■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第23話 ギャルド、テイクワンの伝説

▲EP – ギャルド・レピュブリケーヌ日本マーチ集(Angel(東芝音楽工業)、YDA-5001)▲同、包装ビニール

1961年11月に初めて日本にやってきたフランスのギャルド・レピュブリケーヌ。

前話(第22話)でもお話ししたように、その滞在17日間に日本側が見せた過熱気味の歓迎と全国に伝播した音楽的熱狂は、数ある海外アーティストの来日フィーバーの中でも極めて異例なものだった。

招聘の中心的役割を果たしたのが新聞社だっただけに、関連記事も多く、演奏活動以外の一挙手一投足までもが関心をもたれた。

NHKも、東京文化会館における2回のコンサートを収録して、テレビ(モノクロ)、AMラジオ、FMラジオの実験放送を通じ、合計8本のライヴ番組を全国放送した。

当時の報道や記録の断片を精査すると、NHKのライヴ以外にも、少なくとも、11月3日(金)の東京厚生年金会館(新宿)での歓迎演奏会と、同12日(日)の東京・台東体育館における第9回全日本吹奏楽コンクール特別演奏でも記録録音が行われている。

とくに後者は、当時、全日本吹奏楽コンクールの出場団体に当日の実況録音テープをプレゼントしていたソニーによってステレオ録音されたもので、翌11月13日(月)にソニー工場を訪れたギャルド一行の前で再生された。

ギャルド・レピュブリケーヌにとって、これは極めてエポック・メイキングな出来事だった。

なぜなら、1961年の来日までにリリースされた彼らのレコードがすべてモノラル録音だったからだ。つまり、彼らは極東の地の日本ではじめて自分たちのライヴ演奏のステレオ録音を聴いたことになる。

そして、この滞在期間中、“後世に残す”という意味で最も重要なできごとが、公演スケジュール終了後の11月16日(木)、東京・杉並公会堂で行われた東芝音楽工業によるレコーディングだった。離日の1日前のことだ。

ソノシートもついた全38ページ(折り返しを除く)の公演プログラムの36ページに掲載された《東芝レコードがご家庭に贈る!》と文字が躍る広告には、以下のような予告が入っている。

『ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団演奏のLPステレオ盤 ナポレオン時代からの歴史と伝統を誇る世界最高の大吹奏楽団の来朝を記念して、東芝レコードがこの素晴らしい演奏を録音いたしました。当楽団演奏のレパートリーの中から、軍艦マーチなど、皆様よくご存知のマーチ8曲を収録した25cmLPステレオ・レコードが、カッティング、録音技術、盤質の優秀性を誇る東芝レコードによって、来春発売の予定です。皆様のお気に召す演奏で、充分ご満足いただけるものと確信しております。』(原文ママ)

時系列の視点で見るなら、この広告が世に出た時点では、実際にはまだ録音は行なわれていない。しかし、ここでのフライング気味の表現も、このレコードにかける東芝サイドのモチベーションの発露と考えるとわからないでもない。

コロムビアやビクター、キング、テイチクといった戦前からある老舗レコード会社とは違い、東芝のレコード事業は、戦後にスタートした完全な後発組。東京芝浦電気のレコード部門が移管されて東芝音楽工業が発足したのも、実はギャルド来日のわずか1年前の1960年10月1日のことだった。

広告からは、何が何でもフェイルできないという空気すら漂ってくる。

さて、当時、数寄屋橋にあった朝日新聞東京本社と同じビル内に入っていた東芝音楽工業がギャルド来日を知ったのは、その年の2月のことだった。

このあたりの事情は、1962年4月の「バンドジャーナル」(第4巻第4号 / 音楽之友社)に6ページを割いて掲載されているレコード発売を期した記事「ギャルド・レピュブリケーヌの日本行進曲集レコード発売記念座談会」に詳しい。

出席者は、須磨洋朔(陸上自衛隊中央音楽隊長)、辻 豊(朝日新聞企画部)、野宮 勲(東芝音楽工業文芸部)、秋山紀夫(バンドジャーナル編集部)、大石 清(同)の5氏。

主役は、フランス人を相手に丁々発止のやりとりをした朝日の辻さんと東芝のディレクターの野宮さんの2人。また、須磨さんは、公演で日本人の曲として唯一取り上げられ、東芝のセッションでも録音された『大空』の作曲者で、11月11日(土)の東京文化会館のコンサートでは、客演指揮者としてステージに上がられ、このマーチと『禿山の一夜』を指揮されている。

座談会記事によると、レコーディングに至る経緯は、およそ以下のようなものだ。

招聘元の朝日から話を聞いた東芝は、早速、朝日との間で独占録音契約を取り交わし、録音希望曲を日本のマーチ8曲に定めて楽譜を送付。しかし、この送付が、東芝→朝日→フランス大使館→フランス陸軍省→ギャルド・レピュブリケーヌという何ステップもある正式ルートを踏まねばならず、返答もこの逆をたどることから、夏頃に至っても受け取られたかのかどうか返事が来ず、念のため慌てて楽譜を再度揃えて送る破目になった。

しかし、2回目もとうとう返事が来ず、11月を迎えて彼らは日本には着いたが、本当に録音をやってくれるのかどうか、やきもきしながら準備を進めたのだという。

当然、日本側は、録音をやってくれるのかを楽長フランソワ=ジュリアン・ブラン(Francois-Julien Brun)に確認するが、“やらないとは言わない”との返答。

なにしろ、その日のコンサートの演奏曲目すら、当日にならないとはっきりしないこの楽団のことだ。座談会の野宮さんの弁によると、録音の確約がもらえたのは“なんと11月15日、吹込前日の夕方”だったそうだ。(“吹込”という言葉が時代を感じさせる!)

録音当日も、東芝録音チームは、午前10時からの音出し予定に備えてホールで待機。しかし、彼らがバスでホールに着いたのは、11時近く。

後年、仕事でご一緒することが多くなった東芝EMIの佐藤方紀さんら、野宮さんの後輩にあたる方々から聞いた話(即ち、東芝に伝わる伝説)によると、ここからの展開が傑作だ。

楽員到着からほどなくハイヤーで到着した指揮者フランソワ=ジュリアン・ブランは、にこやかな笑顔で野宮さんにこう訊いた。

『どうしても残しておきたい曲が3つあるが、録音してくれるかな?』

野宮さんが了承すると、ブランは11時30分から13時までを割いてその3曲を猛練習。さあ、いよいよ録音開始かと思ったところで、一同バスで新宿へ向かい、昼食タイム。当然、録音スタッフのイライラはもう最高潮!

しかし、15時すぎに戻ってきた彼らは、15時30分からのセッションで、これら3曲をすべてテイクワンで録り終えてしまった。野宮さんは、日本の習慣でセカンド・テイクをリクエストしたが、返ってきた言葉が『何度やっても同じ。』で、テイク終了!

この時、録音されたのが、後日発売されるやたいへん大きな話題となった『アルルの女』組曲第2番から“ファランドール”(ビゼー)、『牧神の午後への前奏曲』(ドビュッシー)、『ディオニソスの祭り』(フローラン・シュミット)の3曲だった。

セッションは、ここで、指揮者が副楽長レイモン・リシャール(Raymond Richard)に交代。東芝がリクエストしたマーチの録音が始まった。公演Bプロで演奏された『大空』以外は、彼らがこの日初めて見る譜面ばかりだった。

しかし、ここでもギャルドは伝説を作る。

『軍艦行進曲』(瀬戸口藤吉)で始まったセッションは、練習1回 – 本番1回のペースで、アッという間に6曲を録り終え、そこで彼らは、2曲を残したまま、ガサゴソと楽器を片付け始めてしまった。

慌てた野宮さんが理由を訊ねると、“つまらない”と答えが返ってきたそうだ。

社命により日本のマーチばかり8曲の録音をリクエストした最終結末がこれだった。当時、東芝も“吹奏楽=マーチ”で固まっていたから、これは仕方がない。一方のブランも、マーチの録音にはまったく興味がなかったのだろう。

東芝は、当初、広告にもあるように、片面にマーチ4曲ずつが入った計8曲入りの25センチ盤LPの発売を考えていたが、マーチが6曲しか録音できなかったため、2曲入りの17センチ・シングルと6曲入りのEP盤用に編集して、“全日本吹奏楽連盟推薦”盤としてそれぞれモノラル盤とステレオ盤をリリース。この日の録音から、マーチが入った計8種類のレコードが出来上がった。(6曲入りステレオEP: YDA-5001 / 発売: 1962年3月)

一方のブランが“どうしても残したい”と語った残る3曲は、それからしばらくたった1962年7月に25センチのステレオ盤LP(5SA-5003)でリリースされ、アッと言う間に売り切れ。品切れとなってしまった。

この中に、シュミットの『ディオニソスの祭り』が入っていた。

ひょっとして今もまだ続いているかもしれないが、吹奏楽に対するレコード会社の認識と演奏現場のニーズが見事なほどズレていた、今や昔の物語である。

▲シングル盤(モノラル) – 軍艦行進曲 – 君が代行進曲(Angel(東芝)、HJ-5001)▲シングル盤(ステレオ) – 立派な青年 – コバルトの空(Angel(東芝)、SA-7005)▲25センチLP(ステレオ) – GARDE EN STEREO(Angel(東芝)、5SA-5003)

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