■樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」File No.02 『マーティン・エレビー:新世界の踊り』

マ-ティン・エレビ-:新世界の踊り
NEW WORLD DANCES (Martin Ellerby)

01:作品ファイル
<Version I>原曲/ブラス・バンド版(Brass Band Version)

[作曲年]1996年

[作曲の背景]
作曲者がコンポ-ザ-・イン・レジデンス(専属作曲家)のポジションにあったイギリス青少年ブラス・バンド(The National Youth Brass Band of Great Britain) の1996年夏の同バンドのアメリカ演奏旅行のための新作オリジナルとして委嘱 により作曲。同年7月4日に完成。

[編成]
E♭ Cornet
B♭ Cornets
(Solo Cornets<I、II、III、IV>、Repiano Cornet、2nd Cornets <I、II>、
3rd Cornets<I、II>)
B♭ Flugel Horn
E♭ Horns(Solo、I、II)
B♭ Baritones(I、II)
Trombones (I、II、Bass)
Euphoniums (I、II)
E♭ Basses (I、II)
B♭ Basses (I、II)
Timpani
Mallet Percussion
(Xylophone、Glockenspiel、Vibraphone、Tubular Bells)
Percussion
(Snare Drum、Bass Drum、4 Pitched Drums、Bongos、Tam-Tam、
Clash Cymbals、 Suspended Cymbal、Hi-Hat Cymbals、
Ride Cymbal、Maracas、Mark Tree)

[楽 譜]
1999年、イギリスのStudio Musicが版権取得。

[初 演]
1996年7月24日、アメリカ・ノ-ス・カロライナ州カロウィ-のウェスタン・カロライナ大学ホウイ・オ-ディトリウムで開催されたイギリス青少年ブラス・バンド(National Youth Brass Band of Great Britain)のコンサ-トにおいて、同バンドの音楽監督ロイ・ニュ-サム(Dr.Roy Newsome)の指揮で世界初演。日本初演は、1999年10月27日、大阪のサンケイホ-ルで催されたブリ-ズ・ブラス・バンドの “ライムライト・コンサ-ト18” において、同バンドの常任指揮者、上村和義の指揮によって。

<Version II>ウィンド・バンド版(Wind Band Version)

[改作年]1998年

[改作の背景]
1998年、イギリス、マンチェスタ-のロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ(The Royal Northern College of Music)の委嘱により、同題のブラス・バンド曲をウィンド・バンド(吹奏楽)用のオ-ケストレ-ションに改める。

[編成]
Piccolo
Flutes (I、II)
Oboes (I、II<doubl.:Cor Anglais>)
E♭ Clarinet
B♭ Clarinets (I<div.>、II<div.>、III<div.>)
B♭ Bass Clarinet
Bassoons (I、II)
E♭ Alto Saxophones(I、II)
B♭ Tenor Saxophone
E♭ Baritone Saxophone
B♭ Trumpets (I、II、III、IV)
F Horns (I、II、III、IV)
Trombones (I、II、III)
Euphonium <div.>
Tuba <div.>
String Bass
Harp
Piano <doubl.:Celesta>
Timpani
Mallet Percussion
(Xylophone、Glockenspiel、Vibraphone、Tubular Bells)
Percussion
(Snare Drum、Bass Drum、4 Pitched Drums、Bongos、Tam-Tam、
Clash Cymbals、 Suspended Cymbal、Hi-Hat Cymbals、
Ride Cymbal、Maracas、Mark Tree)

[楽 譜]
1999年、イギリスのStudio Musicから出版。図版番号:M-050-03116-1。

[初 演]
1998年4月6日、マンチェスタ-のブリッジウォ-タ-・ホ-ルで開催された第17回英国シンフォニック・バンド&ウィンド・アンサンブル・アソシエ-ション(BASBWE)年次カンファレンスのコンサ-トにおいて、ティモシ-・レイニッシュ(Timothy Reynish) 指揮、ロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ・ウィンド・オ-ケストラ(The Royal Northern College of Music Wind Orchestra)の演奏で。

【マ-ティン・エレビ-/Martin Ellerby】

1957年10月22日、イングランドの北中部のノッティンガムシャ-州ワ-クソプに生まれる。最初にトランペットを、つづいてピアノを学び、ロンドン音楽カレッジを卒業後、同じくロンドンの王立音楽カレッジ(RCM)でジョ-ゼフ・ホロヴィッツに作曲を、W・S・ロイド=ウェッバ-に対位法を師事。さらに、作曲家ウィルフレッド・ジョ-ゼフズにもプライベ-トに学んだ。作品は、管弦楽、室内楽、声楽、器楽など、幅広いジャンルにあるが、師のホロヴィッツの影響もあってか、近年ウィンド・バンド(吹奏楽)とブラス・バンド(金管楽器と打楽器からなるバンド)の両ジャンルにも作品を数多く書いている。1994~95年、スイスのブラス・バンド “ブラス・バンド・ベルナ-オ-バ-ラント” のコンポ-ザ-・イン・レジデンス(専属作曲家)、1995~96年、イングランド芸術カウンシルのスポンサ-ドによる “イギリス青少年ブラス・バンド” のコンポ-ザ-・イン・レジデンス、1997年からはイングランドの名門ブラス・バンド “フェアリ-・バンド” のコンポ-ザ-・イン・レジデンスを歴任する一方、母校ロンドン音楽カレッジの作曲および現代音楽の主任教授をつとめ、1997年からは “ロイヤル・エア・フォ-ス音楽学校” の教務責任のある客員教授もつとめている。

02:号泣

昨年(1999年)11月の半ば、大阪市音楽団(以下:市音)のトランペッター、田中 弘(たなか ひろむ)さんに電話をした。田中さんは、市音の演奏プログラムを立案し準備する “プログラム編成委員” のひとり。スクール・バンドの世界で全国にその名を轟かせている京都の洛南高等学校の出身で、大阪音楽大学を経て市音に入団されたという、いわば “吹奏楽の虫” である。市音きっての人情家のひとりで、お酒にまつわる武勇伝にもこと欠かないが、少々怪しげな “関西風イングリッシュ” を駆使して、毎年12月にアメリカのシカゴで開かれる<ミッドウェスト・バンド&オーケストラ・クリニック>にも私費で参加されるなど、氏のウィンド・ミュージックにかける情熱は並々ならぬものがある。

しかし、何事に対しても直接あたって道を切り開いていく “まずは行動ありき” というタイプだけに、氏の行く先々では自然発生的にハプニングも起こってしまう。シカゴのクリニックでもこんな出来事があった。日本でも有名なアメリカのさる軍楽隊のブースに人々が行列をつくってCDをもらっているのを目ざとく見つけた氏は、すぐに列に並んで差し出された書類(もちろんすべて英語で印刷されている)に、氏名、年令、住所、所属バンド名などを記入してCDをゲットし、大喜びをされていたことがあった。しかし、後日アメリカからオフィシャル・レターが届いて、これは大きな勘違いであったことが判明した。レターは先の軍楽隊からで、そこにはこう書かれていた。

<たいへん申し訳ありませんが、貴殿はアメリカ国籍ではありませんので、先に提出された “入隊希望” にはお応えすることができません。>

以来、氏は “あの有名なアメリカの軍楽隊に入りそこなった” というこの一件で市音ではさらに一目置かれる存在となったという。(まったくの余談ながら、市音では、2000年4月22日(土)に京都コンサートホールで催されたオランダ海軍バンドのコンサートにおいて、オランダ側の依頼で、急病の奏者に代わってトランペット&コルネット奏者の村山広明さんが急遽ステージにのったことがあった。それを伝え聞いた口うるさい “ガクタイ雀ども” の間では、このとき村山さんが軍楽隊のユニフォームを着たのかどうかが一時話題になったが、当のご本人に尋ねると、いつも市音で着馴れている普通のステージ衣装だったとのことで一件落着。それにしても、プレイヤー急病という緊急事態に際し、演奏予定曲の音楽上の必要からエキストラ奏者を入れて演奏を行なったオランダ海軍バンドの態度はいかにもプロフェッショナルと言えた。)

それはさておき、田中さんとの電話は、筆者が “現役だった” 当時にミッドウェスト・クリニック直前の情報交換のためにどちらからともなく始まった毎年恒例のものだった。個人的な事情から現役から身を引いたこの年は、クリニックに参加する海外の友人に個人的なメッセージを伝えてもらおうと思ってのこちらからの電話だった。

しかし、話を始めると、氏は「ちょうどこちらからも電話しようと思っていたところでした。<ニュー・ウィンド・レパートリー2000>のことで相談にのっていただきたいことがありまして・・・・・・。」と言う。

▲左から、田中さん、延原さん、そして洛南高の宮本先生 (大阪市音楽団の「吹奏楽フェスタ’97」から。 1997.5.3 森ノ宮ピロティホールにて)

市音自主企画CD<ニュー・ウィンド・レパートリー>は、その立ち上げに参画したことから筆者にとっても思い入れのあるシリーズだ。実は、<ニュー・ウィンド・レパートリー>というCDのタイトル自体も筆者のアイディアだったりする。1999年は早々に “廃業宣言” をして、多くのレコード会社の解説原稿の執筆依頼をことごとくお断りしていたので、氏にも「解説ノートは書けませんよ。」とクギをさした上で、後日、仕事が終わる深夜にお会いして、ざっくばらんに話を聞くことにした。

深夜のミーティングは、やはり市音プログラム編成委員でクラリネット奏者の延原弘明(のぶはら ひろあき)さんも加わって始まった。延原さんも大阪音楽大学の出身で、市音では長年E♭クラリネットの名手としてならし、何十人ものプレイヤーによる合奏サウンドを下に従えて最高音域で自由にふるまえるこの楽器を演奏することに何にも代えがたい “快感” を覚えていると話されていたことがあった。近年、B♭クラリネットにパート換えになり、市音の組織上でも管理職のひとりとなられた。田中さんの大学の先輩であり市音では上司ということになる。

話は、まず<ニュー・ウィンド・レパートリー>収録予定曲の選曲についての相談から始まった。何でも、市音プログラム編成委員はこの時点までにものすごい数の曲を聴いていたのだが、リスト・アップの結果、もう少しこのCDの企画コンセプトに向く曲の情報を入手した方がいいということになったのだという。

筆者は、市音がすでにどんな曲をリスト・アップしているのか、まったく知らなかったが、思いつくままの意見でいいということだったので、まずは「日本の作品では、市音が世界初演を行なったという位置づけからも、酒井 格(さかい いたる)の「大仏と鹿」がいいのではないでしょうか。技術レベルも演奏時間の上でも無理がないし。」と発言した。すると、ふたりは “やはり” という顔をしながら、「偶然意見が一致しましたけど、その曲は候補曲に上がっています。」と言う。さらに「地元出身の作曲家という意味でも応援したいと思いますし・・・・。」とも言う。「大仏と鹿」に関しては、本来、何事も無かったら、NHK-FMの “ブラスのひびき” でも “バンドピーブル” 誌でも大きく取り上げていたはずの曲だっただけに、それを聞いて “まずは良かった” と胸をなで下ろす。

つづいて、ヨーロッパでは、フィリップ・スパークの「ディヴァージョンズ~スイスのフォークソングによる変奏曲」や「ノルウェーのロンド」、マーティン・エレビーの「新世界の踊り」と「パリのスケッチ」、ベルト・アッペルモントの「ノアの箱舟」などなど、アメリカでは、ロバート・W・スミスの新曲の中かから1曲を選んで・・・・・・、などと曲の概略を説明しながら自説を展開した。今度は、初めて耳にする曲名が多かったようだ。「お役にたてば」と作曲者からもらっていたCD-Rなどの音源を手渡して、まずはプログラム編成委員の皆さんに聴いていただくことにした。

しかし、そこからが問題だった。田中、延原両氏は、筆者にとって最もプレッシャーのかかる話を持ち出してきた。龍城弘人団長にも話を通し、大阪市音楽団の総意として、今度の2000年盤の楽曲ノートを依頼したいというのだ。筆者は、即座にお断りした。母親の看病と年中無休の実家の仕事をこなすだけで体力的に手一杯で、最大限の集中力を必要とするそんな大仕事を引き受けるのはあまりにも無責任だと思えたからだ。

実家の仕事はサービス業の一種で、1日に 200~300人ものお客をさばきながら、軽く 25000歩を超す運動量をこなさねばならない。16時間働いた後はクタクタで頭もカスミがかかったような状態になってしまう。聴きなじんでいるCDなどを聴いてもまったく違う音で聞こえるので、すでに頭の中はすでに限りなく脳死状態に近いのだろう。仕事の片手間に集中を必要とする執筆などとんでもない。ノートを書くとすると、わずかに残った寝る時間を削るしか方法がない。一番の問題は、仮に筆者が寝込むようなことがあれば、母の看病をする人間が事実上いなくなってしまうことだった。

“これは、フル・タイムで音楽解説を書いている人がすべき仕事だ!!” 筆者は、以上のような事情を話して頑としてクビをタテに振らなかったが、市音を代表してその場にいるふたりも一歩も引かない。話は平行線のまま時間だけがどんどん過ぎていった。ふたりはついに、実際にはまったく不可能なことながら、指示を出してもらえば資料の調査や筆者の昼間の仕事の手伝いまでもすると言いだした。時計はすでに午前4時をまわっている。容赦なく睡魔も襲ってくる。6時30分には始業準備に入らねばならない。しかし、ふたりはなおも頑張る。ギリギリの選択だった。ふたりの熱意に負けて、とうとう「今回だけはなんとかやってみましょう。」と言ってしまった。

すると、突然、田中さんが号泣を始め、延原さんが「良かったなー。」と言いながら、その肩をたたいている。ふたりの様子を見ながら、 “これはヘタなノートは書けないゾ” と思いながらも、筆者はつぎの条件をつけることにした。

「まずは、ノートの引き受けは今回だけということ。締切日の指定はしないこと。さらに、字数制限を設けないこと。」これは、事実上、ノートの仕上がり日如何で印刷・製本工程に物理的な無理が生じて発売延期を余儀なくされたり、字数によってはブックレットの予定ページ数も変って制作予算も変わってしまうケースがあるということを意味していた。「締め切り守って生活安定!!」「健康より原稿!!」というスローガン(!?)ばかりが横行するプロの物書きの世界には、普通こんな無茶苦茶な条件を出す執筆者などいない。しかし、手一杯の毎日を過ごしているこちらとしては、絶対にゆずれない最低限の条件だった。ふたりは、それでもいいという。筆者はとんでもないことを引き受けてしまったと後悔しながらも、海外の作曲家などと早急に連絡を取る必要があることから、収録曲の最終リストを一日も早く欲しいとお願いして、ふたりと別れた。

03:日本初演

エレビーの「新世界の踊り」のオリジナルは、1996年、サクソルン属金管楽器と打楽器を中心とする楽器で構成される合奏体、すなわち “ブラス・バンド編成” の楽曲として作曲された。当然ながら、日本における初演奏も、1999年10月27日(水)に大阪のサンケイホールにおいて催された “ブリーズ・ブラス・バンド(BBB)” の “ライムライト・コンサート18” で、同バンドの常任指揮者、上村和義の指揮で行なわれた。


▲「新世界の踊り」日本初演中のBBB(於:サンケイホール 1999.10.27)

この日本初演が最初に計画されたのは、作品の情報をBBBがキャッチした1997年のことだった。しかし、このときは以下のような理由から将来の機会に見送られた。まず、作品の著作権をもっているイギリスのステューディオ・ミュージック(Studio Music Co.)に問い合せた結果、その楽譜は出版予定だがまだ少し先になりそうだという回答が得られたこと。加えて作品の完成から一定期間、演奏権は作品の委嘱者(この作品の場合、イギリス青少年ブラス・バンド/The National Youth Brass Band of Great Britain)に属し、他は演奏できないケースがあることも容易に予想できたことからだった。結果、この作品は将来の演奏予定曲としてストックされた。

その演奏が再びプランに上がったのは、1999年春のことだった。この年、BBBは “大阪文化祭賞” の本賞を受賞し、その活動内容に注目したサンケイ企画が「いろいろあるBBBのコンサートの中でも、 “ライムライト・コンサート” を、ぜひとも、うちのホールで開催させてもらえないだろうか」と打診してきたときのことだった。 “うちのホール” とは、JR大阪駅にほど近い大阪北区の桜橋交差点の西側に位置するサンケイ新聞(産業経済新聞)大阪本社内の “サンケイホール” だった。

昭和28年(1953年)にオープンしたこのホールは、1452席の客席をもち、普段は「桂 米朝独演会」などの落語会や講演、演劇、映画などが開かれている多目的ホール。新聞社のホールだけに、大阪の人なら知らない人はいないというくらい有名なホールだが、建てられた時期が “敗戦” からそんな遠くない “復興の熱意はあるが何をやってもすべて手探り” の時代だっただけに、今のパブリック・ホールと比較すると、アコースティックな演奏団体がコンサートを開くには、設備面や音響特性など、事前に解決しておかないといけない課題も少なくないホールとなっていた。とくに大きな問題になりそうだったのは、ステージの奥行きが大きくとられていないこと、そして、音響特性がデッドな(いわゆる “響かない”)ことだった。そんな事情もあって、音楽専用ホールが増えてきた昨今、PAを使わないアコースティックなクラシック系コンサートが開かれることはごくごく稀だったが、近年、館長が代わってからは “音楽ホール” としても積極的に活用していくという方針を打ち出していた。

一方、 “ライムライト・コンサート” は、BBBの自主コンサートの中でも最も重要なシリーズであり、他の演奏団体の “定期演奏会” に相当する。ブラス・バンドの本場ヨーロッパに今流れている “風” をタイムラグなしに日本に届けるという明確なコンセプトのもとに、毎回、つぎつぎと創り出されるブラス・バンド・オリジナルの注目作を取り上げるだけでなく、シリーズ3回目のコンサートとなった1992年の “ライムライト・コンサート3” 以降、指揮者、作曲家、ソロイストなど、現在のブラス・バンド界の “顔” というべきゲストを海外から続々と招いている。ブラス・バンド・ファンだけでなく、演奏家にとっても本場ヨーロッパと日本を直結する “夢多き” コンサートなだけに、演奏サイドにも “持ち出し(自腹を切る)” がある一方で、いろいろな “こだわり” もある。コンサートに使うホールの “響き” も重要な要素だった。


▲「ライムライト・コンサート18」プログラム

BBBの常任指揮者、そして代表者でもある上村和義さんからサンケイ企画の提案について最初の相談があったとき、筆者は “ブラス・バンド” という合奏形態が、個々の管楽器が出す音を直接的に聴衆に届けるものではなく、ステージの上でブレンドさせた音を反響板などを利用して聴衆に間接的に届けて、あたかも “パイプ・オルガンであるかのような” 奥行きの深い合奏サウンドを作り出していることから、「ホールの “響き” を味方にできないホールでのコンサートは、できれば避けて通る方がいいのでは」と答えた。当然ながら、BBBのミーティングでも賛否両論の意見が出たという。

議論百出の末、「将来もっとコンサートを開くことのできるホールにするため、ぜひともチャレンジさせてほしい」とするホールの熱意ある提案でもあり、BBBもそれに真正面から取り組んでみることになった。そして、可能な限り音響を改善するために、ホールで実際に演奏を行なってみるなど、事前にさまざまな試みが行なわれ、既存ステージの上に反響板を特設したり、ステージ自体も客席をかなりつぶして前方に大きく張りだされることが決まった。

演奏プログラムや招聘ゲストもホールの音響特性から選ばれた。
一般に、ブラス・バンドは、残響が短くキャパシティーの大きなホールでは、聴く者を圧倒するようなパワフルな音楽においても、各パートの動きの細かいディティールをくっきりと、かつスリリングに表現することができる。言い換えると、動きの激しい現代作品向きというわけだ。他方、ディナーミクの設定が小さい音楽の場合は、できるだけ不協和音が使われておらず、音と音の隙間が少なく合奏音が “スカスカ” にならないようにオーケストレーションされている作品を選ぶことが肝要だ。BBBでの正式決定を受けて、6月下旬、上村さんが再び来宅され、筆者所有の音源を聴いたり、楽譜などの資料に目を通しながら、徹夜作業(毎度おなじみ!?)で、すでにアウトラインが決まっていたゲストの人選や選曲を一からやり直す作業に入った。

BBBの “ライムライト・コンサート” シリーズで事実上のメイン・プログラムになる “ブラス・バンド・オリジナル” は、ふつう実際にプログラムにあがる1~2年前から候補曲を絞りながら計画的にストックされていく。1999年秋の “ライムライト・コンサート18” の場合は、マーティン・エレビーの「ヴィスタス」とフィリップ・スパークの「海の風景」が候補曲となっていた。いずれも “山” や “海” をテーマとする壮大なスケールの作品で、何よりも音楽の中から “情景” や “詩情” といったものが浮かび上がってくる点が魅力だった。しかし、両者ともテーマがテーマだけに、実際に演奏が行なわれる空間に “響き” や “余韻” を十分に楽しむことができる “音響上のゆとり” が少ないと、演奏者がどんなにリハーサルを重ねて演奏を作っても、聴衆にその魅力を余すことなく伝えることがほとんど不可能に近い、そんなキャラクターの作品でもあった。

「今度のホールにふさわしい作品ではない。」ふたりは、まず、それを確認した。

代わって浮上してきたのが、アイディアをストックしたままにしていたエレビーの「新世界の踊り」だった。演奏時間8分程度のこの作品は、同15分以上という前記2曲に比べると作品のサイズこそ小さいが、現代的で斬新なアイディアを使って書かれたリズム感あふれる2つの音楽を前後にもち、その中間にフリューゲルホーン・ソロをフィーチャーした情感あふれるメロディーを聴かせるという、全く違った魅力をもったメリハリの効いた3曲構成(速い~ゆっくり~速い)の組曲だった。と同時に、何よりも今回与えられたホールの特性に対する選曲上の命題を見事にクリアする作品だった。さらに、音楽としてのおもしろさだけでなく、もともとがユース(青少年)・バンドのために書かれた作品だけに、演奏技術においてもアグレッシブにすぎる要求がなく、将来、日本のアマチュア・ブラス・バンドの重要なレパートリーになり得る可能性をもっている作品だと判断された。

まだまだ日本国内の “ブラス・バンド” のコンサートが少ないだけに、BBBのプログラミングは、たとえそれが自主コンサートであっても一人よがりの自己中心的陶酔の世界に走るのではなく、 “将来” を見据えての “提案” を常に盛り込んでいくというテーマをひとつの命題として行なわれているわけだ。

BBBの “ライムライト・コンサート18” の第1部のトリを彩るブラス・バンド・オリジナルは、こうして選曲された。早速、楽譜の手配に入ったが、実際には、ここからの道程も意外なほど長かった。

04:奥の手

ブリ-ズ・ブラス・バンド(BBB)の常任指揮者、上村和義さんとの真夜中のミ-ティングの後、まず「新世界の踊り」の出版権を持つイギリスの出版社ステュ-ディオ・ミュ-ジック(Studio Music Co.)に “オリジナル・ブラス・バンド版” の楽譜について問い合せてみた。順序として、曲を管理する出版社に問い合せるのが最もフォ-マルな方法だし、前回の問い合わせからかなり時間も経過し、バ-ジョンIIであるウィンド・バンド版も出版準備が進んでいたことから、「ひょっとすると、もうすでに・・・・・・」と考えたからである。しかし、珍しいことに、同社からはなかなか返答がこない。上村さんからは「返答ありましたか?」と矢のような催促の電話が何度もある。しかし、国際間のフォ-マルな問い合わせや交渉ごとには、多少時間がかかろうが必らず返答があるので、「ものには順序があります。お急ぎでしょうが、問い合わせはすでに出してありますから、待つしかありません」と返答する。

楽譜の出版は、とてもリスキ-な事業だ。 “時間がかかっている” というのは、先方になんらかの事情があるからと理解しなくてはならない。 “オリジナルで特殊楽器が使われているような場合、その扱いを出版楽譜でどうするのか決まっていない” とか “作曲家がバ-ジョン・アップのために手直ししたいと申し出てきている” など、楽曲自体の出版前の最終チェックが完了していなかったり、もっとも効果的な発売時期をさぐっていたり、ときには、突然の問い合わせに対する返答のためのミ-ティングまで行なっていることもあるからだ。今は待つしか手がない。

それから3週間近く経過した7月下旬、待っていた返答がやっときた。「できるだけ近いうちに出版の予定だが、まだ決定には至っていない。」
なんのことはない。前回と何ら変わらない回答だった。 “できるだけ近いうちに/アズ・ス-ン・アズ・ポッシブル(as soon as possible)”。英語には都合のいい言い方があるものだ。これは実際には “具体的には何も決まっていない” ということを意味する。間違っても “もうすぐなんだな” などと希望をもってはいけない。ただ、現実問題としては、一旦そう切り出されると、それ以上、何も話を進めることができなくなってしまうことが多いだけに困ってしまう。しかも、相手は質問に対して “誠意ある正確な回答” をしたことになるのだからなんとも始末が悪い。

しかし、今度は演奏会が決まっているだけに、「ハイ、そうですか」と簡単には引き下がれなかった。予定の行動ながら、早速、つぎの手に移ることにした。作品を委嘱した初演者と作曲家を “その場” に引っ張りだそうというのである。

幸いにも、作曲を委嘱し、世界初演したイギリス青少年ブラス・バンド(The National Youth Brass Band of Great Britain/略称:NYBB) の音楽監督ロイ・ニュ-サム博士(Dr.Roy Newsome)とは、1990年のジョン・フォスタ-・ブラック・ダイク・ミルズ・バンド(John Foster Black Dyke Mills Band /その後、2度バンド名を変更し、現在のバンド名は “Black Dyke Band (1855)” )の日本演奏旅行にゲスト指揮者として参加されていたときに意気投合して以来、お互いを <ロイ><ユキヒロ> とファ-スト・ネ-ムで呼び合うお付き合いをさせていただいていたし、作曲者のマ-ティン・エレビ-とは、1996年、ロンドンのロイヤル・アルバ-ト・ホ-ルで開催された “全英ブラス・バンド選手権(The National Brass Band Championship of Great Britain)”のチャンピオンシップ部門決勝で、例年だと前年のチャンピオン(つまり “ディフェンディング・チャンピオン”)が行なう “ガラ・コンサ-ト” のステ-ジを、ディフェンディング・チャンピオン “ブラック・ダイク・ミルズ・バンド” の代わりにブリ-ズ・ブラス・バンドが任されるという、歴史と格式を誇る全英選手権史上 “かつてなかった出来事” があったときに、コンサ-ト終了後のステ-ジの上で作曲家のジョ-ゼフ・ホロヴィッツ(Joseph Horovitz/エレビ-の作曲の師でもある)から紹介を受けて以来、旧知の間柄だった。


▲NYBB公式リーフレット

相手は知り合いとはいえ、これは “交渉ごと” なので双方に記録が残る必要がある。早速、ニュ-サム博士に依頼する用件を文面にしてFAXを発信した。内容の概要は、以下のようなものだった。

1)  ご承知のように、上村和義と<ブリ-ズ・ブラス・バンド>は、これまでに数多くの現代作曲家と “ブラス・バンド・オリジナル” を日本に紹介してきましたが、きたる1999年10月27日、大阪のサンケイホ-ルで行なわれる “ライムライト・コンサ-ト18” において、今度はマ-ティン・エレビ-があなたのNYBBのために作曲した「新世界の踊り」をぜひとも取り上げたいと希望しています。実現すれば、その演奏は日本初演になります。

2)  楽譜についてステュ-ディオ・ミュ-ジックに問い合せましたが、「出版予定」との回答で、コンサ-トに間に合わない可能性があることがわかりました。

3)  もちろん、BBBは出版がコンサ-トの準備期間の前になるなら、楽譜を購入して 演奏します。しかし、残念ながらそうでなさそうです。そこで、作曲者の同意が得られるなら、 “念のため” NYBB所有のスコアとパ-トを、この “コンサ-ト限定” という条件でお貸しいただけないでしょうか。(費用はBBBが全額負担)

博士のFAXナンバ-は電話兼用タイプ。博士の在宅時は「ハロ-!! ニュ-サム」と博士が受話器をとった後、相手がFAXだと気づいた場合すぐにFAXに切り変わる。不在の場合は、録音された応答メッセ-ジにつづいて自動受信に切り変わる。ところが、その日はなんらかの障害があるようで、博士が応答に出てFAXに切り変わるが、途中でアラ-ムが鳴ってうまく流れない。もう一度トライしたが、結果は同じだった。「こりゃ、ダメだ。」

どこまで文章が届いたかも、こちらではわからない。博士が在宅中なのは確かなので、筆者はすぐ電話をかけることにした。


▲ロイ・ニューサム博士

「ハロ-!!ニュ-サム。おお、ユキヒロか。 “新世界の踊り” の演奏を決めてくれてありがとう。あれはいい曲だ。」と、いきなり早口で話しかけてくる。どうやら、文面の一部は届いているようだ。しかも「新世界の踊り」の演奏に関しては間違いなく歓迎されている。

そこで、相手の話をさえぎって「ところで、ロイ。FAXは完全に届いている?」と訊ねてみた。すると、「いや、途中で切れている。ペ-パ-切れだ。ミュリエル(博士の奥さん。ブラス・バンドをやっている人は、みんな自分の子供か孫のように思っているとてもお茶目な “おばちゃま” で、ブラス・バンド関係者すべての人から愛されている。BBBがパワ-全開で練習を行なっている大音響のリハ-サル室の中で、それをさも “いつものこと” であるかのように軽く受け流しながら何時間も楽しげに編みものをされていた姿が忘れられない)に、新しいのを用意しておくように言っておいたんだけど・・・・。」とブツブツいい始めたが、すぐに話題に戻って「楽譜はNYBBのライブラリ-にあるので、 “貸し出し” については、マ-ティンにきいてみるから少し時間をくれないか。」と返答してくれた。どうやら、肝腎の用件部分は届いていたようだ。

一安心して「了解」と返事をすると、「今日は “ジャパン・デ-” だ。さっきも、サチ(内田佐智さん。大阪音楽大学で作曲を学んで中学校の音楽の先生になったが、BBBの演奏を聴いてブラス・バンドに魅せられ、単身イギリスのソルフォ-ド大学に留学。フィリップ・ウィルビ-やピ-タ-・グレイアムに作曲を学び、最近作曲したブラス・バンドのためのマ-チが作曲コンテストで一等賞に輝いて、近々出版予定という。京都府の久御山町立久御山中学校の先生をされていたときには、吹奏楽部の指揮者としてディルク・ブロッセの「エル・ゴルペ・ファタル」の日本における初演奏を行なった)から電話があったばかりで、それが終ったと思ったら、今度は君からのFAXと電話。とても愉しい日になった」と、博士はゴキゲンな様子。相手につられてお互いの近況やFAXの脱落部分などをしゃべっていると、結構な長電話になってしまった。

7月27日、博士からFAXで返答が届いた。「今朝、マ-ティン・エレビ-から電話があって、 “新世界の踊り” の楽譜についてはステュ-ディオ・ミュ-ジックから出版されることになっているので、同社から楽譜を買ってくれないか、と言っている。私はこれがベストな方法だと思う。なぜなら、もし、NYBBの楽譜セットを短期間そちらに送ったとしても、それは限られた短期間の貸出しになり、BBBがセットを買うなら、BBBは希望するときに何度でも演奏できるのだから。

そこで、同社にいるフィリップ・スパ-ク(Philip Sparke)にコンタクトすることをおすすめする。彼が君の助けになってくれると確信するので。しかし、もしうまくいかなかったら、もう一度、私に連絡してほしい。ただし、7月31日から8月15日までは、NYBBとブラス・バンド・サマ-・スク-ルのために留守にしている。今年は、およそ 100名というものすごい数の生徒の面倒をみることになって、・・・・・・・・・ 」

これで振り出しに戻った。少なくとも、この時点では当方の “せっばつまった” 事情が作曲者に伝わっていないのは確かだった。さて、どうする。博士は、筆者とフィリップが親交を結んでいるのをよく知っているので、彼の名を出したんだろう。取り急ぎ指示に従ってフィリップに連絡をとってみることにした。例年のサマ-・バケ-ションに入っていなければいいのだが、と祈るような気持ちで・・・・・・・・。

連絡をとると、フィリップはステュ-ディオ・ミュ-ジックの事務所にいた。用件とこれまでの経緯を伝えると、「ボクはすぐに長いバケ-ションに入るが、その間事務所に残る者に、すぐ “ファクシミリ・エディション” のフル・スコアとパ-ト譜を準備して送るように指示を出しておいた」と即答してくれた。BBBの活動と “ライムライト・コンサ-ト” を高く評価してくれているフィリップならではのすばやい対応だった。

“ファクシミリ・エディション” とは、出版社の承認の下に特別に作られる楽譜の清刷りコピ-のことで、アメリカの出版社あたりでも “オ-ソライズド・コピ-” と称して、出版社によっては “絶版” になった曲でもこの方法で手に入れることができる場合もあるので覚えておくと便利だ。

しかし、 “ファクシミリ・エディション” を用意できるということは、「新世界の踊り」のブラス・バンド版は、出版社の中ではすでに版下が校了していることを意味している。作曲者もそれを知っていたので楽譜を買って欲しいといったのだろう。しかし、これまでの経験で、筆者は版下が完全な状態になっていても楽譜がすぐに出版されないケ-スや、場合によっては “おクラ入り” になったケ-スをいくつも知っている。(実は、驚くべきことに、2000年4月に至っても「新世界の踊り」のオリジナル・ブラス・バンド版の出版は決まっていない)何はともあれ、大騒ぎの末ようやく楽譜を送ってもらう約束をとりつけて、まずは一安心。さっそく、上村さんに “演奏OK” の電話を入れた。BBBは、これでやっとコンサ-トの告知(チラシを作ったり、マスコミに情報を流したり、などなど)を進めることができるようになった。

しかし、現実はいつもドラマチック。実際には8月の下旬に至っても楽譜は到着せず、フィリップのバケ-ション明けを待って再度連絡をとると、彼もビックリ仰天。「なぜこうなってしまったのか、信じられない気持ちだが、作製を任せた者がそれをすっかり忘れてしまっていた!?」というシドロモドロの返答。結局、この “ファクシミリ・エディション” は、フィリップが大あわてで作製して自ら梱包し、9月上旬に無事到着した。

05:オリジナルの秘密

9月(1999年)、大騒動の末に「新世界の踊り」オリジナル・ブラス・バンド版の “ファクシミリ・エディション” が届いた。曲名 “NEW WORLD DANCES” の上部に印刷されている「For Roy Newsome and the National Youth Brass Band of Great Britain(ロイ・ニュ-サムとイギリス青少年ブラス・バンドのために)」という献辞が誇らしげだ。


▲イギリス青少年ブラス・バンド(NYBB公式リーフレットから)

スコアもパ-トも、あとはコピ-ライト・ライン(一般に楽譜の下部にある “著作権が何年に発効したか” とか “著作権の所有者が誰であるか” を明記している表示部分)などを活字にするだけで、すぐにでも “売りに出せる状態” 、つまり完全版下直前の状態だった。スコアは、フル・スコアがセットされていたが、それをはじめて見たとき、実は「エッ1?」という声が出てしまった。思いもよらない “29段” もあるスコアだったからだ。

一般的に “ブラス・バンド” という合奏形態は、25名の金管奏者と2名ないし3名の打楽器奏者からなる “基本編成” や “各パ-トの人数” が決まっている。これはイギリス国内のブラス・バンド・コンテストにおいて、出場する各バンドの編成に差異や不公平がでないように “レギュレ-ション” が定められたことがル-ツだ。従って、<全英選手権>や<全英オ-プン選手権>、<オ-ル・イングランド・マスタ-ズ選手権>などの主要コンテストでは、各バンドはすべて同一編成でステ-ジに登場し、また、それら選手権のためのテスト・ピ-ス(課題)として書かれた近年の新作 “ブラス・バンド・オリジナル” も、そのほとんどがこの “レギュレ-ション” にそって作曲されている。(() 救世軍のブラス・バンドの編成は若干違う)

しかし、公園のパブリック・コンサ-トや街頭のマ-チングで見かけるイギリスのブラス・バンドの編成がすべて同一なのかといえば、実際にはそうとは限らない。 “理想と現実” のギャップはいずこにもある話。 “ブラス・バンド王国イギリス” といえどもすべてのバンドが同じ力量のプレイヤ-を常時揃えることができるとは限らないので、各バンドの音楽監督の裁量でウィ-ク・ポイントとなっているパ-トにエキストラ・プレイヤ-を入れて補強するようなことは比較的自由に行なわれているからだ。しかし、その場合でも楽譜上にあるパ-トを省いたりすることはふつう考えられず、 “ブラス・バンド・オリジナル” の演奏などに際しては、音楽的に重要な箇所では楽譜どおりの “音数(おとかず)”で演奏される。

もちろん、音楽カレッジや音楽学校出身のプロもしくはプロ水準のレベルの高い均質なプレイヤ-を揃え、前記のようなトップ・コンテストへ常時出場をめざすような “チャンピオンシップ・セクション(Championship Section)” にランキングされるバンドは、普段から “基本編成” で演奏活動を行なっている。(余談ながら、映画「ブラス(Brassed Off!)」で、日本でもおなじみになった “グライムソ-プ・コリアリー・RJB・バンド” も、現在は “炭坑労働者によるアマチュア・バンド” というわけではない)

また、イギリスの人々は、いくつかのバンドが集まって合同で演奏を行なう、いわゆるマス・バンド(Massed Bands)が大好きだ。 “ミスタ-・ブラス・バンド” という敬称で人々に親しまれた故ハリ-・モ-ティマ-(Harry Mortimer)が率い、コンサ-トだけでなく、レコ-ディングやラジオ出演も積極的に行なった有名なブラス・オ-ケストラ “ブラスの男たち(メン・オ-・ブラス/Men O’ Brass)” も、モ-ティマ-が普段から指揮をしていた “B.M.C.(モ-リス)””フェアリ-””フォ-デンズ” という1950~60年代に名をはせた3つのトップ・ブラス・バンドによってスタ-トした金管75名プラス打楽器という超強力なグル-プだった。


▲モーティマー指揮、ブラスの男たち 英EMIのロングセラーLP “Sousa the Great” (Columbia, TW0113廃盤)

というわけで “ブラス・バンド” の編成の運用は、コンテストやオリジナル・ピ-スの作曲上のインストゥルメンテ-ションを除いて、イギリスでは日本人が想像するよりもっと柔軟に対応していることもあることを知っておいて欲しい。

さて、エレビ-が「新世界の踊り」を作曲した “イギリス青少年ブラス・バンド” は、もちろんコンテストをめざす種類のバンドではない。メンバ-はイギリス全土からオ-ディションや推薦を通じて集められ、その演奏活動に参加することを通じてイギリス音楽界の重鎮や世界的演奏家から直接いろいろなことを吸収できるすばらしいプログラムだ。そのときの社会情勢などの要因から定員は多少増減があるが、コンテスト出場をめざすバンドではなく、 “育成” や “将来” を睨んだプログラムなだけに、編成もブラス・バンドの”基本編成” のパ-ト数をそのままにして人員だけを拡大したサイズとなっている。わかりやすく言うと、このバンドでは、コンテスト用 “基本編成” では1人しか奏者がいないパ-トに、さらに1人以上の奏者をダブらせているわけだ。

「新世界の踊り」のオリジナル・ブラス・バンド版の楽器編成は、上記 <作品ファイル>に示したとおりで、ごく一般的なブラス・バンド・オリジナルだと必要に応じて各パ-ト内で<tutti → div. ><div.→ tutti>というように、音や動きを分けたり、ダブらせたりするところを、div.扱いが可能なら最初から独立パ-トとして扱っているのが大きな特徴である。

一例を挙げると、 “基本編成” のバンドだと最低4人の奏者がいる[ソロ・コルネット]パ-トでは、最大4つまで “異なった音” や “独立した動き” をdiv.で扱うことが可能だが、この曲では[ソロ・コルネット]パ-トを最初から[ソロ・コルネットⅠ]~[ソロ・コルネットⅣ]とさらに細分化して4つに分けている。そんなわけで、一般的なブラス・バンド・オリジナルだと20段程度のフル・スコアですべてのパ-トが納まるのに、「新世界の踊り」では29段という、ブラス・バンド・オリジナルとしては、にわかには信じ難い段数の多いスコアとなっている。エレビ-は、演奏要員の余裕を楽曲の上で有効に活用していたのである(結果的に、この “音数” の多さが、後日、パ-ト数が相当多いウィンド・バンド版への改作時に役にたったことは間違いない)。

しかし、一方で “基本編成” の人数ワクはギリギリのところで守られ、4パ-ト(ふつうのブラス・バンド曲は2~3パ-ト)ある打楽器用にエキストラ奏者を1名確保さえすれば、一般的な “基本編成” のブラス・バンドでも充分に演奏可能(瞬間的に奏者ひとりひとりがまったく違う独立パ-トを吹く可能性もあり、とてもスリリング!! しかし、誰かが “落ちて” しまい、一瞬でも演奏をやめてしまうと…)となっていた(打楽器が4パ-トもあることも、あるいは出版を遅らせる原因になったのかも知れない)。

BBBの上村さんも、スコアをチェックして一瞬驚かれたようだが、その後まもなくして、「もう1人 “タイコのトラ” 入れて、やろう(演奏しよう)と思います。4パ-トありますしね(大阪ロ-カル・ワ-ド)」との電話が入った。 “タイコのトラ “とは、エキストラのパ-カッション奏者を意味するのだが、結局、超ビンボ-なBBBに、またまた余計な出費を強いることになってしまった。

06:エッ!?

12月2日(1999年)、大阪市音楽団(市音)の田中 弘さんから市音自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000″(大阪市教育振興公社、OMSB-2806)の選曲が完了した、との電話が入った。話をうかがうと、「今回は、市音として正式な “原稿依頼” ですので、近々チ-フ・マネ-ジャ-がそちらへうかがいまして直接お願いすると申しておりますので、具体的な話はそのときに…」ということだったので、こちらもそれ以上つっこんだ話は切りださなかった(この時点では、まだオフィシャルにノ-ト執筆を引き受けていたわけでもなかったので)。

7日、帰宅すると、市音チ-フ・マネ-ジャ-の辻野宏一さん(長らく市音のオ-ボエ奏者として活躍された)から “自主制作CD「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000」の件と92年に収録した「大栗 裕」作品集の中の「大阪俗謡による幻想曲」を東芝EMIから音源使用許可をもらって大阪市歌とともにCD化することについて相談とご了解をいただきたい事がありまして” という内容のアポイントを求めるFAXが入っていた。

“一体どんなレパ-トリ-に決まったのかな”と思うのと同時に、”はて?「俗謡」の話とは何だろう?”と思いながらも、翌日、電話連絡の上、わざわざこちらまで足を運ばれた辻野さんとお会いして話をうかがうと…”オヤ!? ”

「先日は “プログラム” のほうでいろいろとありがとうございました。これ、お渡しするようにと預かってきました」と、まずは “収録予定曲” の参考音源が入ったカセットを手渡される。つづいて用件に…「実は今、2008年のオリンピック招致運動の関係で、制作費用を個人的に出すので、大阪のことを知ってもらうために市長が各国を訪問する際の関係者に配布するCDを音楽団の演奏で作ったらどうか、という話がありまして」

“アレッ!? どうなっているの? “と思いながらも話のつづきをうかがうと
「予算の関係もあって全部新しく録音するというわけにはいきませんので、大阪市歌のいろいろなバ-ジョンを新録音して、それに”なみはや国体のCD(非売品)” から何曲かと “大栗さんのCD(大栗 裕作品集、東芝EMI,TOCZ-9195)” から “俗謡(大阪俗謡による幻想曲)”の音源を東芝EMIから借りて、あとはマ-チ”を何曲か入れて1枚のCDにすることになりました」

“フ-ン、そんなプランがあるのか “と思っていると…
「そこで、樋口さんが書かれた “俗謡”の解説の部分を日本語と英語の両方でこのCDのブックレットにも使わせていただきたいと思いまして。大阪のいろいろなことや曲のことを詳しく調べて書かれていて資料性も高いと思いますし。ただ、スペ-スの関係で、英文の方は全訳を使って、日本語の方は短くして使いたいと思うのですが…」

“エッ!? “と思って、慌てて口をはさませてもらった。

「すいません。まず最初にお断りしておかないといけないと思うのですが、まず、あのノ-トは、英文になることをまったく想定して書いていませんので、あのままでは英文に訳せないと思います。あれを書いた当時は、3ヵ月くらいかけて現地を実際に歩いて取材してから書きましたので、音楽用語以外にも、地名や和楽器名のほか、大阪ロ-カルの固有名詞も多く、どなたが翻訳されるのか知りませんが、英語だけでなくいろんな専門知識がないと翻訳できないんではないかと。例えば、”天神祭り”や “獅子舞い” “地車囃子(だんじりばやし)”、”当り鉦(あたりがね)”など、読む人が日本人だと、詳しくは知らなくてもおおよその想像はできますけど、外国の人には何のことかわからない。少しは説明を加えてやらないと…。また、翻訳しにくいからといって “落とされる”のも困るし。

それに、今、日本語の方は短くしてと言われましたけど、書いた本人としては、あれを勝手にパッチワ-クされたのではかなわない。それに、あのブックレットでは、冒頭の方で作曲者のことをまとめて書きましたので、”俗謡”の解説部分には “作曲者のプロフィ-ル”がまったくなく、逆にそれを加えるぐらいでないと不親切なノ-トになってしまうと思いますし…」

ここまで言ったとき、辻野さんの顔はすでに苦渋に満ちた顔になっていた。しかし、安易な妥協はできない。

「それにですね、今年のはじめの方で、日本のある大手レコ-ド会社によって、書いた本人に何の連絡も行なわれないまま、以前その会社のCD用に書いたノ-トをいつの間にか “新しく発売された別のCD”のブックレットに転用されてしまうという信じられない”事件”がありまして…。

私は、著作物というものは、もし再度印刷されるチャンスを与えられるなら、不幸にして誤植された部分の訂正や絶えず明らかになる新しい事実を加筆したりするために、つねに見直されてバ-ジョン・アップされるべきだと思うんですよ。そうしないと、新たにCDを買う人に失礼でしょう。ですから、私はずっとそうしてきました。始めのノ-トを書いたときから随分と時間もたっていますからね。

それと、自分の名前で出るものをまったく知らない人に “切ったり””貼ったり”されるのもちょっと…。もし、どうしてもノ-トを短くしなければならないというのでしたら、著者名のある著作物はすべて書いた本人の責任下にあるわけですから、作業は自分の手でやりたいんですけど…。今は実家の仕事や看病に加えて “今度やらないといけなくなったこと(ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-のノ-トのつもりでしゃべっている) “で、これ以上、時間はとれませんし…。もしお急ぎでしたら、どなたかまったく別の人に新しくノ-トを書いていただく方がいいのではないでしょうか。最初から執筆者に英文になることをお話しした上で…」

と、興奮気味に一気にしゃべって、この話自体は丁重にお断りすることにした。辻野さんは「帰って団長と相談してみます」と話されて帰られたが、しばらくして冷静に立ち戻ってみると、何か “おかしな”ことに気が付いた。

“ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-は、一体どこへいってしまったのだろうか?”

渡されたカセットには、ほとんど何のデ-タもない。慌てて “プログラム編成委員” の方々に連絡をとってみると、そちらの方も、まさかの”エッ!?!?.… ”

市音内部でちょっとした”伝達上の混線”があったようだ。そこで、急いでレコ-ディング予定曲目リストをFAXしていただくと…。あったあった。酒井 格(さかいいたる)の「大仏と鹿」、マ-ティン・エレビ-の「NEW WORLD DANCES」、ピ-ト・スウェルツの「SHIRIM」…。クラシック音楽から1曲、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲が入っているが、それをのぞいた残りの “オリジナル・ピ-ス” はとてもバラエティにとんでいて、バランスもいい。

予感が走る。”これは、いいCDになりそうだ!! ”

▲「ニュー・ウィンド・レパートリー2000」最終リスト 日本語曲名は仮邦題

07:プロジェクト始動

例年12月の中頃にアメリカのシカゴで開かれる “ミッド・ウェスト・インタ-ナショナル・バンド&オ-ケストラ・クリニック” が間近に迫った12月11日、最終打ち合せのために、大阪市音楽団(市音)の田中、延原両氏と深夜のミ-ティングを行なった。紆余曲折の末、「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000」の折衝役を市音の “プログラム編成委員” が担当されることになったからだ。

アメリカやヨ-ロッパの出版社の多く(すべてではない)がブ-スを出す “ミッド・ウェスト” では、すでに市音が楽譜をもっている酒井 格(さかい いたる)さんの「大仏と鹿」と佐藤正人(さとう まさと)さんがトランスクライブを行なっている最中のラヴェルの「ダフニスとクロエ」をのぞく、すべての楽譜をその場で注文し、必要情報などを入手する手筈を整える必要から、この直前ミ-ティングはとても重要な意味をもってくる。

席上、まず延原さんが「リストの選曲どう思います?」と口火をきり、田中さんも「曲名の日本語表記はまだ仮りのもので、また樋口さんが直してくれはると思うんで、とりあえずということで…(大阪ロ-カル・ワ-ド)」と続ける。

これに対して、筆者は「クラシックのトランスクリプションとオリジナル・ピ-スが混在しているのは “なんで?” という感じなんですが、オリジナルだけをみるなら、バラエティーに富み、いろんなレベルの曲が入っているのでおもしろいと思いますよ。日本語表記に関しては修正しないといけないものが多々ありますが、そんなものはCDとして発売されたときにちゃんとしたものになっていればいいわけですから、気になさる必要はありません。ただ、ノ-トを書かないといけなくなった立場からすると、一筋縄でいきそうでない、いやな予感がする(後日、これが的中する)曲が入っていましてね…」と、まずピ-ト・スウェルツの “SHIRIM” を挙げる。

すると、延原さんが「すいません。もう1曲、民族音楽的な候補曲があって、その2曲からこちらを選んだんですが….。このタイトル、こちらでもいろいろ調べてみたんですが、ようわからんのですわ(よく分からないのです)。イスラエルの民謡みたいなん(のようなん)ですけど。まあ、樋口さんやったら、きっとなんとかしてくれはる(いただける)と思って….(大阪ロ-カル・ワ-ド)」と答える。

筆者は、「いや、これはなんともならないかも知れません。ユダヤやアラブのものを扱うときは、細心の注意が必要なんですよ。万が一にも間違ったことは書けない。この曲のオランダ盤CD(de haske、 DHR02.024-3)はボクももっていますけど、その英語のノ-トにもほんとにロクなこと書いてありませんし…」と、感想を続け、さらに「その他には、日本ではまったく知られていないダ-レン・ジェンキンズ。この人はアメリカ人なので、うまくいけばシカゴにきているかも知れません」と、そこまで言うと、「わかりました。それについては、シカゴでサザ-ン(アメリカのテキサスにある出版社 “Southern Music”)に頼んで、写真とプロフィ-ルを手配させますわ」と田中さんが即答する。

田中さんとは、これまでいくつも仕事をしてきた間柄なので、こっちの考えていることがツ-カ-で通じてしまうことがある。このときは “おお!?” と思いつつ、それをお願いすることにした。わずかでも役割分担してもらえると、作業の進行がスピ-ド・アップするからだ(たとえ、お願いしたことがうまくいかなかったとしても、こういう申し出はとてもうれしい)。

その後、この日の深夜ミ-ティングでは、他の収録予定曲についても1曲ごとに楽譜や情報の入手の段取りなどの細目が打ち合されていき、マ-ティン・エレビ-の「新世界の踊り」に関しては、万が一、楽譜出版が間に合っていなかった場合には、ブリ-ズ・ブラス・バンドのときと同じように、 “筆者があらためて出馬” することとなった。そして、こういう作業がすべてが終ったときには、とっくの昔に日付が変わり、また午前4時近く。眠い。

年が明けて2000年。ミレニアムの年だ。届いた年賀状を見ていると、いつも “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-” シリ-ズを製作技術面、販売面でサポ-トしている広島の(株)ブレ-ンの加藤雄一(かとう ゆういち)さんからの1枚が目にとまった。「…、又、市音のお仕事で解説をという話、伺いました。是非いい一枚にしたいものです」 “久しぶりにノ-トを書くということが、もう伝わっているのか”

昨年は、このシリ-ズの1999年盤も含めて、いくつもの “仕事” をお断りしていただけに、どうも今度のことをきっかけに “現場復帰” と思われているのかもしれない。この世界は狭い。 “尾鰭(オヒレ)がついて話が業界を駆けめぐる前に、ちゃんと話をしておかねば….。” 同社の仕事始めの日に、早速、電話を入れて筆者の置かれている状況が何も改善されていないことと今回の経緯を説明し、今度のノ-ト執筆はあくまで例外中の例外であること、練習や録音、編集には一切立ち合わない(これまでは、国内録音の場合、関係するすべての録音現場に “出没” していた)こと、などをお話しした。受話器の向こうの声は、少しがっかりされた様子だった。きっと気を悪くされたに違いない。

2000年1月8日、シカゴから帰国された延原、田中両氏が来宅されて、現地での進捗状況などの説明を受けた。OK、すべて順調だ。

そして、松の内もとれた頃、自宅の留守電になつかしい声のメッセ-ジが入っていた。それは作曲家の森田一浩(もりた かずひろ)さんからのものだった。氏とは、90年代に東芝EMIが “吹奏楽マスタ-ピ-ス・シリ-ズ” という全30枚というシリ-ズCDを制作していたときからのお付き合いだった。こちらがしばらく自宅に戻っていなかったもので、メッセ-ジが録音されてからすでに何日かが経過していたが、「ちょっと教えてほしいことがあって…」というメッセ-ジだったので、 “なんだろう?” と思いつつ、早速、受話器をとった。

「お久しぶり!!」と両者、お互いの近況をしゃべりあった後、用向きをたずねると、それは、3月にビクタ-・エンタテインメントから出す “バンド・レパ-トリ-・ネットワ-ク” というCD(VICG-60268、3/23発売)に関してのことだという。しかも、質問は、そのCDに入るエレビ-の「NEW WORLD DANCES」のことだという。

“恐らく、マスタ-ピ-ス・シリ-ズのときと同じように、レ-ベル原稿をチェックしたり、ブックレットの版下を校正したりするような仕事をされているのだろうな” と思いながら、氏の質問に答えていった。

森田さんは、まず「樋口クン、前に “バンドピ-プル” に書いてたけど、この作曲者の名前の呼び方は “エレビ-” でいいんだよね」と念を押すような最初の質問。「ハイ、エレビ-です」と答える。

続いて、タイトルについて「これは “ニュ-ワ-ルド・ダンス” なのか、それとも “ニュ-・ワ-ルドダンス” なのか、どっちなんだろうか」という質問。 “ン?おもしろい質問だ。<‘新しい世界’ の踊り><新しい ‘世界の踊り’>のどっちだろうなんて” と思いながら、「この “NEW WORLD” は、ドヴォルザ-クの “新世界” 交響曲なんかと同じで、ヨ-ロッパの側から見た “新世界” すなわちアメリカ新大陸のことをさしています。ですから、ボクは “新世界の踊り” というタイトルを使っています」と答える。

すると、続いて「これって、 “ア-ス・ダンス” ~ “ム-ン・ダンス” ~ “サン・ダンス” という3つの音楽が入っているでしょう。インタ-ネットなんかを調べると、2つ目が “月の踊り” で、3つ目が “太陽の踊り” というのはよくわかるんだけど、最初の音楽が “地球の踊り” じゃなくて “大地の踊り” となっているのがあったりするんだよ。これは一体どっちなんだろう」と、だんだん質問も踏み込んだ内容になってくる。

筆者は、「 “大地の踊り” と訳した “犯人” は、ボクです。放送(NHK-FM “ブラスのひびき” )のときにアレコレ考えましてね。まず、 “地球の踊り” ~ “月の踊り” ~ “太陽の踊り” と訳した場合、宇宙を題材にした曲のように誤解される可能性が高い。この曲は、フロンティア・スピリットの西部開拓時代をイメ-ジしていますので、開拓者や原住民が(いやおうなく)相対した神のようにも思える自然界の事象をタイトルに選んでいるんです。本当は、日本語の文字数を合わせたくて “地(チ)の踊り” ~ “月の踊り” ~ “陽(ヒ)の踊り” でいこうと思ったんですが、文字が伝えられずに声のアナウンスだけになるような場合、そうしゃべると意味が正しく伝わらない( “地” を “血” 、 “陽” を “火” という “音” が同じで、まったく “意味” が違う語だと思われてしまう)可能性が高いので、それはマズイと思いましてね。

もともとブラス・バンドの曲で、昨年の “ブリ-ズ・ブラス・バンド” のコンサ-トのときにも、 “大地の踊り” ~ “月の踊り” ~ “太陽の踊り” としていただききました。」と答えた。

すると、森田さんは「エッ?ブラス・バンドの曲なの?」とたいへん驚かれた様子。こちらは、何故そんなに驚かれているのかわからなかったが、 “イギリスのブラス・バンドの<アメリカ演奏旅行>に際して作曲されたこと” など、その時点で知っているかぎりの作曲の経緯をお話しした。

しかし、その後、心臓が飛びだしてしまいそうなぐらいビックリする質問がくる。

「今度、市音でもこの曲を録音するんだよね。これって、樋口クンの推薦なの?」

“エッ!? 録音プランが部外に洩れている!?” と思いながらも、「いいえ。確かに市音の方から新しい曲の情報を求められて、何曲かの資料をお渡ししましたけど、最終的に曲を選ばれたのは市音の方々です。市音のCDでもさっきお話ししたタイトルにして下さい、と申し入れてあります」とお答えした。

すると「佐藤方紀(さとう やすのり)さん(File No.01参照)がディレクタ-をされるので、きっとそういうことになるでしょう。あと、さっき言ってた “ブリ-ズ” の演奏って、CDになってないの?」と、さらなる質問。「残念ながら、なっていません」とお答えしたが、森田さんが録音プランを知っていた理由も今の発言で同時に判明。市音のレコ-ディングをディレクションする佐藤さんこそ、一方でビクタ-の「バンド・レパ-トリ-・ネットワ-ク」のシリ-ズを企画・制作しているプロデュ-サ-なのだから…。

日本のウィンド・バンド・ワ-ルド。本当に狭い!?

08:ト-ク・バック

大阪市音楽団(市音)の自主企画CD”ニュー・ウィンド・レパートリー2000”のレコーディング・セッションは、2000年2月1日(火)~2日(水)の2日間、大阪市中央区大阪城公園内にある大阪市音楽団合奏場で “練習” 、3日(木)~4日(金)の2日間、兵庫県尼崎市のアルカイックホ-ルで “本番” という日程で行なわれ、エレビ-の「新世界の踊り」は、本番2日目(4日)の午後の最初のセッションで収録された。ディレクタ-は、佐藤方紀(さとう やすのり)さん。 “ハプニング” は、その「新世界の踊り」のセッション直前に起こった。

「ディレクタ-の佐藤です」昼食を終えた指揮者とプレイヤ-がスケジュ-ルに従ってステ-ジに戻り、これからまさにレコ-ディング・セッションが開始されるときを見計らって、佐藤さんはト-ク・バック(録音スタッフがいるモニタ-・ル-ムから演奏家に連絡をするときに使う)のマイクに向かった。佐藤さんは続ける。「これから録音する曲には、すでにエア・フォ-ス(イギリスのロイヤル・エア・フォ-ス・セントラル・バンド/The Central Band of the Royal Air Force )のなかなかいい録音があります。この曲は、ぜひとも、それを上まわるものを録りたいと思います。よろしくお願いします」

前日から始まっていたセッションの流れは、各曲ごとに、まずステ-ジ上で部分的なリハ-サルを行ない、同時にモニタ-・ル-ム(このときは “ステ-ジ裏の楽屋” を使用)ではディレクタ-やエンジニアたちがスピ-カ-を通して聞こえてくる演奏を聴きながらバランスなどの調整(リハ-サル中に終わることが理想)を行なう。その後、ステ-ジ上とモニタ-・ル-ムの折り合いがついたところで<テスト・テイク>に入り、<プレイ・バック(指揮者、プレイヤ-を含めた関係者で今録ったばかりのテ-プを聴く)>の後、<本番テイク>に入る。そういう流れだ。

それだけに、まずステ-ジ上の演奏が出来上がることが優先で、ディレクタ-はひたすら指揮者からの “録音いきましょうか!!” の合図を待つのが普通の進め方だ。佐藤さんの “ト-ク・バック” は、そのリハ-サルに入る直前のタイミングで出た。筆者にも経験があるが、ト-ク・バック・スピ-カ-から流れてくるディレクタ-の発言は、顔や表情が見えない人からの言葉だけにみんな耳を澄ませて聞く。それだけに、ヘタをうつと、その場の空気をアッという間にシラケさせてしまったり、プレイヤ-に余計なプレッシャ-をかけるだけに終ってしまう(場合によっては “ドロヌマ” にはまってしまう)こともあるだけになかなか難しい。

あとで聞いた話だが、このときの “ト-ク・バック” を聴いたプレイヤ-の中には昔のことを想いだして “ギョッ!?”(*)としたベテランもいたらしいが、大部分は “オオ-ッ!! 佐藤さん、エライやる気になってはるな-(大阪ロ-カル・ワ-ド)” と受け取り、俄然モチベ-ションも上がったという。結果、昼食休憩で気分をリフレッシュしたバンド全体の空気を一気にひきしめ、見事な集中力を発揮させることになったのである。さすが、百戦錬磨のベテラン・ディレクタ-だ。

((*)佐藤さんの異名に<トランペット殺し>というのがある。氏はレコ-ディングで簡単に “OK” を出さない厳しいディレクター。それだけに金管奏者は恨めしく思えることも多々ある。東芝EMI時代の1975年2月に、佐藤さんが連続してディレクタ-をつとめた東京佼成ウィンドオ-ケストラ(吹奏楽ニュ-・コンサ-ト・シリ-ズ “吹奏楽オリジナル名曲集Vol.2″、TA-60012、LP) と大阪市音楽団(同 “吹奏楽オリジナル名曲集Vol.3″、TA-60013、LP) のセッションに参加したトランペット奏者が、何れも一人づつ、その後しばらくして亡くなるという不幸が偶然重なったこともあって、いつしかそう呼ばれるようになった。佐藤さんの名誉のために書いておかねばならないが、もちろんレコ-ディング・セッションが原因ではない)

しかし、この “ト-ク・バック” には別に伏線もあったという。

実は、 “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” 発売の1ヵ月前の3月に発売になるビクタ-の “バンド・レパ-トリ-・ネットワ-ク”に同じ曲が選ばれて入ることになったという情報をレコ-ディングの直前にキャッチした “市音プログラム編成委員” には “ぶつけられた!!” という衝撃が走ったという。”選曲” はCDの生命線を握っている。 “売れなければ次がない” 自主企画盤だけに “選曲” の責任をすべて担うセクションとしては “同業他社” の企画には神経質にならざるを得ない。

ビクタ-盤のプロデュ-サ-でもある佐藤さんは、合奏場での “練習” に立ち合った日に、委員の面々に詰め寄られ、「あれよりエエもん録らな(いい録音を録らないと)、あきまへんでー」と、かなりソフトな言いまわしながら録音を委ねた側の意志がハッキリと伝わる大阪ロ-カル・ワ-ドでヤンワリと “ハッパ” をかけられたのだという。東芝EMI時代に落語家の “桂 米朝” や “桂 枝雀” などのCDやビデオを手がけられ、ひんぱんに大阪を訪れている佐藤さんには、そのロ-カル・ワ-ドの言わんとしているニュアンスはハッキリと伝わったはずだ。

その日の打ち上げの席で、プログラム編成委員の面々から、「ちょっと “ハッパ” かけといたら(セッションに入る直前に)突然マイクでしゃべりだしはりましてね…(大阪ロ-カル・ワ-ド)」と “逆に気合いを入れられた” という話を聞いた。プレッシャ-が掛かっていたのは、実は佐藤さんの方だったのかもしれない。しかし、レコ-ディング・セッションのディレクションが何であるかを知り尽くしているベテランならではの “絶妙のタイミングを見透かした” かのようなひと言。見事な演奏を引き出した、これぞ “ザ・プロフェッショナル!!” と呼びたくなるような、実に味のあるエピソ-ドだった。ご本人に伺ったわけではないが、録音が終了したあとのビ-ルはさぞかし旨かったに違いない。

同じ日、筆者は、エレビ-からエア・メ-ルを受け取っている。

「ディア-・ユキヒロ。ブリ-ズ・ブラス・バンドが演奏した “新世界の踊り” の録音を送ってくれて本当にありがとう。演奏を聴いてとってもエンジョイしている。彼らの輝かしい演奏に対するボクの “感謝の気持ち” と “祝辞” をバンドの方に伝えてほしい。

この前の週末、マンチェスタ-のロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジの “ユ-フォニアム/テュ-バ・フェスティヴァル” に行ってきたんだけど、そこで聴いた若き日本人ユ-フォニアム奏者、ショ-イチロウ・ホカゾノ(航空中央音楽隊の外囿祥一郎さん)によるボクの “ユ-フォニアム協奏曲” の演奏、それは信じられないほどのすばらしさだった。日本のプレイヤ-やバンドは相当にいい演奏をしてくれているように思う」

エレビ-は、日本のプロフェッショナルたちの演奏に関して “常々スコア・リ-ディングと演奏解釈に感銘を受けている” と書いてきたことがある。この日も、返信で “市音” のレコ-ディング・セッションが無事終了したことを伝えると、 “CDができたら、ぜひ聴かせてほしい” と、興味津々の様子だった。

09:OK

2000年10月、「新世界の踊り」が収録されている大阪市音楽団(市音)の自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000″(大阪市教育振興公社、OMSB-2806)の感想をエレビ-から受け取った。

CDを贈ったのは実は5月。エレビ-が何事についても素早い反応をみせる人だけに、”ちょっと変だな” とかねがね思っていたので、同じく彼の作品である「パリのスケッチ~シンフォニック・ウィンド・オ-ケストラのためのオマ-ジュ(Paris Skeches~Homage for Symphonic Wind Orchestra) 」(1994)についていくつか質問を送った際、ついでにこのCDについても触れたのが契機だった。

「マ-ティン、ところで、 “新世界の踊り” が入っている市音のCDは届いている? まだだったら、それは輸送事故だから、知らせてほしい。もう一枚すぐに送るから。」

すると、即座に打ち返しがあった。どうやら、国際間の輸送や通信につきもの(!?)の”事故” があったようだ。

「大阪市音楽団のCDは、すでに受け取っているよ。そのCDについての感想は以前に書いた(行方不明になった)レタ-の中でキミに書き送ったんだけど。同時に、彼ら(市音)へボクの感謝の気持ちを伝えてほしいとも頼んでおいたんだけど……。演奏はエクセレントだ。録音もとてもよく録れていると思う。THANKS!」

手短かながら、市音のCDに関して、作曲者が好意的な印象をもっていることがよくわかる文面だった。とくに、文章のしめくくりで “ありがとう” という文字をわざわざすべて大文字にしていることから、彼の強い気持ちが伝わってくる。よし、OKだ。

早速、市音の延原弘明さんに電話を入れて、以上の件を伝えると、「そうですか!? 早速みんなに伝えておきます。」と、たいそう喜ばれていた。

イギリス青少年ブラス・バンドの1996年夏のアメリカ演奏旅行のための新作レパ-トリ-として “ブラス・バンド編成” の楽曲として作曲(Version Ⅰ)され、アメリカ合衆国の独立記念日にあたる1996年の “7月4日” に完成したこの作品は、その後、ロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ(Royal Northern College of Music)のティモシ-・レイニッシュの依頼で “ウィンド・バンド(吹奏楽)” 用のバ-ジョン(Version Ⅱ)も作られた。

最初に演奏される「大地の踊り」は、モルト・アレグロの力強い序曲。2曲目の「月の踊り」は、アンダンテの美しい間奏曲。フィナ-レの「太陽の踊り」は、プレストのとてもエネルギッシュなダンス。現代的で管楽器のサウンドがキラキラと煌めいているようなスピ-ディ-な展開を見せる2つの音楽の間に、荒野をいくキャラバンが休息をとる星空の下でのキャンプの一シ-ンを想い起こさせる、ロマンチックな “歌” をハ-トフルに聴かせるという、とても魅力あふれる組曲となっている。

ウィンド・バンド版の方は、1998年4月6日、マンチェスタ-のブリッジウォ-タ-・ホ-ルで開催された第17回英国シンフォニック・バンド&ウィンド・アンサンブル・アソシエ-ション(BASBWE)年次カンファレンスのコンサ-トで、同版への改編を委嘱したティモシ-・レイニッシュが指揮するロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ・ウィンド・オ-ケストラによって初演奏され、オリジナルのブラス・バンド版より先行して出版。

日本国内では、2000年6月16日、大阪のザ・シンフォニ-ホ-ルで催された「第80回大阪市音楽団定期演奏会」(指揮:堤 俊作)のプログラムの1曲目を飾った。(国内初演奏は、1999年9月18日(土)、東京都の練馬文化センター大ホールで行われた「陸上自衛隊中央音楽隊第50回定例演奏会」で、菅原 茂の指揮において。)

この市音の演奏会は、大阪の毎日放送(MBS)によって放送用にライヴ収録され、一部が7月に特別番組でオン・エア。フォンテックからもライヴCDとして2001年1月に発売されることが決まった。市音にとっては新たなプロジェクトのスタ-トというわけだ。ただ、惜しむらくは、収録時間の関係でエレビ-の「新世界の踊り」だけはおクラ入りとなることになってしまったが……。(もちろん、作曲者へは筆者が録音を送っている)

一方、作曲者のマ-ティン・エレビ-は、自身の出版社アングロ・ミュ-ジック・プレス(Anglo Music Press)を起こすために4月に退職したフィリップ・スパ-クの後任者として、2000年秋にロンドンのステュ-ディオ・ミュ-ジック(Studio Music Company)の編集者(エディタ-)に就任。今後、日本のバンド関係者との距離もグングンと縮まっていくことになるだろう。そんな強い追い風の吹く折りも折り、初期の代表作「パリのスケッチ」も東京佼成ウィンドオ-ケストラによってレコ-ディング(佼成出版社、KOCD-3905 /2000年12月発売)された。ウィンド・ミュ-ジックの世界に新風を呼び起こしそうなこれらの作品が今後どんな風に演奏されていくのだろうか。その展開に大いなる期待を抱きながら、今後とも応援していきたいと思った。

10:出版楽譜の注意点

大阪市音楽団のレコ-ディング・セッションで判明した出版楽譜(英Studio Music版)の問題や課題は、つぎの2点。

1) 第2曲<月の踊り>の練習番号・C・の5小節目の4拍目

[2nd バス-ン]のパ-ト譜にあるFの音は、F#が正しい。

(スコアは問題なし)

2) 第3曲<太陽の踊り>の7小節目の4拍目のウラ拍

[コントラバス]パ-トに、Dの音が出てくるが、この音は4弦の楽器では出ないので5弦の楽器の使用が望ましい。

[Special Thanks to Mr.Hiroaki Nobuhara,OMSB]

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