2018年2月28日、ベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)が大阪・伊丹空港に降り立った。
3月4日(日)、ザ・シンフォニーホールで行なわれる「大阪音楽大学第49回吹奏楽演奏会」を客演指揮をするための来日だ。
演奏は、大阪音楽大学吹奏楽団。プログラムは、以下のようなものだった。
・横浜音祭り序曲“シティ・オブ・ローズ”
(Yokohama Festival Overture“City of Roses”)
・グロリオーゾ
(Glorioso)
・管楽器のためのアダージョ
(Adagio for Winds)
・交響詩「スパルタクス」
(Spartacus)
・フレーム・アンド・グローリー
(Flame and Glory)
・チロルの強き大地
(Tirol Terra Fortis )
・いにしえの時から
(From Ancient Times)
演奏会の責任者である同大教授の木村寛仁さんや特任准教授の伊勢敏之さん、小野川昭博さんらを中心とする招聘チームが本人のアイデアとすり合わせながら企画・選曲した内容の濃い自作自演プログラムで、アンコールにも自作から2曲が用意された。
・カンタベリー・コラール
(Canterbury Chorale)
・マーキュリー
(Mercury)
周知のとおり、ヤンのいくつかの楽曲には、出版社が楽譜を出す際に省かれたり、楽譜出版後、特別な演奏機会のために本人が書き足したなど、さまざまな事情により、出版譜に含まれないオプション・パートが存在する。
演奏会前年の9月20日、大阪音大で行なわれた事前打ち合わせで、“それらをすべて使いたい”とする大学サイドの提案をヤンは快諾。オブザーバーとして同席した筆者は、演奏予定曲の全オプション・パートの有無をヤンと確認し、“大阪音大のためのオプション譜”の用意に取り掛かった。
マネージャーなどではないが、ヤン本人の日本国内での演奏活動に備え、友人としてオプション譜を預かっているからだ。
もちろん有償貸出は一切行わない。
他方、ヤンの方からも“ザ・シンフォニーホールのオルガンを活用したい”という提案が出て、大音側もそれに同意。その結果、近年書き足された「いにしえの時から」のオルガン・パートがヤンから筆者に渡り、新たに「マーキュリー」のオルガン・パートが書き足されることになった。
過去、ヤンが指揮をした東京佼成ウインドオーケストラのレコーディング・セッション(CD:ヨーロピアン・ウィンド・サークル Vol.3“オリンピカ”/ 佼成出版社、KOCD-3903 / 1994年11月24~25日、昭島市民会館(東京都)で収録 / 1995年4月22日リリース)や、大阪市音楽団第84回定期演奏会(2002年6月13日、ザ・シンフォニーホール)、シエナ・ウインド・オーケストラ第43回定期演奏会(2017年2月11日 文京シビックホール)のような自作自演コンサートで使用されたオプション・パート譜も、筆者が取り揃えたものだ。
日本到着後、旅装を解いてたっぷり休息をとったヤンからメールが入ったのは、翌朝だった。
「Maido Yukihiro-san, genki desuka?(まいど、ユキヒロさん、元気ですか?)」
いつものように、大阪弁混じりのややこしい日本語から入ってきた。
すぐ返信し、まずは事務的な打ち合わせを済ませ、18時に終わる大学での練習の後、19時にホテルのロビーで待ち合わせて食事に出ることを確認する。
すると、「OK, thanks Yukihiro. Mata kondo!」(OK、ありがとうユキヒロ、また、こんど!)と返信がきた。
しめしめ、また日本語を間違えてるゾ!
ヤンの日本語教師(第5話参照)としては、こいつは見逃せない。
速攻で、「“また、こんど(Mata Kondo)”は、いずれ別の日に会おうという時の言い方だ。英語の“See you later.”と同じ言い回しで、その日の内にすぐ会うことになっているような場合には、“また、あとで(Mata Atode)“と言う方ががふさわしい。」と打ち返す。
これには返信がこない。きっと、ひとりで地団駄踏んでいるに違いなかった。
実は、この日は、ヤンの62回目の誕生日だった。
それにまったく気がついていないフリをして、この日は名古屋芸術大学教授の竹内雅一さんと3人で食事をする約束をしていた。実は、ヤンは名芸の名誉教授でもあった。
予約したテーブルにつくと、用意したフランス産の白ワインのボトルが運ばれ、テイスティングのあと、3つのグラスにつぎつぎと注がれていく。
各人グラスを手にしたところで、“ハッピー・ハースデー!”と叫ぶと、ヤンは目をシロクロ!!
彼は『ヤバい、みんな僕の誕生日を知っている。』と大きな声を上げたが、サプライズはとにかく大成功!!
聞けば、この日の大音での練習冒頭、「横浜音祭り序曲」のとき、ヤンがタクトを振り下ろした瞬間、学生たちは、「横浜~」ではなく“ハッピー・ハースデー”のメロディーを吹いたんだそうだ。
事前に“ハッピー・ハースデー”の楽譜を学生に渡しておき、ヤンに気づかれないよう、その背後に位置どりして指揮をした伊勢さんの仕掛けだった!!
ネタ元は、イタズラ好きのヤンが若い頃に好んでやった“音楽サプライズ”だったが、“まさか自分がやられるとは思ってなかった”というヤンの話に大笑い。その後は、互いや知人の近況報告や音楽談義で大いに盛り上がった。
翌3月2日の夕刻、この日も練習後のフリーの時間に食事の約束をしていたが、その直前、予想外のハプニングに見舞われた!
それは、演奏会の事務方トップをつとめる上田英治さんからの電話で、アンコールの「カンタベリー・コラール」と「マーキュリー」にバス・サクソフォーンを入れたいという要望が出たので、それらをpdfかFAXで至急送って欲しいというリクエストだった!
アレレ、と思った筆者は、早速、大学に渡したはずのパート譜のリストを点検するが、「カンタベリー・コラール」のバス・サクソフォーンはそのリストにあった。ということは、すでに渡っているはずだが、念のためFAXで再送付し、以前渡したパート譜の再点検を電話でお願いする。だが、「マーキュリー」のバス・サクソフォーンの話は本人から聞いたことがなく、手許にはないので、必要なら本人に書いてもらうしかないとお話しする。
関西学院大学応援団総部吹奏楽部の委嘱曲「クレセント・ムーン(Crescent Moon)」(2011)のときも、練習場でバス・サクソフォーンを吹ける学生さんがいるのを見つけて、一晩でパートを書いてきたことがあったので、スコアと時間さえあれば可能なことは知っていた。
やがて、上田さんから“カンタベリーはすでに頂いていました”と謝罪の電話が入る。残るは「マーキュリー」だ。待ち合わせの時刻がせまっていたので、とにかくその場に向う。
この日の相方は、オオサカ・シオン・ウインドオーケストラの理事長で、バス・トロンボーン奏者の石井徹哉さんだった。ヤンとは、オオサカ・シオンの名が“大阪市音楽団”だった当時に何度か客演指揮をした間柄だ。
会食の合間にも、ヤンからは現状についての質問、石井さんからは将来のビジョンなど、有意義な会話が交わされる。
しかし、話が「マーキュリー」の件に移ったとたん、ヤンは顔を曇らせ、『ここまで“マーキュリー”にバス・サクソフォーンを入れる話はなかった。』と言う。言い換えると、「マーキュリー」のバス・サクソフォーン・パートはこの世に存在しないことを意味する。筆者の手許にないのも当然だった。
これは、どうやら練習現場で出た話と思えた。プログラムを思い描くと、ラストの「いにしえの時から」(バス・サクソフォーンを必要する)の舞台上の編成のまま、直ちにアンコールに移りたいという演奏プランが見えてきた。
しかし、ヤンは自分のスコアを大学の練習場に置いてきていた。原因がどこにあるのかわからなかったが、この時点で、少なくとも「マーキュリー」に関して、指揮者、演奏現場、事務方の意志が噛み合ってないことは明らかだった。
そこで、ヤンは『スコアを持っているか?』と筆者に尋ねる。
以前レコーディングに使ったブラスバンド版とウィンド・バンド(吹奏楽)版の2種類のスコアがあることは分かっていたので、『もちろん。』と答える。
すると、『家に戻ったら、それをデータ化してメールしてほしい。』と言う。しかし、帰宅後、膨大なスコアの中からそれを探し出す時間が必要だった。
隣りでこのやりとりを聞いていたオオサカ・シオンの石井さんも、楽団事務所に「マーキュリー」がライブラリーにあるかないか、確認電話を入れる。ヤンも『スコアでなくても、高音部記号のBbバスのパートだけでもいい。』と期待するが、残念ながら、オオサカ・シオンに楽譜はなかった。
石井さんも『うちに“マーキュリー”がないとは…。』と、ガックリ。
帰宅後、約2時間、楽譜ロッカーを掻き回した結果、“それ”は出てきた!
もう深夜12時を軽く回っていたので、ヤンはきっと休んでいるはず。ヤンに“発見メール”だけを送り、タクシーで一路ホテルへ!!
フロントにスコアを預けて帰宅すると、もう1時40分近くになっていた。
翌朝、ヤンからの“受領メール”を受信!!(やれやれ!)
演奏会当日、伊勢さんに確認すると、“いにしえ”の舞台のままアンコールをやろうと言い出した張本人はヤンだったのだそうだ。(オイオイ!)
バックステージに、ハプニングはつきもの!!
かくて、「マーキュリー」バス・サクソフォーン・パートは完成した!!