■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第11話 「士官候補生」と「ハイ・スクール・カデッツ」

ヨーロッパの出版社Hal Leonard MGBが、2年ぶりに名古屋芸術大学ウインドオーケストラと取り組むレコーディング・セッションの準備に没頭していた2017年8月30日、日本コロムビアのプロデューサー、遠藤亮輔さんから電話が入った。

コロムビアとは古くからのつき合いだが、遠藤さんとは初めてのやりとりだ。

話は、12月新譜で“ベスト盤”と銘打ってリリース予定の26曲入りのマーチのコンピレーション・アルバムのプログラム・ノートの依頼であった。

筆者に白羽の矢がたったのは、その内16曲が、かつて筆者がプログラム・ノートを提供したアルバムからのピックアップだったからで、まずはそのノートを転用させて欲しいという依頼と、それに加えて、残りの10曲のノートを新たに書き足して欲しいというものだった。

すでにノートを書いた16曲は、ロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵交代でおなじみのイギリスの近衛軍楽隊の1つ、コールドストリーム・ガーズ・バンド(The Regimental Band of the Coldstream Guards)が、音楽監督ロジャー・G・スウィフト少佐(Major Roger G. Swift)の指揮でロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオで録音し、1989年9~10月の日本ツアーに合わせてリリースされた「コールドストリーム・ガーズ/マーチ集I 英国篇」(日本コロムビア、CO-3806)と「コールドストリーム・ガーズ/マーチ集II 米国・欧州大陸篇」(日本コロムビア、CO-3807)の2枚のCDアルバムからのものだった。とても懐かしいアルバムだ!!

遠藤さんには、そのプログラム・ノートの二次使用については即座に同意した。しかし、他のノートの締切日(9/20)を聞いて、それは難題だと回答した。

何よりも、ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)が指揮者として、ベン・ハームホウトス(Ben Haemhouts)がプロデューサーとしてやってくる名古屋芸術大学ウインドオーケストラのセッションが目前にせまっていた。ハームホウトスは、ドイツのバンベルク交響楽団の元首席トロンボーン奏者で、ベルト・アッペルモント(Bert Appermont)のトロンボーン協奏曲「カラーズ(Colors)」の初演時の独奏者だ。この時点で、名芸教授で指揮者の竹内雅一さんとも半年以上も前から準備をし、ヨーロッパから来日する2人の友人が関わるこの録音が何よりも優先されるのは間違いない。加えて、コンサートのプログラム・ノートの執筆依頼やスタジオでのCDマスタリングも直近に予定されていた。

遠藤さんには、自身のタイトなスケジュールを話し、他をあたるように繰り返しお話ししたが、とにかく曲目一覧を送るので見てほしいと粘られる。

しかし、しばらくして送られてきたリストを見て、しばし脳波が停止してしまった!!

他の9曲は、山本正人指揮、東京吹奏楽団、残る1曲は、斉藤徳三郎指揮、陸上自衛隊中央音楽隊の演奏だった。いずれも1960年代半ばまでに録音されたものだ。コールドストリーム・ガーズの録音はデジタルなので、アナログ時代とデジタル時代の録音をコンピレーションする大胆な企画だ。それはまだいい。しかし、収録曲目リストに編曲者名が記載されていないものがいくつもあることがたいへん気になった。

あまりにイライラしたので、先方から電話がくる前に、こちらから遠藤さんに電話を入れた。

『リストを拝見しました。いくつも問題点が気になってしまう曲がありますが….。』と話を切り出すと、電話口の向こうから“何を言われるのだろう”と息を呑んでいる様子が伝わってくる。

『まず、「錨を上げて(Anchors Aweigh)」ですが、1960年代初旬の録音ということから考えると、使われている編曲は3種類ぐらいが考えられます。マスターには何て書かれていますか?』と言いながら、実際にそれらを歌ってみる。相手は“何も書かれていません”と言って沈黙するので、『そうですか。時期から考えて、恐らくは、三戸知章の編曲もしくはポール・ヨーダー(Paul Yoder)の編曲だと思いますが、それがはっきりしないと誰も解説なんて書けませんよ。これは東京藝大の山本正人さんの指揮なんで、東京吹奏楽団か東京藝大に確認しないといけないのでは….。』とサジェストする。

続いて『次の「士官候補生(The High School Cadets)」ですが、これは日本語タイトルに重大な誤解があります。まず、“士官”という言葉ですが、一般的に言って、これは“軍隊”以外では使われない語ですよね。しかし、実際にこの曲を書いて欲しいと作曲者に依頼したのは、正真正銘“ハイ・スクール”の生徒たちなんです。もっと分かりやすく説明しますと、“士官候補生”などというタイトルをつけると、それは完全な“軍隊マーチ”と捉えられてしまいます。曲が書かれた当時の事情から考えても、実際にはそうではなかったのに…。曲名をどうしても和訳しなければならないとしたら、音読みして「ハイ・スクール・カデッツもしくはハイスクール・カデッツ」にしておくのがベターかも知れません。』といった調子で、気になる曲を取り上げては、バサバサ斬っていった。

アメリカのナショナル・マーチ(即ち国歌に準ずる“国のマーチ”)に制定されている「星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)」で知られるジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa、1854~1932)が「ハイ・スクール・カデッツ」を作曲したのは、彼がワシントンD.C.(コロムビア自治区)のアメリカ海兵隊バンド(The President’s Own United States Marine Band)の隊長、指揮者をつとめていた1890年のこと。ワシントンD.C.初、そして当時唯一のハイ・スクールだったワシントン・ハイ・スクール(Washington High School / その後、Central High Schoolと改称)のカデッツ・ドリル・チームの生徒たちのリクエストで書いたマーチだった。

南北戦争(1861~1865)の記憶がまだ色濃く残っていたこの時代のアメリカの学校では、軍隊のような煌びやかなユニフォームを身に纏い、模擬銃を肩に乗せて歩調をとりながら統一された動きやフォーメーションの美しさを競うドリル・パフォーマンスが人気を集めていた。軍に由来するフォーメーションを採り入れていることから、それを“カデッツ”と呼ぶチームもあった。“ドリル・チーム”という言葉から、楽器を持って行進するマーチング・バンドと誤解されやすいが、そうではない。

ワシントン・ハイ・スクールのカデッツ・ドリル・チームの生徒たちは、2年前の1888年、スーザがライバル校のチームのために「ナショナル・フェンシブルズ(National Fencibles)」というマーチを書いたことを知っていた。作曲の依頼は、生徒たちがそれを上回る自分たちのためのマーチが欲しいと考えたことがきっかけだった。

曲が完成すると、スーザは生徒たちを自身が隊長をつとめるアメリカ海兵隊バンドの練習場に招いて演奏して聴かせた。それに感激した生徒たちが、作曲料として自分たちの小遣いから持ち寄った24ドルを差し出したというエピソードが知られている。

以上が、「ハイ・スクール・カデッツ」の凡その作曲の経緯だ。

しかし、1960年代の日本のレコードには、“1890年にウェスト・ポイント士官学校の依頼により作曲されたもので、若々しい士官候補生の元気のよい様子を描いて…..”とか“1890年ウエスト・ポイント士官学校の要請に応じて作曲したマーチで、候補生たちの規律正しいムードと、若さと希望に溢れた日常生活を描いたもの。”というような曲目解説が載っていた。(これら解説は、発行から50年以上が経過し、すでに日本の著作権が消滅しているので、ここに引用した。)

また、1964年7月にリリースされたEPレコード「世界のマーチ/アメリカ・マーチ(7)」(日本コロムビア、ASS-10014)のジャケットにも、アメリカのウェスト・ポイント陸軍士官学校の学生たちが行進するイラストが使われていた。この曲が「士官候補生」という曲名で“軍のマーチ”としてイメージ付けされてしまったのも無理はない。

この事情が一変するのは、アメリカのポール・E・バイアリー(Paul E. Bierley、1926~2016)が、スーザの伝記「John Philip Sousa: American Phenomenon」(ACC/Meredith Corporation, 1973)や作品情報をまとめた「John Philip Sousa: The Descriptive Catalog of His Works」(University of Illinois Press, 1973)を著し、さらにそのカタログ情報をアップテートさせた「The Works of John Philip Sousa」(Integrity Press, 1984)の存在が日本でも知られるようになって以降のことだ。

1976年のアメリカ合衆国建国200周年を機に企画されたアメリカ海兵隊バンドのスーザ作品集(LPレコード)や、1974~1981年に計10枚のアルバム(LPレコード)がリリースされたデトロイト・コンサート・バンド(Detroit Concert Band)のスーザ作品集も、すべてバイアリーの著作の記述に従っていた。

30分近く喋ったろうか。ここまでくると、相手はもう黙って聞くしかない状況に。

そこで、『コロムビアさんやビクターさんという老舗レコード会社が、つぎつぎとマーチを録音し、レコードをリリースされていた“マーチ黄金時代”には、現時点から考えると“まるで嘘”のような誤情報にもとづく解説や日本語曲名がまかり通っていました。これは、遠藤さんの責任ではありません。また、老舗には、良くも悪くも脈々と受け継がれてきた伝承のようなものもあります。私は、これまで300枚近いレコードやCDの解説を書いてきましたが、それは、もう少しきちんと調査したものを書き残したいと考えたことがきっかけでした。21世紀の今、私が他のマーチすべての解説を書くなら、もう少し時間を頂戴しないと不可能です。』と柔らかくオファー自体を断わった。

しかし、その後、遠藤さんからは、もう一度連絡があった。話を伺うと、録音当時に大石 清さんが書かれたノートを社内で見つけられたそうで、今度のCDには合わせてそれを使うことにしたという説明だった。その一方、散々話をお聞かせした「ハイ・スクール・カデッツ」だけは、どうしても新しいノートを書いて欲しいとのことだった。

クラシックの偉大なる作曲家たちと重なる時代に書かれた音楽なのに、日本には、マーチの解説を書ける人は、もうほとんどいない。

マーチ不遇時代は、今もなお続いている。

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