調整に手を尽くすことができていたら” という悔いが残ったのも事実だった。実際には、戦場のような毎日がそれを許さなかったけれど……。
しかし、「大地、水、太陽、風」の “本番” が行なわれていたフェスティバルホ-ルのステ-ジでは、作曲者が聴いていたらどんな反応を示していたかわからないという “思いもよらない事件” が勃発していた。本番前のゲネ・プロのときまで “機嫌よく” 響いていたシンセサイザ-が、突然の不調で、肝心なところで “まったく音が出なかった” のだ
筆者は、フィリップが到着した日の夜、 “ブリ-ズ” の関係者をまじえて食事をともにしたが、例によって “分身の術” でも使いこなせるようにでもならないかぎり演奏会など聴きにいくことなど物理的に不可能なだけに、その時点では “音無しの構え” 事件のことはまったく知らなかった。当然のことながら、フィリップには「昨日、キミの “ビッグな作品” の日本初演があったよ。詳しいリポ-トは聞いていないが、市音のことだから、きっとうまくいったに違いない。」と話題を振ることになる。フィリップも上機嫌で「OMSB(市音)のみんなに、 “心からありがとう” と伝えてほしい。」と応えていた。
▲日本初演中の市音
帰宅した筆者は、早速、演奏の手応えを確かめるべく、市音プログラム編成委員の田中 弘(たなか ひろむ)さんに電話を入れた。そして、背筋も凍るような “事件” のあらましを知った。同時に、スコアのある部分が頭に浮かんできた。問題の箇所は、第2楽章 “水(Water )” の最後の小節(出版譜では86ペ-ジの第 568小節)から始まる第3楽章 “太陽(Sun)” 冒頭の展開。 “ボリュ-ムをゼロにセットしてスタ-トし、適切な演奏レベルまでゆっくりともち上げていく(start with volume set zero and slowly bring up to appropriate performance level )” という奏者への指示があるこの小節からソッと入ってくるシンセサイザ-は、同じ箇所から同時にスタ-トするサスペンディッド・シンバルのかすかなロ-ルとともに第3楽章の冒頭部分を支配する。それがタッチ・センサ-か何かの故障で音が出なかったというのだ。電話口の田中さんも、なんともバツの悪そうな口調で話されていた。
しかし、予想だにしないハプニングが起こってしまった本番のステ-ジはどんな状況だったんだろう。表面上は何ごともなかったようなフリをしながら何とか音を立ち上げようと必死の動作をしているシンセサイザ-奏者はもとより、 “一体、何をやっているんだ” と横目で奏者を睨みつつも心の動揺を胸の奥のポケットにしまいこんで平然とタクトを振りつづける指揮者、ガイドの音を失ってしまい出るタイミングを見失うまいと必死でカウントを始める奏者……。舞台上の空気は突如としてフリ-ズしてしまったに違いない。想像するだけで背筋が凍る。
いや、もっと重要なことは “肝心の音楽がどうなってしまったか” ということだった。聴衆にとっては、演奏されている音楽は、その日初めて耳にする曲でもあり、その時点ではスコアも未出版だったから、自然、流れてくるサウンドに身を任せることになり、 “音が完全に抜け落ちていた” というほどの “重大事件” が舞台上で起こっていたことに気づいた人がいたとは思えない。もちろん、ある一定の方向(シンセサイザ-が置かれてある方向)に視線をチラチラと投げ掛ける奏者が何人もいたはずだから “何か様子が変だな” と感じた人はいたかもしれない。いや、そんなことは二の次だ。聴衆や評論家はフィリップのこの大作を最終的にどう受け止めたのだろうか。そして、一体、フィリップにはどう言ったらいいんだ。2日間思い悩んだ末、筆者は重い口を開くことにした。
「フィリップ。実は悪い知らせがある。先日、OMSB(市音)が “ビッグ・ワ-ク”を日本初演した本番で、とても残念なことに、シンセサイザ-のタッチ・センサ-がブロ-クン(故障)して音が出なかったというリポ-トが入ったんだ。」
これにはフィリップも驚いて、「エッ!? そうしたら、・・・・・・<無音>・・・・・・、タンタンタン(ウッドブロックの短い3連符)、・・・・・・<無音>・・・・・・、タンタンタン・トントントン(ふたたびウッドブロック)、・・・・・・<無音>・・・・・・ってなってしまったのか。オ-ッ!?」とオ-バ-・アクションの後、推し黙ってしまって、こちらも “音無しの構え” 。
それ以上、なんて言っていいのか分からなかったので、すぐに話題を切り替えて、その場を何とかとり繕ったが、それにしてもフィリップの落胆ぶりは話し相手のこちらにもハッキリ分かるほどのものだった。フィリップが現場にいなくて本当によかった。
09:ラジオ
フィリップに “日本初演” 中に起こった重大事件を伝えた夜、帰宅する途中、ハッとなって、もうひとつ解決せねばならないことがあることに気がついた。第81回大阪市音楽団定期演奏会は、大阪の毎日放送(MBS)が番組用にライヴ収録して、その後、そのテ-プを使ってフォンテックがCD化する計画があると聞かされていたからだ。
翌日、早速、旧知のMBSの木村 晋(きむら すすむ)さんに電話を入れた。同局の放送運営センタ-に勤務されている木村さんは、以前ラジオのディレクタ-をされていた当時には、MBSラジオ朝の名物番組「ごめんやす馬場章夫(ばんば ふみお)です」や「こども音楽コンク-ル」を担当されていただけでなく、東京佼成ウィンドオ-ケストラやブリ-ズ・ブラス・バンド(BBB)のライヴを収録して特別番組として放送された人物だ。プライベ-トの時間には、京都市の “吹奏楽団せせらぎ” で指揮者、編曲者として活動され、「Skyline ~稜線~」と題する自作を “21世紀の吹奏楽” 実行委員会主催の第3回 “饗宴” に応募作品として提出されて見事 “落選” を果たされるなど、一部知識人の間では “インフルエンザ・ヴィ-ルス” より感染力が強いことで恐れられている “ウィンド・ヴィ-ルス(!?)” の保菌者として、診断書不要の立派なキャリアをもっておられる。
1998年1月18日のMBSラジオ「ブリ-ズ・ブラス・バンド、ライヴ!!」(民間放送なのにコマ-シャルなしの1時間スペシャル番組)には、コメンテ-タ-として出演させていただいたが、そのときは、東京・渋谷のNHK放送センタ-でNHK指定の “東京弁”による「ブラスのひびき」を4本収録したその足で大阪・千里山のMBSスタジオに飛び込むという過密スケジュ-ル。スタジオに入った時点では、まだ大阪の空気を脳が十分に吸いきっておらず、脳波が完全に切り変わっていなかったんだろう。いきなり “大阪弁で番組をやってほしい” という木村さんのリクエストに即応できず、お相手の関岡 香(せきおか かおり)アナウンサ-にも迷惑のかけっぱなし。個人的にはいささか消化不良のまま収録が終ってしまうという反省が残った番組だった。しかし、スケジュ-ル的に “いやな予感” がした時点で連れていくことを決めたコルネット奏者の生川耕次郎(いくかわ こうじろう/元BBBプリンシパル・コルネット奏者/一説によると、MBSラジオの愛聴者らしい)さんが随所で “オリバ-のお好焼きソ-ス” のように味のある “コテコテの大阪弁” を繰りだしてくれたので、番組的にはかなり救われた印象がある。
それはさておき、筆者の話す用件には木村さんもかなり驚かれた様子だった。
樋口: 「木村さん、この前の大阪市音楽団の “定期” 、MBSが録音して最終的にCDとして発売されるらしいんですけど、知ってらっしゃいます?」
木村: 「ボクはノ-タッチなんですけど。ウチ(MBS)のもん(者)が関わっているのは知っています。」
樋口: 「実は、そのコンサ-トでスパ-クの新しい交響曲が演奏されたんですけど、本番でシンセサイザ-が故障して重要な箇所で音が出なかったそうなんですよ。」
木村: 「それは、エライ(たいへんな)ことがあったんですね。」
樋口: 「それでね、ちょっとお願いがあるんですけど….。先方もすでにこの問題に気づいていらっしゃるとは思うんですけど、念のため、MBS内の関係されている方に事情を説明して “その演奏はCD化してはいけない” と伝えていただけないでしょうか。私の名前を出していただいて結構です。 “ヒグチがそうワメイテいる “と。部外者がこんなこと言い出すと、 “余計なお世話” だと嫌われるかも知れませんが….。」
木村: 「どうなるかはわかりませんが、用向きは必ずお伝えするようにします。」
電話はそこで終わった。
放送局やレコ-ド会社にとって、本番で何が起こるかわからない演奏会の “ライヴ” 収録はとてもリスキ-な仕事だ。何ごとも起らず、ア-ティストも絶好調だったときは “ハッピ-そのもの” だが、予想もしないハプニングが現場で起ってしまったとき、言い換えれば、それは担当ディレクタ-の度量が計られるときでもある。放送番組の場合、ア-ティストとの事前打ち合せはもとより、社内の編成会議などに企画書を上げて、コンセンサスを得た上で放送ワク(放送日や時間)やスタッフを確保し、予算を計上して承認を受けたり、著作権の確認など、事前にクリアしなければならない仕事が山ほどある。しかし、本番での “重大事件” によっては、それらが一瞬にしてオジャン、すべて水泡に帰してしまう事態もあり得るのだ。俗に言う “おクラ入り” というヤツだ。
しかし、ディレクタ-は考える。できれば “おクラ入り” という “最悪の事態” だけは避けたい。何とか番組を成立させる方法はないものかと。
そこで収録テ-プをもう一度聴き直してみる。そして、最初に考えることは、何事もなかった曲だけでなんとか番組を組み立てることはできないかということだ。しかし、大事件が起ってしまった曲がコンサ-トの “目玉” だったりした場合、それは “番組の目玉”をも同時に失なってしまうことを意味する。それではダメだ。次に考えるのは、 “大事件のあった曲” の使える部分はないか、ということだ。プロの演奏の場合、偶発大事件の起こった問題箇所がそうそう何箇所もあるわけないので、たとえば4楽章構成の曲ならば、ひとつの楽章がダメでも、他はOKの場合がほとんどだ。
一例を挙げると、1996年8月31日のNHK-FM “ブラスのひびき” <世界のコンサ-ト>でオン・エアしたジェ-ムズ・バ-ンズ(James Barnes)の「交響曲第3番(Third Symphony)」の世界初演(1996年6月13日、大阪のザ・シンフォニ-ホ-ルにおける “第72回大阪市音楽団定期演奏会” のライヴ、指揮:木村吉宏/きむら よしひろ)の場合、第1楽章に些細なキズがあったのと、30分という放送ワク内で番組を成立させるために、第3楽章~第4楽章、それにつづく演奏者に贈られた聴衆の盛大なる拍手(初演のような作品の成果が問われるようなライヴの場合、とくに重要なファクタ-のひとつ)までを、指揮者や奏者の譜めくり音や息使いまで聞こえる楽章間のブランクも編集せずにノ-カットで放送させていただいた。演奏会の当日、作曲者とは隣どうしの席で演奏を聴いたが、大きな拍手がつづく中で、「これは、一体、誰が書いた曲なんだ!!(直訳)」と “自分が作曲者である” ことを逆説的な言い方で “誇らしげに” 、そして今演奏された音楽に感激しながら握手を求めてきたシ-ンを今でも忘れることができない。そして、ラジオという制約の多い媒体ながら、放送では当日の会場の空気をでき得るかぎりそのままお伝えできたのではないか、と思っている。
しかし、この日のライヴは、もし、放送ワクが十分にあれば全楽章ノ-カットで放送していただろう。第1楽章のキズは本当に些細なものだった。
逆に、誰が聴いてもハッキリそれとわかるキズがあってもそのまま放送されたケ-スもある。1992年8月16日のNHK-FM “生放送!!ブラスFMオ-ル・リクエスト” でオン・エアされたヨハン・デメイ(Johan de Meij) の交響曲第1番「指輪物語(Symphony nr.1 “The Lord of the Rings”)」の日本初演(1992年5月13日、大阪のザ・シンフォニ-ホ-ルにおける “第64回大阪市音楽団定期演奏会” のライヴ、指揮:木村吉宏)がそれだ。
この演奏会の当日、いつもは気さくに話しかけてくれる市音のみなさんの様子が少し違った。終演後に聞くと、NHKが定期演奏会のライヴを録音するというのは市音としては初めてのことだったらしく、プレイヤ-は異様な興奮状態にあり、中には吐き気を催す人までいたという。どうやら、団長兼常任指揮者(当時)の木村さんを説き伏せてウィンド・ミュ-ジックとしてはあまり例を見ない “演奏時間40分” という大作の演奏を提案し、 “NHK” というプレッシャ-の火種まで連れてきた筆者を避けて通っていたらしい。そんな異様な空気の中で始まった「指輪物語」が、第1楽章冒頭のファンファ-レに続いてソロ・トランペットが提示するテ-マで少しつまってしまったのだ。ピッチの安定を考えて、練習で使わなかった運指を使おうとした瞬間の事故だった。会場で演奏を聴いていた筆者は、一瞬、心の中で “アッ!?” と叫んでいた。中継車で録音中のスタッフも同様だったという。その後のアンサンブルにも多少の動揺が聴き取れる。しかし、市音はすぐに落ち着きを取り戻し、第2楽章~第3楽章~第4楽章と絶好調、第5楽章ではやや疲れが見られたものの、5つの楽章を聴き終えた心地よい余韻の残るすばらしいエンディングとなった。演奏終了後、急いで中継車に駆け付けると、NHKの梶吉洋一郎(かじよし よういちろう)ディレクタ-が満面の笑みを浮かべながら言った。「いい演奏だった。シンフォニ-ホ-ルが揺れたよ!!」最大級の賛辞だった。
指揮の木村さんは、演奏会前、市音のメンバ-には「あかんかったら(ダメだったら)、何度でも録り直しするから。」と伝達し、梶吉ディレクタ-の同意も取り付けていたという。実際に、誰でも知っている有名ア-ティストの “ライヴもの” の中にも、リハ-サルや再録テ-プなどを使ってキズをカバ-した放送やCDは結構ある。しかし、「指輪物語」の再録は行なわれなかった。たとえ編集でキズのカバ-はできても、一度緊張が解き放たれた後に無人の会場に向ってする演奏に本番と同じモチベ-ションが期待できなかった(きちんと演奏されていても、どうしても “弛んで” しまう)からだ。オン・エアは、指揮者入場から楽章間ブランクもそのままに最後の拍手までノ-カットで行なわれた。その後、このときのテ-プ(オ-プン・リ-ルのデジタル録音)を使って、市音のリクエストでCD化(CD番号:大阪市教育振興公社、OMSB-2801 )したが、このときもテ-プには一切手を加えていない。
指揮者を含め、市音の中には可能なら “録り直して欲しい” と願っていた人もきっといたに違いない。しかし、 “同じことをやれ” と言われても二度とできないこの日のような “感動のドラマ” には、そんな小手先のマジックなど必要としない。事実、NHKにとっては在京ではなく自分たちがまったく知らない “地方の楽団” にすぎなかった大阪市音楽団の起用をめぐって放送寸前まで聞こえていた “局内の雑音” が、市音が熱演する「指輪物語」のドラマがスピ-カ-から流れだした途端、ピタッと鳴りをひそめてしまった。関係者によると、この時間、NHKでは、多くの音楽番組のプロたちが演奏に聴き入っていたという。そして、大阪という一地方都市を中心に地道に演奏活動を重ねてきたウィンド・オ-ケストラ “大阪市音楽団” が広く認知された瞬間だった。こんな説得力のある演奏にハサミを入れる権利など誰にもない。音楽は瞬間芸術だ。オン・エア後の反響もすさまじいもので、梶吉ディレクタ-も筆者も自分たちが下した “全曲ノ-カット” という判断に間違いがなかったことを再確認できた。今は昔の良き思い出のひとつである。
フィリップの交響曲第1番「大地・水・太陽・風」日本初演時の “音無しの構え” 事件(File No.06-08 参照)のいきさつを聞き、作曲者の落胆を目のあたりにしたとき、過去に自分が携わったいろいろなライヴや放送番組のシ-ンが走馬灯のようによみがえってきた。もちろん、放送番組やCDを “どう作るか” という意志決定の主体は制作サイドにあり、外野がとやかく言う問題ではない。結果的に、MBSには “余計な” 申し入れをしただけに終わったが、フィリップの交響曲が入った市音のアルバム(CD番号:フォンテック、FOCD9156、制作:2001年)は、本番テ-プと本番前に同じステ-ジで行なわれたゲネ・プロの収録テ-プを編集して、制作・発売された。