■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第14話 チャイルズ・ブラザーズの衝撃

▲チャイルズ・ブラザーズのプロモ・カード

アメリカのニューヨーク・スタッフ・バンド、イギリスのコールドストリーム・ガーズ・バンドとの感動的な出会いがあった1989年には、もう2人、忘れてはならないすばらしい出会いがあった。

それは、今や完全に“伝説”となった兄弟ユーフォニアム・デュオ“チャイルズ・ブラザーズ(The Childs Brothers)”である。

ウェールズの小さな村クリックホーウェル(Crickhowell)出身の2人のユーフォニアム奏者、兄ロバート・チャイルズ(Robert Childs、1957年4月5日生まれ)と弟ニコラス・チャイルズ(Nicholas Childs、1961年10月7日生まれ)が、ユーフォニアム・デュオとしてデビューしたのは、1984年10日6日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された全英ブラスバンド選手権ファイナル前夜のガラ・コンサートだった。

この兄弟は、すばらしいユーフォニアム奏者であると同時にブラスバンド指揮者としても知られた父ジョン・チャイルズ(John Childs)から音楽の手ほどきを受け、1984年当時、ロバートがブリッグハウス&ラストリック・バンド(Brighouse & Rastrick Band)、ニコラスがグライムソープ・コリアリー・バンド(Grimethorpe Colliery Band)という、イングランドのトップ・バンドで、ともにプリンシパル・ユーフォニアム奏者として活躍。仲間内では、ロバートが“ボブ”、ニコラスが“ニック”と親称で呼ばれていた。

彼らは、使っているユーフォニアムがともに“ベッソン”だったので、デュオ・デビュー以前から、製造メーカーであるブージー&ホークス社(Boosey & Hawkes)との関係は良好で、クリニックやコンサートのために海外に出向くことも多かった。だが、その時点では各人のソロ活動がメインで、デュオとしては認識されていなかった。

全英選手権ガラ・コンサートのゲスト・ソロイストとして、この2人にデュオを組ませるというアイディアも、実はこのコンサートをオーガナイズしたブージー&ホークス社の発案だった。

同社は、このデュオを実現するために、『ベニスの謝肉祭(Carnival of Venice)』のスペシャル・アレンジを気鋭の編曲家レイ・ファー(Ray Farr)に委嘱し、コンサートでは、後に2人のテーマ曲のように演奏されることになるアラン・キャザロール(Alan Catherall)編の『ソフトリー・アズ・リーヴ・ユー(Softly, As Leave You)』とともに演奏されることになった。

指揮のキャスティングにも力が入っていた。『ベニスの謝肉祭』ではアーサー・ケニー(Major Arthur Kenney)が、『ソフトリー・アズ・リーヴ・ユー(Softly, As Leave You)』ではジョン・チャイルズが指揮者として起用された!

ケニーは、第9話でお話ししたように、フィリップ・スパークの『ドラゴンの年(The Year of the Dragon)』の初演指揮者としても知られるが、ボブとニックがロイヤル・アルバート・ホールのステージにデュオとして登場したこの日は、翌日(10/7)開かれる全英選手権のファイナルで、ウェールズのコーリー・バンドを指揮してのハットトリック(全英3連覇)がかかっていた!  当時、イギリス中のブラスバンド・ファンの間で、もっとも注目を集めていた指揮者だった!

また、ジョン・チャイルズは、言うまでもなく2人の父であり、親子共演は、演出効果も満点!

伴奏をつとめたバンドも、ニックが16歳のときにソロイストとして招かれたヨークシャー・インペリアル・バンド(Yorkshire Imperial Band)だった。

こうして準備万端。“ボブ”と“ニック”がステージに登場すると、単に若く優れたユーフォニアム奏者のデュオというだけでなく、父を共通の師とする兄弟だけに息もピッタリ。風圧すら感じさせるスピード感とダイナミック・レンジの広さ、さらには6オクターヴを超える音域をラクラクと吹きこなすスキルをもつ2人のデュオ・デビューは、センセーショナルな大成功を収めた!

このライヴは、同年内にリリースされたLPアルバム「1984 Brass Band Festival」(英Chandos、BBRD1028)に収録され、これも大ヒットとなった。

▲LP-1984 Brass Band Festival

このため、1回限りのイベントで終るはずだったデュオは、“チャイルズ・ブラザーズ”と呼ばれるようになり、スポンサーもついて2人のための新作もつぎつぎと書かれ、2人はアーティストとして世界に大きく羽ばたくことになった。

“チャイルズ・ブラザーズ”は、1985年にスイス、ドイツ、1986年にアメリカ、フランス、オランダ、ユーゴスラヴィア、1987年にスイス、オランダ、ベルギー、ノルウェー、オーストリア、1988年にオランダ、ベルギー、スイス、スウェーデン、オーストラリアのツアーを成功させ、1989年にはアメリカ、カナダ、スイス、スペイン、ベルギーへのツアーがブッキングされている、と当時のパンフレットには説明がある。

レパートリーも、『ベニスの謝肉祭』と『ソフトリー・アズ・リーヴ・ユー』だけでなく、ジョン・ゴーランド(John Golland)の『チャイルズ・プレイ(Childs Play)』、ピーター・グレイアム(Peter Graham)の『ブリランテ(Brillante)』、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の『ツー・パート・インベンション(Two-Part Invention)』など、新しく魅力的な楽曲がつぎつぎと生まれた。デュオ以外にも、各人のソロ活動の中で生み出されたゴーランドの『ユーフォニアム協奏曲第1番 作品64(Euphonium Concerto No.1, Op.64)』(ボブの委嘱作、1981)やスパークの『パントマイム(Pantomime)』(ニックの委嘱作、1986)も、“チャイルズ・ブラザーズ”の活動とともに広く世界中に知られるようになった。

正しくユーフォニアムのための新しいレパートリーがつぎつぎ書かれるようになった転機の1つだった。

そんな2人と縁ができたのは、ブラック・ダイク・ミルズ・バンド(Black Dyke Mlls Band)が初来日した1984年以来、何かと縁が深くなっていた東京のブージー&ホークス社(現ビュッフェ・クランポン)から“1989年7月来日”の報せと原稿依頼が舞い込んだことがきっかけだった。

この時、2人は、ボブがピーター・パークス(Major Peter Parkes)が指揮するブラック・ダイク・ミルズ・バンドのプリンシパル・ユーフォニアム奏者に、ニックがハワード・スネル(Howard Snell)が指揮するブリタニア・ビルディング・ソサエティ・バンド(Britannia Building Society Band)のプリンシパル・ユーフォニアム奏者に、それぞれポジション・アップしていた。

原稿依頼の電話を受けたのは、1989年の初夏。あまりにも急に決まった来日だったので、同社の事前告知も宣材もなく、最初の依頼は、プログラム用のアーティストのプロフィール・ノートを書くことだった。しかし、電話を受けたときに、筆者が“チャイルズ・ブラザーズ”についてすでにかなり噛み砕いて認識していることが相手に露見してしまい、その後、それならばと、コンサートの司会進行やクリニック後の質疑応答の通訳まで追加で依頼された。

来日後初の大きなアクションは、7/20(木)、福岡市博多区のガスホールにおけるピアノ伴奏のコンサート(主催:クレモナ楽器)だった。ピアニストは、出羽真理さん。

▲福岡コンサートのプログラム(表紙&曲目)

前記レコードやカセット(英Rosehill、RMPC 0068 & 0078)で2人のスキルやレパートリーは知っていたはずだったが、ナマで聴くパフォーマンスは、正しく“衝撃”そのもので、レパートリーも新鮮。また、無理に力を込めて吹いているわけでも、フォルテシモでもないのに、ホールの壁まで共鳴して“ビーン”と鳴る。一瞬ホールの素材のせいかと疑ったが、そうではなかった。その後の大阪でも東京でも、ホールの壁や天井が共震していた。音色もソフトからハードまで、ペダルからハイノートまで、すべての音符がクリアに聞こえる確実なフィンガリングが光る。“看板に偽りなし”とは、こういうときに使う言葉だろう。こんなユーフォニアムの音は、かつて聴いたことがなかった。

博多の聴衆は学生服姿が多かったが、“チャイルズ・ブラザーズ”のパフォーマンスには一様にビックリ仰天した様子で、彼らがイギリスからもってきたデビューCD「Childs Play」(Doyen, DOYCD001)の即売会は、長蛇の列となった。ニックが立ち上げ、その後ブラスバンドの大レーベルとなる“ドイエン”の第1号CDだ。(同時に、LPレコードとカセットでもリリースされた。)

▲CD-Childs Play

7/22(土)、大阪・御堂筋の周防町交差点にあった日産ギャラリーでのコンサート&クリニック(主催:三木楽器)も彼らは絶好調だった。博多でしっかりネタを仕込んでいたから、こちらの司会進行も快調に進む。いいものには嵐のような拍手が飛ぶ大阪らしい大盛り上がりのコンサートの後、ギャラリー地下での2人を囲む懇親会では、木村寛仁さん、中西 勲さん、石田忠昭さん、坂岡裕志さん、高橋修司さんら、その後、関西のユーフォニアム界を牽引する主役となった多くの若く熱意あるプレイヤーたちとの出会いがあった。これも、チャイルズのオーラが引き寄せたものだったように思う。

7/24(月)、東京・こまばエミナースでのコンサートは、前半がピアノ伴奏、後半が山本武雄指揮、玉川マスターズ・バンドとの共演という2部構成だった。もちろん、ピアノ伴奏のステージもすばらしかったが、ブラスバンド伴奏となると、何か別のスイッチが入るようで、2人はますます絶好調! アンコールでは、サプライズでニックがタクトをもってバンドを指揮するシーンも!これが、今やブラック・ダイク・バンドの音楽監督となったニックの“日本における指揮デビュー”となった。

すっかり仲が良くなった2人とは楽屋でも大盛り上がりで、指揮の山本さんも加わってスナップを撮りまくる!

終演後、握手をかわして再会を約し、東海道線の名物寝台急行「銀河」で大阪への帰路についた。

▲ピアノ伴奏で演奏する2人

▲山本武雄とチャイルズ・ブラザーズ

▲こまばエミナースでのフォト

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