全身全霊を傾けて取り組んだ“ロイヤル・エア・フォース・セントラル・バンド日本ツアー1988”が成功裏に終わり、ホッと一息ついた1988年5月始め、ビクターの西村時光さんからミーティングのオファーがあった。
ロイヤル・エア・フォースの新録音を、ぜひビクターでやりたいという提案だった。
その頃、“来日記念盤”としてスタートしたビクターの「女王陛下のウィンド・オーケストラ ロイヤル・エア・フォース・バンド」シリーズ(英Polyphonic原盤)は、同年3月21日リリースの【Vol.1-1984ライヴ】(LP:VIC-28262 / CD:VDC-1276 / カセット:VCC-10061)と【Vol.2-1987ライヴ】(LP:VIC-28263 / CD:VDC-1277 / カセット:VCC-10062)の2タイトルが順調な滑り出しを見せていた。
その後、1992年4月21日リリースの【Vol.8-1991ライヴ】(CD:VICC-88)までの合計8タイトルに加え、ベスト盤まで発売されたので、“ビクターの吹奏楽”としては、かなり存在感を示すものとなった。。
このシリーズは、エリック・バンクス(Eric Banks)がロイヤル・エア・フォース(RAF)の首席音楽監督に就任後、RAF所属の5つのバンドの内、4つのバンド(セントラル・バンド、レジメント・バンド、カレッジ・バンド、ウェスタン・バンド)の合計200名のプレイヤーを一堂に集め、1984年以降、毎年秋にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催されていた“RAF音楽の祭典(RAF Festival of Music)”をライヴ収録したライセンスものだったが、今度の新しい提案では、ビクター原盤でセントラル・バンドの新録音をセッションで行いたいという話だった。
『どういう内容がいいと思われますか?』という西村さんに対して、全国7公演のツアーに帯同し、どういうレパートリーが日本の聴衆に喜ばれたかを肌で感じとっていた筆者は、せっかくイギリス最高峰のセントラル・バンドに新録音をオファーするならば、それは“これまで日本の吹奏楽レコードになかったもの”であることが重要かと話して、2つの録音案を示した。
A案は、グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst)の組曲『惑星(The Planets)』全曲のようなセンセーショナルなクラシックもの。
B案は、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の『ドラゴンの年(The Year of the Dragon)』を中核にしたイギリスのウィンド・ミュージックの新旧オリジナル集だった。
さすがに本場イギリスもの。セントラル・バンドが演奏した『惑星』の“木星”や『ドラゴンの年』は、各地で大絶賛されていたからだ。まるで聴いたことのないサウンドだった。
実際、この両曲が演奏された大阪のザ・シンフォニーホールでのライヴは、信じがたいほどの熱狂をもたらした。また、日本の聴衆にとって未知の新曲“ドラゴン”に、その後、関西から火がついたのも、ごくごく自然な成り行きだった。
ただ、A案には、過去、英EMIがセントラル・バンドの大部分のレコードを手掛けながら、情報不足で来日に完全に乗り遅れてしまった東芝EMIも高い関心を示していること。また、“火星”“木星”以外は、新しいトランスクリプションが必要なこともお話しした。
一方、B案には、ゴードン・ジェイコブの『吹奏楽のための協奏曲(Concerto for Band)』やジョン・アイアランドの『コメディ序曲(Overture:Comedy)』、エリック・ポールの交響詩『復活(Resurgam)』、パーシ―・フレッチャーの『エピック・シンフォニー(An Epic Symphony)』の終楽章“英雄行進曲(Heroic March)”といったレパートリーがすでに出そろっていることもつけ加えた。
筆者としては、あれほどまでの熱狂をもたらし、まだ日本盤の無かった“ドラゴン”をメインに据えたB案が一押しであり、第15話でお話ししたように、ナマ演奏で“ドラゴン”を聴いた西村さんの感触も上々だった。
氏は、まず新録音の構想があることをバンクスに伝えてほしいと筆者に依頼し、両案は持ち帰って検討されることとなった。
だが、その後、西村さんからもたらされたビクターの回答は、まったく予想外のものだった!
『ビクターとしては、“世界のマーチ集”の録音をロイヤル・エア・フォースにお願いしたいと思います。』
大いに驚いた筆者に西村さんは、『こういう企画は、ハンコを押してもらわないと進まないということです。ご理解下さい。』と言った。
録音希望リストには、スーザの『星条旗よ永遠なれ』や『ワシントン・ポスト』、タイケの『旧友』、バグリーの『国民の象徴』、ジンマーマンの『錨を上げて』、瀬戸口藤吉の『軍艦行進曲』などが並んでいた。
リストを見たバンクスは、『今、日本は平和国家になったはずなのに、どうして?』と書いて寄越した。
筆者も提案した相手が間違っていたことを痛感!大いに反省した。
老舗レコード会社には、老舗ながらの社風と歴史がある。
マーチ全盛時代の1960年代、オランダのフィリップス・レーベルのライセンスを得て発売していたビクターは、フィリップス専属のオランダ王国海軍バンド(De marinierskael der Koninklijke marine)に、瀬戸口藤吉の『軍艦行進曲』、吉本光蔵の『君が代行進曲』、古関裕而の『オリンピック・マーチ』、今井光也の『オリンピック東京大会ファンファーレ』、シャルル・ルルーの『扶桑歌』、国歌『君が代』などを録音依頼し、大成功を収めていた。ビクターでの演奏バンド名は、“ロイヤル・ネヴィー・バンド”。ところが、1970年に“日本フォノグラム”が立ちあがると、ビクターは、上記録音曲の原盤権も同時に失っていた。
“そうか、昔の栄光よ、今一度”という訳か。ビクターとしては、優秀なバンドが演奏するマーチの原盤権が欲しかったのだ。組み合わせを変えて何度でも使える自社の“カタログ”として….。
後日、ビクターの別のセクションのプロデューサー、山田 誠さんと別の仕事で話す機会があったが、その際、話の冒頭で『今度、西村が“ひじょうにいい仕事”をしましてねー!』と言われていたのが忘れられない。
提案は、完全にスルーされたが、手許にあった『オリンピック・マーチ』の楽譜も役に立ったので、まあ、良しとするか。
CD「エリック・バンクス/世界のマーチ名作集」(ビクター、VDC-1394)は、その後、曲目のすり合わせの後、1989年1月19日、ロンドンのエンジェル・スタジオで、エリック・バンクス指揮、ロイヤル・エア・フォース・セントラル・バンドの演奏で収録され、同年8月21日にリリースされた。
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第16話 エリック・バンクス「世界のマーチ名作集」」への3件のフィードバック