■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第6話 CD「オリンピカ」とベルジアン・タイム

 オランダ~ベルギー間の移動には、“インターシティ”という快速列車の旅がお薦めだ。

利便性もさることながら、国境の検問もなく、自由に行き来している間に、いつの間にかまったく違う世界の真っただ中にいる自分を発見できる愉しさとでも言えばいいのか。

分離される前は1つの国だった両王国の国民性や風土には、それほど大きな違いがある。

機能的でシャープなデザインのオランダ、受け継がれたスタイルに固執するベルギーとでも言えばいいのか。相互に乗り入れている列車の外観や内装もまったく違う。

我々日本人の目には俄かには信じられないのは、それが同じ線路の上を走り、列車の運行にまで国民性の違いが現われることだろう!

分かりやすく言うと、オランダの列車がほぼ定刻どおりの運行なのに、ベルギーから来る列車は遅れが日常茶飯事。ある駅のホームで乗り換えの列車を待っていた時には、事故のアナウンスもないのに予定の列車が“1時間半遅れ”の表示に愕然!

そのとき、知り合いのオランダ人が、とくに慌てる素振りもなく“ベルジアン・タイムだからね”と教えてくれたのを今もはっきりと覚えている。

“ベルジアン・タイム(ベルギー時間)”なるものを知った瞬間だった。

そう言えば…。1993年の7月の始めにベルギーのアントワープとブリュッセルを訪れたときにもこんなことがあった。

現地ツアーガイドを買って出てくれたのは、親友ヤン・ヴァンデルロースト!

滞在中、アントワープ観光の他、クラリネットのヴァルター・ブイケンス(Walter Boeykens, 1938~2013)夫妻、ヤン夫妻との会食、ベルギー国王の私設吹奏楽団“ミュジーク・ロワイヤル・デ・ギィデ(La Musique Royale des Guides)”の表敬訪問と練習見学、その楽長のノルベール・ノジ(Norbert Nozy)の事務所訪問と会食、ノジがコメンテーターをつとめるベルギー国営放送(BRT)のラジオ番組「グラン・パルティータ」出演、作曲家ディルク・ブロッセ(Dirk Brosse)との会食など、たいへん刺激的で有意義な時間を過ごした。

ヤンは、これらすべてのアポイントに対し、白いベンツを駆ってホテルまでピックアップに来てくれたが、オランダからの列車で「アントワープ東駅」に到着した際の出迎えを除き、いつも10分から15分の遅刻! いつも汗をかくように慌てた仕草で“あれこれ”言い訳をしながら登場した

オランダから合流したデハスケのマネージャーが『10時と言えば10時だ!』と言っても、悪びれる様子もとくになし。ヤンは、『ベルギーに住む人間は、みんな人生を愉しんでいるんだ。オランダ人とは違う。』とそっと耳打ちした。

しかし、第5話でお話ししたヤンの1994年の来日スケジュールは、その時すでに決まっていた。こんな調子では、来年日本でプロに対峙した時、予想外の出来事が起こるかも知れないと覚悟する。

一計を案じた筆者は、来日前のヤンに“分刻み”の詳細なタイムテーブルを作ってFAXで送り、“進行はこの流れに従って行われるので、スケジュールの変更等のアップデートはこのペーパーの上で確認し合う”ことを約束させた。

実際に来日すると、毎日、朝食を摂りながら2人でスケジュールを念入りに再確認。

ヤンは、その後、リハーサルもコンサートも、移動の列車もパーティーも、すべて完璧にオンタイムで進行していったことにビックリ仰天!

彼の専属マネージャーになった覚えなどないが、いつの頃からか、『君は、すべてを知り尽くたプロフェッショナル・マネージャーだ。』と盛んに持ち上げるようになった。

それでも、やはり事件は起こった!!

まるで蒸気機関車のスチームのように、今にも頭から湯気が吹き出しそうに真っ赤な顔をしたヤンが、『ユキヒロ、今、ボクの顔は“怒っている”ように見えるかい?』と問いかけてきたのは、東京佼成ウインドオーケストラの合奏場の応接室だった。

合奏場では、この少し前まで、佼成出版社のCD「ヨーロピアン・ウィンド・サークル Vol.3“オリンピカ”」(KOCD-3903)のレコーディング・セッションに備えたリハーサルが行なわれていた。

企画から立ち上げた想い出深いCDで、日本でもすでに大ブレイクしていた『フラッシング・ウィンズ(Flashing Winds)』『ブスタ(Puszta)』の両人気作に加え、1992年の長野市民吹奏楽団(長野県)の委嘱作である祝典序曲『オリンピカ(Olympica)』、1993年に大阪市音楽団によって日本初演された『アマゾニア(Amazonia)』、日本には本格未紹介の『セント・マーティン組曲(St. Martin’s Suite)』、この録音のために1986年の管弦楽曲「モザイク」をウィンドオーケストラ用に改作した『マンハッタンの情景(Manhattan Pictures)』の6曲をヤンの指揮で収録するという自作自演盤だった!!

タイトルは、来る1998年に長野で冬季オリンピックが開催されることを意識して「オリンピカ」と決め、1曲目の収録を決定。ヤンも初の日本からの委嘱作であるこの輝かしい祝典序曲でCDをスタートできることを喜んでいた。(1994年11月24~25日、昭島市民会館(東京都)で収録 / 1995年4月22日リリース)

そのヤンが真っ赤な顔をしていたのは、練習初日。合奏終了をめぐり、ちょっとした事件が起こっていたからだ!!

もちろん、ヤンも終了時刻を承知していた。指揮台に時計を置いていたほどだから。しかし、ちょうど指揮をしていた曲(何の曲だったか、すっかり忘れてしまった)がもうちょっとで終わりそうだったので、時計の針が終了時刻を指しても、ヤンは振り続ける構えを見せた。

ヤバいな!と思い、イスから立ちあがった瞬間、合奏室の扉がバンと開いて、3人のマネージャーさんが猛烈な勢いで飛び込んできた。

そして、大きなジェスチャーで両手を左右に拡げて『オーバータイム』の宣告!

リハーサル初日の合奏はここで終った。

後で聞くと、ヤンは最後の6小節だけ注文を付けてリハーサルを終えようと考えていたという。

2人で部屋に戻った後、筆者は、日本のプロの楽団では、プレイヤーは契約時間の中で最高の結果を出そうと努めていること。指揮者はその時間の範囲内なら、休憩時間を除き、自在に合奏をリードできること。拘束時間の後に次ぎの現場やレッスンの約束が入っている奏者もいること、などなど…。来日時に最初にレクチャーした内容をもう一度ゆっくりと2人でおさらいした。

その後、すっかり明るさと落ち着きを取り戻したヤンは、『ベルギーでは、時間の使い方にもう少し自由な幅があって、マエストロの裁量で10分や15分伸びるのは当たり前なのに、日本ではNGなんだね。初めての体験だった。本当によくわかったよ。』と言ってくれた。

この日を境に、ヤンは沁み付いたベルジアン・タイムを心の中に完全に封印。リハーサル2日目以降は時間の使い方も完璧で、指揮者、演奏者、双方のモチベーションが日増しに高まっていくという、すばらしいセッションとなった!

収録後、団員からプレゼントされたハッピに袖をとおしたヤンの満面の笑顔が今も忘れられない!

▲セッション当時のヤン・ヴァンデルロースト

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