Contents
ロバ-ト・W・スミス:イ-グルの翼にのって
~アワー・シチズン・エアメン~
ON EAGLE’S WINGS(Our Citizen Airmen) (Robert W.Smith)
01:作品ファイル
[作曲年]1998年
[作曲の背景]
アメリカ・ジョ-ジア州のワーナー・ロビンズ空軍基地を本拠とするアメリカ空軍エア・フォ-ス・リザ-ヴ・バンド(The Band of the U.S.Air Force Reserve) と同隊長のN・アラン・クラ-ク大尉(Captain N.Alan Clark) の委嘱により、アメリカ合衆国予備空軍(エア・フォ-ス・リザ-ヴ)の50周年を祝うと同時に同記念CDのオ-プニング・セレクションを飾る作品として作曲。1998年1月に完成。
[編成]
Piccolo
Flutes (I、II)
Oboes (I、II)
B♭ Clarinets (I<div.>、II、III)
B♭ Bass Clarinet
E♭ Contrabass Clarinet
Bassoon <div.>
E♭ Alto Saxopones (I、II)
B♭ Tenor Saxophone
E♭ Baritone Saxophone
B♭ Trumpets (I<div.>、I、III)
F Horns (I、II、III、IV)
Trombones (I<div.>、II、Bass)
Euphonium
Tuba <div.>
String Bass
Timpani
Mallet Percussion (Tubular Bells、Xylophone )
Percussion (Snare Drum、Bass Drum、Suspended Cymbal、Clash Cymbals)
[楽譜]
1999年、アメリカのBelwin-Millsが版権を取得し、Warner Bros.から発売。図版番号は、BD9920C。
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9763/
[初演]
1998年2月11日、アメリカ・ジョ-ジア州メ-コンのメ-コン・シティ・オ-ディトリアムで行なわれたアメリカ空軍エア・フォ-ス・リザ-ヴ・バンド(前記 “作曲の背景” を参照)の演奏による “アメリカ合衆国予備空軍50周年” を記念するCD「Our Citizen Airmen」(BAFR50CD/非売品)のレコ-ディング・セッションにおいて。指揮は、隊長のN・アラン・クラ-ク大尉。日本では、2000年2月4日、兵庫県尼崎市の尼崎市総合文化センタ-(アルカイックホ-ル)で行なわれた堤 俊作指揮、大阪市音楽団演奏による大阪市音楽団自主企画CD「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000」(大阪市教育振興公社、OMSB-2806 /2000年4月25日発売)のレコ-ディング・セッションが初演奏となる。
【ロバ-ト・W・スミス/Robert W.Smith】
1958年10月24日、米アラバマ州南東部のフォ-ト・ルッカ-に生まれた。1979年、アラバマ州トロイのトロイ・ステ-ト大学で音楽学士号を取得し、1990年、フロリダ州マイアミのマイアミ大学で音楽修士号を取得した。トロイ・ステ-ト大学時代には故ポ-ル・ヨ-ダ-に、マイアミ大学ではアルフレッド・リ-ド、ジム・プログリスに師事した。すでに 300曲以上の作品があるが、ウィンド・バンドのジャンルだけでなく、ヘンリ-・マンシ-ニやデ-ヴ・ブル-ベックらの音楽のオ-ケストレ-ションを手がけるなど、コマ-シャル・ミュ-ジックの分野でも幅広く活躍。スミスがオ-ケストレ-ションを施した映画音楽の中には「ロッキ-」「スタ-・トレック」「ボディ-・ガ-ド」などの話題作が含まれている。現在は、ヴァ-ジニア州ハリスンバ-グにキャンパスがあるジェ-ムズ・マディソン大学で教鞭をとり、1996年のアトランタ・オリンピックのためのオリジナル音楽を手がけるなど、多岐にわたる方面で活躍がつづいている。
02:ヒント
2000年1月、大阪市音楽団から自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” (大阪市教育振興公社、OMSB-2806)の収録曲のスコアが届いた。昼間の仕事を終えてから、早速、スコアのチェックに入る。このときまでにすでに買って持っていた酒井 格の「大仏と鹿」とマ-ティン・エレビ-の「新世界の踊り」の2曲を除いた残りの作品のスコアは、この日はじめて見るものばかりだ。
スコアを手にして最初にチェックすることは、まず “作曲者や作品についてどんなことが書かれているか” ということ。作品のバック・グラウンドを知ることは、ノ-トを書く立場の人間にとって最も重要なことだからだ。しかし、こちらが必要とする情報がスコアの上にすべて印刷されているとは限らない。ノ-トがまったくない場合もけっこう多い。従って、たいていの場合、この作業は “これから何を調べないといけないか” のチェックということになる。(その後、スコア・リ-ディング~アナリ-ゼ~執筆となる。)
ロバ-ト・W・スミスの「ON EAGLE’S WINGS」のスコアの表紙には、つぎのような献辞があった。
Commissioned by
Captain N.Alan Clark and the Band of the U.S.Air Force
Reserve in Celebration of the
50th Anniversary of the U.S.Air Force Reserve
なるほど、 “The U.S.Air Force Reserve の50周年を祝っての委嘱作品というわけか”
と、まずは、作曲に至った理由を押さえる。つづいて、作曲者スミスの署名がある短かいプログラム・ノ-トを読むと、こうあった。
「ON EAGLE’S WINGS (Our Citizen Airmen) は、その50周年を祝ってThe U.S.Air Force Reserve への感謝の印として作曲された。N・アラン・クラ-ク大尉とThe Band of the U.S.Air Force Reserve(ワ-ナ-・ロビンズ空軍基地、ジョ-ジア州)により委嘱され、作品はコンサ-トのオ-プナ-として、また、Our Citizen Airmenとタイトルが付けられた彼らの記念コンパクト・ディスクのためのオ-プニング・セレクションとして書かれた」
以上、プログラム・ノ-トには一見かなりの情報が入っているように思える。しかし、よく読んでみると、日本語ノ-トに必要な部分が不足していることがわかる。疑問部分を挙げてみると、
(1)The U.S.Air Force Reserve とは何?
(2)その50周年とは “いつ” ?
(3) “いつ” 作曲されたのか?
(4 初演されたのは “いつ?””どこで?””どんな機会に?”
(5)初演時の演奏バンドは?、指揮者は?
(ふつうは委嘱した者が初演の栄誉を担うが、ときたま違うケ-スもある)
(6)”Our Citizen Airmen”というCDは、どんなCDなのか?その “オ-プニング・セレクションとは?”
少なくとも以上を確認できないと、ノ-トなど書けやしない。作曲者のスミスは、ウィンド・ミュ-ジックのフィ-ルドだけの作曲家ではない(というより、それ以外のジャンルでの活動が中心)ので、多忙のときはまったく音信不通になってしまう。時間内に返答がこない可能性はあったが、早速スミスにコンタクトを試みる。と同時に、プログラム・ノ-トに書かれてある情報を手がかりに独自の調査もはじめることにした。
まずは作曲のきっかけを作った(1)についてだが、日本人にとってまったく馴染みがない組織だけに、それが一体どういうものなのかを大掴みできないうちは、どんどんと前に進んでいくわけにはいかない。しかし、この曲は “アメリカ” で出版された “アメリカの作品” だけに、作曲者の書いたプログラム・ノ-トでも、 “アメリカ人にとって一般常識的な事柄” についての説明は見事なぐらい省略されている。(1)に関しても、所在地以外はまったくノ-・インフォメ-ションだった。
アメリカ空軍には、”The U.S.Air Force Band,Washington,D.C..”(日本でもおなじみの”アメリカ空軍ワシントンDCバンド” )のほかにもいくつかバンドがあり、自主制作のCDやカセット(いずれも非売品)は、いずれも各バンドで独自に作られている。早速、”何かヒントがあるのではないか” と思って、手持ちのCDやカセットをガサゴソやってみた。すると、 “A Time of War… A Time of Peace” というタイトルの、かなり前にシカゴのミッド・ウェスト・バンド・クリニックでゲットした1枚のCDが目にとまった。演奏しているバンドは “The Command Band of the Air Force Reserve”。スミスのプログラム・ノ-トに書かれているバンド名とよく似ているが、全く同じというわけではない。しかし、”Air Force Reserve” という文字は同じだ。そこで、CDジャケットの写真を目を凝らして見ると、モスクワのクレムリン宮殿をバックにロシア陸軍中央軍楽隊と “The Command Band of the Air Force Reserve”(このCDの演奏者)が並行して整列し、アメリカ側の少なくとも前3列はスコットランド伝統のキルトの制服を身にまとったアメリカ空軍のバグパイプ鼓隊、という構図の写真だ。
▲”A Time of War…A Time of Peace”
写真は、冷戦終結後の1992年5月にモスクワの “赤の広場” で行なわれた “平和の勝利のパレ-ド” の際の撮影。ブックレットの説明によると、このバグパイプ鼓隊 “The Air Force Reserve Pipe Band”は、アメリカのミリタリ-・バンド組織の中で、唯一、常時演奏任務を与えられている正規のバグパイプ鼓隊だそうで、このCDでも2曲、物真似でない見事な “スコットランド風” の演奏を聞かせてくれる。
“アメリカにもこういうグル-プがあるんだ” と思いながらも、そのとき、筆者にとって重要なことは “このCDの演奏者とスミスに作品委嘱をしたバンドに関連が有るのか無いのか” ということだった。そこで、何げなく写真に写っているバグパイプ鼓隊のバス・ドラムに描かれているマ-クを見ると、一部が楽器に隠れて見えないが、それでも “….ATES AIR FORCE RESERVE” “…IPE BAND” という文字とともに “…OBINS AIR FORCE BASE” “GEROGIA”という文字がハッキリと確認できた。ここまで読めたらもう問題ない。このバグパイプ鼓隊は “ユナイテッド・ステ-ツ・エア・フォ-ス・リザ-ヴ・パイプ・バンド、ロビンズ・エア・フォ-ス・ベ-ス(空軍基地)、ジョ-ジア(州)” と書かれたバス・ドラムを使っているバンドだった
バンド名に使われている文字に多少の違いはあるが、もう間違いない。アメリカ空軍のバンド組織は90年代に大きな組織改編が行なわれたので、恐らくはそのときに同時に改名が行なわれたのだろう。このCDの演奏者とスミスに作品委嘱をしたバンドは、同一のバンドか、少なくとも同じ系譜にあるバンドだった。プロフィ-ルによると、43名編成で、プレイヤ-は全員 “正規の空軍のミュ-ジシャン” とのこと。 “エア・フォ-ス・リザ-ヴ” を名乗りながら、実質、アメリカ空軍のバンドということになる。このCDができあがった1992年当時で “50年” の歴史をもつという記述から、バンド誕生は第2次大戦中の1942年頃ということになる。
ここまできて、つぎに軍事関連やアメリカの資料を漁っていくと”Air Force Reserve/エア・フォ-ス・リザ-ヴ” は、その文字通り “予備空軍” であることがわかってきた。つまり “戦争などの緊急事態に際して、国内基地所属の航空隊に海外出動命令が下ったときなどに、普段は市民生活をおくっている空軍OBのパイロットなど、予備役を召集し、アメリカ本土防衛上の軍事的空白を生じさせないために本来の所属部隊が留守中の基地や人員を必要とする部署へ短時間のうちに展開させる” ことを目的のひとつに掲げる空軍組織で、本拠とする訓練基地(コマンド部隊を併設)をもち、航空機などの機材や装備を常備して有事に備えている(後発部隊として現場へ投入されることもある)。第1次大戦の国防意識の高まりの中に誕生し、古くは単に “パイロットを養成したり、趣味のために飛ぶ” ことが目的の民間の “飛行クラブ” のような形態をとっていたこともあるが、プロペラ機の時代ならいざ知らず、ジェット機が主流となる時代にそんな “のどかなこと” はやってはいられない。第2次大戦が終了したつぎの年の1946年7月1日には、テネシ-州メンフィスで戦後初の訓練飛行が実施され、1948年4月14日、正式に “アメリカ合衆国予備空軍/The United States Air Force Reserve”となった。この組織は、直後に起こった “朝鮮戦争(Korean War)”でさっそく機能し、最近では “湾岸戦争”(英語だと “The Persian Gulf War/ペルシャ湾戦争” という)のときにも、国防上大きな貢献をしたとされている。
組織全体の “正式発足” よりバンドの方が6年ほど前(1942年頃)にスタ-トしているが、当時は戦時下。すべてのことが各現場のおかれている状況や要望で臨機応変に動く。その結果、1992年当時のバンド名に “United States/アメリカ合衆国の” が入っていないのも、 “Air Force Reserve”当時にバンドが配置された “名残り” で、近年の組織改編のときに “正規のもの” に落ち着いたと考えると納得がいく。やっと全体像が見えてきた。
そこで、音楽に立ち戻ってスコアのコピ-ライト・ラインをチェックすると、1999年にベルウィン=ミルズ(Belwin-Mills Publishing Corp.) 社が著作権を設定している。スミスが書いている “アメリ合衆国予備空軍50周年” は、おそらく、この組織が正式に発足した1948年から50年を数えて “1998年” だろう。すると、スミスの多忙ぶりから推し量って”作曲は1998年か、それより少し前” だろう。
ここまでの下調べを終えて、あとはスミスからの返信を待つだけとなった。
03:イ-グル
2000年2月4日(金)の大阪市音楽団(市音)によるレコ-ディングも無事終了し、やがて月半ばを過ぎようとしていたが、作曲者スミスへ出した質問状の回答はまだだった。
市音プログラム編成委員の方々の “ねばり”(File No.02参照)に遇って、その解説ノ-トを書かねばならなくなった筆者としては、正直いうと心中穏やかではなかったが、この曲以外の調査~執筆も平行して行なわねばならなかったので、 “回答が来る頃には他の曲の部分は出来上がっているだろうし、それからこの曲に集中すればいい” ぐらいに考えていた。
実際、当時は、夜9時ごろに仕事の後始末を終え、ス-パ-に買い出しに行って食事をとってソファ-で仮眠。そうすると午前2時から2時半ぐらいに目が開くので、午前6時ぐらいまで(どういうわけかこの時間は頭がクリア-に冴えているので)ノ-トの調査・執筆や海外との連絡をこなし、6時半には始業準備に入って、その後、実家の客商売と母親の看病、という毎日を過ごしていたので、ノ-ト執筆に使える “時間” には物理的リミットがあった。そんなわけなので、一度に情報が集まったところですぐに処理できるわけでもなく、 “返答がこない” ことについては気にはなってはいたが、その時点における最優先事項というわけでもなかった。
また、このとき、収録曲の曲名を日本語にする作業において、実は簡単に解決できそうにない大きな難問にぶつかっていた。CDやブックレットを実際に制作する現場からは、「 “ノ-ト” はあとで結構ですので、まずは “曲名” だけ先にください。」という要望が市音を通じて来ていたが、筆者は「そんな約束はしていない。曲の中身がたいへんデリケ-トな民族的問題を含んでいる可能性があり、あらゆる手はつくしているがアルファベットの曲名も “何語” なのか確認できず、したがって発音も不明なのでカタカナにすらできないものがある。中身や言語がはっきりと確認できるまで待ってほしい。適当に訳した日本語曲名など、渡すわけにはいかない。」と応酬していた。
問題になっていたのは、後に「シリム~クレズマ-・ラプソディ」と訳すことができたピ-ト・スウェルツの “SHIRIM~A Krezmer Rhapsody” 。おもしろいことに、このタイトルに関しては、作曲者や出版社も語学上の問題を完全に把握・処理しているわけではなかった。この曲名を日本語にするために必要な資料は大きな図書館にも系統だって揃ってなく、結局、語学書、宗教書、旅行書など、結構高い本を新たに6冊も買うハメになった。エラい出費だ。外国盤だと、曲名は楽譜どおりのアルファベットだけで処理できるのに….。(File No.02)
一方、スミスのこの作品の日本語曲名を決める作業は、他の曲に比べてそんなにやっかいなことではなかった。市音のプログラム編成委員が訳した仮題(File No.02-参照)は「鷲の翼に」。初めてこの仮題を見たとき、 “鷲の(EAGLE’S)”も “翼(WINGS)” も和訳としては問題ないが、”ON”を “に” と訳していることには “何か曖昧な感じがして、オリジナル・タイトルとニュアンスが違うのでは” と感じた。また、全体としては、ジェット機時代の音楽のタイトルとしては “スピ-ド感” がなく、結構カッコいい曲なのに日本の戦時歌謡の曲名のようなイメ-ジがつきまとってしまうと思った。
▲“星条旗”と“白頭鷲”がデザインされたCD「I AM AN AMERICAN」
それでは、どうしよう。最初にこの曲のタイトルに使われている “EAGLE”だが、アメリカ合衆国で “EAGLE”と言えば、まずは国の紋章に使われている “はくとうわし” をさす。つまりこの曲名にある “EAGLE’S”は、意訳につとめると “アメリカ合衆国の” という意味を含む。そのあとに出てくる “WINGS”は文字通り航空機の “翼(つばさ)” もしくは “空軍の飛行大隊””パイロット記章” などなど、ときには派生して “空軍” それ自体を示す意味合いで使われることもある。従って、 “EAGLE’S WINGS”は “アメリカ合衆国空軍” を実際の言葉のウラに含んだネ-ミングであることがわかる。しかし、”EAGLE’S” を “アメリカの” もしくは “アメリカ合衆国の” と意訳してしまうと、音訳の “オン・イ-グルズ・ウィングズ” から遠く離れてしまう。できるだけ原題のイメ-ジを残すために “EAGLE’S”は “アメリカ合衆国” をシンボライズする象徴そのものを扱っているのだからそのまま直訳して “イ-グルの” とし、”WINGS” はより一般的な “翼” を使うことにした。すなわち”イ-グルの翼” 。漢字をひとつ減らすだけで随分とイメ-ジが変わった。残る “ON” は英和辞典やら英英辞典などから “~にのる” という用法を引っ張りだしてきた。
最終的にCDに使われた「イ-グルの翼にのって」という日本語曲名は、こうして完成した。 “翼” は “よく” ではなく “つばさ” と読んでほしい。大空にはばたく航空機のイメ-ジやスピ-ド感を多少なりとも残すことができていれば幸いだ。後日、市音プログラム編成委員の延原さん(File No.02参照)から「あのタイトル、結構気に入ってますよ。」と聞いて、まずは責任を果たせのではないかと安堵している。
余談ながら、アメリカには “イ-グル”(ボ-イング・マクドネル・ダグラス F-15/航空自衛隊も導入)という名前の戦闘機が実際に存在するが、スミスがそれを特定してネ-ミングをしたわけではないことは、作曲の “経緯” を綴ったプログラム・ノ-ト(FileNo.03 参照) の中で何も触れていないことから考えても明らかだ。かすかに引っ掛けてある可能性は否定できないが….。
また、アメリカをシンボライズして “EAGLE”を曲名に使った例は他にもいろいろある。筆者の大好きなマ-チ、ジョン・フィリップ・ス-ザ(John Philip Sousa) の「無敵の鷲(The Invincible Eagle)」もそのひとつ。この曲もLP時代に「無敵の荒鷲」という、今では信じられないような日本語曲名でレコ-ドが発売されていたことがあった。現在のそれと違う点は、わずかに “荒” という字が有るか無いかだが、これが一文字入るだけで曲名の日本語から受けるイメ-ジがガラッと変ってしまうからたいへんだ!! “荒鷲(あらわし)” は、今日ではほとんど死語に近いが、太平洋戦争当時には、日本軍の航空部隊もしくはその搭乗員を示す “代名詞” としてマスコミ紙上でさかんに使われていた。 “ブンブン荒鷲、ブンと飛ぶぞ~” という歌詞でさかんに歌われた戦時歌謡もあったぐらいだ。たぶん「無敵の荒鷲」という曲名が印刷されたLPを発売した関係者の中に戦中派スタッフがいらっしゃったのだろう。筆者も、学生時代、まったく疑うことなく「無敵の荒鷲」という曲名を鵜呑みにしていたが、あるとき、この曲の作曲の経緯と曲名に使われている “EAGLE”の本当の意味を知ったときに、「いったい何だ!! コリャ!?」とビックリ仰天してしまったことがある。それ以来、「無敵の鷲」を使うように努めたが、周囲には「無敵の荒鷲」を使う人がウジャウジャ。かくいう筆者も若い時代に頭の中にこびり付いてしまっていた「無敵の荒鷲」を消去するのにものすごいエネルギ-を必要とした。市音プログラム編成委員の仮題「鷲の翼に」を最初に見たときに、まるで “戦時歌謡の曲名” のようだと感じた理由も、以上の説明でご想像いただけよう。
この国では、単なるカタカナ化の作業も含めて、 “外国産” のものはすべて日本語に置き換えないと一般化できない。その結果、 “何年も学校で習ったはずなのに英語が話せない” “アルファベットをそのまま取り込めない” などなど、インタ-ネット時代にひとり日本だけが “取り残されがち” な理由の一端も実はここにある。音楽の曲名とて例外でない。それだけに、日本語曲名を作らねばならない場合には、よほど慎重な作業と、アルファベットで示されているオリジナルに含まれているさまざまなファクタ-を尊重する “真摯な態度” が必要だろう。 “思い込み” や “知ったかぶり” は絶対にいけない。近年、われわれの世界でも、あたかも映画の邦題のような “ウケ” を狙ったとしか思えない(それからオリジナル・タイトルが想像できなかったり、実際にもとに戻すことが不可能な)日本語曲名を見かけるようになった。一度ひとり歩きを始めた “曲名” は、それが明らかに誤ったイメ-ジを伝えていると判明してからもなかなか修正できない。要注意!!
▲「イーグルの翼にのって」が紹介されているWarner Bros./Belwinカタログ表紙
さて、そんな作業を繰り返しているうちに、2月も終わりに差し掛ってきた。しかし、スミスは何も打ち返してこない。もういけない。最初から “最後はそうしよう” と考えてはいたが、ここはアメリカ空軍の機動力を頼りにすることにしよう。そう思った筆者は、スミスに宛てた質問とほぼ同じ内容のメッセ-ジをワシントンDCのボ-リング空軍基地内、アメリカ空軍ワシントンDCバンドの広報官(Director of Public Affairs)のダナ・L・スタインハウザ-(Chief Master Sergeant Dana L.Steinhauser)宛てに発信した。”作曲者が多忙のようで返信がデッドラインに間に合いそうもない” と添え書きして。
相手先の事務所には、それこそ世界中から毎日膨大な数のメッセ-ジや照会、出演依頼などが届く。できれば、そんな先に煩わしい質問など送って相手の仕事を増やしたくなかったが、「何でも連絡してくれ。」と言われていた言葉だけを頼りに今回は無理をお願いすることにした。ジョ-ジア州にあるという “The Band of the U.S.Air Force Reserve”のアドレスなどを調べている時間的余裕ももう無かったし……。
04:新たな疑問
アメリカ空軍の “機動力” は想像以上にスゴかった。2月29日早朝(日本時間)に、ワシントンDCのボ-リング空軍基地内 “アメリカ空軍ワシントンDCバンド” の広報官に送られた筆者の “質問状” は直ちにジョ-ジア州ロビンズ空軍基地の “The Band of the U.S. Air Force Reserve” に転送され、3月1日付けで、 “アメリカ予備空軍” の名をもちながら “アメリカ空軍” に所属する人員で構成される同バンドの広報担当者ビル・グランジャ-(SSgt Bill Granger) からつぎのような回答がFAXで届いた。
「質問にある作品 “On Eagle’s Wings – Our Citizen Airmen”は、1998年のアメリカ合衆国予備空軍50周年を祝賀する栄誉を担う the Band of the United States Air Force Reserve によって委嘱された。それは、1998年1月にロバ-ト・W・スミスによって作曲され、1998年2月11日、ジョ-ジア州メ-コンのメ-コン市オ-ディトリアムでバンドのコマンダ-でありコンダクタ-の Captain N.Alan Clark の指揮のもと、The Band of the United States Air Force Reserve により初めての演奏が行なわれた。..(後略)」
“ほぼOKだ” 。この回答で上記した疑問点(2)~(5)のすべてのポイントがクリア-になった。残るは “Our Citizen Airmen” というタイトルの非売品のCDに関する(6)だけだったが、これは他のポイントに比べて少々掘り下げすぎかも知れないので場合によっては省略も可能だ。とはいうものの、できればクリア-にしておきたい。前記の回答につづいて “CD送付のための住所の確認” と “市音のCDが出来上がったらバンドへ送ってほしいという要望” が書かれていたので、早速 “お礼状” を打ち返し、それには “お互いのCDを交換できる喜び” を記しておいた。うまくいけば(6)もCDノ-トの “校了” 時点までには判明するかも知れない……。
そして、筆者は直ちに “さくら銀行吹奏楽団” の超有名吹奏楽人、井上 学(いのうえ まなぶ)さんに電話を入れた。実は、アメリカ空軍に “S.O.S.” を送る以前に、同吹奏楽団が第6回定期演奏会(3月25日<土>、東京・お茶ノ水スクエア “カザルスホ-ル” )に “アメリカ空軍バンド・オブ・ザ・パシフィック=アジア(The United States Air Force Band of the Pacific-Asia / “さくら銀行吹奏楽団” のプログラムでは<太平洋音楽隊>と表記されていた)”のコマンダ-&コンダクタ-、ディ-ン・L・ザムビンスキ-大尉(Captain Dean L.Zarmbinski)を客演指揮者に招いているという情報をキャッチしていたので、ひょっとするとこの人物ならば、空軍同士なので”Air Force Reserve の50周年” を知っていたり、”Our Citizen Airmen” というCDを持っているのではないか(持っていたら、”インレ-・カ-ド” や “ブックレット” に何が印刷されているか教えてもらおう)と思って、井上さんに “一度、尋ねてもらえませんか?” と頼んでいたからだ。ノ-トを引き受けた以上、考え得る手はすべて打たねばならない。スミスの返答を待つ間も、ただただ手をこまねいていたのではなかったわけだ。
さて、電話に出た井上さんにこちらからも “S.O.S.” を送って “打ち返し” があったことを伝えると、「あっそう。よかったですね-。こっちの方も頼まれたことやっとき(やっておき)ましたよー。ただ、本人がしばらく不在ということなんで、副官に質問事項を伝えておきました-。必ず伝えてくれるというんで、なんか返答があるでしょう。今は待っている状態です。スンマセンネー、何も進んでなくてー」と、いつもの軽妙な関西風味の受け答え(巷では、ほんまに “銀行員” かいな-?という “噂” もチラホラ出るらしい)。後は、いつもの “長時間雑談” になだれ込んだ。(後日、このザムビンスキ-・ル-トは、ご本人が “Air Force Reserve”の件のCDを持っていらっしゃらなかったので、結局 “よくわからない” ということで決着がついた)※
こうして、大阪市音楽団(市音)の自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” の「イ-グルの翼にのって」のノ-ト執筆の準備は完了した。しかし、この時点までに費やしてしまった月日は、ほぼ1ヵ月半。市音やCDブックレットの制作担当者もきっとジリジリとしてノ-ト完成を待っていることだろう。
このCDには合計8曲入る予定だが内7曲がまったくの新曲だったので、この時点に至ってもまだ解決しないといけないポイントが若干残ってはいたが、それらもほぼ解決のめどがついたので、前記のアメリカからの返信を受け取った時点で残っていたノ-トの仕上げに一気に突入した。そして、ほぼ10日後の3月13日深夜、ついにノ-トは完成。昼間の16時間労働をこなした後に仮眠をとり、深夜に2~3時間しか執筆に使えない筆者にとってはこれが “最短” の着地点だった。(なにしろ、普通の睡眠をまるでとっていなかったものだから、昼間ウツロな目をしてボーッとしながらもアクセク動きまわっている筆者を見て周囲のものが “ほんとうに大丈夫?” と気遣ってくれるぐらいの “生きるか死ぬか” のフラフラ執筆だった。実際、このための資料として購入した本を母の病院に向かう途中の地下鉄の車内に置き忘れてしまい、何冊も同じものをもう一度買うハメになった。しかし、毎日の介護があるから倒れるワケにはいかない。気合いだけは充実していた)
完成したノ-トは、翌14日に市音とブックレットのデザイン担当者に届けられた。しかし、後で聞いた話だが、この間、市音と制作サイドの間では<発売日延期>が真剣に議論されており、もう1日ノ-ト完成が遅れていたら、本当に<延期>の決断をせまられるところまでいっていたという。
一方、このノ-トを書いている間、実はまたひとつ “新たな疑問点” が浮上していた。それは、バンドからの回答にあった “1998年2月11日” に行なわれたという初めての演奏に関してだった。つまり “これは実際に聴衆を前にした演奏だったのか?” という疑問。よくよく考えてみると、この種の “50周年記念用” のようなCDは、当然行なわれる筈の祝賀式典やパ-ティ-の事前に録音され、当日に関係者に配布されるのが普通だろう。すると、これは “録音日” だったのではなかったのか。ハタと困ってしまったが、2月11日が “初めて” 演奏が行なわれた日ということだけは “事実” だった。また、一方で、バンド側がすぐ動いてくれさえすれば、例のCDが時間内に届くかも知れないという期待もあった。アメリカ空軍の “機動力” はすでに実証済みだ。そして、CDさえ届けば(6)も解決するに違いない。そこで、筆者は「イ-グルの翼にのって」のノ-トを、この日を返答どおりに “初演奏” と書いて、場合によっては後で “部分的な差し替え” をすることで変更可能なスタイルで仕上げることにした。
そして、前記どおり、このノ-トは3月14日に担当者に渡ったが、それから8日後の3月22日、アメリカから待っていたCD “Our Citizen Airmen” が届いた。
早速、デ-タをチェックすると、このCDの録音日は “1998年2月9~13日” で、睨んだとおり “2月11日” は録音日だった。また、スミスのプログラム・ノ-トにある “オ-プニング・セレクション” の意味も判明した。CDを聴くと、お決まりの「アメリカ国歌」に続いて、ナレ-タ-がグリ-ティングとアメリカ合衆国予備空軍について説明をし、そのナレ-ションの最後で “50周年” 記念委嘱作であるスミスの「イ-グルの翼にのって」のタイトルが告げられるとオ-トマチックに音楽が始まるという一連の流れに添ったワン・セットの “オ-プニング・セレクション” が入っていたのだ。
さて、この時点で “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” のブックレットの工程は、ほとんど “校了寸前” の状況にあった筈だ。それでも、すべての疑問点がクリア-になった筆者は、正しいデ-タをどうしても入れてもらうために急いで “部分的な改訂ノ-ト” を書いて制作担当者にFAXで送った後、電話で直接事情を説明して “差し替え” を依頼した。一瞬なんとも言えない “いやな空気” が漂うが、なんとかそれをOKしてもらう。しかし、発売予定日がどんどんと迫ってくる中で、その後にその部分の “著者校正(執筆者が校正)” を新たに行なうことなど、どう考えても時間的にすでに無理となっていたので、あとは先方にすべてを任せてしまう “責任校正(執筆者にゲラを廻さず担当者の責任で校正)” となることに同意した。もう、そんなに “切羽つまった” 状況になっていたのだ。そこへ降って沸いたような “差し替え” の依頼。なんという制作者泣かせの執筆者なんだろう。(少なくとも、先方はきっとそう思っていたに違いない)
しかし、どうにか、正しいデ-タをブックレットに盛り込むことができた。デッドラインぎりぎりセ-フ。そう思った瞬間、どっと “睡魔” が襲ってきた。
05:2つのプロジェクト
ロバ-ト・W・スミスの「イ-グルの翼にのって」は、威厳に満ちたファンファ-レに始まる祝賀ム-ド溢れる導入部につづいて、リズミカルなテンポにのった主部が展開し、ゆったりとした導入部の音楽が再現される短い中間部のあと、主部を再現し、コ-ダに至るという簡潔なスタイルで書かれた演奏時間が3分50秒から4分30秒くらいのサイズの作品。委嘱されたときの意図どおり、セレモニ-やコンサ-トのオ-プニングにピッタリの華やかな作品だ。スコアには指揮者への留意点をまとめた作曲者のノ-トがあるが、テンポに関しては厳密な指定はなく、ある程度指揮者任せなので、短い曲にもかかわらず演奏時間の幅を大きくとれる。したがって、演奏される機会の用途に応じ変化のある対応が可能で、 “どんなテンポや音楽的演出を使うか” が指揮者のちょっとした腕の見せどころとなってくる。また、他の多くのスミスの作品と同じく、フィ-ルドいっぱいに展開するマ-チング・バンドにとってもさまざまな演奏効果が期待できる作品といえるだろう。
スコアを見ながらそんなことを考えていたとき、バンドパワ-編集部のコタロー氏から電話が入った。「スミスの “イ-グル” って、今度出た “土気シビック” のCD(CAFUA、CACG-0010 )にも入ってるね。これって聴いた?」
“ア-、加養さんところの土気シビックウインドオ-ケストラもCD出したのか” と思いながら、「ヘェ-、そうなの。コタロ-さんも知ってのとおり、最近何ヵ月もCDショップへ行ってないし、というより実家を中心に半径 500メ-トルより遠いところへは物理的に移動不可能なんで、正直、今どんなCDが出ているかも知らないし、そのCDのことも全然知らなかった。」と答える。音楽から完全に足を洗って休憩なしの16時間労働と母親の介護だけの毎日を送り、ごくたまに思いだしたようにバンドパワーに “ラクガキ” を書き込む程度の筆者にとって、新しく聴くCDは内外の友人が送ってくれるものだけとなっていて、コタロー氏から知らされたこの情報はとても新鮮に耳に響いた。
しかし、同時にちょっと気になったこともあったので、こちらからも “質問” をくりだした。「ところで、そのCDの日本語タイトルはどうなっている?」
すると、コタロ-氏が「エ-ッと、ちょっと待ってね。今、見るから・・・・エ-と、”鷲の翼に” になってます。」との回答。
このタイトルは、市音のプログラム編成委員がCDの企画時に考えていたのとまったく同じだ。「結局、2種類の日本語タイトルのCDが市場に出まわることになってしまったね。まったく違ったところでほとんど同時に2つのレコ-ディング企画が進んでいたわけで、これはしょうがないか。」と、筆者はコタロ-氏に答えていた。
▲土気シビックウインドオーケストラVol.4
市音のCDに、今では市音の “お気に入り” となっている「イ-グルの翼にのって」という日本語タイトルを提供した張本人としては、ちょっと困惑する立場に立たされることになったが、 “土気シビック” の皆さんが自主的にお作りになったCDの内容に別段異義を唱えるつもりなどない。そして、この作品の日本語タイトルに関する筆者の考え方は、この原稿を読んでいただればそれで十分と思う。
しかし、一度印刷されて世に出たものは後々まで大きな影響力を行使する。出てしまった以上、多少の混乱は避けられないが、これもまた将来にまで語りつがれる “話題” のひとつになるんだろうな。
(余談ながら、市音の「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-1996」(大阪市教育振興公社、OMSB-2802)に提供した同じスミスの「ブラック・ホ-クが舞うところ(Where The Black Hawk Soars)」という日本語タイトルを訳出したときも、<BLACK><HAWK>という2つの英語の単語がともに日常的に使われる簡単な日本語に “訳せてしまう” ことから、<黒鷹>あるいは<黒い鷹>と訳してしまうか、原題にある<ブラック・ホ-ク>という “音(オン)” をそのまま残すかを秤りにかけた思い出がある。このときは、委嘱者である米ヴァ-ジニア州のハイ・スク-ルの新しい校舎に描かれた<ブラック・ホ-ク>の図柄のもとになった “同じ鳥” が日本の自然界に生息していないという生物学的な事実から、それをシンボライズして固有名詞として扱うことですべてが解決した。)
しかしながら、スミスのこの作品は、それぞれが直線距離 500キロをこえる地域で活動し、接点などまったくない関西のプロフェッショナルと関東の市民バンドが、結果的に、ほぼ同時にCD用レコ-ディング・アイテムとして選曲していたということであり、その事実ひとつをとっても、この作品がいかに “魅力ある作品” であるかの証明となっているように思えた。
06:スコアの留意点
・指揮者へのノ-ト
スコアには、作曲者から指揮者へあてた英語のノ-トがある。この楽曲の意図をつかむため、指揮者には、演奏前にこのノ-トを読まれることをお奨めしたい。(スミスが使う英語の勉強にもなる。)
・大阪市音楽団のレコ-ディング・セッションでの変更点
「3rd Trumpet 」・・・・・・・ 37、38、49、111、112、113の各小節の2拍目の<H>の音を<B♭>に変更して演奏。
その他、木管の各パ-ト(ピッコロ、フル-ト、オ-ボエ、クラリネット)にあるトリルを、全音トリルを使わず半音トリルを使って演奏した箇所があるが、これは作曲者の指定ではない。
Thanks to Mr.Hiroaki Nobuhara,the OMSB.