■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第9話 “ドラゴンの年”と“ロンドン序曲”

フィリップ・スパークの「ドラゴンの年(The Year of the Dragon)」は、今や作曲者の代名詞のように語られる名曲の1つだ。それまでの伝統的なバンド・ミュージックの世界に一大センセーションを巻き起こした衝撃的な作品としても知られる。

オリジナルは、ウェールズのブラスバンド、コーリー・バンド(The Cory Band)の100周年記念委嘱作として作曲された“ブラスバンド”編成の作品だった。オフィシャルな世界初演は、1984年6月2日(土)、ウェールズの首都カーディフ(Cardiff)のセント・デーヴィッズ・ホール(St. David’s Hall)で開催された同バンドの100周年記念コンサート(The Cory Band Centenary Concert)で、H・アーサー・ケニー(Major H. Arthur Kenny)の指揮で行なわれた。作曲者も出席したこの記念コンサートは、BBC放送が録画し、後日「Music Makers」というテレビ番組でオン・エアされた。

曲が書かれたのは、1983年の秋。当初、4楽章構成の組曲として完成したが、試奏の結果、コンサートの時間的制約から演奏時間が長すぎるとの意見がバンドから寄せられ、最終的に完成時の第1楽章“プレリュード(Prelude)”をそっくりそのままカットし、それ以降の“トッカータ(Toccata)”“インタールード(Interlude)”“フィナーレ(Finale)”の3楽章で構成される作品となった。

後日、フィリップに尋ねた時、『このカットは、結果的にひじょうにうまくいったと考えている。』という答えが返ってきた。

一方、この時お蔵入りとなった“プレリュード”は、その後、オランダからの委嘱で、1984年12月8日(土)、ヘルダーラントのズトフェンで開催された“オランダ・ブラスバンド選手権1984”チャンピオンシップ部門のテストピース(課題)、「ロンドン序曲(A London Overture)」となった。優勝は、ヤン・デハーン(Jan de Haan)指揮、ソーリ・デーオ・フローリア(Soli Deo Gloria)だった。

「ロンドン序曲」は、その後、1991年4月27日(土)、オランダ、ロッテルダムのデ・ドゥーレンで開かれた“ヨーロピアン・ブラスバンド選手権1991”のチャンピオンシップ部門セット・テストピース(指定課題)にも採用され、ハワード・スネル(Howard Snell)指揮、ブリタニア・ビルディング・ソサエティ・バンド(Britannia Building Society Band)が、100ポイント中、97ポイントという高得点で第1位に輝いた。その演奏は、ライヴCD「European Brass Band Champioships 1991」(FT Records、FT5001)(廃盤)に収録され、その後、ヨーロピアン選手権の25周年記念3枚組CD「25 Years of the European Brass Band Championships」(Doyen、DOYCD156)(廃盤)にも再度収録された。(優勝バンドは、オウン・チョイス・テストピース(自由選択課題)のポイントとの合算の結果、デヴィッド・キング(David King)指揮、ブラック・ダイク・ミルズ・バンド(Black Dyke Mills Band)と決まっている。)

フィリップの話では、「ドラゴンの年」から切り離されたこの「ロンドン序曲」は、元の“プレリュード”に一切手を加えることなく、そのまま独立曲としたものだそうだ。両ブラスバンド曲の楽譜は、「ロンドン序曲」が先行して1984年に、「ドラゴンの年」が1985年に出版された。

一方、完成形が3楽章構成と決まった「ドラゴンの年」初のセッション・アルバムは、1984年12月、ウェールズ南部、スウォンジー(Swansea)のブラングウィン・ホール(English: Brangwyn Hall/Welsh: Neuadd y Brangwyn)で収録され、翌1985年にリリースされたH・アーサー・ケニー指揮、コーリー・バンド演奏のLPレコード「Dances and Arias」(Polyphonic、PRL025D)だった。

当時のコーリーは、1984年10月7日(土)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれた“全英ブラスバンド選手権1984”で見事“全英ハットトリック(3連覇)”という快挙を達成。その記念盤の位置づけで企画されたこのアルバムは、当然、3連覇達成時のテストピース、エドワード・グレッグスンの「ダンスとアリア」をタイトルとする。しかしながら、ジャケットにウェールズの象徴である“レッド・ドラゴン(赤い竜)”を大きくあしらい、B面ラストの曲目を「ドラゴンの年」でしめるこのアルバムの隠れ主役は、間違いなく“ドラゴン”だった。プロデューサー、スタン・キッチン(Stan Kitchen)の意図が透けて見えるようだ。

イギリスのファンは、BBCのテレビ番組とこのアルバムで「ドラゴンの年」を知った。

この頃までに、“ブラスバンド”編成で書かれた「コンサート・プレリュード(Concert Prelude)」(1975)や「プライズウィナーズ(The Prizewinners)」(1975)、「ユーフォニアムのための幻想曲(Fantasy for Euphonium」(1978)、「ソング・アンド・ダンス(Song and Dance)」(1981)、「テームサイド序曲(A Tameside Overture)」(1981)、「バーンダンスとカウボーイ・ヒム(Barn dance and Cowboy Hymn)」(1982)などがR.スミスから出版。1980年にクライストチャーチで開催された“ニュージーランド・ブラスバンド選手権”100周年記念大会のテストピースとして委嘱された「長く白い雲のたなびく国 “アオテアロア” (The Land of the Long White Cloud – Aotearoa)」(1979)も、その後、同じ1980年の10月5日(日)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された“ヨーロピアン・ブラスバンド選手権1980”のテストピースにも使われてイギリス国内でも注目を集め、一躍超人気曲となっていた。「ドラゴンの年」は、その同じ作曲者の注目の新作だけに、ブラスバンド紙「ブリティッシュ・バンズマン(The British Bandsman)」(週刊)や「ブラス・バンド・ニューズ(Brass Band News)」(月刊)も事あるごとに話題にした。

遠く日本にいる筆者も、この両紙の紙面から、イギリスで何か騒ぎが起こっていることは認識していた。しかし、インターネットやユーチューブなど無かった時代の話だ。その正体をはっきりと掴むことができたのは、1985年の10月末にエアメールで届いたこのアルバムで、初めて「ドラゴンの年」を聴いた時だった。

まるで棍棒か何かで頭をぶん殴られたときのような強い衝撃が体中を駆け巡った!

アドレナリンが大騒ぎをしている!!

この瞬間、“ドラゴン”との長く密度の濃いつき合いが始まった!!

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