■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第8回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

フルートを吹かなかった1年!

みなさま、明けましておめでとうございます。当セミナーを毎回楽しみにして頂いている方には、大変お待たせして申し訳ありませんでした。今回は実践的な内容に触れる前に、私が全くフルートを吹かなかった1年間についてお話ししたいと思います。

当セミナーの冒頭でも少し触れている通り、私は中学3年から高校1年にかけて“不登校”を経験しました。今でこそ“不登校”という言葉が使われますが、当時は“登校拒否”という表現をされていました。

不登校になった原因は幾つかあります。第1回セミナーでご紹介した通り、中学生だった私は徐々に音楽の魅力に取り憑かれ、毎日の部活(吹奏楽)を楽しみに登校していました。しかしながら、私のいた香川県は非常に教育熱心な土地柄でしたので、中学3年になると朝夕に補習授業が入り部活に行ける時間は大幅に少なくなり、学校に行く楽しみが半減しました。

さらに当時は校内暴力が激しくなったピークの時期でしたので、授業中に廊下を自転車で走る人がいたり、消火器をまき散らしたり爆竹を鳴らしたり、さらにはある日学校に行くと多くの窓ガラスが割られているという酷い状況でした。

そんな荒れた状況の中、自分の好きな音楽をできる時間が制限され、次第に勉強に身が入らなくなり成績も下がるにつれて、私の心のバランスが崩れていきました。朝起きても身体が怠い、学校に行こうとするとお腹が痛くなってくるという症状が続き、やがて学校に行けない日が増えてきました。いわゆる“うつ”という症状です。

ともすると“不登校”は「さぼっているだけ」とか「現実から逃げている」とか思われがちですが、当の本人は周りの友だちと同じよう普通に登校したいと、心の底から思っているのです。しかしながら、いざ学校に行こうとすると自律神経のバランスが崩れ、お腹が痛い等という症状となって表れます。こうなってしまうと、学校に行くということが“恐怖”以外の何ものでもありません。そして“朝起きられない→夜寝られない→食生活と生活リズムの乱れ”という負の連鎖が日常化してしまいます。当時は深夜に起きていても、テレビを観るとかラジオを聴くといった程度の娯楽しかありませんでしたが、今ではゲームやインターネットという存在が、生活リズムの乱れや引きこもりに輪をかけてしまうことも多いかもしれません。たった一人で家にいてもそこそこ楽しめますし、逆に煩わしい人間関係を気にする必要もないので、それはそれで楽な場合もあるでしょう。昔と違ってゲームやインターネットの普及は、“不登校”の長期化に影響を与えているのかもしれません。

このような状況でしたので、正直なところ私の中学3年次の出席日数は全体の半分にも満たなかったと思います。当然ながら、卒業式にも出席しませんでした。

そんな燦々たる中学3年でしたが、何とかフルートだけは続けていました。小学4年からお世話になっていた師匠の佐柄晴代先生は、お忙しい中しばしば自宅まで来てレッスンして下さいました。そのおかげで、学力だけでは絶対入学が無理だった高松第一高等学校の音楽科に、無事入学することができました。

とはいえ受験当日はかなり大変でした。何しろずっと家に引きこもっていた人間が、まるまる2日間も初めての場所に行って入試を受けるのです。試験1日目は学科5教科のテスト。母が作ってくれたお弁当はほとんど食べることはできませんでしたが、何とか無事に全科目受験することができました。2日目は実技(フルート)のテスト。控え室で待っているとき、案の定お腹が痛くなってきて、誘導係の方に無理を言ってお手洗いに行かせてもらった記憶があります。こうしてようやく始まった新たな高校生活ですが、1年目に登校できたのはたった2日だけでした。環境が変わったからといって、急に“不登校”が治るわけではないのです。

高校になっても学校に行けない日々が1箇月続いた頃、私の家庭に変化が訪れます。ある事情で、父の仕事が大阪になることが決まりました。家族会議の結果、このままずるずると引きこもっていてもらちがあかないので、家族全員で大阪に行くことになりした。中学生の妹は普通に転校できましたが、高校生の私は簡単ではありません。しかも不登校とあっては、例え行ける高校があっても難しい状況です。そこで高校は一旦休学し、淀川沿いの十三(じゅうそう)という町にある小さな電機工場で働くことになりました。

この工場は父の親友が専務を務めていて、私の事情を知った上で受け入れてくれることになりました。ここでは主に、生コンクリートのプラントの制御盤を製作していました。仕事内容は回路図に従ってリレーやタイマー等の部品を組み付け、何十本何百本という配線を繋いでいくというものでした。元々電気好きだった私は、先輩方に教えて頂きながら仕事を覚えていきました。毎日が圧着ペンチ、ニッパ、ドライバーを握りしめる日々でした。学校には行けなかった私ですが、朝夕の満員電車に乗って通勤することは、そこまで苦にはなりませんでした。時給は100円でしたが、何かをして毎月お給料を頂けることは楽しかったです(このとき貯めたお給料は、大学に入ってからバイクを買う資金になりました)。

大阪に行ってしばらくは、フルートのレッスンに通っていました。しかし一日中働いて帰ってくると疲れてしまって、練習する気力がわかない日々が続き、しばらくすると全く吹かなくなってしまいました。今から思うと、仲間たちと一緒に音楽をすることが楽しかっただけに、いざ一人で目的もなく練習することに退屈さを覚えていたのかもしれません。ただ、音楽を聴くことは好きで続けていました。

若さは無限の可能性!

毎日阪急電車に乗って工場へ通うとき一番辛かったのが、同年代の高校生たちの姿を目にするときでした。彼らがお揃いの制服を着て仲間たちと楽しそうにしている様子を見る度、本当に羨ましく思ったものです。高校生という存在がとてつもなく華やかで輝いて見えた反面、自分とは縁のない遠い世界のものに思えました。「いったい自分はここで何をしているのだろう?」、「このまま一生終わるのかな?」と寂しい気持ちになりました。

工場の先輩たちはとても親切にして下さいましたが、彼らの生き方からもいろいろと感じることがありました。もちろんプライドと信念を持って働いている方たちでしたが、楽しみといえばプロ野球と子供の成長のことだけ。正直、私は「このままで一生を終わりたくない!」と痛烈に感じました。そして「高校に戻れば、いろんな可能性が開けるのではないだろうか?」と考えるようになります。大好きな音楽だってできるし、必死で勉強すれば全く別の道だって開けるかもしれないと心底思いました。やがて、真剣に高校への復学を考えるようになっていきます。まさに、若ければ何だってできるという“無限の可能性”を肌身で感じたときでした。


▲工場での最後の仕事(生コン制御盤)、一人で全て組み上げました。

さて、高校に復学するためには幾つかのハードルがありました。まず高校のある香川にはもう家がないので、下宿先を探さなければなりません。幸い島が多い地方でしたので、そうした離島から通う高校生のための寮があり、私もそこに入ることになりました。“松平寮”という由緒ある名前の寮でしたが、決して環境のよいところではありませんでした。風呂は週に3日だけ、冷暖房もなく停電や断水も当たり前、悲惨で笑えるエピソードは山ほどあります(ここではご紹介しきれません!)。ただ、そこで苦楽を共にした友人たちは東大や早稲田に進学したりと頑張っていたので、友だちには恵まれました。

1年ぶりにフルートを吹いてみると…

復学すると決心した私ですが、相変わらずフルートをケースから出すことはありませんでした。実際にフルートを吹いてみたのは、高校に戻る数日前でした。寮では音出しができないので、誰もいない公園に行って恐る恐る吹いてみます。よかった、とりあえず音は鳴った! けれど唇が他人のようで、以前のように締まった音色にはほど遠いです。しかも唇の周りの筋肉がすぐにバテてしまいます。

私がいた高松第一高等学校の音楽科では、新1年生は最初の音楽の授業で一人ずつ演奏する慣習がありました。何でもいいから人前で吹かなければならないのですが、1年前の高校入試で演奏した『ヴェニスの謝肉祭』(ジュナン)はとても吹けません。その場で2時間くらいは練習したでしょうか。ようやく続けて吹けるくらいにコンディションが戻ってきました。とはいえ大した曲は吹けないので、何か簡単な小品を選んだように記憶しています。

私にとって最大の心配事は、本当に毎日学校に通うことができるのか?ということでした。またお腹が痛くなったりしないのか…等、不安が次々と頭をよぎります。フルートが吹けるかどうかは、とるに足らないことでした。始業日の前日は、ものすごく緊張していたと思います。しかも学校では1年年下と同級生になり、かつての同学年は先輩になります。大学まで行ってしまえば当たり前の話しですが、高校生の私にとっては複雑な思いでした。しかしながら、今から十三の町工場に戻って一生を終わるなんてことは、考えたくもありません。それを思うと、目の前の壁(ただ学校に行くだけ)をクリアする勇気が沸いてきました。1日目、行けた。2日目、また行けた。3日目…と学校に行って帰るだけの“あたり前”の日常が、緊張感はありつつもとっても嬉しい毎日でした。

再び学校に通い始めた最初の週末だったかと思いますが、1年ぶりにお会いした佐柄先生がホテルのレストランでステーキをご馳走して下さいました。あの時の美味しさは、今まで食べたステーキの中で一番だったかもしれません。こうして私は、再び音楽の道を志す高校生に戻ることができたのでした。

苦手なスケール(音階)を克服せよ!

音楽科の高校に戻った私は、まず音色についての猛特訓を野口博司先生から受けることになります(第1回セミナーを参照)。しかし音色については比較的スムーズに価値観を変えることができたので、そこまで苦労はありませんでした。私が最も苦労したのはテクニックです。元々そこまで指が速く動くほうではなかった上に、1年間基礎的なトレーニングを怠っていたので、細かい音符でとにかく指がすべり(転び)まくりました。楽器を演奏する上で、ロングトーンとスケール(音階)は最も大切です。その肝心のスケールで一音一音が均一に並ばず、それはそれは残念な状態でした。

いくら音色がよくてもスケールひとつまともに吹けないのでは、とても音楽になりません。この惨状を見かねた野口先生が課題として与えて下さったエチュード(練習曲)が、ドゥルーエの『フルートのための25の練習曲』でした。このエチュードは曲の大部分がスケールとアルペジオ(分散和音)から構成されていて、当時(今でも?)の私には、苦手中の苦手分野でした。レッスンで面白いくらい指がすべりまくった様子は野口先生の記憶にも強く焼き付いたようで、あれから30年以上経った今でも「あのときはホント酷かったね!」と、お酒を飲みながらよくおっしゃいます。

それでは、この悲惨な“指のすべり”をどのようにして克服していったのかをご紹介しましょう。

上記の譜例はヘ長調(F-Dur)ですので、フルートにとってはそこまで運指は難しくありません。しかしながらシンプルな故に指が“すべり”やすいです。このように16分音符が4つ並んだ場合、何故か2つずつの音符がくっつきがちです。


この場合、下記のようにリズムのパターンを変えて練習するのが効果的です。

これらのリズム練習は、1拍の中に16分音符を均等に整列させる効果があります。また、多くの場合裏拍が転びやすいので、裏拍にアクセントをつけてアフタービートを感じながらの練習も非常に有効です。

格好つけて速いパッセージを勢いよくパラパラ吹くより、これらの練習を根気強く続けることで、確実で正確なテクニックが身につきますよ。

『ドゥルーエのフルートのための25の練習曲』には3連符のエチュードも多数入っています。

この場合、3つの音符が団子になってくっつき気味になります。ですので同様にリズムを変えたり、拍子を変えた練習が効果的です。

このようにひとつひとつリズムに変化をつけながら繰り返し練習することは、とても根気が必要な作業です。ですので最初は上手くいかなくても、焦らずにゆっくりと楽しみながらやって下さい。今まで「このフレーズ、絶対に無理!」と思っていた部分が、きっと吹けるようになるはずです。そして「次はここをやってみよう!」とチャレンジする勇気が沸いてくることでしょう!

最後に、正確なテクニックを身につけるには正しい姿勢と持ち方が重要です。特に持ち方については、中高生に変な癖が多く見受けられます。主に右手のポジションに無理があるため、速いパッセージで楽器が不安定になります。そんな生徒には、ソレクサというメーカーの“サムポート”を私は薦めています。


▲サムポート(ソレクサ)

これは元々初心者用の補助器具ですが、使うことで楽器の安定感が増します。以前にタッド・ウインドシンフォニーで共演したクリスティーナ・ハッドリーさんが使われていて、「それ何ですか?」とお尋ねしたところ、「娘のために買ったのだけど、とっても良かったから私も使っているの!」と教えて下さいました。


▲クリスティーナさんとタッド・ウインドシンフォニーのフルートメンバー

クリスティーナさんはアメリカのオーケストラで活躍されている素晴らしいフルーティストですが、そんな高いテクニックを持つ方でも効果があるとのことで、私も早速使ってみました。実際に使ってみると最初は少し違和感があるもの、特に高音域での速いパッセージで楽器がブレにくく息の流れも安定するので、今まで音が潰れてしまいがちだった音符にもスムーズに息が入っていきます。高音域の速いパッセージで上手く音符が並ばない場合、指の動きに連動して微妙に楽器が内側(手前)に回り込むために、頭部管が塞がって音が鳴らないケースがよくあります。この“サムポート”はそれを補正してくれる役割があるので、初心者のみならずプロのフルーティストにもお奨めできると思います。高価なものではないので、興味のある方は是非試してみて下さい。

以上、最初は脱線気味で始まった今回のセミナーですが、いかがでしたでしょうか? “落ちこぼれ笛吹き”がお届けするこのON LINEセミナーも、残すところあと2回となりました。もし「こんなこと、きいてみたい」等というリクエストがございましたが、是非Band Powerさんまでご意見をお寄せ下さい。それでは、みなさまにとって新年も良い年になりますように!

■質問のメール送る

 

 

コメントを残す