■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第15話 「ジ・イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」

『いやー、プログラム見たら、映画音楽もやるんですね。いいですねー!』

フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の『ドラゴンの年(The Year of the Dragon)』のウィンドオーケストラ(吹奏楽)版の日本初演が行われた1988年4月17日(日)、東京・普門館で行なわれたロイヤル・エア・フォース・セントラル・バンドのコンサート開演前、ビクター音楽産業、クラシック・グループのプロデューサー、西村時光(ときみつ)さんの言葉だ!

老舗の大手レコード会社には、随分とユニークなキャラで知られる方々がいらっしゃる。もちろん、氏もその中の1人で、ヴァイオリニストの千住真理子やピアニストのスタニスラフ・ブーニンなどを担当されたプロデューサーだ。

果たして、その西村さんの挙げた“映画音楽”とは、『ドラゴンの年』のことだった。

内心“おいおい”とは思ったが、氏の発言が、ニューヨーク市のチャイナタウンを舞台にチャイニーズ・マフィアとニューヨーク市警の刑事との死闘を描いたアメリカ映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン(Year of the Dragon)」(1985 / 監督:マイケル・チミノ / 日本公開:1986)のテーマ曲か何かだと“早トチリ”してのものだったし、曲を聴けばすぐ分かることなので、こちらも軽くスルーする。

実は、ロイヤル・エア・フォースとスパークの“ドラゴン”に関わり始めた時から、この種の混同は間違いなく起こると想定していた。時系列で見ると、曲の初演(1984)の方が、映画の封切(1985)より先行していたが、日本でも封切られた(1986)映画は、ロイヤル・エア・フォース来日(1988)より前に、すでにヒットしていた。映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の活字は、メディアに溢れていた。

音楽と映画の英語タイトルの違いは、唯一“The(ジ)”が頭に付くか付かないかだけだった。これでは混同するなという方に無理がある。

常々、筆者は、音楽の邦題は、原語タイトルとほぼ同じに聞こえるようにできれば最高だと考えている。その流れで言うなら、スパークの“ドラゴン”も『ジ・イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』にすれば良かったのかも知れない。しかし、日本の吹奏楽の世界では、「ジ」を「ザ」としたり、「ジ」を省略することも平気に起こり得ると想定された。また、仮に何年かたって曲が有名になったとしても、映画との混同も永遠に続く可能性があった。そこで、ロイヤル・エア・フォースの公演プログラムでは、日本語としてインパクトのある“ドラゴン”を頭にして『ドラゴンの年』と訳すことにした。

何が起こるか判らない日本で、音楽の邦題を決めて世に送り出すことは、いつもとても怖いものだ。しかし、こと『ドラゴンの年』に限っては、いろいろな意味でベターだったと考えている。

結果、1988年4月17日、東京・普門館における、エリック・バンクス指揮、ロイヤル・エア・フォース・セントラル・バンド演奏の『ドラゴンの年』ウィンドオーケストラ版の日本初演は、5月4日、NHK-FMの特別番組「ジョイフル・コンサート」で、秋山紀夫さんの解説でオン・エア。また、来日2度目の演奏となった4月19日、大阪のザ・シンフォニーホールでは、来日中最高のパフォーマンスを叩きだし、関西の“ドラゴン”ブームに一気に火をつけた。

▲ザ・シンフォニーホールのステージから

▲ザ・シンフォニーホールのステージから指揮のエリック・バンクス

余談だが、ザ・シンフォニーホールの下手側舞台そでには、公演オーケストラのステッカーがところせましと貼られている壁がある。そして、この日、『こんな演奏聴いたことがありません。彼らはすばらしいオーケストラです!』と感動したホールのステージ・マネージャーの手で、ロイヤル・エア・フォースのエンブレムもそこに加えられた。筆者の目の前で!

ロイヤル・エア・フォースに関わった人間として、これほど誇らしく思えた瞬間はなかった。

ビクターの西村さんが、ロイヤル・エア・フォースに関心を持ったのは、1987年12月、年末恒例の挨拶まわりで訪れた月刊「バンドピープル」の編集部だった。当時、東京都中央区新富にあった編集部では、ボスの冨田尚義さんをはじめ、大沢秀安さん、鎌田小太郎さんら、個性豊かなサムライが揃い、日々エネルギッシュな誌面作りに邁進していた。

『健康より原稿!締切守って生活安定!』という、そのスローガンは忘れられない!

そんな編集部で、『ねえ、ねえ、なにか面白い話はない?』と切り出した西村さんに対し、大沢さんが『こんなの知ってる?』と見せたのが、1984年以降、ロイヤル・エア・フォースが毎年秋にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催していた“Festival of Music”の1986年のライヴ盤(LP:英Polyphonic、PRM111D)だった。次の瞬間、小太郎さんがレコードを取り出し、B面1曲目のジョン・ウィリアムズの『レイダース・マーチ(Raiders of the Lost Ark)』を爆音でかける。これに、冨田さんが『これ、200人でやっているんだ!』と畳みかける!見事なチームワークだ。『へぇー、200人でやってもズレないんだ!』とは、西村氏の弁。

レコードは、この時点での最新盤。第8話でお話ししたように、ロイヤル・エア・フォースの件でさんざん迷惑をかけていた編集部に“迷惑料”代わりに進呈したものだった。翌日、大阪へ帰郷していた筆者にも、編集部から電話が入り、顛末の一部始終が知らされる。『ビクターから連絡が行くと思うので、よろしく。』と。

西村さんのアクションは素早かった!!

電話で筆者に“日本の他のレコード会社からのリリース予定”の有無をまず確認。それが無いと分かるや、『ぜひとも、ウチでリリースしたいと思います。』と言って、“プロデューサーとの連絡方法”、“演奏者”や“ツアー”のことなど、ものすごい勢いで質問攻めが始まった。

その後、ロンドンのプロデューサー、スタン・キッチン(Stan Kitchen)にコンタクトして、社内稟議もクリア。年内の超多忙な時期に、アッという間に、ロイヤル・エア・フォース「来日記念盤」として、2タイトルをLP、CD、カセットの3種類のソフトで、1988年3月21日同時リリースすることを決めてしまったのだ。

この結果、発売されたのは、ロイヤル・エア・フォースの“Fesival of Music”が初めて行われた1984年盤(LP:VIC-28262 / CD:VDC-1276 / カセット:VCC-10061)と、ライヴが行なわれたばかりの1987年盤(LP:VIC-28263 / CD:VDC-1277 / カセット:VCC-10062)の2タイトル。1985年盤と1986年盤は、先行2タイトルの動きを見ながら、リリース日を決めるというのが、ビクターの戦略だった。

普門館でコンサートを聴いた後の西村さんの“ドラゴン”への感想も忘れられない。

『いやー、コープランドみたいな魅力的な音楽でした。』

▲ビクター盤LP:女王陛下のウィンド・オーケストラ ロイヤル・エア・フォース・バンドVol.1

▲ビクター盤LP:女王陛下のウィンド・オーケストラ ロイヤル・エア・フォース・バンドVol.2

コメントを残す