■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第17話 ブラック・ダイク・ミルズ・バンド初来日

▲ブラック・ダイク・ミルズ・バンド 日本ツアー1984プログラム

イギリスの“ブラック・ダイク・ミルズ・バンド(Black Dyke Mills Band)”が初来日したのは、1984年のことだった。

1970年のナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド、1979年の救世軍ウェリントン・シタデル・バンド(ニュージーランド)、1980年のレイランド・ヴィークルズ・バンド(イギリス)につぐ、4番目の来日ブラスバンドだ。

東京のブージー・アンド・ホークス社(現ビュッフェ・クランポン)が招聘したこの年の日本ツアーは、5/29(火):富士文化センター(静岡県富士市)を皮切りに、5/30(水):愛知厚生年金会館(愛知県名古屋市)、6/2(土):尼崎市総合文化センターアルカイックホール(兵庫県尼崎市)、6/3(日):福岡郵便貯金会館大ホール、6/5(火):簡易保険ホール(東京)、6/6(水):栃木県教育会館大ホール(栃木県宇都宮市)、6/7(木):郡山市民会館(福島県郡山市)に至る全7公演。

いずれも、コンサート開催地やその近隣で“ブラスバンド”の芽が少しずつ芽吹くか芽吹き始めている場所での開催であり、さすがは“ベッソン”ブランドの管楽器を扱う会社のマーケティングとリサーチの成果だと感じさせた。

▲ブラック・ダイク・ミルズ・バンド1984公演広告

しかし、当時の日本の音楽界では、まだ“ブラスバンド”自体についてあまりよく知られていない実態が一方にあった。相当高名な吹奏楽指導者の中でも、『日本では木管楽器の入る吹奏楽が盛んなので、金管だけなんて、そんなのダメだよ。』とか『うるさいだけだ!』、あるいは『まったく関心がありません。』などなど、信じられないくらい一方的かつネガティブな反応が圧倒的だった。

偶然、この年の秋には、フランスのギャルド・レピュブリケーヌの日本ツアー(招聘:ジャパン・アーツ)もあったので、『うちの子らは、そちらに行かせます。』と言ってまったく相手にしてもらえなかった吹奏楽部顧問の先生も結構いたという。

別の次元では、ナマを聴いたこともない筈なのに、“ブラスバンド”を最下層の音楽と決めつける高名な音楽大学の先生もいた。いわゆる“管弦楽至上主義”である。『オーケストラで使われていない楽器は、音楽としては認められません。』という発言も実際に聞いた。

そんな逆境の中、初来日が決まったブラック・ダイク・ミルズだったが、21世紀の現時点から振り返ると、この1984年の来日は、いろいろな意味で本当にいいタイミングで行なわれた日本初上陸だったように思える。

1975年に就任したプロフェッショナル・コンダクター、ピーター・パークス(Major Peter W. Parkes)の指揮の下、来日までの9年間に、ブラック・ダイク・ミルズは、全英選手権(Nationals)で5度(1975、1976、1977、1979、1981)、全英オープン選手権(British Open)で3度(1976、1977、1983)、ヨーロピアン選手権で5度(1978、1979、1982、1983、1984)、王座に輝いていた。また、日本ツアー翌年の1985年には、5月5日のヨーロピアン、9月7日の全英オープン、10月6日の全英という3大タイトルすべてに優勝する“グランド・スラム(The ‘Grand Slum’)”まで達成している。

1984年の来日は、バンドとしてのピークに行われたものだったのだ。

レコ―ディングも快調で、パークスが就任した1975年から1984年までの9年間だけを例にとっても、英Decca、英RCA、英Chandosの各レーベルから計20タイトル(選手権のライヴ盤やアメリカから録音依頼された2枚のプライベート盤を除く)のLPアルバムがリリース。ライセンス関係のあったRVCや日本コロムビアから一部が日本プレスとしてリリースされたこともあった。

この内、とくに1977年リリースの「British Music for Brass Band」(英RCA – Red Seal、RL 25078)と1982年リリースの「Blitz」(英Chandos、BBRD 1014)は、ブラスバンド史に残るアルバムとして高く評されている。

▲LP – British Music for Brass Band (英RCA Red Seal、RL 25078)

後者は、日本でも「ブリッツ – ロンドン大空襲」(日本コロムビア(Chandos)、OB-7388-CD)として、音質が格段にいいという触れ込みの超重量盤でリリースされ、オーディオ・マニアにも大いに注目された。このアルバムで、デリック・ブルジョワ(Derek Bourgeois)の衝撃作『ブリッツ(Blitz)』に出会い、“これはいったい何なんだ!?”と狂喜乱舞したファンも多かったように思う。イギリスでは後にCD化(英Chandos、CHAN 8370)されたが、筆者は、オリジナルの英盤LPから受けたぶん殴られたような圧倒的な衝撃感が忘れられない。

▲LP – Blitz (英Chandos、BBRD 1014)

ブラック・ダイク・ミルズ・バンドが初来日した1984年。それは、それまでのクラシック音楽の尺度では測ることのできない“ブラスバンド・オリジナル”がつぎつぎと産ぶ声を上げ始めた、そんなタイミングの年でもあった。

例を挙げると、フィリップ・スパークの「ドラゴンの年」がウェールズでコーリー・バンドによって初演されたのも、ブラック・ダイク・ミルズ日本滞在中に向こうで起こった出来事。その同じ日(6/2)、筆者は、尼崎のアルカイックホールで初来日のブラック・ダイク・ミルズを堪能していた!

舞台上では、ブラック・ダイク・バンドの現音楽監督、首席指揮者であるニコラス・チャイルズ(Nicholas Childs)をして、“ブラスバンド界のゴッド・ファーザーだった”と言わしめたピーター・パークスが、髪の毛の乱れなどものともせず、燃え上がるようなタクトを振り、プリンシパル・コルネットの席にはフィリップ・マッキャン(Philip McCann)、アシスタント・プリンシパル・コルネットにはデヴィッド・キング(David King)、ソプラノ・コルネットにはケヴィン・クロックフォード(Kevin Crockford)、フリューゲルホーンにはデヴィッド・ポグスン(David Pogson)、テナーホーンにはサンディー・スミス(Sandy Smith)、バリトンにはピーター・クリスチャン(Peter Christian)、ユーフォニアムにはジョン・クラフ(John Clough)、トロンボーンにはジョン・メインズ(John Maines)という、今日でもリスペクトされる名手たちがいた。

▲上3枚はいずれも「バンドピープル」1984年8月号より

来日した彼らは、大方の予想を大きく裏切り、各地で熱烈な歓迎を受けた。また、東京・五反田の簡易保険ホール(ゆうぽうと)におけるライヴは、NHKがテレビ収録し、1時間番組にまとめられて、7月7日(日)、午後2時40分から総合テレビでステレオ放送された。番組名は「輝くブラスアンサンブル」。いろいろな柵(しがらみ)があるのか、番組名に“ブラスバンド”を使うことができなかったところが、いかにもNHKらしい。

この番組のラストあたりで、実際にナマを聴いた人々がコンサート直後の率直な感想を口々に語るシーンがあった。

『参りましたねー。ヤラレター!! 全然違う、響きが……。』

『なんか安心するというか、聴いてて……。』

『なにしろ、ちょっと人間離れした演奏でした。もう、ちょっと日本じゃ考えられないような…。あんなに吹ける人があれだけ揃っているって、見たことないです。』

『やっぱり、音楽を楽しんでいるという感じがイイナーと思いました。』

(以上、NHKテレビ番組より)

月刊「バンドピープル」からも、編集長の冨田尚義さんとカメラマンの関戸基敬さんの2人が会場で徹底取材。演奏に感動しただけでなく、1984年8月号に来日メンバー全員の名前とセクション・フォトが残された。今からみると、それらは歴史の貴重な証人だ。

“来日記念盤”は、キングからリリースされた。

「新世界交響曲 全英チャンピオン/ブラック・ダイク・ミルズ・バンド」(キング(London)、K25C-336)というアルバム(LP)がそれだ。

原盤は、1975年に全英選手権優勝を飾った記念盤的アルバム(英Decca、SB 324 / リリース:1976)で、ジャケットには、選手権の会場であるロンドンのロイヤル・アルバート・ホールの外で優勝カップを手にした指揮者2人を取り巻くメンバーが歓喜するモノクロ写真が使われていた。指揮者は、パークスと当時レジデント・コンダクターだったロイ・ニューサム(Roy Newsome)の2人。セッション盤だが、ライブ感溢れるいいアルバムだ。

▲LP – Sounds of Brass Series / Black Dyke Mills Band (英Decca、SB 324

当然、筆者は原盤を持っていたが、来日を記憶にとどめるため、公演に先行して発売された日本盤を買いに走り、いきつけのレコード店で現物を手にした。しかし、つぎの瞬間、信じがたいショックと激しい羞恥心に襲われた!

ジャケット裏の解説面の写真が、このアルバムの録音セッション当時のものから、レジデント・コンダクターがトレヴァー・ウォームズリー(Trevor Walmsley)に代わっていた1982年撮影のものになっていたが、それはまだいい。

信じられなかったのは、ジャケットに印刷された指揮者パークスのファミリーネームのスペル“Parkes”から“e”の一文字がスルリと抜け落ち、“Parks”になっていたことだ。

みるみる怪訝な顔になっていく筆者に、顔なじみの店員が心配そうに声をかける。

『いや、あなたのせいではありません。』と言って勘定を済ませ、持ち帰ってさらによく見ると、ジャケット裏もレーベル面もすべて“Parks”と印刷されていた。これは単純なチェック・ミスで済まされるような誤植ではない。指揮者名をすべて間違えるなんて!!

“一体、なんてことをしでかしてくれたんだ!”

とても残念な気持ちになった筆者は、これから来日する彼らに気持ち良く演奏して欲しいとの願いから、すぐ東京のブージー・アンド・ホークスに電話を入れた。

『今度の来日記念盤だけは、指揮者のパークスに見せない方がいい。』と。

▲LP – 新世界交響曲 全英チャンピオン / ブラック・ダイク・ミルズ・バンド」(キング(London)、K25C-336)

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