■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第22話 ギャルド1961の伝説

▲初来日プログラム – 表紙

▲初来日プログラム – 表紙裏

▲初来日プログラム – 中表紙

フランスから“ギャルド・レピュブリケーヌ”が初来日したのは、1961(昭和36)年11月のことだった。

その年の11月3日から翌年の1月15日まで東京・上野の国立博物館で開催された「ルーブルを中心とするフランス美術展」の開幕を期して朝日新聞社が招聘したものだ。

当初は、煌びやかなユニフォームを身にまとい馬上演奏を行なうギャルドのバテリー・ファンファールの招聘が企画されたが、最終的にラ・ミュジーク(吹奏楽団)の来日となった。

滞在中使われたアーティスト名は、“ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団”。

指揮者は、楽長フランソワ=ジュリアン・ブラン(Francois-Julien Brun, Chef de la Musique et du Orchestre)と副楽長レイモン・リシャール(Raymond Richard, Captaine, Chef Adjoint du Orchestre)の2人で、来日したのは総勢76名。

彼らは、11月1日からの17日間の滞在期間中、美術展開幕のための公式儀礼特別演奏のほか、東京、大阪、八幡(福岡県)、京都、名古屋、高崎(群馬県)の6都市で計8回のフル・コンサートや公開講座、レコーディングなど、隙間が無いほどビッシリ組まれたスケジュールを精力的にこなした。

11/1(水) 来日(羽田空港着 エールフランス特別機)

11/2(木) 「ルーブルを中心とするフランス美術展」開幕式
(東京 / 国立博物館庭 / 屋外演奏)

11/3(金) ギャルド歓迎演奏会出演(東京厚生年金会館)

11/4(土) 公開講座(東京 / 朝日講堂)

11/5(日) コンサート(東京文化会館) Aプロ

11/6(月) コンサート(大阪 / フェスティバルホール) Aプロ

11/7(火) 公開講座(大阪 / 朝日講堂)

11/8(水) コンサート(福岡県八幡 / 八幡製鉄体育館) Bプロ

11/9(木) コンサート(京都会館) Bプロ

11/10(金) コンサート(名古屋市公会堂) Cプロ

11/11(土) コンサート(東京文化会館) Bプロ

11/12(日) 第9回全日本吹奏楽コンクール特別演奏
(東京 / 台東体育館)

11/13(月) ソニー工場訪問 / サクソフォン・カルテット演奏
サヨナラ・コンサート(東京体育館)  Cプロ

11/14(火) 皇居内、宮内庁楽部訪問 / 日管工場訪問

11/15(水) コンサート(高崎 / 群馬音楽センター) Aプロ

11/16(木) レコーディング(東京 / 杉並公会堂)
レセプション(朝日新聞社会長宅)

11/17(金) 離日(羽田空港発 エールフランス特別機)

全日本吹奏楽連盟が共催したこのツアーは、羽田空港到着時の陸上自衛隊中央音楽隊および大田区中・高連合バンドによる歓迎演奏(11/1)に始まり、陸海空自衛隊や東京藝大、連盟所属の中・高吹奏楽部による歓迎演奏会(11/3)、帰国時のソニー吹奏楽団による送別演奏(11/17)まで、主に東京圏の連盟をあげてのサポートとなった。

これは、吹奏楽連盟として前例がないほどの歓迎ぶりであり、この時、実際にナマ演奏に接した興奮と熱狂は、1962年1月発行の「バンドジャーナル」(第4巻第1号 / 音楽之友社)の特集「ギャルドを聞いて」で、専門家から中学生まで、実に多くの人々の筆でアツく語られることになった。

事前発表されていたプログラムは、つぎの3つだった。

A:歌劇「タンホイザ―」序曲(ヴァーグナー)、トッカータとフーガ 二短調(バッハ)、歌劇「イーゴリ公」から“ダッタン人の踊り”(ボロディン)、交響曲第9番「新世界から」(ドヴォルザーク)、「アルルの女」組曲第1番(ビゼー)、牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)、英雄行進曲(サンサーンス)

B:「ハンガリー狂詩曲」第2番(リスト)、歌劇「ウィリアム・テル」序曲(ロッシーニ)、行進曲「大空」(須磨洋朔)、交響詩「禿山の一夜」(ムソルグスキー)、序曲「ローマの謝肉祭」(ベルリーズ)、ボレロ(ラヴェル)、「アルルの女」組曲第2番(ビゼー)

C:交響詩「レ・プレリュード」(リスト)、歌劇「魔弾の射手」序曲(ウェーバー)、歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲(ヴァーグナー)、イタリア奇想曲(チャイコフスキー)、歌劇「ゴエスカス」から“間奏曲”(グラナドス)、歌劇「カルメン」抜粋(ビゼー)、スペイン狂詩曲(シャブリエ)

しかし、実際には、曲順も含め、プログラムはしばしば差し替えが行われ、まるでサプライズのようにレスピーギの交響詩「ローマの松」(全曲)やファリャの「三角帽子」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲、シュミットの「ディオニソスの祭り」が取り上げられ、「ダフニスとクロエ」は第9回全日本吹奏楽コンクールの特別演奏でも演奏された。

東京の3公演については、赤松文治さんが自費出版された労作「栄光のギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」(1988 / 制作:音楽之友社)に詳細に記述されている。

アンコールが「ハンガリー狂詩曲」第2番だったこともあった!

演奏レパートリーは、シュミットを除き、大部分が管弦楽からのトランスクリプションだったが、多くがその後の日本の吹奏楽レパートリーにつぎつぎととり入れられていった事実1つをとっても、この初来日時の印象が、まるで一種の衝撃波のように日本列島の隅々まで伝わっていったことがよくわかる。

また、11月5日(日)の東京文化会館のコンサートは、NHKがテレビ収録。ラジオ用のステレオ音声収録も同時に行なわれ、まず、11月10日(金)、午後8時30分から、AMラジオの“NHK第1放送”と“NHK第2放送”の同時放送によるステレオ30分番組「夜のステレオ」で、「トッカータとフーガ」、「ダッタン人の踊り」「ファランドール」(アルルの女から)を放送。演奏会一週間後の11月12日(日)には、総合テレビで午前11時30分からの30分番組「音楽のひととき」で、「牧神の午後への前奏曲」、「英雄行進曲」、「ファランドール」(同)が放送された。当時の新聞番組欄には、「ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団演奏会 牧神の午後への前奏曲」他、とある。

その後、11月26日(日)には、教育テレビ、午後8時からの2時間番組「芸術劇場」で、「ウィリアム・テル序曲」、「ハンガリー狂詩曲」 第2番、「ボレロ」、「ローマの松」が、12月3日(日)にも、札幌エリアを除き、総合テレビ、午前11時30分からの「音楽のひととき」で、「ウィリアム・テル序曲」と「ファランドール」が放送されている。

NHKは、当時すでにビデオレコーダーを使っていたのだ。

元NHKプロデューサーで古くからの友人である梶吉洋一郎さんにこの件を確認すると、当時ギャルドのテレビ番組があったことに驚きながらも、『この頃には、もうあった。当時は、白黒映像で音声はモノラル。しかし、ビデオテープがひじょうに高価だったため、一度使ったテープを使いまわししていた時代だから、もう番組映像は残っていないハズ。』との回答を得た。NHKの看板番組の“大河ドラマ”まで放送後に消して、別の番組の収録に使っていた時代だ。この映像が出てくることは、恐らくもうないだろう。

NHKは、11月11日(土)の東京文化会館のコンサートもラジオ用にステレオで音声収録し、テレビ放送もあった12月3日(日)、ほぼ同時刻の午前11時からAMラジオによる1時間番組「立体音楽堂」としてオンエアされた。当時の新聞番組欄には、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団演奏会から 序曲「ローマの謝肉祭」(ベルリオーズ)、交響詩「ローマの松」(レスピーギ)、ボレロ(ラヴェル)の3曲の曲名が載っている。

さらに、年を開けた1962年2月25日(日)、午前11時からの「立体音楽堂」でも、「ハンガリー狂詩曲」第2番、「大空」、「はげ山の一夜」、「アルルの女 組曲第2番」が放送されている。

「立体音楽堂」は、FMステレオ放送の登場以前にあった人気番組で、AMラジオ(モノラル放送)の“NHK第1放送”と“NHK第2放送”から、それぞれステレオ音源の片チャンネルの音を出し、リスナーはラジオを2台準備して、一方を“第1放送”に、もう一方を“第2放送”にチューニングしてステレオで愉しむという、とても野心的な放送だった。

(以上2本の「立体音楽堂」は、FMの実験放送でも同時刻にモノラル放送されている。)

AM2波を使ったステレオ放送の欠点は、ラジオが1台しかない場合、辛抱して片チャンネルだけを聴かねばならないということだったが、AMラジオの電波を1波しか持たない民放もNHKのこの動きに追従し、例えば日本放送と文化放送というように、他局とタッグを組んで音楽番組をステレオ放送で流すことも実際に行われていた。

ただ、実際には、全てのリスナーがまったく同じ性能のラジオを2台揃えていることは有り得なかった。このため、ステレオ放送の魅力を体現するためにAMチューナーを2つ備えたラジオが発売されたこともあった。

我が家には、何故か、この番組を聴くための同じ型のAMラジオが2台あり、オーディオ好き、音楽好きの父が、仕事の無い日曜に、嬉々としてNHKのステレオ番組を愉しんでいた記憶がある。少年時代の筆者も、訳が分からないまま、いつも座布団に正座して聴かされた。ギャルドが来日時にレコーディングしたEPレコードもあった。

いずれにせよ、記憶は遠くなりにけり。

1990年代にNHK-FM「ブラスのひびき」のコメンテーターをつとめさせていただいた時、スタジオや収録現場でお世話になったベテラン・スタッフから、まるで少年のように嬉々とした顔で聞かされたギャルドと向き合った時の興奮と臨場感あふれるストーリー。

その語り部たちの多くもすでに故人となった。

1961年のギャルド初来日は、今や歴史の1コマ、伝説と化してしまったのかも知れない。

▲昭和36年11月7日(火) 朝日新聞 夕刊3版4面

▲昭和36年11月12日(日) 朝日新聞 朝刊12版9面

▲昭和36年12月3日(日) 毎日新聞 朝刊13版9面

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